2.初めまして、ではないですよね?1
(ここはどこ?)
薄っすらと目を開けたフィオラは、見慣れない天井に瞬きをする。
ふかふかのベッドは身体が沈むぐらい柔らかく、視界の端で揺れるカーテンには可愛らしい花の刺繍が施こされていた。
普段寝ているものとは似ても似つかない大きなベッドの上で、フィオラはゆっくりと身体を起こす。
そうして両手のひらを広げ、目の前で翳した。
ひらひらと裏表と見たところで、頬をつねってみる。痛い。
どうやら夢でなく、生きているらしい。
とすれば、ここはどこなのだろう。
用心深くベッドから足を降ろそうとすると、扉をノックする音がした。小さく「はい」と返事をすれば、「失礼します」と低い声が返ってくる。
現れたのは、黒い髪に青い瞳の男性で、彼はベッド脇にある椅子に腰かけると徐にフィオラの額に手を当てた。
あまりに自然な動作に、フィオラはされるがままその整った顔を凝視する。
「熱は下がったようですね」
「あ、あの。ここはどこですか? そして今日は……何日でしょうか?」
男性は、ほっとしたように息を吐く。
それに対し、フィオラの喉が緊張でゴクンと鳴った。
生きている、とすれば、自分はどの時間に回帰したのだろう。
実験結果を待ちわびるように返答に固唾を飲んでいると、男性はフィオラを落ち着かせるかのようにゆっくりと口を開く。
「ここは俺が王都に借りている邸で、今日はあなたが飛び降りてから二日後です」
「ふつか、ご?」
「ええ、お腹が空いていませんか? とりあえず水分を摂りましょう」
男性は枕元にある水差しからグラスに水を移し、フィオラに手渡す。
どうやら回帰はしなかったようだ。
しかし二日後とはどういうことだろうと戸惑いつつグラスを受け取ったフィオラは、ひと口飲んだあと男性の顔をじっと見た。
切れ長の青い瞳に高い鼻梁、薄い唇が白磁のような肌の上に最高のバランスで配置されている。背も高く着ている服から高位貴族のようだ。というより、フィオラは彼に見覚えがある。
どうして、と思いながら久しぶりにその名を口にした。
「イースラン様、ですよね?」
「そうです。優秀なあなたに名前を憶えていただいているなんて光栄です」
上品に笑うその顔に、フィオラは頬を引き攣らせた。
これはいったい、どういうことだ。
イースラン・カンダルは隣国の侯爵令息で、薬学研究員としてバーディア国へ留学してきた。歳はフィオラより三歳上だったはずだ。
バーデリア国の貴族学園は三年制で、卒業後にさらに専門分野を研究したい学生は、植物研究室や魔獣生態研究室、薬学研究室に研究員として在籍することができる。
研究室は学園の敷地内にあり、学生が通う校舎とも距離が近い。
国から給料が出る上に、国が運営する専門機関からスカウトされることもある。いわば、研究者の卵のような存在だ。
フィオラは三度目の人生で薬学研究室に在籍し、イースランとは同僚だった。
しかし、親しくした覚えはない。
あらぬ疑いをかけられ婚約破棄されたフィオラは他の研究員から避けられていたし、イースランもまた人と距離を取っていたように思う。
唯一、副室長だけがフィオラを可愛がってくれた。
妹を虐める悪女とされたフィオラが、実はあまりに初心で自己肯定感が低いのをすぐに見抜き、何かと気遣ってくれた貴重な人だ。
イースランと話したのは両手の指の数で足りるほどで、そのどれもが業務連絡だと記憶している。
そして当然ながら、回帰した今の時点において、イースランとはなんの接点もない。
それなのに、どうして彼の家に自分がいるのだろうと、フィオラは海の底のような青い瞳に問いかけた。
「私はどうしてイースラン様の邸にいるのでしょうか?」
「あぁ、そこからですね。誕生日パーティの最中にテラスから飛び降りたのは覚えていますか?」
そうはっきり問われると、フィオラとしては居心地が悪い。
自殺願望があったと思われても仕方ない状況だし、投げやりな気持ちも少なからずあった。
だけれどそれは繰り返す人生にうんざりしたのであって、間違っても婚約破棄されたせいではない。それに、どこに回帰するのだろうという好奇心もあった。
しかし、そんなことは言えないので黙って首を縦に振る。イースランは言葉を続けた。
「俺は偶然、フィオラが飛び降りたとき庭にいました。そうして風魔法であなたを助けた、と言いたいところですが、衝撃を和らげた程度です。突然風魔法に当てられたフィオラは軽い脳震盪を起こし、気絶しました」
「それで私、二日間も気を失っていたのですか?」
「いえ、医師の話では気を失っていたのは数時間で、その後睡眠に入ったそうです。随分疲れ衰弱して熱もあったので、自然と目覚めるまでは眠らせるようにと医師から言われました」
「……それは大変ご迷惑をおかけいたしました」
気絶からの爆睡で二日間も他人のベッドで眠り続けるなんて、暴挙にもほどがある。
顔から火が出るほど恥ずかしく、フィオラは両手で頬を押さえる。
穴があったら入りたいし、なければ掘りたいぐらいだ。
「看病をしていただきありがとうございます。もう大丈夫ですのですぐに帰ります」
「急がなくても構いません、痛いところがあったり気分が優れないようでしたら医師を呼びますが、どうですか?」
「いえ、身体は平気ですからこれで失礼いたします。あっ、お礼は改めてお伺いいたします」
再びベッドから足を降ろそうとするフィオラの肩を、イースランがそっと押さえ制する。
「あなたが飛び降りたあとのこともお伝えしたほうがいいでしょう」
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本日、もう一話投稿予定です。