13.フェンリルとフィオラ2
「研修生の募集?」
四人の声が揃い、一斉に視線を配りあう。
「ダリアさんご存知ですか?」
「いいえ? ハンス様、何か聞いていらっしゃいまして?」
「えっ、ぼ、僕は、何も。イースラン様では?」
ハンスの言葉に揃ってイースランを見るが、イースランは首を横に振り、さらに手を胸の前でぶんぶんと振っている。
全力の否定に、今度は全員がピンクブロンドの女性に焦点を合わせる。
「あの。研修生の募集とはどういうことでしょうか?」
責任者らしくイースランが一歩踏み出せば、ピンクブロンドの令嬢が駆け寄り、潤んだ瞳で見上げた。
「はい! 私、セレナ・パレットと言います。イースラン様ですね。私を研修生として雇ってください!」
満面の笑顔は、自分がここで働けると確信しているかのようだ。
イースランは困惑顔でセレナから紙を受け取ると、書かれている文字に目を走らせる。
それを隣から、フィオラたちが覗き込んだ。
「……募集、していませんよね?」
フィオラの言葉に、ダリアが同意する。
「この季節、他の研究所で研究生の募集をしているのを聞いたことがありますが、植物研究室ではそのような事例はございませんわ」
それに同意するかのように、ハンスが何度も頷いた。
「で、でも! 他の研究所に行ったら、イースラン様は植物研究室にいるって。だから、来たんです!」
「たしかに、俺はこの研究室の室長ですが、植物研究室では研究生を募集していません」
「イースラン様がここにいるのに?」
「俺がここで室長をしていることと、研究生の募集は関係ないと思うのですが……?」
フィオラがイースランから紙を受け取り読めば、研究生を募集する研究室一覧の中に植物研究室の名前はない。
当然といえば当然だ。
だってここは、学生にも研究員にも人気のないマイナー研究室なのだから。
「そ、そんな……。イベントでも出会えなかったうえに、募集もしていないなんてどうなっているの?」
セレナが苛立たし気に爪を噛む。当惑しているようだが、それはフィオラたちも同じだ。
(イベントって何?)
イベントという言葉自体は知っているが、セレナの言わんとしていることが分からない。
勘違いに気づくか諦めて出ていくかと暫く様子を見ていたが、どうも動く気配がない。
何か事情があるのだろうと、フィオラが椅子を持ってきて勧めれば、遠慮なくセレナは座った。
座ったことで落ち着いたのか、セレナはふぅ、と息を吐く。しかし、まだ気持ちは動転しているようで、顔色が悪い。
「医務室へ行きますか?」
イースランが身をかがめ聞いた途端、セレナの顔にぱっと喜色が走る。
「イースラン様! 心配してくださるのですね!?」
「え、ええ。一応、ここの責任者ですし」
セレナの反応にイースランはたじろぐように半歩下がると、くるっと振り返ってハンスに視線を留めた。
「ハンスに送らせましょう」
「ぼ、僕?」
人差し指で自分を指すハンスは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。
それにイースランがにこりと微笑む。その表情が悪どい。明らかに面倒ごとを押し付けようとしている顔だ。
「あ、あの。イースラン様、募集がなくても私をここで働かせてもらえませんか?」
そんなやりとりに目もくれず、セレナは立ち上がりイースランの袖を掴む。そうしてうるうるとした水色の瞳で、イースランとの距離を詰めていく。
これはもしやと、フィオラとダリアがそっと目配せをする。
「これ、イースラン様が目当てということでしょうか?」
「わたくしもそう思いますわ。あそこまであざといと、却って清々しいですわね」
うんうん、と二人は頷く。
その言葉が聞こえたのか、イースランが迷惑そうに眉を寄せると、セレナの手を振り払おうとした。しかし、その手前で何かを思い出したように青い瞳を瞬かせる。
「もしかして、どこかで会いましたか?」
「やっぱり、植物市ですれ違ったのを覚えていてくださったのですね!」
「いえ、そこではなかったように思うのですが……」
首を傾げ思い出そうとするイースラン。その様子にここぞとばかりにセレナが詰めった。
「きっと運命だと思います!」
「いやいや、ただの記憶違いでしょう」
「そんなことはありません。私、なんでもしますから、植物研究室の研究生にしてください!」
頷くまでは帰らないと、その表情が物語っていた。
イースランが困惑の表情で、三人の研究員を順番に見る。
「俺は室長になったばかりで、この研究室の仕事量を充分に把握していません。そこで皆さんにお伺いしたいのですが、研究生は必要ですか?」
フィオラが机の上に並ぶ植物を見る。それなりの数はあった。
さらに今回はハエトリソウとレジハメンの改良もしたいし、それ以外にもやりたいことがある。
手伝いがあって困ることはないだろう。
それはダリアとハンスも同じようで、
「必要かと聞かれると答えに窮しますが、手伝ってくれる人がいるのは助かりますわ」
「ぼ、僕は、どちらでも」
共同作業が苦手なハンスは、セレナの勢いにすっかり怖気づいたようで、すごすごと自分の席に戻っていった。
「フィオラはどうですか?」
「そうですね。冬ですので畑に植えた植物は少ないですが、水やりはかかせません。それに温室の雑草取りも定期的に必要です。あとは、新しく種や苗を植えるので、肥料もまきたいですね」
この研究室にいるのは貴族令息令嬢だが、研究内容が植物だけに土仕事はかかせない。
侯爵令嬢のダリアだって、作業着で肥料をまいているのだ。
「み、水やり? 草取りに肥料!?」
「春になると害虫駆除もあります」
フィオラの言葉に、セレナは口をはくはくさせた。
その隙に、イースランは掴まれたままだった腕を解くと、悠然と微笑む。
「無理をお願いするのはこちらとしても気が引けます。植物研究室に興味をもっていただいたのは嬉しいですが、他の研究室をあたっては……」
「分かりました! やります。水やりでも草取りでも……虫、だって」
最後は尻すぼみとなったが、セレナはぐっと顎を上げ胸をはった。
自棄になっているようにも見えるが、やる気は伝わってくる。
意気込む姿にセレナ以外の全員がそっと目配せし、頷く。
――やりたいなら、やらせよう。直ぐに辞めても特段困らない――全員の意見が一致した。
「分かりました。では、とりあえず週に三日ほど、学園が終わったら来てくれますか?」
「はい! イースラン様、ありがとうございます」
「明日、書類を用意しておくので取りにきてください」
セレナは「はい」と元気に返事をすると、弾むような足取りで研究室を出ていった。
バタン、と閉まる扉の音に、全員が同時に息を吐く。
「なんだったのでしょうか、あの方は」
ダリアが眉間を指で揉んだ。
「僕は、手伝いいらない」
すでに自分の席に戻っていたハンスが、机の上の植物に語りかける。
「ハンス様、植物に話しかけて現実逃避をするのはやめてくださいませ」
「ララぁ、ダリアが怖いよぉ……」
(ララ? まさか植物の名前?)
植物は百種類近くあるのだ。もしかして全部? と考えたのはフィオラだけでない。
ダリアはとうとう頭を抱えてしまった。
イースランはといえば、セレナに掴まれた袖をもう片方の手で払っている。
まるで嵐のようだったと思いながら、フィオラが「可愛らしい人でしたね」と当たり障りない感想を述べれば、イースランは盛大に眉根を寄せた。
「そうですか。あんなふうに言い寄られるのは、うんざりなんですけどね」
「紳士の仮面が外れかけていますよ」
「おっといけない。ですが、フィオラならいつ言い寄られても大歓迎です」
「ご冗談を」
すっと冷めた目をすれば、イースランは喉をクツクツと鳴らし笑った。
(なんだか、このやりとりがスタンダードになっているような……)
こんなはずではなかったと頭が痛いが、テラスから飛び降りた影響で状況が変わったのだろうと諦める。いわば自業自得だ。
それに五回目の人生では、やるべきことが沢山ある。
気をとりなおしたフィオラは、昨日買った品の中から小さな袋を手にすると、口を縛っていた紐をほどいて中身を確かめる。
少し癖のある独特の匂いに懐かしそうに目を細めると、再びきゅっと紐を結び直した。
「あの、私、ちょっと出かけてきます」
「どこへ行くんですか?」
「遅くなるかもしれませんし、先に帰ってください!」
イースランの問いには答えず、フィオラは早足で入口へ向かう。
扉を開けると、その足を迷うことなく敷地の北へと向けた。
四人とも、なかなかの塩対応です。全員、淡々としたタイプなので、ま、こうなります。
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