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死にたがりの僕

作者: ひなつき

 死にたいならさっさと死ねよ。こっちに言われたってなんも出来ねえよ。ただかまって欲しいだけなんだろ? どうせ死なないんだから。ほんとに迷惑、勝手にしてくれよ。お前なんていてもいなくても変わらないんだよ、所詮ただの他人なんだから。まあ、そんなこと本人の前じゃ言えないけど。

 

 

 そんな簡単なことじゃねえんだよ。いくら死にたかろうがいざ死ぬってなったらこわいんだよ。死なない理由? こわいから以上。リストカットしたくても痛そうだからできない。高いところから飛び降りれば、途中で意識なくなって痛みなく死ねるって言うけどそれ本当かよ。スカイダイビングでも意識飛ばないのに、たかが何十階から落ちただけで意識飛ぶかよ。意識あったら地獄じゃねえか。包丁の先を胸に少し当てるだけで痛いのにそれ以上突き刺せ? 正気かよ自力でできるわけねえだろ。七輪で死のうか、買うのめんどくさいよな息苦しそうだよな。薬だって大量に飲んだら吐いちゃうよ、そもそも僕は薬が苦手なんだから。

 こんなんでほんとに死にたいのかって? 死にたいよ。生きてたって辛いだけ。もう何も考えたくないよ、これ以上自分が壊れていくのが耐えれない。周りが分かるわけないよ、だって僕は取り繕えるから。多少元気な時に外に出て、最小限の人とはなして、ずっとニコニコしてれば終わるんだから。でもね、そんなのになんの価値もないんだ。それが生きる意味になんてならない、心から楽しいことがない世界で生きる意味なんてどこにもない。

 でもね、僕は自分では死ねない気がする。弱虫だから。だから僕は他人に殺されようと思う。うん、これは絶対に揺るがない。この先僕にどんな幸福が訪れようと、絶対に僕は殺されるんだ。

 

 

 まだ日も昇っていない朝方。ひとり忙しなく部屋をかけまわる。

「これで全部片付いたな」

 着替えと小物たちをバックに詰め込んで急いで玄関へと向かう。蒸し暑い風が頬へとあたり少し嫌な感じ。まだ真っ暗だと言うのにこの暑さか、日中は酷いことになりそうだな。

 明るいライトが音を立てて点滅し、出発の合図を出す。エンジンをかけ、一気に大通りへとアクセルを踏む。現在時刻AM四時半。集合時刻四時半。目的地までの時間、約十五分……。遅刻だ。先程からメールの通知がうるさいったらありゃしない。

「あーもしもし? 今家出た。ごめんちょっと遅れる許して」

 電話越しではいつも通りの緩い返事が返ってきた。メールの文章とは違いあまり怒っていないようだった。

 幸い朝早いのもあり道はほとんど混んでなく、十分遅れほどで彼女の家に着いた。

「おはよ、車ありがとね」

「ほんとごめん。準備時間かかっちゃって。あーもう色々と忘れてる気がする」

「まあ、何とかなるよ一泊だしね」

「それじゃあ行こうか」

 彼女を助手席に乗せ、僕は少し明るくなり始めた水平線に向かって車を走らせた。まだ隣で少し眠たそうな表情をしている彼女は、どうしようもなく可愛く愛おしい。

 

 大学に入る前まで、僕には彼女というものができたことがなかった。作ろうとも思わなかったし、こんな性格で作れるとも思っていなかった。けど大学の入学式の時、廊下の柱で突っ立ってた僕の顔を覗き込むように話しかけてきた女の子がいた。

「あの、もしかして日南くんじゃないですか? やっぱり! 絶対日南くんだ」

 その女の子はとても笑顔が可愛くて太陽のような子だった。

「あの、どこかで会ったことあるっけ? もしかして早良高校だったひと?」

 高校の時はほとんど人と関わらなかった。クラスの人の名前くらいは何となく覚えてるけど、他クラスなんて誰も知らない。教室ではずっと本を読んでいたし、授業が終わったらすぐに部活へ行っていたからクラスの子とも関わりなんてない。

「ううん、違う。私は豊人高校。私空手部のマネージャーでね、県大会で日南くんを何回も見たことあるんだ」


 早良高校不動のエース。全国大会六連覇。ありえないほどの防御能力と、一瞬の隙をついた高速の上段回し蹴りで全員を倒した。高校空手界で誰もが憧れる選手、将来の空手界での有望選手。それが日南涼平、のはずだった。

 

 第六十七回高校空手道選抜大会決勝で死亡事故発生[#「第六十七回高校空手道選抜大会決勝で死亡事故発生」は中見出し]

 

 当時の新聞の一面を占めたこの見出しは、空手界を震撼させた。

 高校空手道にもなると、中学までは禁止であった上段蹴り、いわゆる頭への足攻撃が許可される。難易度は高いものの相手へのダメージは高いため、上段蹴りを極めるものが高校空手道を制するとまで言われていた。日南は上段蹴りを得意とし、その洗練されたスピードを活かしてこれまでの大会で優勝してきた。

 しかし、この選抜大会決勝で不運な事故が起きてしまった。日南の上段蹴りをくらった選手が打ちどころ悪く、亡くなってしまったのだ。

 試合のその瞬間は相手の安否も分からず、圧倒的な日南の力に観客は歓声をあげ六連覇達成を祝福した。がその後、相手の訃報が回ってきた。全階級が試合を終了した後開かれる予定であった表彰式は、異例の中止となった。もちろん日南に非はなく、勝利が取り消されることは無かったが、帰ろうと会場を出ようとする日南を見る視線はどれも冷たく、恐怖と哀れみに満ちた表情を向けるばかりであった。

 

「豊人高校なら知ってるよ。ほら、横田光輝とか強かった覚えがある」

 豊人高校は県内ではそこそこの強豪校で、よく県大会決勝で戦ったことがある。

「そうそう、横田とか伊瀬とか。あの子たち日南くんのこと尊敬してたから」

「ありがとう。それで、よくわかったね僕のこと」

 あの大会で僕は部活を引退した。まだ二年生だったが、さすがに空手をやれる状況じゃなかった。それ以降スポーツ刈りだった髪も伸ばし、今では結べるくらいまで伸びている。本ばかり読むようになったせいで目も悪くなり、メガネもかけた。そんな当時とは何もかも違う自分なのに、彼女は気づいたという。

「私、日南涼平の大ファンだから。昔、何度か声かけようかと思って行こうとしたんだけど、ちょっと勇気出なくて。ほら、やっぱり試合の邪魔になっちゃうかなって」

「そのファイル持ってるってことは、もしかして日南くん文学部? だったら私もだよ!」

 

 彼女の名前は丹羽小夏だと言った。こんな落ちぶれた僕を見てもキラキラとした目でずっと話してくれた。あの事件のことなんてまるで知らないかのように当たり前に触れてこない、僕が聞かれたくないことは何も聞いてこなかった。人殺しの僕をまるで普通の人かのように話し、常に笑っている彼女の横で自然と僕の表情も緩むようだった。

 そんな僕らは三ヶ月後、恋人になった。

 

 

「小夏起きろー。もうすぐ着くよ」

「もう着くの? まだいちじかんもたってなくない?」

「なにいってんだよ、もう三時間以上経ってるよ、どれだけ寝てるんだか、まったく」

 一年記念日には旅行に行こうと前々から話していた。温泉旅行ということで、メインは温泉なのだが、こんな早くに出発したのには訳がある。二十食限定とんかつ定食を食べるためである。九時半オープンの店に八時過ぎに着くという、何とも気合いの入った旅行だ。

 普段二人ともあまり外出をしないため、デートもほとんど家。たまに映画やカラオケには行くが遠出は全くしない。そんなんだが、さすがに一年記念日ともなれば普段通りとはいかなかった。かといって小夏は絶叫等の乗り物に乗れないため遊園地は却下。文学部らしく神社巡り……なんかも別に好きじゃないから却下。二人とも好き嫌いが多いせいで危うく旅行自体が無くなるところだったのだが、

「とてつもなく美味しいご飯を食べよう」

 ということになった。そこで以前二人でテレビを見ていた際に、特集で取り上げられていた幻のとんかつ屋に行きたいと僕が言い、じゃあそのついでに温泉でも行こうとなったのだ。 

「うわ、もう人並んでるよ」

「さすがだね。でも5人くらいじゃない? だったらいけるね」

 開店まで1時間以上あるというのにもう人が並んでいる。さすが幻と言われていただけはあるな。

 列に並ぶと前の人から整理券のはいった入れ物を渡された。人数分取り、次来た人に回すらしい。僕と小夏は六番と七番の整理券を手に取り、一時間以上ある開店まで待つことにした。中々渋いデートだな、我ながら大学生カップルの記念日デートとは思えない。けどこんな気を遣わなくていいデートなんて最高じゃないか。

 

「はい、お待たせしました。整理券十番のお方までまずご入店ください」

 九時半ピッタリ、店のドアが開いて中から優しそうな女性が出てきた。

 朝早くから起きて運転していたため、お腹はとてつもなく空いていた。

「ついにきたか」

「さすがに楽しみすぎるね」

「そういえば、最近なんか忙しそうにしてたけど、なんかあったの?」

「いや、ちょっとね身辺整理してて。最近ものが多くなっちゃってさ」

 このデートの前の二週間ほど、小夏とはあまり会えていなかった。毎日とまではいかないが、二日に一回ほどは、お互いの家に行ってゲームをしたり、唯一と言ってもいいお互いの趣味である、ピアノとギターでセッションしたりと、頻繁に会うことが多かった。しかしこの二週間ほどは、本当に忙しく一日に一回、メールでやり取りをするくらいしか出来なかった。

「セッションしたい曲が結構増えたんだよね」

「やろうか。最近あんまやってなかったもんね。数少ないファンが俺らを待ってるから」

 話していると、遂にとんかつ定食がきた。今まで見た事ないくらいの美しい油と甘い香りがした。

「これは来てよかったのかもしれない」

 これまでのとんかつの概念を全て壊してくるような、もはや別料理ではという程の味だった。

「幸せだ、生きててよかった」

「こんな美味いものがこの世に存在するのかよ」

 二人とも無我夢中でとんかつを貪り、会話も忘れて食事に集中した。今日早起きしてよかった。記念日にここに来れてよかった。

 あまりに美味しくて、あっという間に僕たちの食卓は空皿になった。

「こんな美味しいもの食べちゃったら、もう普段の食事食べれないよ」

「舌が肥えちゃったら困るな、私の料理で喜ばなくなる」

「ご馳走様でした。美味しかったです」

「ありがとね、素敵なカップルさん。またおいで」

 

 とんかつを食べて大満足した僕らは、温泉巡りへと向かった。この辺りはそこら中に温泉が湧いているらしく、天然温泉がいくつもあるらしい。

「みて、涼平。あれが温泉じゃない?」

「これ、まじで言ってる?」

 しっかりとした施設の中に温泉があるところばかりかと思っていたけれど、二個目に向かった温泉は運転していたら突然現れた。

 無人で入口に門があり、そこにある集金箱にお金を入れて入るだけ。その先はプライバシーもあったもんじゃない自然の中にある温泉が広がっていた。

「すごい、こんな温泉初めて見た。超天然温泉じゃん」

「面白いな。てゆうかタオルとか持ってきてよかったね」

 自然の中の天然温泉は最高に気持ちが良かった。施設の中の露天風呂とはまた違った雰囲気で、最小限しか人の手が加えられていないところがリラックスするのには最適だった。

 宿へ行くまでひたすらに温泉をまわった。ひと温泉十分程度入って次へと次へと向かった。

 六温泉回ったところで流石にのぼせてきてしまい、僕らの温泉巡りは幕を閉じた。本当は十ヶ所温泉があるらしいので、制覇したかったところだが、二人とも限界だったので仕方なくあきらめた。

 宿は山の奥の方にあり、夏とはいえど少し肌寒かった。とても立派で山の景観を損なわせない木造の旅館。部屋もとても広い和室で、二人なら走り回れそうなくらいだった。

「ねえ見て! これ、もしかして」

 そう言って小夏が廊下を早足で進んでいく。

「やっぱり! 露天風呂ある! すごいね、こんなところ予約してくれたんだ」

「この旅行は温泉旅行だからね。ひたすらに温泉入れるように部屋にもついてるやつ探したんだ」

「感動。こんな宿初めて泊まるよ。ほら、お菓子とかもちょっと高そう。あっ、ほら冷蔵庫にジュースとかいっぱい入ってるよ」

「こんなん、一日じゃ堪能しきれないよ」

「明日の朝ごはん、超豪華なんだよ。僕たちの好きな物しか出てこないコース」

「そんなことできるの、すご。実はちょっと心配だったんだよね、好き嫌い多いから」

「ほら、こういうところのご飯って私結構食べれないこと多いから」

 僕も彼女も好き嫌いが激しいため、ご飯も決めるのも一苦労だった。いつもなら、毎度同じものばかり食べておけば何とかなるのだか、こういったところはそうもいかない。

 宿の人にそういった相談をしたところ、

「承知いたいました。それでは、日南様のお好きな食べ物をお伺いしてもよろしいでしょうか? それに沿ったお料理をご提供させていただきます」

 と、とても親切に対応してくれたのだ。

 少し高いところを予約しておいてよかった、ここも最高の思い出になる。

 夜ご飯は外で済ませてきたし、お風呂も今日はひたすらに入ったから、明日朝またゆっくり入ろうということになり、今日はもう部屋からは出ないことにした。

「小夏、今日楽しかった?」

「楽しかった。ほんとに。たまには外出もありだね」

「よかった。一年間どこも行ってないからね、普通ありえないから大学生カップルでそんなこと」

「ほんとに。でも私はそれが一番楽しいまであるから別にいいんだけどね」

「また行けるといいね」

「これを機にアウトドア派になるのもいいかもね」

「きゃっ」

 布団に寝転がって気持ちよさそうにしている彼女を、僕は抱きかかえ窓辺にある広縁へと連れていった。そっと椅子に座らせてそっとキスをした。

「はい、これ一年記念日のプレゼント」

 先程までのゆったりとした雰囲気は消え、少しロマンチックな感じ。

 流石に何ヶ月も悩んだ。こんな大切な日に何をあげたらいいのだろうかと。きっと彼女のことだから何をあげても喜んでくれる。けれどほんとに心から喜んで欲しかった、そんなプレゼントを渡したかった。自分のセンスに自信がなったから、何回も何回も何が欲しいか探りを入れ、彼女のほんとに欲しいものを聞き出そうとした。けれど、やっとたどり着いた答えは、形に残るもの。それだけ……。

「開けていい?」

「うん」

 嬉しそうに包装のリボンを解く小夏を見ていると、なんだかとても愛おしくて涙が出そうになった。君のその嬉しそうな表情だけで僕は満足だよ。

 プリザーブドフラワー。僕が選んだプレゼント。一生枯れない花。

「きれい。三つもある」

 真っ赤に咲いた小さな花。五つ葉の白色の小さな花、それと同じ青色の花が瓶の中でライトアップされて綺麗に咲いている。

「この花なんていう花なの?」

「これは、ディアスシアっていう花と、勿忘草っていう花」

「へえ、すっごい可愛い花だね」

「正直何あげたらいいか最後まで分からなかった。小夏はなんでも喜んでくれるから。それにいつも色々買いすぎちゃって、自分で物のハードル上げすぎてた」

「けど色々考えてこの置き花をあげたいって思ったんだ。僕が今、小夏に伝えたいことが全部この花に詰まってる」

「そうなんだ、ありがとう涼平。お花貰ったことなんてなかったからほんとに嬉しい。なんかお姫様になったみたい。ちょっと恥ずかしいけど嬉しいよ」

 彼女は少し顔を赤らめて微笑んだ。

「はい、私からも。私も何あげたらいいかわかんなかった。逆に普段何もあげなさすぎてるから、選ぶセンスないかも」

「指輪。涼平アクセサリー好きだから。私が選んでいいのかも分からなかったけど、一生懸命選びはしたから」

 キラキラと宝石が光りら眩しいくらい美しい指輪。僕の好きな太めの指輪。

「私もその指輪に思い詰め込んでおいたから一生大切にしてね」

 気づいたら二人とも泣いていた。プレゼントを交換しているだけなのに、何故か涙が止まらなかった。これが嬉し涙なのか悲しい涙なのか僕には分からなかった。

 そして僕らはこの一年間でいちばん長い抱擁をかわした。ずっとずっと、二人の涙が乾くまで。これで僕らの旅行は終わり。最高に楽しくて幸せな二日間だった。この時間は一生終わらないで欲しかった。時間は残酷なんだなと初めて感じた。楽しい時は過ぎるのが早すぎる。これが逆ならどれほど幸せだったか。

 でも。これで僕は明日からも生きてゆける。

「最後の仕事をしなくちゃ」

 

 

 旅行から帰ってきてから涼平と連絡がつかなくなった。夏休みに入ってるから学校にも来ない。

『今日は楽しかったね。遠出ありかもね』20:03

『おい笑 もしかして疲れ果てて寝ちゃった?』22:12

『起きたら返信してね〜』23:56

 

『え、まだ起きてないことある?笑』11:43

『ちょっとー』

『おーい』

『涼平さーーん、返信しなさーい』18:06

 

『さすがに怒りそうだけど』13:21

『スマホ壊れたの?』

『え、なんで返信しないの?』

『喧嘩なんてしてないよね? 楽しい旅行だったでしょ』

『なんかあるなら既読くらいつけて』19:42

『さすがに心配が勝つ』

『ちょっと今から家行くね』

『夜遅いけど許してよね』23:04

 

 スマホと財布だけポケットに入れ、すぐに駐車場へと向かった。何がなんだか分からないままではあったが、さすがにおかしいと思った。自分はあまり連絡がマメではなく、半日、酷い時は一日中返さない日もたまにあった。けれど彼は、半日がこの一年間で数回あったくらいで、一日返信が返ってこないことなんて一度もなかった。二日以上返ってこないなんてありえない。何かないことには示しがつかなかった。

 けれど、それほど自分自身焦っているわけでもない。少しイラついたけれど、こんな時間だし家にはいるだろうからすぐに真相が分かるから。

 十五分ほどで彼のアパートの前に着いた。すぐに駐車場を確認すると、いつも彼の車が止まっている場所が空車になっている。部屋の電気も付いていない。

「どうゆうことよ」

 合鍵は以前から持っていたため、すぐに階段を駆け上がり玄関へと向かった。ガチャ……。

「なにこれ……。何も無い」

 この一年間何度も通った彼の部屋、自分の私物だっていくつか置いてある。自分の部屋の次に落ち着く場所。その部屋が無くなっていた。全てきれいさっぱり取り払われていて家具のひとつもない。未入居同然の状態になっている。

『ねえ、どういうこと?』

『なんで家にいないの?』

『家の中何も無いよ、どうして?』23:31

 理解ができなかった。何もかも今の状況が飲み込めない。

 

 既読

 

『ごめんね』23:32

 涼平からの返信はこれっきりだった。

 その日はずっとメールを送り続けた。どうして? なにがあったのか、何がしたいのか、説明して欲しい、と。全てのメールに数分後既読がついた。でも返信は返ってこない。何日も何日も、一週間メールを送り続けた。だって意味がわからないんだもん。一年記念日で旅行して、最高に楽しくて最高に幸せで、こんな日々がこれからも続いて欲しいななんて思ってたのに。喧嘩もしてない、彼に酷いことだってした覚えもない。それなのにもう彼から返信が来ることは無い。


『もう一週間経つよ。そろそろ返信してくれてもいいんじゃないかな』八月八日

 

『まだまだ夏休みは長いよ。もっと遊ぼうよどっか行こうよ』八月九日

 

『明日は高校の部活の子達と飲みに行くんだ〜 行ってきてもいい?』八月十日

 

『飲みいっちゃった。女子は変わらず元気だったし、男子も変わってなかったなあ。涼平の話題で盛り上がったよ伝説の空手家って』八月十一日

 既読。

 全て私の独り言。既読は付くから読んではくれてるのかな。彼は元気にしてるのかな。どうしてこんなことになっちゃったんだろう。もう元に戻ることはないのかな、帰ってきてくれたりしないのかな。忘れろなんて言われても忘れれるわけないよ、だって今の私はあなたが造り上げてきたんだよ。部屋もあなたとの思い出ばっかりだよ。これ欲しいなって独り言つぶやくとすぐ買ってきちゃうんだから。自分にお金使うより君が喜ぶことにお金使いたいって言って、いっつも私を喜ばせるために色々買ってきて。なんもなかった部屋が一年でものがいっぱいになっちゃったよ。

 どれも幸せな思い出ばっかなのに、今はとても辛いよ、考えないようにしようとしても思い出してしまう。こんなことするなら初めから優しくなんてしないで欲しかった。余計にあなたの優しさが今の私を苦しめる。


『夏休みも今日で終わるよ。結局外出なんてほとんどしなかった。する気になれなかったよ』九月二十日

 

 既読

 

『ごめんね許して』

 

 ああ、私じゃあなたを助けてあげれなかったんだね。死にたがりの君を私は絶対死なせないって約束したのにね。やっぱり生きるのは嫌だったのかな。あなたは何も悪くないのに、ただ強かっただけなのに。誰よりも生きるべき人なのに誰よりもかっこいい人なのに。

 まだ周りの人間が憎い? 私だけじゃ治しきれないくらい傷ついてしまったんだね。少しずつだけど治してあげれてると勘違いしてた。けど違ったんだね。

「僕が死んでも許してね」

 そう言ったあなたはとても辛そうで苦しそうで、ダメなんて言えなかった。ダメじゃないけど嫌だったよ。でもこの一年でその気持ちが変わらなかったんなら、もう私じゃあなたは救えないのかな。いや、私に救えないなら誰にも救うことなんてできないんだよね。よく頑張ったね、ほんとにほんとに辛いけど、まだまだ一緒にいたかったけど、私はあなたとは一緒にいてはいけないんだね。何となくあなたがやろうとしてる事は分かってきたつもり、あなたの気持ちも理解していたつもり。その勘を信じるのであれば、今のあなたがしたい事、どんな気持ちで今過ごしているのかも全て分かるから、だから私はあなたを許すよ。また幸せな世界で会おうね。その時は、今世以上に私を幸せにしてね。私も次こそあなたを幸せにできるように頑張るからね。約束しよ。

 さようなら涼平。大好きだよ。

 

『別れよ涼平』

 

 私の最後のメールに既読が付くことは一生なかった。あのメールを送った瞬間に彼は死んだんだと思う。私には分かる、これが彼が望んたことなんだって。この事で私は彼を恨んでなんかないしあの人の全てを許すって決めてるから。日南涼平はそういう人だった。周りの人間に全てを奪われ、生きる気力を無くしてしまった。それでも周りにあたることもせず、ただただ自分の心を傷つけることで自我を保つ。今にも死んでしまいそうな彼を助けてあげれなかったのは私。そんな彼の唯一の理解者になったのに殺してしまったのは私。でもそんな彼だから私は好きになった。世界一強くて優しい彼だから。誰にも気づかれない、彼自身も気づかない、本当の優しさを持った人だったから。

 花言葉最近になって調べたよ。

 ディアスシアの花言葉「私を許して」

 白色の勿忘草の花言葉「私を忘れないで」

 青色の勿忘草の花言葉「真実の愛」

 あなたを忘れないし、一生愛してるよ。だから安心して行っておいで。

 

 

「私は日南涼平が好き」

 告白したのは小夏だった。夏休みに入ってすぐの日だった。その日は台風が近づいていて大雨だった。

『今からそっち行かせて』僕は今にも死にそうで、苦しくて、返信も待たずに小夏の家へと向かった。一人になるといつも気が狂いそうになる。昔の記憶が鮮明に蘇ってきて、蹴った感触も周りの目も全部が目の前に現れて僕を苦しめる。

「人殺し」

 この一年間で一番聞いた言葉。味方なんて誰もいない。家族も同級生も全てが敵。

「日南と戦った相手死んだらしいよ」

「ね、聞いた。首の骨折ったんだって」

「強いらしいけど、もうそれただの殺人機じゃね?」

「怖すぎるよね、本気になればいつでも人殺せちゃうんでしょ」

「ちょっとくらい手加減すればよかったのにね」

「さすがにもう近づけないわ」

「あいつのためにも近づかない方がいいよ」

「近寄ったら殺しちゃうもんね」

 

 

「この度は本当に申し訳ございませんでした」

「こんなことになるなら息子に空手なんかやらせなかった」

「あなたが強いのは知ってました。でもこんなに冷酷な人だなんて思っていませんでした」

「息子を返してよ。なんで部活ごときで我が子を失わなきゃいけないのよ。ねえ、返してよ責任取ってよどうにかしなさいよ」

「人殺し」

 

 

「たとえこの件が不運な事故だとしても、一生忘れちゃいけません。あなたは仮にも人の命を奪ったんだから」

「もう空手なんかやめろ、お前は向いてない。やっていい器じゃない」

「一家の恥だ。ほんとに迷惑でしかない。仕事先でも嫌な目で見られる。どうしてくれるんだ」

「ごめんなさい」

「こんな奴に育てた覚えは無いんだけどな、もう少し常識があるもんだと思ってた」

 

 罵声に耐える日々、いじめに耐える日々。誰一人として味方なんてしてくれなかった。同級生たちは、直接僕に何かしてくることは無かった。ただ、影でひそひそと悪口を言うだけ。登校中も廊下でもずっと視線を感じる。学校一体が輪になって僕を監視している気がした。これまでそれなりに仲の良かった部活の連中も、僕に近づくことはなくなった。部活を辞めたから関わりもなくなったから当然ではあるのかな。どこかで空手道をわかる人には僕を理解してくれるのではないかと期待していたのかもしれない。けれど親も相手の親も部の子も誰もが僕を蔑んだ。

 ただの人殺しだと。

 

「もう、ずぶ濡れじゃん。何やってるのよ」

 玄関のそばで突っ立っていた僕に、小夏は傘をさしてくれた。

「どうしたの? なんかあった?」

 小夏もあの事件のことは知っていた。

 付き合うことになった数日前、僕はは小夏に聞いた。あの事件を覚えているかと。あまりにも彼女がそういった話をしてこないから怖かった。どこかで僕のことを怖がっているのではないかと。

 もちろん覚えてるよ。彼女はそう言った。あなたにとってとても辛い出来事だったはず、と。

「話したくないなら話さなくていいと思った。あなたが話したい時に話せばいいと思った」

「僕のことが怖くないの? 人殺しだとおもわないの?」

 彼女は少し微笑んで、首を横に振った。そしてそっと僕を抱きしめて

「日南は世界一かっこいい空手家だよ。私は昔も今もずっと大ファンだよ」

 と言った。彼女が初めて僕に触れた瞬間だった。とてもとても暖かく、とても優しかった。

「僕は人が憎い。怖い。自分もこわい」

 いじめられてたこと、死にたいと思っていること、全てその瞬間に彼女に吐き出した。

 彼女は真剣に、僕の話を聞いてくれた。何も喋らず、ずっと泣き続ける僕を抱きしめながら。人の優しさに触れるのはいつぶりだろうか。こんなにも暖かくて素敵なんだと思い出した。

「死にたいならしんだっていい。だけど私が死にたく無くなるくらい楽しませてあげる。これから日南が死を忘れて過ごせるように」

「私はあなたを絶対死なせない」

 

 僕は丹羽小夏に恋をした。僕なんかとは違ってとても強い彼女を、とても優しい彼女を。

 

 

「一人になるとどうしても昔のことが頭から離れないんだ。こわいよ」

「そっか、やっぱりつらいか。私と出会ってからの三ヶ月間もずっと我慢してたんだね」

「もう我慢しなくていいからね。全部私が受け止めるから。日南はひとりじゃないよ、もう一人じゃない」

「毎日毎日夢を見るんだ。殺される夢。家族に、同級生に、殺しちゃった子に、その親に」

「じゃあ毎晩私のところに来ればいいよ。朝まで付き合ってあげるから」

「こんなにめんどくさい友達いたら迷惑だよね」

「楽しいよ。私はあなたに出会ってから毎日楽しい」

「好きだよ。私は日南涼平が好き。友達としも男の子としても」

「だから私と付き合ってよ。そうすればもっと一緒にいてあげられる」

 大雨の中、傘を閉じ二人ともずぶ濡れになって座り込んでいた。泣いてるのか雨なのか分からないけれど、二人とも鼻をすすり抱き合った。

 

 

 幸せだったこの一年間。何もかもが夢のようであっという間だった。小夏のことは本当に大好き。これは絶対に嘘じゃない。けれど、もういかないと、僕は死にたがりだから。死ぬことでしか僕は僕でいられないんだ。

 ほんとに楽しい二日間だった。最期くらい三泊くらいの旅行にしとくべきだったな。最初で最後のお泊まり旅行、人生でいちばん幸せな時間だった。その時間ももう終わり。今から僕は姿を消す。まあただホテルに泊まるだけだけど。

 旅行行くまでに全て準備は終わらせておいた。退居ももう完了している。おかけで朝遅刻してしまったが。驚くだろうか彼女は、悲しむだろうか、心配かけてしまうだろうか。それでも僕は自分勝手だから、死を選ぶんだ。このままいったら僕たちは結婚してただろうか。子供もできて三人、四人仲良く暮らしていただろうか。

 今から僕はそんな最愛の人に嫌われようと思う。僕に死ぬ勇気がないのは昔から。今も変わっていない。だから殺されたいと願った、他殺を。何日経とうがもう返信しない、恩知らずの裏切り者になろう。

『ひとりが辛いなら言ってね』八月二日


『話なら聞くからね一緒にいよ』八月三日

 

『死んじゃってないよね? 生きててくれればそれでいいから』八月五日

 

『愛してるよ涼平ずっと』八月七日

 

 彼女はいつも察してくれる。死にたがりの僕をいつも助けてくれる。今もすぐに気づいて心配してくれる。僕も一緒にいたいよ。

 文章であの事故のことやそれにまつわることを見ると、昔のトラウマが蘇ってしまうからやめて欲しいとお願いしてから、というかお願いする前からだが、一度もそれに触れずにずっと優しい言葉だけかけづづけてくれた。今もずっとその約束を守ってくれる。

 ごめんね許して。僕のメールに返信が来ることは無かった。返信が来たのは二ヶ月が経ってからだった。僕が残した最後のメールをきっかけに、彼女は僕へメールを送ることをやめた。

 自分でこんなことをしておいて、とても辛かった。人生で初めてできた彼女が、初めて愛した人が僕のそばから次第に離れていくようで。

『別れよう』

 そしてついにその時がきた。彼女に振られた。もう会うこともそばにいることもできない関係。僕が望んだ関係。

 やっとこの世で生きる意味が全て無くなった。やっと死ねる。いや、やっと殺される。

 僕は彼女に殺されるのだ。心をボロボロにされて。自殺という名の他殺をするのだ。

 最期に手紙を書いておこう、誰にも読まれない手紙を。ダイヤモンドの指輪に縛り付けて土に埋めて。

 

 さようなら世界。さようなら小夏。僕を殺してくれてありがとう。来世ではきっと幸せにするよ、ダイヤの石言葉のように「変わらぬ愛」で。

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