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14.フェンリルとフィオラ3

 

 学園の敷地は広い。


 中央に鐘塔があり、西半分を学生が使っていた。

 植物研究室は南東にあり、学園と街を隔てる塀沿いに畑や温室がある。

 そこから北側に進むと薬学研究室があり、更にその向こうに建つのが魔獣生態研究室となる。


 フィオラは鐘塔まで来ると、そのまままっすぐと北へ向かった。

 五回目の人生では初めて通る道だが、足に迷いはない。

 葉の散った木々の下を落ち葉を踏みながら進んでいくと、間もなく二階建ての建物が見えてきた。魔獣生態研究室だ。


 その敷地内では、比較的大人しいカーバンクルや、鹿のような角を生やした兎のジャッカロープなどが柵の中で飼育されている。

 どれも貴重種なので、夜には建物内にあるケージに入れられているが、日中は柵の中で自由にしていた。

 小さい時から飼いならしているからできることで、中には芸を仕込まれているものもいる。


 それを横面にさらに歩を進めると、高い鉄格子が見えてきた。

 鉄格子の向こうは芝生が広がり、さらに奥には木々が見える。その向こうは北側の塀だ。


 ほぼ学園の敷地を縦断したフィオラは、晩秋にもかかわらず額に滲んだ汗を拭う。

 そして鉄格子の前にある平屋の建物――飼育小屋をノックした。


 しわがれた声で返事があったので中に入ると、白髪交じりの茶色い髪を背中のあたりで纏めた初老の男性がいた。

 男性は、本棚と向き合う姿勢から首だけ振り返る。


「誰だ?」


 不愛想な声が相変わらずすぎて、懐かしさに頬が緩みそうになるのを耐えながら、フィオラは頭を下げた。


「植物研究室のフィオラといいます」

「植物研究室?」


 怪訝そうな声で復唱した男性は、使い込んだ茶色いエプロンをつけ、足もとは長靴を履いていた。

 二度目の人生で見た姿とまったく同じだ。


「それでなんのようだ?」


 ぶっきらぼうな物言いに、かつてフィオラは尻込みをしておどおどしっぱなしだった

 家族から冷遇されていたこともあり、常に不機嫌そうな彼からは嫌われ疎んじられていると感じていたのだ。


 だが、商隊で様々な人と関わるうちに、単に不愛想なだけだったのではないかと思えた。


「クロセット様ですね」

「いかにも」


 訝し気にしながらも、クロセットは手にしていた本を近くの机に置いてフィオラと向き合った。

 やっぱり怖い人ではないと、フィオラは確信する。


(周囲の人が私を悪女と思っていたように、私自身も色眼鏡をかけ人を見ていたのかも)


 周りは自分を傷つけ嫌っていると思い込んでいた。もちろんそんな人が大半だったが、そうでない人もいたに違いない。


「研究員の寮で、クロセット様がフェンリルの赤ちゃんの世話をしていると聞きました。ミルクをあまり飲まないので困っていらっしゃるのですよね?」


 これは噓ではない。しびれ花に触れて倒れたフィオラを心配し、大勢の寮生がお見舞いにきてくれた。

 そのときに魔獣生態研究室の研究員もいて、それとなく話を振れば、フェンリルについて教えてくれたのだ。


 尤も、わざわざ聞くまでもなく知っていたが、話の辻褄を合わせるに越したことはない。

 フィオラの問いに、クロセットはさらに眉間の皺を深くする。


「どうして、あんたがそれを知っているんだ?」


 予想していた問いに、教えてくれた研究員の名前を伝えればクロセットは納得したように頷いた。


 フィオラは持ってきた布袋の中身を手のひらに広げる。

 麦のような薄茶色の小さい粒をクロセットに見せれば、クロセットはエプロンのポケットから老眼鏡をかけ覗き込んできた。


「これはなんだ?」

「カテナという植物です。栄養価が高いのですが人の口には合わないので滅多に市場に出回りません」

「ふむ、独特の匂いがあるな。獣臭い」

「はい。ちょっと口に入れるには抵抗がある匂いです。ですが、魔獣にとっては馴染のあるものでしょう」


 クロセットの手伝いをしているときも、フェンリルの赤ちゃんはあまりミルクを飲まなかった。そのせいで、三匹いたフェンリルのうち一匹は衰弱死してしまい、残り二匹も弱ってしまう。


 近くない未来で人を襲うと知っているから葛藤もあったが、フェンリルを飼いならせば人を襲わないようにできるだろうと、二度目の人生でフィオラは二匹を助けることに尽力した。

 持ち前の植物の知識をフル活用し、ミルクにカテナを混ぜフェンリルの母乳の匂いに近付けたところ、二匹はごくごくと飲みあっと言う間に体力を回復させたのだ。


(本当は助けるべきではないかもしれないけれど……)


 これが正しい選択かと葛藤はある。

 しかし、フィオラはどうしてもフェンリルが自分の意志で人を襲ったとは考えられなかった。


 二度目の人生でクロセットと一緒にフェンリルを育てたが、二匹は驚くほどフィオラたちに懐いてくれたのだ。

 フィオラの声を聞けばどこにいても駆け寄ってきて、撫でてとばかりに頭を突き出してくる。頭をがしがしと撫でてやれば、次はお腹だと地面に横たわった。


 そんな姿を知っているからこそ、フェンリルを見殺しにはできない。フェンリルを生かしたまま脱走を防ぐ手段はあるはずだ。


 だから三度目の人生のときも、こっそりとカテナについて書いたメモを飼育小屋の前に置いた。


 そのため、脱走したフェンリルの数は回帰によって変わる。

 一度目は一匹。これはおそらくミルクを飲めないがために二匹が衰弱死したからだと考えられる。

 二度目、三度目は二匹。ただ、フィオラが身体を張って一匹を止めたから、人を襲ったのは一匹でそういう意味では被害者の数は変わっていない。

 四度目は分からないが、おそらく一匹だと思われる。


 クロセットはカテナを摘まむと、目を細め思案する。そのあと、小さく息を吐き出した。


「実はさっき、一匹なくなったのじゃ。残り二匹もかなり衰弱している」

(間に合わなかったかぁ)


 できるなら三匹助けてあげたかったけれど、仕方ない。もともと身体が弱い赤ちゃんだった可能性もある。


「それは残念です。でも、このカテナで残り二匹が助かるかもしれません」

「そうだな。試してみる価値はあるだろう」


 クロセットはそういうと、奥の部屋へと向かう。

 扉を開けたところで、着いて来いとばかりにフィオラを振り返った。

 もちろんフィオラはその後に続く。


 飼育小屋には三部屋あり、入り口を入ってすぐにある部屋には本棚や机、ソファが置かれ、執務室と来客の対応を兼ねている。

 右手の扉を開ければ台所があり、ここで餌を用意する。その次の部屋にいるのが、赤ちゃんのフェンリルだ。


 赤ちゃんと聞けば手のひらサイズを想像するが、そこはフェンリル。すでに中型犬ほどの大きさがある。

 クロセットは台所の棚からすり鉢を取り出しカテナを粉にすると、それを哺乳瓶に入れミルクを加えた。


 哺乳瓶は二つあるのでひとつずつ持ち隣の部屋へと向かうと、レンガの床の上で二匹のフェンリルがぐったりと横たわっている。

 見るからに衰弱している姿に、フィオラが顔を曇らせた。


「ずっとこんな感じなんじゃ……おやっ?」


 クロセットが細い目を見開いた。

 フィオラが部屋に入った途端、さっきまで床でぐでんと脱力していたフェンリルが起き上がり、尻尾を振ってフィオラに近寄ってきたのだ。


 弱っているから足はおぼつかないものの、喜んでいるのがぶんぶんと揺れる尻尾から伝わってくる。


「これはどうしたことだ?」


 クロセットが当惑する。フィオラもなぜか分からない。パチパチと菫色の瞳を瞬かせながら、足もとに擦り寄ってくる二匹に目を見張る。


 つぶらな瞳で見上げられそれに促されるようにしゃがめば、二匹がフィオラの膝に前足を乗せ、頭を突き出してきた。

 まるで触ってとねだっているかのようだ。

 おずおずとその頭を撫でてやれば、今度は全身を擦りつけてきた。


「驚いた。儂以外には懐かないのに」

「クロセット様には、懐いているのですか?」

「あぁ、母親とはぐれた野生のフェンリルだからもっと警戒するかと思っていたが、目が合った途端、旧知の仲であるかのように甘えてきた。ただ、儂以外の研究員には唸り声をあげていたがな」


 ちょっと自慢そうに鼻から息を出すクロセットを前に、フィオラは記憶を探る。

 二度目の人生で、フェンリルの赤ちゃんは、すぐにはクロセットやフィオラに懐かなかった。

 その違いが気になる。 


 しかしフェンリルの赤ちゃんが、持っているミルクに鼻をくんくんとさせ始めたので、フィオラは考えるのをやめてクロセットに聞く。


「あの、ミルクをあげてもいいでしょうか?」

「あぁ、もちろんだ」


 フィオラが一匹を腕に抱え哺乳瓶を咥えさせると、フェンリルはごくごくと音を鳴らしながら吸い付いた。

 瓶の中身がすごい速さで減っていき、飲み込めなかったミルクが口の端からこぼれフィオラの服を汚す。


「これは、すごいな」

「はい。あっと言う間になくなりそうです」

「追加を作ってくる」


 クロセットも別のフェンリルにミルクをあげていたが、こちらの哺乳瓶はすでに空になっていた。

 言葉少なに立ち去るところも相変わらずだなぁと、腰が曲がった後ろ姿を見送り、哺乳瓶に吸い付くフェンリルに視線を戻す。


「お腹が空いていたのね」

「くーん」


 フィオラの問いに答えるように、フェンリルが哺乳瓶から口を離し甘えるような声を出す。おかわりをせがむように身体を摺り寄せてくる二匹の頭を、フィオラは優しく撫でた。


「うわっ、久々のモフモフだわ」


 柔らかな毛並みが懐かしい。


「それにしてもあなたたち、まるで私を覚えているみたいね」


 二度目の人生で会ったフェンリルたちは、警戒心を露わに唸っていた。

 ミルクをあげ、毛並みを整え、ちょっとずつ距離を詰めてやっと身体を撫でることができたのに、今回は会った瞬間に擦り寄ってくるとは。


 何か好かれる要因があったのだろうかと考えるも、思い当たるものはない。


「ま、いいか。ふわふわを堪能できるのだもの」


 フィオラは両腕で二匹を抱きしめモフモフを全身で感じる。まさに至福のひとときだ。

 そんな一人と二匹を、追加のミルクを持って来たクロセットが信じられないと瞠目し眺めていた。


いろいろ調べたり読んだりしたのですが、生後まもなくから10ヶ月ぐらいのフェンリルの正確な大きさが分からない…。なので、この世界ではこうなんだ、という感じで読んでいただけると助かります。

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― 新着の感想 ―
 作品によってサイズ違うからなぁ…。  この毛玉たち、絶対に回帰してるよな…。
個体差はありますが、秋田犬の子犬なら生後約6ヶ月で柴犬サイズを越えますし、大型犬よりさらに大きくなると予想できる狼系魔獣のフェンリルなら、妥当なサイズ感だと思います。 (成体のフェンリルのサイズが解れ…
神狼と漢字を宛てるからには、何があっても不思議じゃないと思います>フェンリル 今回すぐに懐いて貰えたのは、獣臭の草の匂いが人間の匂いをマスクしたのと草入りミルクの匂いが一緒だったからでしょうか。ご飯…
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