28.イースランの想い3
回帰した直後、テラスから飛び降りたフィオラを助けるという大仕事を終えたイースランは、いつものように薬学研究室の扉を開けると、まっすぐに副室長の席へと向かった。
「転籍届の締め切りは今日まででしたが、希望者はいましたか?」
どうしてそんなことを聞くのかと副室長は訝し気にしながら、誰もいないと答えた。
イースランが今住んでいる邸は、祖母の弟がタウンハウスとして使っていたもので、ステンラー帝国から連れてきた使用人が住み込みで世話をしてくれている。
そのうちのひとりにフィオラの様子を探らせ、テラスから飛び降りて以降は寮から出ていないと報告も受けていた。それでも、転籍者がいないか確認したのは、入れ違いになっては困るからだ。
「では、これを受け取ってください」
イースランは、副室長の前にすっと転籍届けを出す。
副室長が茶色い目を丸くさせ、出された紙とイースランを交互に見る。
「え、えーと。ごめんなさい、急なことで頭が追い付かないのだけれど、薬学研究室を辞めるというの?」
「はい。転籍届にも書きましたが、植物の研究をしようと考えています。ちょうど、そこの室長の席があいたので誘いを受けました」
うっすらとした笑みで、イースランはさらりと噓を吐く。
植物学研究室の室長が、仕事をしていないお飾りなのは皆が知っている。
室長がいないと研究室が成り立たないという理由から、旧友である学園長に頼まれ渋々引き受けていただけらしい。
だから彼に、自分を次の室長に推薦して欲しいと、少しの謝礼と一緒に頼めば喜び推薦状を作ってくれた。
人気の研究室の室長なら身分と実績が必要だが、マイナー植物研究室なら身分があれば周りも認めてくれる。
バーデリア国とステンラー帝国の王族の血を引くイースランの就任に反対する者はいない、というか、誰も植物研究室の室長の座に興味がない。
そこまで根回しして、さらにフィオラから転籍届が出ていないのを確認した上で、イースランは自身の転籍を申請したのだ。
何度も回帰するという常識では考えられない現象に、どうしてもフィオラが無関係だとは思えなかった。
フィオラだけが、毎回違う行動をする。
だから、今回はできるだけフィオラの近くにいて、回帰の原因を探ろうと考えた――というのが、建前なのはイースラン自身がよく分かっている。
要は、単純にフィオラが気になって仕方ないのだ。
初めて会ったときに見た諦めの表情も、カルロの前で笑う顔も脳裏から離れない。
そして、その変化を促したのが従兄なのが、無性に苛立つ。
テラスから飛び降り目覚めたばかりのフィオラに、「ひと目惚れした」なんて、イースランらしくない冗談を口にしたのは、どんな表情をするか見たかったからだ。
盛大に睨まれ思わず笑ってしまった。
頬を赤らめるでもなく照れるでもないフィオラに、イースランはますます興味を引かれたのだ。
強引に一緒に行った植物市は、イースランも何度か足を運んだことがある場所だ。
だけれど、南の区画へ足を運んだのは初めてで、見るものすべてが珍しい。
「で、探している植物を扱っている露店はどこですか?」
そう問えば、フィオラは小さな露店へと足を向けた。そこで店主に紙を渡し、慣れた様子で注文をする。
暫くフィオラと一緒に待っていたイースランだったが、物珍しい植物の誘惑に負けひとりで露店を巡ることにした。
すると、天幕と天幕の間で泣く男の子と目があった。迷子だろうと声をかけたとき、イースランの脳裏に記憶の断片が浮かぶ。
(この日、植物市で騒動があったはずだ)
怪我人が何人か出たその騒動を、イースランが覚えていたのにはわけがあった。
前回の回帰前、お忍びで植物市を訪れていた王太子がその騒動に巻き込まれたのだ。
幸い怪我はなかったが、護衛をしていた騎士団長のザークが、肝が冷えたと愚痴っていた。
イースランとザークは昔から交友があるが、あれほど憔悴した姿を見たのは初めてだ。
ちなみに、お忍びで来ていたこともあり、騒動に王太子が巻き込まれたことは公になっていない。
だから今、王太子はどうしているのかと気になった。
しかし、小さな子供をひとりにしてはおけない。そう考え、ひとまず子供の親を探そうとしたのだが。
「なんだこれは!」
「逃げろ!!」
突然怒声が飛び交い、人が走り始めた。男の子から目線を上げれば、タンポポの綿毛のようなものが宙を舞っている。
どうやら、皆その綿毛から逃げているらしい。
「しびれ花、か?」
ザークが口にした植物の名前は、そんなだった気がする。
たしか、触れるだけで身体が痺れ、傷跡が残る禁じ草だ。
そこまで思い出したイースランは、チッと舌打ちをした。どうして植物市に来る前に思い出さなかったのかと悔やまれる。
幸い男の子の両親はすぐに見つかった。
父親に早く逃げるよう伝えるイースランの耳に、自分の名を呼ぶフィオラの声が聞こえる。
視線を巡らせ、フィオラの姿を視界に留めたそのときだ。
ピュゥと強い風が背後から吹き付け、大量の綿毛が宙に舞った。
「危ない」
イースランが動くより早く、フィオラがイースランに覆いかぶさる。
その姿に、血だらけでフェンリルを止めていた姿が重なった。
「フィオラ! 俺より自分を守れ!」
どうしていつもフィオラは他人を守ろうとするのか。
フェンリルからフィオラを助けられなかった後悔が、イースランの身体の内を駆け巡る。
今度こそ守り抜こうと腕を掴んだ瞬間、フィオラの身体がビクンと大きく跳ねた。
「フィオラ! 大丈夫か?」
地面に倒れる直前で受け止めるも、フィオラはもう意識を保っていられないようで目は虚ろだ。
首元を見れば、しびれ花が触れたあとが赤く残っている。
もう一度名前を呼ぶが、すでにフィオラの瞳は閉じられ身体から力が抜けていた。
イースランはフィオラが脱いだコートで身体を包み直すと、そのまま横抱きにかかえる。
そうして、まだ舞い散る綿毛を風魔法で地面へと誘導しつつ、馬車のある方向へと駆け出した。
道中、王太子やザークを探したが、彼等の姿は見あたらない。
これだけの騒動だ。探すのは難しいだろうと、イースランは早々に諦めた。
それより、腕の中でぐったりしているフィオラが心配だ。
イースランは馬車へ乗り込むと、行き先を御者に早口で告げた。
イースラン視点はここまで。夕方からはフィオラに戻ります。
イースランの立ち位置がはっきりしたので、やっと恋愛ジャンルらしくなります。
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