20.フェンリルの飼育2
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はい、と渡されたエプロンをイースランは不承不承ながら受け取る。
そうして裏の芝生へ出れば、待っていたかのように二匹がフィオラに飛びかかってきた。
「危ない!……うわっ」
フィオラを庇うかのように前に立ったイースランを、フェンリルは容赦なく押しのけ足蹴にする。
地面に尻餅をついたイースランを横目に、フィオラはフェンリルの過剰な愛情を全身で受け止めていた。
顔を舐められ、なんなら髪まで涎でべたべただ。
「ちょっと待って。ふたりとも大好きだよ! ほら、待て!」
フィオラがクロセットのまねをして口笛を吹けば、二匹は大人しく地面にお尻をつけた。
それに驚いたのはクロセットだ。
「これは驚いた。フィオラの口笛にも反応するのか」
「そのようですね」
フィオラもまた、二匹の反応に驚いている。四六時中フェンリルの世話をしているクロセットの命令ならともかく、フィオラの指示にここまですんなり従うとは思っていなかった。
ただ、二匹のフェンリルは座りながらも、イースランへの警戒は解いていない。
当然イースランの顔にも緊張が浮かんだままだ。
フィオラにとっては哺乳瓶から育てた可愛い子たちだが、多くの人にとってフェンリルは狂暴な魔獣でしかない。
警戒心を露わにするフェンリルを宥めるよう頭を撫でると、フィオラはイースランの隣に立つ。
そして紹介するように、手のひらでイースランを指した。
「カイ、ラブ。この人は私の上司。悪い人ではないわ」
それでも二匹は毛を逆立て鼻をぴくぴくとさせている。今にも飛びかかりそうだ。
「イースラン様、ちょっと背をかがめてくれませんか?」
「どうしてでしょうか?」
「二匹の警戒を解くためです」
納得していなさそうな顔でイースランが膝を少し曲げると、フィオラは背伸びをして腕を伸ばす。
そうして黒色の髪を、まるでフェンリルを撫でるかのようにわしわしと掻き混ぜた。
「えっ、フィオラ? 何をするんだ」
また丁寧語が抜け落ちた。時折出る砕けた口調の数だけ、イースランが心を開いてくれているように感じる。感じてしまう。
「イースラン様が私の友達だと、二匹に見せつけているのです。賢い子たちですから、きっと分かってくれる、と思います」
「その希望的観測を信じていいのでしょうか?」
「ものは試しと言いますし」
別にイースランに懐いて欲しいとは思わないが、ここで飛びかかって怪我を負わせるのはまずい。
イースランには諸々高貴な血が混じっているので、国同士の問題にまで発展すると厄介だ。
暫くされるがままに髪をぐしゃぐしゃにされていたイースランであったが、やがてすっと目を細めると、曲げていた膝を伸ばした。
「そういうことなら、もっと親しいところを見せましょう」
「えっ?」
仄暗い笑顔にフィオラが目を瞬かせると、イースランは素早くフィオラの腰を引き寄せた。
ぐっと近づく整った顔に、フィオラの顔が朱に染まる。
イースランはフィオラの頬を撫で、耳たぶを軽くつまみ、髪を撫でる。密着した身体から伝わる体温は暖かく、いやでも鼓動は跳ね上がる。
動転するフィオラに対し、イースランは余裕の笑みを見せた。
「こんな初々しい顔、ダリオンも見たのでしょうか?」
「ダリオン様とこれほど近づいたことはありません」
婚約者といえど、吐息がかかるほどの距離は相応しくない。
ましてやイースランとフィオラは上司と部下にすぎないのだ。
「か、顔も髪も、フェンリルに舐められべたべたです。イースラン様が汚れてしまうので、離れてください」
「大丈夫、この辺りの髪は綺麗ですよ」
そういうと、イースランは後頭部の髪を摘まみ、フィオラに見せる。
たしかにそこは汚れていないが、そういう問題ではない。助けを求めるようにクロセットを探すと、さっさと飼育小屋に入るところだった。
もしかして気を遣ってくれたのだとしたら、勘違いも甚だしい。
「ほら」
なにが「ほら」だとフィオラがイースランに視線を戻すと、熱の籠った青い視線に絡めとられる。
心臓が早鐘のように鳴った。
息がうまくできない。呼吸とはどうやってするものだろうか。
頭の中で「吸って、吐いて」と考えていると、イースランが髪に唇を近づけていく。
背後で落ちる夕陽に負けないほど、フィオラの顔が真っ赤になる。
「イースラン様!」
たまらず逞しい胸を両手で押せば、やっとイースランとの間に距離ができた。
はぁはぁ、と肩で息をするフィオラは、俯き両頬を手で覆う。
「まずい、調子に乗り過ぎた」
ぼそっとイースランが何かを呟いた気もするが、荒い自分の呼吸に消されフィオラの耳には届かない。
イースランが自分の口を片手で覆い気まずそうに視線を外すと、その視線の先にフェンリルが入ってきた。
さっきまでの警戒心は薄れたようだが、二匹のうち一匹はどこかイースランに怯えているようでもある。
ふぅ、とフィオラは大きく息を吐くと、仁王立ちでイースランと二匹に向かい合った。
たしかに、始めにちょっと困らせてやろうと思ったのはフィオラだが、あまりにも仕返しが酷い。
フィオラはびしっとイースランを指差すと、五回目の人生では初めてとなる命令を二匹に出した。
「遊んでよし」
かつては林を指差し言った言葉を、二匹がどう捉えるかは分からなかった。
しかし、二匹はフィオラの意志を正確に汲み取ったように頷くと、逞しい後ろ足で地面を蹴り上げた。
「えっ? ちょ、ちょっと待ってくれ!」
悲鳴にも似たイースランの絶叫は、覆いかぶさるカイとラブによりさらに大きなものとなる。
肉厚な舌で顔や首、頭を舐められイースランは、両手両足をバタバタさせもがく。
風魔法を使えば逃げられるだろうが、それをしないのは二匹に敵意がないと分かっているからだ。
フィオラはふん、と鼻から息を吐き、もみくちゃにされるイースランを見下ろした。
(なんだか、可愛い)
嫌がりながらも、イースランは次第に二匹を受け入れ、空いている手で身体を撫でだした。二匹に体重をかけられながらも上半身を起こせたのは、フィオラと違って鍛えられた腹筋のおかげだろう。
「やめろ」「待て」の言葉に笑いが含まれるのを、フィオラは驚きながら眺めていた。
イースランの適応能力もさることながら、夕陽を浴びたその横顔が無性に可愛く思える。
戯れるひとりと二匹がおかしくて、気づけばフィオラは口を大きく開け笑っていた。
「……やっと、俺にも笑顔が向けられた」
「えっ?」
「いえ、なんでもないです……うわっ、ちょっと待て!」
聞き直そうとしたが、イースランは答えるどころではない。
クロセットが戻ってくるまで、フィオラは笑いながらその光景を楽しんだのだった。
ツンツンしながらもいい感じになってきたのではないでしょうか。
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