22.フェンリルの飼育4
フィオラは窓が開くのを確認すると、再び塀の方へ行き木箱を持って戻ってくる。
それを踏み台にして、「よいしょ」と窓によじ登ると、慣れた動作で鐘塔の中へ入っていった。
「入っていいのですか?」
「いいと思いますか?」
「愚問ですね」
窓越しに言葉を交わしたあと、イースランが危なげなく窓を越えて入ってくる。
あまりに軽い身のこなしに「風魔法を使いましたか?」と問えば、「これぐらいで使わない」と返ってきた。
研究者肌だと思っていたが、運動神経もいいようだ。
「顔も良くて家柄も良くて、頭も良くて運動神経も良い。いいとこずくめですね。今までさぞかしおもてになったのではありませんか?」
よくもこれだけ揃ったものだと感心すれば、イースランは盛大に眉根を寄せた。
「憧憬も恋慕も嫉妬もなく、これだけ客観的に感想を述べられたのは初めてです。まるで観察対象に向ける感想ですね」
「? お気に障ったのなら申し訳ありません」
フィオラは自分の頬をふにふにと摘まむ。
感情表現は随分とうまくなったつもりだが、まだまだのようだとひとり反省した。
「そこまで揃った男に、他の感情は浮かびませんでしょうか?」
「たとえばどのような?」
「……もういいです」
ため息交じりの呆れた声が、ガランとした塔に虚しく響いた。
当然のことながら、塔の中は薄暗い。かろうじて差し込む月明かりで、お互いの顔の輪郭がなんとなくわかるぐらいだ。
フィオラが、このあたりにあったはずだと床を手探りすれば、指先が硬いものに触れる。
持ち上げふぅ、と息を吹きかければ、ぼわっと埃が舞い散った。
「カンテラ、ですか?」
ぼんやりしたシルエットを手掛かりに、イースランが問う。
「はい、そうです。今火をつけます」
フィオラは答えながら、カンテラを持っていない方の手をポケットに入れた。
月明かりがないほど真っ暗な夜は、クロセットにカンテラを借りることもある。だから燐寸は常備してているのだ。
出した燐寸で手早く火をつけ、カンテラの中の蝋燭にそれを移す。
周りがふわりと明るくなった。長いふたりの影が、埃だらけの床に延びる。
「高い所は平気ですか?」
「ええ。行きますか」
さすがにここまで来ると、イースランもフィオラの目的を察したようだ。
フィオラからカンテラを受け取けると、鐘塔の内壁に沿って上へと延びる螺旋階段を目指し先に立って歩き始めた。
鐘塔の中には何もない。
中が空洞になっていて、ただ上に延びる階段だけがある。
「手を」
イースランが手のひらを差し出してきた。
普段は一人で上っているから、手など借りなくても平気だ。だから断ろうと思ったのだが、ほら、とさらに突き出され、フィオラは躊躇いながらその手を握った。
こんな風に誰かの手を握って歩くのは初めてかもしれない。そう考えながら、淡々と足を進めるイースランの後ろ姿を見上げた。
窓から差す月明かりが、塔の壁に二人のシルエットを作る。雲が晴れたのか、さっきより月明かりが強くなっている気がした。
鐘塔の高さは二十メートルあり、敷地内で最も高い。
にもかかわらず、内壁に沿う石階段は手すりもない不安定なものだから慎重に足を運んでいくと、やがて天井裏へと辿り着いた。
鐘塔は上にいくほど萎まり狭くなるので、カンテラを頭上に掲げれば天井裏すべてがよく見える。
壁は外壁と同じでレンガを積み重ねただけのものだ。
その壁際に小さな机がひとつあり、反対側の壁のレンガが一部飛び出していて棚のようになっている。その上には埃だらけの聖杯が載っていた。
他にあるのは、上から垂れ下がる長い縄だけだ。縄の先は鐘に繋がっていて、引っ張れば大きな音がするだろう。
(そういえば、鐘はもう何年も鳴っていないと聞いたけれど、回帰の瞬間に鐘の音を聞いたような気がする)
朧げに、大きく鳴り響く鐘の音を聞いた記憶があるが、あれは何だったのだろう。
「イースラン様、鐘が鳴ったのを聞いたことがありますか?」
「……いえ、壊れていて鳴らないはずです」
やっぱりそうか、だとすれば記憶違いかもしれない。
「フィオラはよくここへ来るのですか?」
問われたフィオラは、自嘲気味な笑みを浮かべ肩を竦めた。
「学生時代友達がいなかったので、ひとりになれる場所を探していたんです。それで偶然見つけました」
フィオラは慣れた足取りで天井裏を歩くと、小さな扉の前で立ち止まった。
古びた木製のそれは内側から閂がされている。慎重に閂を取り外し床に置くと、ギギッと音を鳴らしながら扉を外へ押し開く。
途端に夜風がフィオラの亜麻色の髪をなびかせた。髪を片手で押さえ、足を踏み出す。
鐘塔の上部には棟を一周するように外回廊がついている。一応腰の高さぐらいの柵は着いているが、足元の狭さと風の強さを考えるとかなり心細い。
だけれどフィオラは迷いなく外へ出ると振り返り、イースランを促した。
イースランは続くように外回廊へ出ると、「これは!」と感嘆の声を上げる。
その反応にフィオラがちょっと得意げに胸を張った。
「いい眺めでしょう?」
「ええ。学園中が見渡せます」
眼下には、貴族学園の敷地が広がる。
学生が通う建物の灯は消えているが、職員室の窓はまだ明るい。
研究室はそのほとんどが、まだ人が残っているようだ。
塔の周りを中心に街灯の灯が広がり、北側に行くにつれどんどん減っていく。真っ暗なのは北の林だろう。
今頃フェンリルたちは、小さく切った肉とミルクを楽しんでいる時間だ。
幸運にも晴れてきた空には、星が瞬き細長い月が輝いている。
夜風が再びフィオラの髪をかきあげた。
ふわり、と肩に重みを感じ振り返ると、イースランが上着を脱いでいた。
肩に掛けられた上着からフェンリルの匂いとは似つかない、爽やかな香りがする。
(これは反則でしょう)
なんて罪作りな男なのだろうか。自然な仕草でこんなことをされては、フィオラといえど心臓がバクバクしてしまう。
何度も婚約破棄をされ、ダリオンとミレッラの仲の良さを見せつけられ、恋心なんてこりごりだ。
それに今回はなんとしてもフェンリル脱走騒動を食い止めたいから、胸のドキドキなんていらない。
四回目の人生で、自分だけが負傷を回避した後ろめたさが、ずっと心に残っている。だからといって、衰弱したフェンリルを見捨てるなんてできなかった。
未来を知っていながらフェンリルの世話をしているのだから、脱走騒動が起きたときはフィオラにも責任があるともいえる。
だからこそ、今回の人生では絶対に犠牲者を出さないと心に誓っているのだ。
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