21.フェンリルの飼育3
飼育小屋の隣にある井戸でフィオラはタオルを絞ってイースランに手渡す。受け取ったイースランはそれで顔をごしごしと拭き、ついで髪を拭いた。
隣でフィオラも同じように拭く。
「楽しかったですね」
「そうですね……」
やや声が疲れているが、そこには触れないでおく。フィオラはそっと髪を摘まんで匂い、今日も念入りに洗おうと思う。
拭き終わったタオルを桶に入れ手洗いすると、ぎゅっと絞り近くの木の枝にかけた。このまま干していれば明日には乾くだろう。
そうしてフィオラは空を仰いだ。すっかり日が暮れている。このあたりには街灯が少ないから、月明かりだけが頼りだ。
帰りましょうというフィオラの言葉に、イースランは素直に従う。
フィオラが暮らす寮に帰るにも、イースランを待つ馬車に乗るにも南門を潜らなければいけない。
夜の闇の中にぽっかりと浮かぶ鐘塔の尖りを目印に、ふたりは歩を進める。
鐘塔に近付くにつれ灯が増えてきた。帰宅を急ぐ人影もちらちらと見受けられる。
「いつもこんなに帰りが遅いのですか?」
「そうですね。でも、寮は南門を出て十分ほどですから、大丈夫です」
南門から寮までの道は大通りで、この時間なら馬車も人も多い。門番もいるのでフィオラとしては問題ないと思っているが、イースランの顔は険しかった。
「学園の敷地内といっても、これだけ広いと人の目のない場所も多いです。せめて灯を持参してください」
「そうですね。次からはそうします」
フィオラが素直に頷いたのは、イースランが不機嫌そうに見えたからだ。
風が運ぶ香りに、フェンリルの匂いが濃厚に感じる。ちょっと調子に乗り過ぎたとこれでも反省はしていた。
「申し訳ありません。でも、お風呂に入ると匂いはとれると思います」
「なんの話をしているのですか? 俺はフィオラの身を案じているのです。明日は俺も一緒にフェンリルに会いに行きます」
「なんと。あの可愛らしさにイースラン様も心打たれましたか」
驚きながらも嬉しそうにするフィオラに、イースランはジト目を向けると、はぁ、と大きく嘆息した。
「たしかに可愛いものは見られましたが、そうではありません」
「そうですか。でも一度では分からなくても、そのうちモフモフが癖になると思います」
「モフモフですか」
イースランが徐に手を伸ばし、フィオラの髪をぐしゃぐしゃとする。濡れた髪はからまりやすく、おかげで手櫛で整えたはずの髪はぐちゃぐちゃだ。
「何をなさるんですか?」
「いや、たしかにモフモフも悪くないかもしれません」
「はい?」
フィオラはイースランから半歩離れ手を避けると、手櫛でざっと髪を梳かす。
歩いているうちに、鐘塔を囲むように点在する花壇が見えてきた。
鐘塔は普段は使われていなく、二メートルほどのレンガの塀で周りを囲まれ、その外側に花壇が幾つかある。
季節ごとの花が植えられベンチもあるそこは、春になればランチタイムの人気の場所だ。
もっともフィオラがそこでランチを摂ったことはないが。
学生時代からひとりでいることが多かったフィオラは、おのずと人のいない場所を探すようになった。
日当たりの悪い外塀の近くや、木々の生い茂る北側。他にも空き教室なども覗いてみたが、どこももれなく恋人たちの密会の場所となっていた。そのせいでうっかり、あわわな場面にでくわしたことも一度や二度ではない。
そんなフィオラが見つけた秘密の場所が、今目の前にあった。
久しぶりに行ってみようかな、と思う。ついでだからお詫びも兼ねてイースランにも教えてあげようと考えた。
「イースラン様、ちょっと寄り道をしませんか?」
「寄り道、ですか。構いませんが、どこへ?」
フィオラは人差し指を唇に当てにっと笑うと、歩き出す。イースランが首を傾げつつその後を追えば、フィオラは鐘塔を囲む塀の前で立ち止まった。
レンガ製の塀の下には低木が並んでいる。フィオラは何のためらいもなく身をかがめると、その低木の間に割って入っていった。
頭隠して尻隠さず状態でもそもそするフィオラに、イースランがぎょっとして周りを見渡す。
膝下のスカートだから足は露わになっていないが、淑女のする体勢ではない。
「ふ、フィオラ?」
微妙に左右に動くヒップから目を逸らしながらイースランが問えば、「あった」と小さな声がし、さらに姿勢が低くなる。
匍匐前進のようにして低木の間に消えたフィオラに、イースランも思わずしゃがみこめば、低木に隠れるようにしてレンガが割れてできた穴が見えた。
その穴の向こうで、フィオラが手招きしている。
ここを通れというのかとイースランが顔を引き攣らせながら穴を指差せば、フィオラは当然だとばかりに首肯した。
イースランは改めて周りを見渡したあと、意を決したかのように地面に伏せ這って行く。
もそもそと芋虫のように動きながら、なんとかその穴を潜り抜けたイースランにフィオラが手を差し出すと、不満そうに握り返し立ち上がった。
「まったく、何をさせるのですか」
パンパンとわざと大きな音をさせ、服の埃を払う。
「ちょっと引っ掛かっていましたが、大丈夫ですか? 服、破れていません?」
「フィオラより身体が大きいので当たり前です。どこも破れてはいないはずですが、破れていたらフィオラが縫ってください」
「いいですよ」
フィオラは久しぶりに来た鐘塔を首が痛くなるほど見上げた。五回目の人生で訪れるのはこれが初めてだ。
今いる場所から左に行けば入り口があるのだが、フィオラは迷うことなく反対の方向へと歩き出す。そして、入り口の真裏まで来ると立ち止まった。
ちょうどフィオラの頭の位置にある窓に手をかけ、横にスライドさせる。
すると、窓は鍵がかかっていないらしく、音もなくすっと開いたのだった。
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