19.フェンリルの飼育1
三ヶ月後、今日も植物研究室の仕事を終えたフィオラはまっすぐに北へと向かった。
セレナはあれ以来、週に三日欠かさず植物研究室に来ている。
初日、可愛らしいデイワンピースを着て植物研究室を訪れたセレナは、速攻でダリアに作業用のシンプルなワンピースとエプロンを手渡され不満を露わにした。
でも、イースランに「だったら来なくてもいいですよ」と言われてからは、大人しく従っている。
水やりや草抜きを文句を言いながらではあるがこなし、それが終わるとイースランの部屋に直行しては書類仕事を手伝おうとして追い出される日々が続いていた。
ここまであからさまな好意は分かりやすく、また、ここまであからさまの拒絶も滅多に見れたものではない。フィオラはそんなやりとりを、よくめげないものだなぁ、と半ば感心し傍観していた。
「クロセット様、今日も来ました」
飼育小屋に入ると、右の部屋へと続く扉を開ける。
台所があるその部屋の壁には、いつの間にか用意されたフィオラサイズのエプロンと上着がかけられていて、それを慣れた手つきで身に着ける。
そうしてさらに次の部屋へと繋がる扉を開けたのだが――そこには誰もいなかった。
最後の部屋には入口がふたつあり、ひとつはフィオラが今入ってきた扉。もうひとつは直接裏の芝生へと出れるようになっている。
迷うことなくその扉を開ければ、強い草の香りがした。
あと一ヶ月もすれば花が咲き誇る季節となるが、夕暮れの時間はまだ寒い。
フィオラは上着の釦を閉めながら、声をあげた。
「カイ、ラブどこにいるの?」
「どこ」の時点で向こうの林の中からシルバーグレーの毛並みが見え、言い終わったときには全力疾走で二匹が駆けてきた。
振り切れんばかりに左右に揺れる尻尾、口からは長い舌が覗きハァハァという息遣いが聞こえてくる。
(やばい)
今日はいつもより来るのが遅かったからか、待ちくたびれた二匹のテンションが普段以上に高い。
半歩足を引き衝撃に備えるかのように腰を落としたフィオラの前に、飛び上がった二匹の腹が見えた。
あっ、と思う間もなくフィオラは地面に仰向けに倒れ、そこに二匹が覆いかぶさる。
これでもかと容赦なく顔を舐められ足をじたばたしていると、ピュッと口笛が聞こえ二匹がお座りをした。
フィオラが袖口で顔を拭きながら身体を起こせば、不愛想な顔でクロセットがこちらへ向かってくる。
「また来たか」
ぶっきらぼうな言い方だが、クロセットが嫌がっていないのはフィオラのために用意されたエプロンと上着から分かる。
「また来ちゃいました」
だからフィオラは笑顔で答える。クロセットはふん、と鼻を鳴らして答えるが、少し口元が緩んでいるのをフィオラは見逃さない。
二度目の人生ではぶっきらぼうな態度が父親を連想させ怖くて、ろくに顔を見られなかった。
しかしこうやってよく見れば、僅かな眉の動きや唇の角度でクロセットが何を考えているのか分かる気がする。
フィオラは立ち上がると、パンパンと服の汚れをはたく。
それを、カイとラブはお座りの姿勢のまま前足をバタバタと小さく動かし待っていた。クロセットの「よし」の声で、再びフィオラに身体を摺り寄せてくる。
フェンリルの成長は早く、二匹の頭はもうフィオラの胸あたりまであった。後ろ足だけで立ち上がれば、ゆうにフィオラの背を越す。
だけれど甘える仕草は子犬のようだ。
「口笛で待てができるなんて、随分と聞き分けのいい子たちですね」
まだまだ遊びたい月齢だ。しかも人間が飼いならすには不向きな魔獣なのだから、かなりお利口さんだと言えるだろう。
少なくとも、二度目の人生で会ったとき、こんなふうに「待て」ができたのは卒業式の頃だと記憶している。
「昔飼っていたフェンリルよりずっと賢いが、少々元気があり余っておる」
と、急にクロセットの顔が厳しくなった。
フェンリルたちの様子も無邪気なものから一変し、警戒しているかのように身体を低くし喉を唸らせる。
二匹の目線の先には鉄格子があり、その向こうに人影が見えた。
フェンリルが身構えているのが分かったのだろう、人影も手を前にしていざとなれば魔法を使えるような体勢を取っている。
この国で攻撃魔法を使える人は少なく、大抵は騎士になる。しかし、その人影は文官のような恰好をしていた。もしくは研究員か。
眉を寄せ目を凝らしたフィオラだったが、誰か認めるとフッと眉間を開く。次いで走り、飼育小屋の中へと入っていった。
部屋を三つ通り抜け、入り口の扉を開け外へ出たフィオラはそこにいる人物の名を呼ぶ。
「イースラン様、どうしてここに?」
駆けてくるフィオラを見ていたのだろう、イースランは驚くことなく肩を竦めた。
「仕事が終わって寮とは違う方向に歩くフィオラを見たので、あとをつけてきたのです」
悪びれもなく答えるイースランを、フィオラは胡乱な目で見る。
「暇なのですか?」
「いえ、これでもそれなりに忙しい立場です。部下がどこへ向かうのか知るのも上司の務めですから」
「勤務時間外はプライベートな時間だと思うのですが?」
不満を露わに口を尖らせるフィオラに、イースランはクツクツと喉を鳴らした。
「こんなふうに女性に邪険に扱われるのは初めてです。やはりフィオラは面白い」
好意を露わにするセレナにつれなく、そっけないフィオラに興味を持つイースランが不思議だったが、この発言で腑に落ちた。
(珍しいから、気にかかっていただけなのね)
研究者たるもの、珍しい事象には興味を引かれるものだ。そうと分かると、諸々が納得できた。ただ、胸の奥がなぜかチクリと痛む。
ふいに感じたその痛みに、フィオラが不思議そうに胸に手を当てる。
でもその理由を考える間もなく、近くの鉄格子がバンと揺れた。フェンリル二匹が戻ってこないフィオラを待ちきれなくて、体当たりをしてきたのだ。
くすっとフィオラは笑うと、二匹の頭を撫でるために鉄格子の隙間から手を入れようとしたのだが、指先がモフモフに届く前にイースランに腕を掴まれた。
「危険です。この二匹は人を襲う」
「大丈夫です。哺乳瓶でミルクをやって、赤ちゃんの頃から育てましたから」
フィオラは腕を掴んでいるイースランの手をもう片方の手で離すと、「ほら」と言わんばかりに両手で二匹の頭を撫でた。
どこか自慢気でもあるその表情に、イースランは目を丸くする。
「そんな顔もするんですね」
「私、どんな顔をしていますか?」
怪訝に眉根を寄せれば、イースランは笑いながら「可愛い顔です」と答えた。それをフィオラは「はいはい」と受け流す。
この数ヶ月で、すっかりお決まりとなったやり取りだ。
(氷の才女と言われていた私の笑う顔が、よっぽど珍しいみたいね)
フィオラが笑えるようになったのは、四回目の人生がきっかけだ。
だが、回帰を繰り返していない周りの人間にとっては、婚約破棄後に突然変わったように見えるだろう。
興味がそそられるのも分かる気がする。だけれど、
(なんだろう、ちょっとだけ腹が立つ)
イースランが単純にフィオラの態度や変化に興味を持っていただけだと知り、面白くない。
なぜかイラっとする。
どうして自分がそんな感情を抱くのかは分からないが、イースランを少し困らせたくなった。
「イースラン様も触ってみませんか?」
「い、いや。俺はいいです」
「怖いのですか。こんなに可愛いのに」
これ見よがしに、フィオラはフェンリルを撫でる。その姿に、イースランが口を尖らせた。
(なに、その可愛い表情)
腹の底で何かを企んでいるような男が、まるで子供のように見えた。
「怖いのではありません。危険だと言っているのです」
「この子たちを知らないからそう思うのです」
いつまでも戻ってこないせいか、フェンリルの後ろからクロセットが姿を現す。フィオラが首を伸ばし、呼びかけた。
「クロセット様、彼は私の上司です。中に入ってもいいですよね」
クロセットはしかめっ面で何も答えない。
一見駄目だと言っているように見えるが、実際は「好きにしろ」だと分かっているフィオラは、フェンリルから手を離すとイースランの服の袖を引っ張り、強引に飼育小屋へと入っていった。
しばらくフェンリルと戯れます。フィオラの塩対応が好き。どちらもツンツンデレタイプです。
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