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母猫は浄瑠璃すたあの夢を見る

作者: 庭鳥

柔らかな日差しが降り注ぐ、昼下がりのことでございました。道頓堀の芝居小屋にほど近い、日本橋の猫宿屋から悲鳴のような叫びがあがったのは。

「にゃにゃにゃんですって」

「かか様っ、我らを売り飛ばすおつもりですかっ」

高いところから物を落としたような音も聞こえてきます。

「こ、これ。姉たち、そのように見苦しく騒ぐでないぞ。そなたたちの将来を考えてのこと、嘘ではない嘘ではないぞ。話はまだこれからじゃっ」

なだめすかそうとする声にも、収まる気配がありません。威嚇するようなうなり声も聞こえます。

「かか様の嘘つきっ」

「嫌でござります、嫌でございますうぅぅ」

ぎょっとして周囲を見回した宿屋に奉公する猫たちでしたが、どうやら宿泊客の猫母娘が喧嘩をしているらしいと悟り、すぐに常の態勢に戻りました。叫び声は小さくなったものの、口論がなかなか終わらない様子に帳簿付けをしていた宿屋の番頭・不賀兵衛がどっこらせと立ち上がります。不賀兵衛は、でっぷりと恰幅のよい鉢割れ猫でございます。削り立ての鰹節を持って、母娘喧嘩の仲裁に行くようでございました。

「もし・・・・・・ご免なさいまし」

聞き慣れない声に、泣き叫んでいた姉娘たちがぴたっと口を閉ざし、目にもとまらぬ早さで押し入れに駆け上がりました。

「あれ、まあ。番頭さんではありませんか。取り散らかして、お恥ずかしゅうございますわ・・・・・・おほほほほほ」

笑って取り繕う母は、毛並みの良い大層美しい三毛猫でございました。母の傍らで鯖虎の子猫が、真っ白な腹を見せてくうくう寝息を立てています。大騒ぎには全く気がついていないようでした。

「今朝、結構な鰹節が手に入りまして。宜しければ」

押し入れ前に差し出された鰹節に、姉娘たちは顔を見合わせて固まっています。人見知りならぬ、猫見知りの姉たち・・・・・・上の姉みいはふっくらした体にキジ虎柄の毛皮が美しく、中の姉りこは小柄ながらふわふわ柔らかな毛皮を持つ聡明な娘でございました。

「昨夜の竹本座の浄瑠璃は、ほんに結構でございました」

うっとりと昨夜の感激を語り出す母猫に、番頭も嬉しげに頷きます。昼間の人間の竹本座の操浄瑠璃のこと、夜の猫たちの竹本座のこと・・・・・・二匹が熱心に昨今の芝居事情について語り合い出したのを見て、姉たちはそろそろと鰹節を食べ始めました。

「武蔵国でも浄瑠璃は大層な人気でございます。娘たちにも是非、浄瑠璃を習わせたいのですが番頭さんに、よいお師匠さんの心当たりはございませんか」

「ほう、それはそれは・・・・・・年頃のお嬢さん方のお稽古ならば女のお師匠さんがよろしいでしょうなあ。さて・・・・・・」

鉢割れ番頭は、むうと唸って小首を傾げました。どうやら喧嘩の原因に思い至ったようです。番頭猫のゆらゆら揺れる尻尾の先が、筆のように真っ白です。

「女のお師匠ならば、北堀江の鯖絹(さばきぬ)さんがよろしいかと。三味線もなかなかのもので」

「まあ、北堀江の」

鉢割れ番頭は、髭をひくひくさせて続けます。

御霊ごりょう里子(りこ)さんの評判も上々です。箏の腕には並ぶ者がありませんからな。新町の郭を縄張りにする姐さんたちも、教え上手と聞きますなあ。しかし浄瑠璃を習うとなると、手習いにも力をいれないといけませんぞ」

姉娘たちは、聞こえないふりをして食べ続けています。目を覚ました末娘イチカも加わり鰹節を咀嚼する音が部屋に響きます。

「白足袋の虎吉さんならば、もっとよい知恵がでるやもしれませぬ。ではまた、おいおいに」

道頓堀の顔役の名を出すと不賀兵衛は話を切り上げ、礼を言う母猫に微笑んで去って行きました。

母猫は、鰹節には見向きもせず娘たちに浄瑠璃を習わせる思いつきに浸っています。

「かか様っ、遊びましょう」

体当たりされ、母猫は取り繕うように微笑み末娘の背中を舐めました。

「これ、イチカや。母は、そなた達が身を立てる手段を考えているのじゃ。夕刻には、とと様が大和から到着するはず。それまで大人しゅう行儀よくしていなされ」

「アイ・・・・・・とと様のお土産は何でございましょう。大和国にお魚はたんとございますか」

尻尾をくるりと丸めて問う娘に、母猫もまた首を傾げました。

「さて、のう。大和国に海は無いゆえなあ・・・・・・大和郡山は金魚が有名じゃが。とと様の親類は新口村。はて、どのような」

姉たちも加わり四匹で、大和国の名物について思案していますと猫宿屋の番頭・不賀兵衛がうなる浄瑠璃がかすかに聞こえてきます。

「翠帳紅閨に枕ならべし閨のうち  馴れし衾の夜すがらも、四つ門のあと夢もなしさるにても我が夫の、秋より先に必ずと、あだし情けの世を頼み、人の頼みの綱きれて、夜半の中戸もひきかへて、人目の関にせかれ往く・・・・・・」

聞こえてきたのは、梅川忠兵衛の相合駕籠でございました。かの近松門左衛門の浄瑠璃「冥途の飛脚」で、封印切をしでかした忠兵衛が恋人の遊女・梅川を伴い故郷の新口村へ落ちのびていく場面でございます。

「とと様の親類は、梅川忠兵衛の新口村じゃから、果たして魚はあるかのう」

番頭猫の浄瑠璃を聞いているうちに、娘たちはとろとろと居眠りを始めました。子守歌の効果もあるようです。母猫も寄り添って四匹で丸くなります。しばらくうとうとするうちに、母猫に良い夢が訪れたようです。

「浄瑠璃すたあの母は忙しいものじゃ・・・・・・」

寝言から察するにどうやら三匹の娘たちに浄瑠璃を習わせて、首尾よく浄瑠璃すたあとして世に送り出し母猫もまた忙しく飛び回る夢のようでした。母猫は盛んに尻尾をはたはたさせ、夢の中で走り回っているようです。

夕刻になり、宿に魚を焼くにおいが漂い始めた頃に母猫は目を覚ましました。娘たちは、まだ深い夢の中です。

「みいは、恥ずかしがり屋ゆえ浄瑠璃語りよりも三味線を習わせた方が良さそうじゃな。姉が弾く三味線であれば、妹たちも大人しゅう語るであろ」

やる気満々の母猫は、夢の中でも大暴れの末娘イチカを見ました。鯖虎子猫の真っ白なお腹は、温かく柔らかそうです。

「となれば、善は急げじゃ。明日は皆で野崎参りにいくゆえ、今夜にも娘たちを通わせる浄瑠璃のお師匠さんを決めて挨拶に行かなくては」

いつの間に起き出したのか、中の娘が母をじいっとみつめています。母の独り言に嘘はないかと見極めるように。

「おお、目を覚ましたか、りこや。もうすぐ夕餉じゃぞ」

短くにゃああ、と泣いて中の娘は再び姉に寄り添いました。灰色毛皮の中の娘は、キジ虎毛皮の上の娘より一回り小柄でした。

日は傾き、魚を焼く香ばしいにおいが宿に漂っています。仲睦まじく寄り添う娘たちに微笑み、母猫は再び想像の世界に入っていきました。

「みいに弾かせる三味線を誂えるとなると、なかなか物入りじゃの。さてどうしたものか」

しばし考えていた母猫は、あっと言って尻尾をぐるんと振りました。

「そうじゃ、とと様が儚くなったら三味線のために皮をいただくとしようのう。親の皮を使った鼓を追いかけた源九郎狐のように。我ながら良い考えじゃ。父の皮を使った三味線なれば娘も寂しくならずに良い・・・・・・」

うむうむと満足そうに頷く母猫に、中の娘は心配そうな視線を向けています。そのときでした、からりと音を立てて部屋の障子が開いたのは。目ざとい中の娘が、声にならない声を上げました。

「なに、三味線がどうかしたのか?まあ、よい。女房、娘たち今帰ったぞ」

お寺の鐘を鳴らすような大声が響き、眠っていた娘たちが揃って飛び起きます。上の娘と中の娘は仲良く押し入れに逃げ込み、取り残された末の娘がぼんやり声の主を見つめています。

「とと様?」

入ってきたのは、夕日を浴びて金茶に光り輝く虎猫・・・・・・娘たちの父親猫でありました。堂々と立ちはだかる父猫は、腰から川魚の干物を下げ、背中には三味線がありました。

「こ、こちの人・・・・・・」

絶句する母猫の前に、父猫は土産だといって干した川魚を置きました。そして背負っていた三味線を下ろします。

「新口村の一昨年亡くなった爺様の三味線を形見に貰ってきたぞ。爺様は田舎には珍しい風流で、よく三味線を弾いていてなあ」

豪快に笑う父猫をよそに、母猫は満足げに伸びをして末の娘の背中を舐め、上の娘と中の娘は恐ろしい予感に縮み上ったのでした。

「やはり、かか様は嘘つきじゃっ」

第5回テキレボWebアンソロに投稿した短編小説で、庭鳥の同人誌「化狸浪華賑」に収録した「猫の竹本座」姉妹作品。

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