16.ダリオンの誤算1 後編
もうちょっとダリオンにお付き合いください。
どのみちミレッラとの婚約が決まれば、騎士団は退職するつもりだった。
そしてジネヴィラ伯爵のもと商会の仕事を学び、ミレッラと結婚して婿養子となれば、汗臭い騎士たちと関わることももうない。
あと僅かの我慢だと自分に言い聞かせていると、副団長がダリオンを呼ぶ声がした。
「はい」
「騎士団長が呼んでいる。ついてこい」
フィオラの自殺未遂については、すでに事情聴取を受けている。
まだ何かあるのだろうかと訝しく思いつつ廊下に出て、副団長のあとに続き一番奥にある騎士団長の部屋へと向かう。
途中、一人の黒髪の男とすれ違った。
騎士服を着ていないが、長身痩躯の鍛えられた体躯にダリオンの視線が止まる。
一瞬男の青い瞳と視線があったが、その顔に見覚えはない。それなのに、男はダリオンを知っているかのように値踏みするような視線を投げかけてきた。
バーデリア国で黒髪は珍しい。隣国であるステンラー帝国の王族は皆黒髪だと聞くが、騎士団に帝国の関係者はいなかったはずだ。
そんなことを考えているうちに騎士団長の部屋に着き、ダリオンだけが室内へ入った。
窓を背中に、騎士団長が執務机の椅子に座っている。
その前まで行き名乗ると、騎士団長は机に肘を突き手を組み、その上に顎を乗せた。鋭い目で立ったままのダリオンを見上げる。
「ジネヴィラ伯爵令嬢の誕生日パーティでの一件で確認したいことができた」
「はい。なんでしょうか?」
「お前はフィオラ・ジネヴィラ伯爵令嬢が妹を虐げ、商会の金を勝手に着服していると言ったが、それは確かなのか?」
なんだそんなことか、とダリオンは肩の力を抜く。
フィオラと婚約中にミレッラと恋愛関係にあったことを非難されるのかと思っていたが、虐待と金の着服なら非があるのはフィオラだ。
だからダリオンは堂々と胸を張った。
「もちろんです」
「調べたんだな」
「はい」
ダリオンの答えに騎士団長は組んでいた指を解くと、机の上に裏返しにしていた数枚の書類を手にする。
それを文字が見えるように表にし、ダリオンの前に置いた。
「これは、フィオラ・ジネヴィラ伯爵令嬢についての調書だ。調べによると家族から虐げられていたのはフィオラ伯爵令嬢で、彼女は生まれて間もなく乳母と別邸で暮らしていたらしい。婚約者なのだから当然、知っていたよな?」
初めて聞く事実に、ダリオンは首を振りそうになったが、寸でのところで堪えた。
さっきフィオラについて調べたと答えた以上、知らなかったとは言えない。
沈黙を肯定と受け取ったのか、騎士団長はさらに言葉を続ける。
「もう一枚の紙は、ジネヴィラ商会についてだ。フィオラが契約書類や財務といった数々の仕事を手伝っていたのは間違いない。ただ、彼女が金を着服したという証拠はひとつも見つからなかった」
「それは! あいつはずる賢い女だから、きっと巧みに隠していたんです」
「巧みにか。しかし、財務関係の収支については専門家に調べさせたところ、不正を疑う余地がないほど清廉潔白だったらしいぞ。収益はすべて銀行に預けられ、フィオラが金を出した形跡はない。その代わり、頻繁にカエラ伯爵夫人が金を出しにきていたそうだが」
騎士団長は机の上の書類を人差し指でトントンと叩く。
「もう一度聞く。フィオラ伯爵令嬢の誕生日でお前が言ったことは、きちんと裏どりをした内容なんだよな」
「……はい。ミレッラから聞きました。フィオラから毎日のように罵られ、時には打たれていると」
「別邸で暮らしているフィオラに、毎日ミレッラを罵ることがどうやってできるんだ?」
「それは……」
こう詰め寄られては誤魔化しきれないと、ダリオンはフィオラが別邸にいたと知らなかったと正直に伝えた。
しかし、同じ敷地なのだから虐めることは可能だと主張したのだが。
「どうして別邸で暮らしていると知らなかったんだ? ちょっと調べれば分かるはずだ」
「それは! ジネヴィラ伯爵家の使用人の口が堅かったのです。フィオラが別邸にいるのは、きっとその素行の悪さからでしょう。それを他家のもの、ましてや婚約者である俺に知られるのはまずいと、口裏を合わせていたに違いありません」
「なるほど、使用人が主の命令に従うのは当然だ。口が堅いのも、伯爵家の教育が行き届いていると考えれば、非難はできない」
騎士団長の言葉に、ダリオンは大きく頷く。そうだ、ダリオンが知らないのも無理はない。自分は何ひとつ悪くないのだ。
しかし、騎士団長は獲物を捕らえたかのような視線をダリオンに向けた。
「だとするとおかしいな。フィオラが別邸にいたと教えてくれたのは、お前の実家であるディミトリ伯爵家の使用人だ」
「へっ? 俺の家の使用人?」
「そうだ。お前が言うようにジネヴィラ伯爵家の使用人は口が堅かった。そこで、お前の実母の侍女だった女性に話を聞けば、フィオラは生まれてからずっと別邸で暮らしていると教えてくれたぞ。その侍女は今もお前の屋敷で働いており、ディミトリ伯爵令息であるお前なら、容易に話を聞けたはずだ」
騎士団長が口にした侍女の名前は当然知っている。
ダリオンの母専属の侍女で、ダリオンとフィオラのお茶会にも着いてきていた。
フィオラの育つ環境をずっと憂いていたダリオンの母が、侍女にそのことを話していてもおかしくない。
それに記憶を辿れば、フィオラが別邸で暮らしていると幼い頃に聞いた気もしてきた。
「財務については専門家に頼めば容易に調べられるし、銀行の金を誰が出しているか知るのも難しい話ではない。つまり、お前はそんな簡単なことを調べる能力もないということだな」
「いえ、そ、そんなわけでは……」
「もしくはろくに調べもせず一方の証言だけを鵜吞みにし、罪もない令嬢を断罪したあげく死に追いやろうとしたのか? どちらにせよ、お前に騎士の素質はない。婚約者の妹と不貞をするような倫理感の欠片もない奴に、騎士服を着る資格はない。いますぐ退団しろ!」
射殺さんばかりの視線に、ダリオンは心臓が止まるかと思うほど身を竦めた。
だが、もともと騎士団を辞めるつもりだったのだ。
それが少し早くなっただけだと頭を切り替える。
「分かりました。すぐに退職届を提出します」
「必要ない。今日限りでお前を懲戒免職とする。この部屋を出たら騎士として与えられていたものを副団長に引き渡し、二度とここへは来るな」
「ちょ、ちょっと待ってください! 懲戒免職なんて……」
退職と懲戒免職ではまったく処遇が異なる。
退職は自主的なもので、僅かながら退職手当も出るし騎士として恥じるものではない。実際、実家のあとを継いだり婿養子になるために退団する人は年間に何人もいる。
しかし、懲戒免職となれば話は別だ。
騎士として素質がないと宣言するもので、掲示板により公にされる。騎士仲間からも軽蔑され、騎士以外の人からも侮蔑の視線を向けられる。
醜聞としてあちこちで噂され、以後ろくな勤め先も縁談もないような生き恥が待っているのだ。
そんな処遇は受け入れられないと身を乗り出すダリオンだが、騎士団長は淡々と書類を揃え表情を崩さない。
冷淡な声で「話は終わりだ」と声を上げれば、ダリオンの背後の扉が開き副団長が現れた。どうやら外で待機していたらしい。
副団長はなおも食い下がろうとするダリオンの腕を掴むと、引き摺るようにして退出させたのだった。
すれ違った黒髪の男性…。そのうち彼視点もあるので、お待ちください。
次回はミレッラ視点です。
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