重なった世界
目を覚ます直前、俺の視界には二つの天井があった。
一つは見慣れた自室の白く乾いた天井。
もう一つは、暗く黄ばんだ蛍光灯の明滅と、木製の梁が通る見知らぬ天井。
二つの像が、視界の中でまったく別の速度で揺れていた。
ただの夢だとは思わなかった。
というより、最初から“これは夢ではない”という確信だけが、なぜか先にあった。
違う場所の“今”が、俺の視界の中に流れ込んでいた。
それはまるで、もう一人の自分が起きている場所を、俺が同時に“見ている”かのようだった。
歯を磨くとき、鏡の中の俺がわずかに遅れて動く。
でもそれは映像の遅延ではなく、認識の二重化に近かった。
動かしているのは一つの手なのに、動かされているような感覚も同時にある。
洗面台の冷たい水音と、遠くから響く電子音が、現実を曖昧にする。
通勤中の電車の中、右耳から突然、車内放送とは異なるアナウンスが聞こえた。
「次は、代々木八幡、代々木八幡――」
俺が乗っている電車の路線には、そんな駅は存在しない。
それでも、その響きには既視感があった。むしろ、懐かしさすらあった。
駅を降り、スマホを取り出して“代々木八幡”という駅名を検索した。
見覚えのある文字列。けれど、訪れた記憶はなかった。
それでも、なぜか“行かなければならない”気がした。
そう思ったというより――その場所が、俺のことを知っていた。
午前十時過ぎ、俺は代々木八幡駅に立っていた。
人の波に背を向け、小さなロータリーを抜けて公園のほうへ歩いた。
誰かの歩幅が、俺の中でずっと並走している。
記憶の中に、踏みしめたはずのない砂の感触が残っていた。
そして、それは現実だった。
公園のベンチに、俺が座っていた。
似ているとか、そっくりとか、そういう次元の話じゃない。
そこにいたのは、まぎれもなく“俺自身”だった。
俺は木陰の向こうからその姿を見た。
そして、相手も俺に気づいた。
目が合った。
それは鏡を見るときのような即時の同一化ではなく、
世界が“二重化した”ことを脳が理解するまで、ほんの数秒の時差があった。
互いに動かなかった。
ただ、そこにいた。
互いの存在が、互いを否定していないことに、奇妙な納得があった。
公園を離れてからの記憶は、やけに曖昧だ。
道順も、時間の経過も、細部が霧に包まれている。
けれどその日から、俺の中では、視界の二重化が日常になった。
音、匂い、触覚、それらの微細な感覚が、
まるで誰かと“混ざり合う”ように共有されていく。
これは病気ではない。
錯覚でも、精神的な乖離でもない。
俺たちは、分かたれて、そして、つながっている。
なぜそんなことが起こったのか。
それを知るには、まだ時間が足りない。
けれど一つだけはっきりしている。
俺は世界の中にひとりではない。
だが、俺と共にある“もうひとりの俺”もまた、俺なのだ。
そしてこの世界は、その事実を説明するには、
あまりにも俺に次元が足りていなかった。