12.フェンリルとフィオラ1
翌日の昼過ぎ、首の痛みも薄れ、吐き気も治まったフィオラは植物研究室へと向かった。
「遅れて申し訳ありません」と声をかけながら研究室に入ると、ダリアとハンスが走り寄ってくる。
「室長からしびれ花に触れたって聞きましたわ。身体は大丈夫ですの?」
「ぼ、僕もあそこにいたんだ。東の区画にいて、無事、だったんだけど」
おろおろとするふたりの姿から、本当に心配してくれているのが伝わる。
「綿毛が少し首に当たっただけですから、傷跡も残らないと思います。薬を飲んだら気分が悪いのも治まり、ぐっすり眠ってすっきり目覚めたので元気です」
ぐっと拳を握ると、ダリアが「ちょっとごめんなさいね」とフィオラの首に顔を近づける。
「少し赤くなっていますわね」
「触れるとまだ少し痛いです」
まじまじと傷を見るダリアが、ぼそりと「羨ましい」と囁いた。
これはもしかして。
「ダリアさん、もしかして室長に看病されたかったのですか?」
イースランと一緒に植物市に行ったことは、寮生にまで知れ渡っていた。
フィオラを心配しつつもイースランについて質問してくる寮生もいたので、ダリアもかと思ったのだ。
しかし、ダリアは思いっきり眉根を寄せた。
「まさか。ああいう腹の中で何を考えているか分からないタイプ、できれば関りたくないですわ。ま、フィオラを看病したことは認めてあげますし、悪い人ではありませんでしょうが、男性としては興味ございません」
的を射た発言に、フィオラは大きく首肯する。
ただ、間近で頬に触れられたことを思いだすと、なぜか心音が速くなってしまう。
それより、とダリアがずいっとフィオラに詰め寄った。
「しびれ花に触れた感触はどのようでしたの? ビリッとくる感じでしょうか? それともチリチリ? ジリジリ?」
なぜか目がうっとりと潤んでいる。気のせいだろうか。気のせいにしておこう。
「……ズキッッ、でしょうか? 首から頭のてっぺんとつま先へ向け刺激が走り抜けるように感じました」
「そうですのね! 雷に打たれたような感覚だと本に書いてあったので気になっておりましたの。しびれ花は禁じ草ですから、わたくしたちでも手に入らないでしょう?」
「もしかして、手に入ったら触ろうと思っています?」
フィオラの問いに、ダリアは当然とばかりに頷いた。
その隣でハンスが「あぁ」と額に手を当てる。
「わたくしも行けばよかった」
ダリアが心底残念そうにため息をつく。
「それは、舞い散るしびれ花に触れるためでしょうか? まさかですが、購入しようなんて……」
「触れるためですわ! わたくしだって禁じ草に手を出したりしなくてよ」
「新入社員の頃、いろいろ買おうとしたくせに」
「ハンス様、ちょっと黙っていてくださらない? いつもは無口なのにどうして今日はおしゃべりなんですの」
ダリアがジロッとハンスを睨む。ハンスは首を竦めフィオラの後ろに隠れた。
何を買おうとしたのか気になるところではあるが、そこは触れないことにする。というか、幾つか買って持っていそうな気がした。
睨まれたハンスがフィオラの後ろでおどおどしていると、イースランが大きな木箱を持って入ってきた。
「全員揃っていますね。昨日買った植物ですが、手配ミスで俺の屋敷に届いたので持ってきました。ハンス、フィオラの背中で何をしているんですか。手伝ってもらいたいのですが」
イースランがスッと目を細めると、ハンスが慌てて木箱を受け取る。それを部屋の隅にある作業台に置いた。
「フィオラ、今日は休んでもいいと言いましたが、大丈夫ですか?」
首の傷を確かめるように近づいてきたイースランを、フィオラは半歩下がって避ける。
「すっかり回復しました」
「それならよかったです。ところで随分ハンスと仲良くなったのですね」
「そうでしょうか?」
以前より親しくなったが、まだ数度会話をした程度だ。指摘されるほど仲良しをした覚えはなかった。
隣でふたりの会話を聞いていたダリアが、パチパチと瞳を瞬かせくすっと笑う。そんなダリアにハンスがくぎ抜きはどこかと聞いた。
「棚に置いたはずですわ」
ダリアからくぎ抜きを受け取ったハンスが、木箱を開ける。
中には種や苗、異国の植物の他にフィオラが露店主に渡したメモ用紙まで入っていた。フィオラはそのメモを手に取り、確認しながら中身を取り出していく。
「えーと。これとこれとこれはハンス様から頼まれた品で。この三つの苗もハンス様ですね」
「ハンス様、植物市に行かれたのですよね。フィオラに頼まずにご自分で買われたらよかったのではないですか?」
「えっ、だって。趣味用の植物を見たいし」
「ほとんど趣味の延長線で仕事をされていますわよね」
ダリアがハンスの机を指差す。
そうして次に、窓の外にある植物畑を指した。
「机の上の鉢植えも畑の植物も、どれも実用的ではございませんわ。薬学研究室からきている依頼も全部フィオラに任せているのを知っていますのよ」
「そ、それを言うならダリアだって……」
「あら、わたくしは薬学研究室と共同研究もしていますわ。絶対解毒できない毒をもつ植物を作って、それを薬学研究室の方々が調べるのです。今のところ私が全勝ですわ」
おーほほほっと腰に手を当て高笑いするダリアに、薬学研究室の研究員だったイースランが眉間を押さえる。
「あれらの植物を作ったのはあなただったのですね。いや、そうかもとは思っていたのですが」
「なかなか良い出来だと自負しておりますわ」
「しかし、ダリアさんと共同開発していた研究員は解毒薬を開発できませんでしたが、俺は成功しましたよ」
「へっ?」
「同僚から相談され作ったことがあります」
イースランが作った解毒薬については、勝負無効となりダリアには報告されなかったらしい。
まさかと悔しそうにダリアは唇を噛む。
フィオラが、スズランのような花が咲いた鉢植えを作業台に置いた。
「こちらは、ダリアさんご要望のまどろみ草ですね」
「睡眠薬のもととなる花ですか。薬学研究室では乾燥したものを取り寄せていたので、鉢植えを見るのは初めてです。可愛い花ですね」
中心部分が赤く、先に向かうにつれオレンジ色に変わる小さな花が連なっている。
イースランが指先で花をツンと突き興味深そうに顔を近づけるので、フィオラは慌てて肩を掴んで離れさせた。
「花粉に強い睡眠作用がありますので、あまり近づかないでください」
「おっと失礼しました。そううでしたね。興味のあまりうっかりしていました」
曲げていた腰を伸ばすと、イースランはちょっと思案顔をダリアに向ける。
「まどろみ草から作る睡眠薬の改良依頼は、薬学研究室から来ていないように思うのですが」
充分に睡眠効果があるので、わざわざ改良する必要はない。
疑わしそうにダリアを見るイースラン。フィオラはそういえばと思い出す。
(ダリアさんは、不眠症の方のために、まどろみ草の改良をしたのよね)
花自体を改良して、その花粉と香りによって緩やかに眠りに誘うようにしたのだ。
できあがったのは半年後だったように記憶している。
「不眠症の方のために睡眠導入剤のようなものを作ろうと考えておりますの。悪用できる品ではありませんし、前室長から許可も取っております」
「そうですか。質の良い睡眠は身体にもいいと聞きます。ぜひ、成功させてください」
「もちろん、おまかせください」
まどろみ草は全部で五株もあり、木箱の中で大きな割合を占めていた。
ダリアが台車を取って来ると言うので、その間にフィオラは自分が欲しかった植物を箱から出していく。
メモと照らし合わせ全部あるのを確認してから、自分の机へと運ぶ。
「ダリアさん、木箱ごと台車に載せますか」
「はい、そのまま温室に持っていきますわ」
二人で木箱を作業台から降ろそうとすると、すっとイースランが手伝ってくれた。
そうして各々の作業に取り掛かろうとしたときだ。
ノック音と同時に扉が開き、可愛らしい声がした。
「あの、こちらで研修生の募集をしていると聞いたのですが」
皆が一斉に入室者に目をやる。
腰まであるふわふわのピンクブロンドの髪と、大きな水色の瞳。
小動物を連想させる可愛らしい顔立ちをした小柄な令嬢は、掲示板に貼ってあっただろう紙をフィオラたちに見せたのだった。
ピンク髪、登場です。
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