27.イースランの想い2
二日後、意識が戻ったフィオラを寮まで送るよう頼んだイースランは、馬車が門を出るのを見届け自室へ戻った。
部屋の中央にあるソファではなく窓際にある執務机につくと、出したままにしてあった手紙を手に取る。
差出人は、イースランの従兄であるカルロ・セルバード侯爵令息。
イースランにバーデリア国の商会について調べて欲しいと頼んだ彼は、豪快で裏表のない気さくな男だ。
帝国一番のセルバード商会を手伝いながら、趣味で小さな商隊も持っている。そちらでは、マイナーな宝石や地方の特産品を取り扱い、一部の収集家の間で人気となっていた。
すっかり見慣れた筆跡を見ながら、イースランは眉頭を指で押さえ、フィオラについて改めて考える。
イースランの前々回の回帰前、フィオラは薬学研究室に転籍し、魔獣にも効果がある興奮剤などについて調べていた。
どうしてそんなものを研究するのかと奇妙に思いつつも特段気にしていなかったが、フェンリルが脱走したと聞いてイースランの考えは一変する。
もしやフィオラが関わっているのではと不安になり北の飼育小屋へ駆け付ければ、フィオラが身を呈して一匹のフェンリルを取り押さえようとしていた。
その瞬間、イースランの胸にこみ上げたのは激しい後悔だ。どうしてフィオラが脱走に関わっているなんて考えたのだろう。
蔑む噂を否定もせず研究に取り組むフィオラをずっと見ていたのに、少しでも疑いを持った自分を腹立たしく思った。
フェンリルがその巨体をぶるっと震わせると、首にしがみついていたフィオラはあっけなく傍にあった木まで飛び、身体を激しく打ち付けた。
「危ない!」
痛みに顔を歪ませながら身体を起こすフィオラめがけ、フェンリルが地面を蹴る。
イースランは急ぎ風魔法を繰り出すも、フェンリルの速さには追いつけず、鋭い爪がフィオラの顔と腕を引き裂いた。
「きゃぁ!」
悲鳴が響き、血が飛び散る。
それなのに、フィオラは血に染まった腕をフェンリルに向けて伸ばした。
「ラブ、落ち着いて。大丈夫だから! 私の声を思い出して!!」
悲壮な声に、フェンリルの唸り声が重なる。
イースランは風で小さな円を作り、それをフェンリルの足元へと滑らせる。作り出されたふたつの円が手錠のように前足と後ろ足の動きを封じると、フェンリルはバランスを崩して横に倒れた。
とどめとばかりに右手を挙げ、鋭い風の刃を作ったときだ。
「やめて!」
血だらけのフィオラが、フェンリルを庇うように両手を広げ立ちふさがる。
「フィオラ、何をしている。どけ!」
「この子、本当は大人しいんです。今までも人を襲ったことはありません。きっと誰かに興奮剤か幻覚剤を盛られたんだわ。犯人を捜すためにも生かしておくべきです」
顔の半分を血に染めながら、フィオラは傷を負っていない目でイースランをキッと睨みつけた。
普段は、人生に疲れたかのような影のある顔が、強い意志を持っている。
だからだろう、嘘を吐いているように見えなかった。
「分かった。ならば憲兵が来るまでこうしておこう。フェンリルは一匹か?」
「いいえ、もう一匹います」
そう言って、学生が残る校舎を目で示す。夜にもかかわらず、幾つかの教室には灯がともっていた。
「イースラン様、もう一匹も止めてください」
「分かった。途中で会った人にフィオラを助けるよう頼むから、ここを動くな」
イースランの言葉に、フィオラは小さく頷く。
負傷したフィオラは心配だが、フェンリルを逃がすわけにはいかないと、イースランは、校舎へと駆けていく。
中庭では、暴れるフェンリルを偶然残っていた騎士科の生徒数人が取り押さえようとしていた。
イースランも風魔法で加担し、なんとか生きたままフェンリルを捕まえることに成功したのだった。
その後、駆け付けた城の騎士たちに事情を聴かれたイースランは、解放されるとすぐにフィオラを見舞いに医務室へ行く。
フィオラは顔半分を包帯で覆われ、荒い息を吐きながら目を閉じていた。
鎮痛剤の影響で眠っているらしい。話を聞くのを諦め、悲痛な思いを抱えたままイースランは医務室をあとにした。
次の日、イースランは、脱走したフェンリルについて調べようと決める。
フィオラはまだ目覚めないが、起きたとき真っ先に聞いてくるのはフェンリルがどうなったかだろう。
だから、フィオラが言っていたように興奮剤や幻覚剤が使われていないか血液を採取して調べてみたのだが、結果としてそれらが使われた形跡はなかった。
それならと、フェンリルの飼育を担当していた男に会って話を聞いたが、二匹が人を襲うなんてあり得ないと言う。
「本来、魔獣は人に慣れないが、この二匹は赤ん坊の頃から儂が育てた。そのせいか、とてもよく懐いているし、今までも暴れたことはない」
「では最近になって狂暴性が増したということは……」
「そんなことはない。それにあれを見ろ!」
男は歪んだ鉄格子を指差す。
女性の腕ほどの太さのある格子は、無残にも壊れていた。
「フェンリルが体当たりを繰り返し壊したんだ。壊したあいつらだって無傷ではない。骨にはひびが入っていた」
どうやら男も、捕えられたフェンリルに会ったらしい。
イースランが不在のときに対面したらしく、そのときの様子を聞けば、二匹は男の顔を見るなり甘える声を出して尻尾を振ったと言う。
あの好戦的なフェンリルからは、想像もできない行動だ。
その後原因が分からないまま時は過ぎ、迎えた卒業式の夜、イースランは激しい眩暈に襲われ十ヶ月前のフィオラの誕生日パーティへと回帰した。
回帰した理由は分からない。ただ、フィオラのことは気になった。
だから薬学研究室へ転籍してくるのを待っていたのだが、転籍届の締め切り日となっても申請書は届かない。
痺れを切らしたイースランが植物研究室へ行けば、そこにもフィオラの姿はなかった。
そこで、男性の研究員を捕まえ話を聞いたところ、フィオラは辞めて異国へ行ったと言うではないか。
まったく意味が分からない。
しかし、無情にも時は過ぎていく。
フィオラがいないまま、イースランは薬学研究室の一員として前回と同じ研究をして過ごした。
代わり映えのしない日々の中、なぜかフィオラの姿だけがない。
それがイースランの胸をざわつかせた。
淡々と実験を繰り返していたフィオラを、周りは氷のように冷ややかだと言っていたが、イースランの目には何かを諦めたように映っていた。
それでいて、真摯に実験に取り組む姿には信念を感じる。
なんともちぐはぐなその印象は、月日を経てイースランの中でどんどん大きくなっていった。
もう会えない女のことばかり考えても仕方ないと自分自身に呆れ、うつうつとした日々を過ごしているうちに、またフェンリルの脱走騒動が起きた。
事前に知っていたイースランがうまく立ち回ったことに加え、今回は脱走したフェンリルが一匹だったので被害は最小限に抑えられた。
再び捕まえたフェンリルの血液検査をしていると、従兄のカルロから手紙が届いた。
内容は前回と変わらない。
卒業式で授与されるバッジを学園に納品に行くから、ついでに一緒に飲もうと短い文章で書かれていた。
だからイースランは約束の日、学生棟へと向かう。
その最上階にある学園長の部屋でカルロはバッジを納品する。それが終わったら、ふたりで街へ繰り出す約束をしていた。
時間より少し早く着いたイースランが、建物の影にあるベンチに腰かけていると、夕陽を背にカルロたちが歩いてきた。
イースランは見知った顔ぶれの中にフィオラの姿を見つけ、双眸を見開く。
しかし、一行は死角にいたイースランに気づくことなく通り過ぎていった。
イースランは慌てて後を追う。でも、かける言葉が見つからない。
ただ立ち尽くすイースランの面前で、フィオラはカルロと談笑しながら階段を上がっていった。
初めて聞くフィオラの笑い声に、イースランはただただ驚きその後ろ姿を見送ることしかできない。
完全に姿が見えなくなったあと、目を擦る。見間違えかとも考えたが、その後ろ姿は絶対にフィオラだ。
イースランが知っている声よりずっと明るいし、しゃべり方も陽気だが間違いない。
「どうしてフィオラがカルロと一緒にいるんだ?」
しかも、破顔している。口を開けて笑っている。
自分には一度も見せたことのない華やかな笑顔の先にいるのが、なぜ従兄のカルロなのか。談笑する二人の声が、イースランの神経を逆なでた。
フィオラがいないことをずっと気にしていたのに、いったいどうなっているのか。
腹立たしさを感じると一緒に、自分はこんなにもフィオラに会いたかったんだと自覚した。
自覚してしまったから、余計に腹が立つ。
商談を終えたカルロは、不機嫌なイースランに首を傾げつつも、約束通り飲みに行くぞと街へ繰り出した。
そこでイースランは、カルロにフィオラとどこで出会ったのかとさりげなく聞いてみる。
すると、国境近くの食堂で人生を諦めたような顔をしていたフィオラを偶然見かけ、気になって声をかけたのがきっかけだと、あっけらかんと教えてくれた。
それが十ヶ月前のことだ。
訳ありのようだから、父親が商会長をしているセルバード商会ではなく、カルロが趣味でしている商隊で雇ったらしい。
初めは無表情で口数も少なかったが、旅を続け多くの人と関わるにつれ、感情を表に出せるようになった。最近では笑って冗談も言うんだと、どこか自慢気に言うカルロに、イースランは思わず舌打ちをしてしまう。
自分にもその笑顔を見せて欲しいと思ってしまった。
なんなら、フィオラの笑顔を引き出すのは自分でありたかった。
そう思いながら、前回同様フェンリルの血液検査をしていると、再び激しい胸の痛みと吐き気に襲われ回帰したのだ。
もう一話、イースラン視点があります。そのあとはラシュレに戻ります。
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