26.イースランの想い1
お待たせ(?)しました。イースラン回です。
激しい胸の痛みと眩暈が治まり目を開けると、そこは綺麗なバラが咲き誇る庭だった。
アーチ状に組んだ骨組みに蔦が絡まり、赤やピンク、黄色のバラが、庭に置かれた街灯の下で夜の庭を鮮やかに彩っている。
イースランは手入れの行き届いた庭のベンチに座る自分を認めると、大きく息を吐いた。
「どうしてまた、ここへ戻ってきたんだ」
貴族学園の卒業式の夜から、ジネヴィラ伯爵邸の庭への回帰はこれが初めてではない。
イースランは軽く頭を振ると、立ち上がる。
ほとんど親交のないジネヴィラ商会への夜会に参加したのは、ステンラー帝国で商いをしている従兄に頼まれたからだ。
ステンラー帝国で幅広い事業を行っている従兄は、隣国バーデリアへ留学を決めたイースランに、いい取引先がないかついでに調べて欲しいと頼んできた。
イースランは年々白熱する婚約者探しにうんざりして、逃げるようにバーデリア国へ来た。
だから、本来ならパーティなんて令嬢が多くいる場所への参加は、避けたいところだ。
でも、押しの強い従兄に負け、「できる範囲で」と曖昧な条件付きで了承した。不本意極まりない。
それでも留学して一年間はのらりくらりと躱していたのだが、従兄から頼んだ件はどうなったかとせっつく手紙が頻繁に届くようになった。
さらには従兄と共通の知り合いである騎士団長が招待されているパーティを名指しし、同伴するように手配までしたのだ。
「今夜、フィオラが婚約破棄を言い渡されるんだよな」
過去――というか、回帰前に見たフィオラの顔をイースランは思い出す。
初めてフィオラと会ったのは、彼女が薬学研究室を訪ねてきたときだ。
一度研究室に所属すれば、そこにずっと在籍するのが慣例なのに、フィオラはたった一年で植物研究室を辞め、薬学研究室へとやってきた。
しかも、その届け出が転籍届けの締め切り間際だったこともあり、副室長が随分と愚痴っていたのを覚えている。
だから当初、イースランはフィオラを警戒していた。
ステンラー帝国の王族の血とバーデリア国の王族の血を引くイースランの妻の座を狙う令嬢は、どこへ行っても絶えない。
山のような手紙はまだ可愛いほうで、何かと理由をつけて贈られてくるプレゼントには辟易していた。話もしたことのない女性から贈られた食べ物なんて口にしたくない。それが身に着けるものであったとしても、着た途端に擦り寄ってこられるのが関の山だ。
肩書に吸い寄せられ、見目の良さから勝手に王子様のような性格を想像する令嬢と、良好な夫婦関係が築けるとは思えなかった。
だから逃げてきたのに、バーデリア国でも女性に付きまとわれるのは変わらない。
これではなんのために留学してきたのか分からないとうんざりしていたところへ、突然、妙齢の女性が転籍してくるのだ。警戒しないわけがなかった。
それなのに。
フィオラはまったくイースランに興味を持たなかった。
ただひとり黙々と研究をしている。そしてなぜか、周りの人間もフィオラに話しかけなかった。
不思議に思い副室長に聞くと、フィオラは学生時代から素行の悪さで有名だと言う。
母親違いの妹を虐げ、婚約者との時間よりも他の男との交友を優先する。
実家のジネヴィラ商会の金で豪遊し、秀才なのを鼻にかけ高慢で笑いもしない。氷の才女という二つ名まであるらしい。
だけれど、イースランが見る限り、フィオラはそんな令嬢に見えなかった。
服は数着を着回し、そのどれもが平民が着るような質素なものだ。容姿にも気を配っていないようだし、横柄な振る舞いもしない。
優秀な女性の足を引っ張るような噂が意図的に出回るのを、イースランは知っていた。
ステンラー帝国にいたときは、あの女は悪女だとか複数の男と遊んでいるなんて話が嫌でも耳に入ってきたし、そう噂される女性は決まってイースランの近くにいる令嬢だった。
クラスが一緒だとか、席が近いとか、ちょっと廊下で話しただけの令嬢が悪く言われ貶められる姿を見たのは一度や二度ではない。
「そもそも、妹と婚約するからフィオラと婚約破棄するなんておかしいだろう」
どう考えても、悪いのは婚約者と妹だ。
それなのに回帰前の人生では、日頃の醜聞のせいでフィオラが悪しざまに言われていた。
当の本人であるフィオラは、淡々と実験を繰り返し、肯定も否定もしない。
そんな彼女にイースランが興味を持ったのは、今まで自分の周りにいなかったタイプだからだろう。
どんな実験をしているのかと、研究室にある書類をこっそり見れば、魔獣にも効く興奮剤や幻覚剤について調べていて、さらにその解毒薬も作ろうとしていた。
まったく意味が分からない。
だからだろうか、イースランはますますフィオラを知りたくなったのだ。
イースランは、フィオラの誕生日パーティが行われている建物の壁伝いに視線を上へと向ける。
今頃そこでは、婚約破棄が宣言されているかもしれない。
どうして何度もこの場所に帰ってくるのか分からないが、戻ってしまったものは仕方ない。それならいっそうのこと、今までとは違うことをしてやろうかと考えた。
たとえば、婚約破棄の現場に乗り込んで、男の不貞を追及するなんてどうだろう。
そんなことを思っていると、視線の先にあるテラスの手摺に人影が躍り出た。
月の光を浴びて輝く亜麻色の髪は、間違いない、フィオラだ。フィオラは躊躇いもなく手摺の上に立つ。
「どうなっているんだ⁉」
イースランは切れ長の瞳を瞬かせ、口をポカンと開けた。
今まで、こんなことはなかった。
ちょっと風が吹いて体勢を崩せば真っ逆さまに落下してしまうその危なさに、イースランはほぼ無意識に立ち上がり、テラスの下へと駆け寄る。
そのときだ、はっきりとした声が静かな庭に届いた。
「私はダリオン様を愛していました。それなのに、妹との不貞を美談にすり替えられ、濡れ衣を着せられ、誰も私を信じてくれない。疲れました」
ふわりと亜麻色の髪が宙を舞う。
華奢な肢体が闇夜に投げ出された。
イースランは咄嗟に風魔法を繰り出す。
つむじ風を起こし落下する肢体を受け止めると、風の威力を弱めそっと地面に下ろそうとした。
でも、いつもなら他愛もないことなのに、動転していたせいで力加減がうまくできない。
フィオラの身体が不安定に揺れる。
このままでは頭から地面に落ちてしまう。危ないと腕を伸ばすも、風の渦とフィオラの頭がぶつかってしまった。
イースランは、つむじ風の外へ放り出されたフィオラの身体の下へ滑り込み、なんとかその肢体を受け止める。
「フィオラ! 大丈夫か」
肩を叩くも、目を開かない。
頭上では悲鳴が聞こえ、男性の叫び声がした。
そのうち数人がテラスから身を乗り出す。
フィオラを抱きかかえるイースランの姿を見ると、今度は「医師を呼べ」「生きている!」と騒ぎ出した。
暫くすると家令らしき人物が駆けてきて、そのうしろからジネヴィラ伯爵とダリオンが現れる。
イースランは家令に馬車を用意するよう命じると、フィオラを抱きかかえ立ち上がった。
「あの、あなたは……?」
戸惑う父親に名前と風魔法で助けたこと、それから知り合いの医師に診せると伝えれば、真っ青な顔で「勝手なことをされては」と場違いな台詞を口にする。
その横で、切羽詰まった表情のダリオンがイースランへ腕を伸ばした。
「風魔法で助けてくれたなら、邸で寝かせておけば目を覚ますだろう。大事にしたくないから、フィオラを貸してくれ」
「あの高さから飛び降りたフィオラを医師にも見せずただ寝かせるとは、いったい何を考えているんだ。そんなに世間の目が気になるのか? まずは彼女の身体の心配をすべきだろう」
到着した彼等の口から、フィオラを案じる言葉がひとつも出ないことに、イースランは苛立つ。
それに、フィオラが飛び降りた理由は、聞こえた言葉から明らかだ。
とてもではないが、目の前の男に任せるわけにはいかない。
イースランは狼狽するふたりを押しのけると、ジネヴィラ伯爵邸の馬車止めへと歩き出した。
イースラン視点は計三話です。
イースランが回帰していたことは、気づいていた人も多いのではないでしょうか・・・。
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