風信子の花言葉
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「はい、じゃあ、あなたの長所と短所を言ってください」
「はい。私の長所は何事にも誠実な所です。短所は何事にも中途半端な所です」
「あ、ちょっと今の短所、直した方がいいかもよ? さすがに他の言葉に変えた方が……」
「そ、そっか」
「あと目線をそらさない! さっきからずっとそらしてばっか」
「あ、はい……」
薄曇りのせいで味気ない放課後の教室。
ほとんど誰もいない教室は実にガランとしている。
冷たい風が時々廊下側の小窓から少しずつ漏れ出てくる。
対してグラウンド側からは野球部の威勢の良い掛け声が聞こえてくる。
ストーブのおかげだろうか、室内は廊下と比べ物にならないほど暖かいだろう。
そんな教室の一番後ろで、俺と野田はひとつの机を隔てて向かい合っている。
窓側の一番後ろの席を九十度回転させ、それに対して並行に椅子を置く。
薄曇りのせいでほとんど日が入ってこない教室。
いつもなら夕日が綺麗に見える時間帯なのに、今日はそうではない。
窓を背に座っている野田は、わざと偉そうな演技をして、どんと座っている。
対して俺は、あと少しに迫った入試のために、面接の受け答えの練習をしている。
だが、上手く面接官が見られない。
実は、目の前にいる野田は幼稚園に通っていた頃からずっと好きだった初恋の人なのだ。
――幼稚園の時に育てた風信子が、今でもはっきりと脳裏に映る。
風信子の花言葉は、「しとやかなかわいらしさ・初恋のひたむきさ」だ。
しとやかで可愛い野田と、もっとひたむきに接する事ができればなぁ。
当時の俺は、というよりも今でも俺は内気で、失敗したくないがためにはっきりとした意思を人に見せる事は決してなかった。
そんな俺がある日、育てていた風信子の球根の入れ物を割ってしまった。
風信子の容器はガラス製で、プラスチックの蓋をかぶせてから球根を乗せていた。
その入れ物の破片で手の甲を切り、泣いていた時に野田は現れた。
「なかないで。よしよし、だいじょうぶだから。ね?」
まだ顔が丸っこかった野田は優しく俺に接してくれた。
そんな優しさに、俺は傷の事なんか上の空になっていたのを思い出す。
当時はそれが恋心だったなんて気がつかなかった。
それからはお互い小・中・高と同じ学校に通って、何度か同じクラスにはなった。
それでも話す事はほとんどなく、俺の内気も直らないまま、高校三年生をむかえてしまった。
勉強はまぁまぁだけど一生懸命勉強していて、チア部でも頑張って取り組んでいて。
いつ見ても綺麗な顔立ちで、でもいつも教室の端っこにいて、女子に囲まれていて……。
そんな野田に惚れていた。
野球部の応援のためにチア部と一緒に応援練習をした時も、その大勢の中でひと際輝いていた。
風信子の入れ物を割ってしまったあの日と変わらない優しい微笑みがどうしようもなく愛おしい。
最近はトレードマークだった眼鏡をはずして、先生にばれないように化粧をしている。
そのせいでますます綺麗に、俺から遠い存在へとなっていった。
そんな野田が今、俺の目の前にいる。
まぁある意味これほど面接の練習に向いている人はいないだろう。
なんてったって、直視できないんだから。
「もう……花田から聞いたけど、朝倉が面接練習したいって言うから付き合ってるのに。もっとちゃんと考えてきてんのかと思ってた」
違う意味の『付き合ってる』だったらいいのにって素直に反応してしまった。
「悪い悪い。一応考えて来たんだけどな。緊張と言うかその……」
「緊張って。まあ入試がもう少しだから仕方ないか」
「うん」
「うんって」
軽く唇を前につきだす野田。
さらさらと黒い長髪が肩を滑り落ちていく。
セーラー服の赤いスカーフが机を優しく撫でる。
その机に頬杖をついている野田を半分だけ見る。
直視はできない。
「じゃあ次ね。あなたが高校生活で一番頑張ってきた事はなんですか?」
「えっと……私は、高校三年間、サッカーを頑張ってきました。私は最初はとても下手くそだったのですが――」
「下手くそはちょっとねぇ……言葉づかいが」
「そっかそっか。なるほど……」
これじゃあ間に合わないよ……。
近づいてきた面接試験を前に焦る俺。
しかし目の前の野田の事もどうしようもなく気になる。
こんな感じが何回か繰り返され、そろそろ面接練習も終盤を迎えたころ、事は起こった。
「じゃあ次行くよ?」
「はいっ」
これでもうきっと最後だろう。
結局言えないまま高校生活が終わっていくのか。
野田とは多分別々の大学に行くことになるし、勇気の無い俺にはこの瞬間がラストチャンスだったのにな……。
そんな事とは知らずに、野田は勢いよく質問をぶつけてきた。
――はずだった。
だが、少し様子がおかしい。
さっきまでの堂々としている姿はそこには無く、もじもじというか、とにかく、変な緊張感が漂ってきたのだ。
「じゃあ……あなたの好きな人は誰ですか?」
「はい?」
好きな人?
不意をつかれたようだ。
それが面接で聞かれるわけがないだろう。
好きな人って。
実は、目の前にいるあなたです!
……なんて言えるわけないじゃん。
挑戦的な目線で俺を見る野田。
いくら偉そうにする演技だからって、やりすぎだ。
言えるわけないじゃないか。
「誰?」
「……いません」
「ほんとに?」
「……本当です」
うん。これでいい。
とりあえずいない事にしておけば大丈夫だろう。
ずっと好きだったから面接練習を手伝ってもらおうとしたんだけど。
花田にお願いしてやっと野田を呼んでもらえたのに。
ここで小説みたいにかっこよく言えたらいいのに、その勇気が出ない。
こんな自分にがっかりだ。
せっかくいいチャンスなのに。
やっと二人きりになれたのに。
もうすぐ卒業だってのに。
「えっ、いないんだ。わぁ……」
ストーブの設定温度が高すぎたのか、野田の顔がどんどん赤くなっていく。
頬を両手で押さえていて、目線は真っすぐ机に向かっている。
「じゃあ逆に、野田には、好きな人……いますか?」
不意に面接官のようにふるまう俺。
心の中では強気になったものの、口がうまく動かない。
緊張と言うか、照れというか、恥ずかしさと言うか。
急なフリに困っている野田。
目がきょろきょろと動いている。
さあ、答えて!
好きな人、いなけりゃいいけど。
「……いるけど」
いるのかよ!
ものの数メートルしかない野田との距離が、どんどん遠くなっていくように感じる。
顔の周りが金縛りから解放されたような感覚だ。
俺の心の中の風信子は、枯れた。
長年ずっと見守ってきた球根は、とうとう芽を出さなかったんだ。
あの時に割れた入れ物の破片が、不意に脳裏にフラッシュバックする。
そわそわしながら、一応面接のように深く続きを聞いてみる。
「それは、どんな方ですか?」
どうせ花田だろう。
ちょっとふっくらしてるけど、身のこなしは俊敏だし。
体育では人一倍かっこいいし。
面白い奴だし。
いつも仲良く話してるし。
一時期付き合ってるとまで噂された仲だし。
「えっ、そんな……別にいいじゃん!」
俺の自信満々の表情を見て察したのか、どうやら的中したらしい。
視線の先を転々とさせながら黙りこむ。
そんな野田に何も言葉を返せず、沈黙が続いた。
「……目の前にいるけど」
「えっ?」
長い沈黙の先に野田が発した言葉に一瞬頭が真っ白になる。
「だから、目の前にいるんだってば」
肩をすぼめて目線をずっと下げたままぼそぼそと言う野田。
目の前っていったら、俺しかいない。
さっきまで遠ざかっていた距離はまた元に戻ったようだ。
というより、近づいたような気さえする。
風信子の球根はもう一度起き上がり、綺麗に小さく芽を出した。
奇跡が起きた。
「え、俺?」
これは告白っていうやつなのだろうか。
まさか俺が言う前に言ってくるとは。
本当は男らしく俺から言うべきだったんだけどなあ。
「せっかく眼鏡外してお化粧までしたのに、まるで私を見てくれないから、すっごくもどかしくて……」
そうだったのか。
それで化粧をね。
「まぁ……もういいじゃん! もう、面接練習に戻るよ! 入試近いんでしょ?」
「あ、そっか」
「もう……」
嘘だろ?
俺は野田の事が好きで、それで面接練習に付き合ってもらってんのに。
野田がまさか俺の事想ってくれてたなんて。
面接練習どころではなかった。
「じゃあいくよ。私はあなたが昔から好きなのですが――ちょっと聞いてる?」
「あっ」
恥ずかしげにそう言った野田を、俺は完全に上の空で聞き流していた。
いけない。面接の練習だ。
「ちゃんと最後まで聞いて。あなたは、あの、私と、あの……付き合ってくれますか?」
「えっ?」
嘘だろ?
絶対無理だと思ってたのに。
ずっと好きで、絶対片思いだと思ってたのに。
「……もちろん、です」
「え、あ、あの、え、あっ、そっか」
「うん」
上目遣いで俺を見つめる野田。
それを未だに直視できない俺。
「ちょっ、あの、急用思い出しちゃった。だから……面接練習おしまいね!」
「えっ」
野田が机を両手で勢いよく叩いて、顔を隠しながら駆けていく。
ドアを勢いよく開けて、走り去ってしまった。
廊下から冷たい風が流れてきた。
身を切るような鋭い風。
それなのに、俺は脇に汗をかいていた。
脇だけではない。手のひらも薄く濡れている。
「まじかよ……」
と、不意に机の横の方を見ると、ひとつの鞄が置かれていた。
見慣れた野田の鞄だ。
仕方ない、届けてやるか。
野田の家は俺の住んでる家の真向かいだ。
それを持って、自分のも持ち、教室を出た。
その瞬間、走りながら野田が戻ってきた。
「あ、あのさ、その……鞄、忘れちゃって」
顔を真っ赤にして俺を見る野田。
「あ、これだろ? 今から届けようと思っててさ」
廊下に吹く冷たい風に飛ばされたのか、もう顔のこわばりは消えていた。
だが、まだ直視ができるほどではなかった。
すぐに鞄をとって、それを胸に抱く野田。
「ごめんね。ありがとっ」
「うん」
軽く唇を噛んでいる野田。
もじもじと次の言葉を探す野田。
そのどれもが可愛らしかった。
そんな野田をまだ直視できない。
俺は、野田の長い黒髪がしなやかに鞄を撫でているのを横目でチラチラと見るしかなかった。
「朝倉、あの、もっとちゃんと……その、見て?」
顔を真っ赤にしながら、不意に俺を覗き込む野田。
そんな可愛い野田、直視できるわけないじゃないか。
鼓動がどんどん早くなる。
「目線、そらさないでよ。……さっきからずっとそらしてばっか」
そりゃあそらすだろ。照れくさいし。
「面接で落ちるよ?」
「いや、……野田には合格したから、さ」
ちょっとくさいか。
ほんの数秒前の言葉に後悔する。
「……もう」
と、一瞬俺の唇に何かが触れた。
とても瑞々しく、温かかった。
「えっ?」
慌てる俺。
何が起きたのか理解できない。
「あのっ、そのっ、しるしよ! 合格のしるしっ!」
野田はそう言って、今度こそ走り去ってしまった。
残された俺はひとり、硬直した足を持ちあげられずにいた。
ひたむきな初恋が実った瞬間。
なんにもしてない初恋。
でも、初恋の人を想い続けるってことを、神様は評価してくれたんだ。
神様が野田に乗り移り、しるしを下さった。
このしるしを、大切にしよう。そう誓った。
さぁて、明日も野田に面接練習に付き合ってもらおうかな。
さっきまでとは違う照れくささで、直視できないだろうから。
風信子の球根は、薄ピンク色の綺麗な花を咲かせた。
いかがでしたでしょうか?
べた恋には初挑戦で、でも凄く楽しかったです。
個人的には、自分らしさが出た作品だと思っています。読んでニヤけていただけたらすごくうれしいです。
登場人物の名前はいいのが浮かばなかったので『桜色の紙飛行機』の登場人物を使いました。気付いた方がいたら凄いですね。
べた要素としては、『告白の前には急にトレードマークのメガネをはずして女の子っぽくする』という点と、『告白したら逃げ出す』という点ですかね。ほかにも細かいべた要素を入れてるんで、探すのも面白いかもしれません。
では、これからまたべた恋が開催されるのを祈って、挨拶とさせていただきます。