34.学園祭6
学園祭が始まり数時間が経った頃、フィオラとダリアは気まずそうに顔を見合わせた。
「あまり人が来ませんね」
「そうですわね。暇ですわ」
廊下は賑わっているのに、フィオラたちの教室を訪ねてくる人は少ない。
何をやっているのだろうと冷やかしのように来た学生が十人ほどと、薬学に関わっていそうな人が数名。
あとは商人らしき人物が、やけにあれこれ聞いてきた。
基本的には生徒の関係者しか学園内に入れないが、学園長の許可があれば部外者も午前の部の見学は可能だ。
ただ、彼等が帰ったあとはさっぱり暇となってしまった。
これでも研究室で展示をしていたときよりは多いので、教室を借りた甲斐はあるのだが、廊下を行き交う人の数から考えるとなんとも寂しい。
「だって……植物研究室って薬学研究室の付属のように思われているから……」
ハンスが植物に水をやりながら呟く。
実際にしている植物の改良のほとんどが薬学研究室からの依頼だから、その認識はあながち間違っていない。だけれど、それにしてもここまで暇だとは。
「でも、まだ始まって数時間ですし!」
「薬学研究室には、隣国の、高官も来ているんだって……」
「ハンス様、それどこでお聞きになられたのです!?」
「ごめんなさい! さ、さっき水を汲みに行ったときに……」
ダリアにキッと睨まれ、ハンスが反射的に謝った。何も悪いことをしていないのに、植物の影に隠れてしまう。
「ダリアさん、落ち着いてください。あっ、誰か来ましたよ!」
開けっ放しにしていた扉から数人の文官らしき男性が入ってきた。そのうちのひとり、茶色い髪の男性がダリアに向かって軽く手を挙げた。
ダリアの顔がぱっと華やぐ。
「ヘンリー様! 来てくださったのですね」
「もちろん。ダリアが俺のために作ってくれた植物を見に来た」
「はい。まだ改良が必要なのですが……。あっ、その前に同僚の紹介をさせてくださいませ。フィオラ、わたくしの婚約者のヘンリー・マークレン様ですわ」
ダリアに呼ばれ挨拶をすると、ヘンリーは胸に手を当て礼をしてくれた。
「いつもダリアが世話になっている」
「いえ、私のほうこそお世話になっています。ダリアさんは頼れる先輩です」
当たり前のようにダリアの腰に手が回される。いっつもツンツンしているダリアもヘンリーの前では恋する乙女のように頬を赤らめていた。
「ダリアさんが改良していたまどろみ草は、ヘンリー様のためだったのですか?」
「ええヘンリー様はお城の文官で、細かな数字を扱う部署にいますの。日中頭を使い過ぎると、却って夜眠れなくなるときがあると聞きまして。ぐっすり眠っていただくためにまどろみ草を改良したのですわ」
「まどろみ草から作った睡眠薬を使ったこともあるんだけれど、身体に合わなくてね。でも、これは僕にぴったりだ」
ヘンリーが一緒にきた友人に、まどろみ草を見せる。
夜にだけ花を咲かせ、その花から睡眠を促す香りが出るそれは、今は花弁を閉じて下を向いていた。
「へー、俺も欲しいな」
「どれぐらいの時間で、効き目が出るんだ?」
彼等も同じ悩みを持っているようで、興味深々と聞いてくる。
最近はぐっすり眠れるフィオラにまどろみ草は不要だけれど、ダリアの研究だと思うと興味が湧く。
だから少し離れた場所で、ダリアがするまどろみ草の説明に耳を傾けた。
「おおよそ三十分ほどで効き目が現れます。花が咲いている時間は日付が変わって一時までですから、それまでにベッドに入ってくださいまし。一時以降は花が閉じて匂いが次第に薄まります。ですから、朝はすっきりと起きれますわ。ただ、人間以外には違う効果が現れるので注意してくださいませ」
そう言うと、ダリアはヘンリーの友人にペットを飼っていないか確認する。ひとりは首を振ったが、もうひとりは犬を飼っていると言う。
「理由はまだ解明できていないのですが、まどろみ草の匂いを嗅いだ動物が狂暴化することがあるのです。そうですわよね、ヘンリー様」
「あぁ、家で飼っている猫が暴れてね。邸中を走り回り、捕まえようとした使用人を引っ掻いて大変だったんだ。普段は大人しく使用人にも懐いていたから、驚いたよ。知り合いに数株譲ったんだが、彼等にもまどろみ草を使うときは動物を部屋から出すように伝えた」
ヘンリーの言葉に、フィオラははっと息を飲む。
(もしかして、フェンリルの脱走にまどろみ草が関わっているのかもしれない)
突然暴れだしたフェンリルは、興奮してフィオラの声が耳に届いていなかった。
ペットに興奮作用が出たなら、魔獣にも同様の作用が起きても不思議ではない。
「フィオラ、どうしましたか?」
「い、いえ。なんでもありません。ただ……」
考え込むフィオラを不思議に思ったのか、ダリアが声をかけてきた。でも、フィオラは言い淀んでしまう。
できればまどろみ草の展示はやめて欲しい。
この部屋を訪れてまどろみ草を知った誰かが、フェンリルの飼育小屋の近くに鉢植えを置く可能性はゼロではない。
もちろんどうしてそんなことをしたのかは、分からない。
フェンリルを狂暴化させれば、まどろみ草を置いた人物にも危険が及ぶ。むしろ一番危ないだろう。
フェンリルが毎回狂暴化する原因がまどろみ草だという証拠はないが、このまま展示を続けるのはよくない気がする。
先輩であるダリアの顔をつぶさないようどう説明すればいいかと思案していると、入り口から聞き慣れた低い声がした。
視線をやると、やはりイースランだ。
イースランはゆっくりとした足取りでまどろみ草に近付くと、花に顔を近づける。それから視線をダリアへと移した。
「ダリア、さっきのペットが狂暴化する話、俺は報告を受けていませんが?」
普段より少々声が硬い。それに気づいたダリアの顔も強張る。
「あ、あの、それは……。このまどろみ草は研究途中ですので、完成してから報告するつもりでしたの。それに、ペットのいない部屋で使用すれば、問題ありませんから」
普段穏やかなイースランの詰問口調に、ダリアも戸惑いを隠せないようだ。
もしかすると、婚約者のために完成を急ぐがあまり、報告がおろそかになったのかも知れない。
「そうですか。では報告がなかった理由については了解しました。ただそうなると、未完成の研究植物を展示するのはいかがなものでしょうか。狂暴化するのが猫や犬ならまだしも、馬やもっと大きな動物なら被害が甚大なものとなります。それについてはどう思いますか?」
「そ、そうですわね。わたくしが軽率でしたわ。申し訳ございません」
ダリアが深々と頭を下げる。
隣にいるヘンリーが「でも」とダリアを庇おうとするも、ダリアがそれを制した。
「ヘンリー様、イースラン様の仰る通りですわ。ヘンリー様のお役に立てたのが嬉しくて、つい展示してしまいましたが、時期尚早でした。これは片付けます」
「そうか。でも、僕はとても助けられている。イースラン様、個人的に使用するのは問題ないですよね? 実は知り合いにも譲っているのです」
ダリアからイースランへと視線を移しヘンリーが問えば、イースランは顎に手を当て黙考した。
「転売したり、事情を知らない人に譲るのは止めて欲しいですが、ダリアの知人が危険を知ったうえで使う分にはいいとしましょう。ヘンリー殿はダリアの婚約者ですから、ほぼ身内とも言えますしね」
「ありがとうございます。ヘンリー様、くれぐれも猫は寝室から出して使ってくださいましね」
「あぁ、そうするよ。いっそのこと、ダリアがほぼ身内から正式な身内になってくれれば、不眠なんて吹き飛ぶと思うんだけど?」
ヘンリーがぐいっとダリアを引き寄せ、耳元で甘く囁く。といっても、近くにいるフィオラたちにはしっかりと聞こえる声量だが。
「ヘンリー様、皆様が見ていらっしゃるわ」
「大丈夫、友人たちは見慣れているから」
ヘンリーの言葉の通り、友人たちはスッと目を逸らし他の植物を見にいった。と、そこで観葉植物の影に隠れていたハンスに気づいたらしく「うわっ」と声が上がる。
「フィオラ、俺たちもお邪魔なようですから退散しましょうか」
「退散?」
「ええ、中庭に露店が出ていました。お昼になりましたし、食べに行きましょう」
イースランはダリアに留守番を頼むと、フィオラの返事を聞かずに廊下へと向かう。
後に続いたフィオラが教室の入り口で振り返れば、ダリアが頑張ってと拳を握っていた。
何を頑張るのだろう。フィオラは曖昧に頷き返すと、イースランと一緒に中庭へ向かったのだった。
お読み頂きありがとうございます。興味を持って下さった方、是非ブックマークお願いします!
☆、いいねが増える度に励まされています。ありがとうございます。




