夏のホラー2020 古代律令駅伝制に関わる話
古代律令制度の時代に駅伝制度というものがあった。街道の30里、今の4里(16km)ごとに一駅を設け、そこに駅馬を置き、官人などの往来の用に供したという。
今、この山陽道にも国司の赴任として安芸の国へ向かう律令官人の一行が伝馬に乗って道を歩いていた。夏も終わった初秋、日の暮れるのも早くなっていた。
「今日はこれまでかな。」官人は馬に乗りながらそんなことを思っていた。そんな官人の横目に人影が見えた。その人影はおそらく女子であろう。街道から少しはずれた雑木林の入り口付近に、黒色の小袖と破れた菅笠を被って街道を行く官人の姿を見ていた。
「不気味な者よ。」官人はすぐにその人影からは目を背けて夕暮れの中をこれから向かうであろう道の先へ目を向けた。次の日官人は昼過ぎから馬を出し、また街道を安芸の国へ向かって進めた。
「そう急ぐ用でもない。」官人はそう思っていた。ただ、道中での賊に対する用心はしており、夕暮れ過ぎには馬を進めないようにしていた。この日も、道中で夕暮れになり、官人は次の駅で泊まることにした。ふと、気づくと街道の脇、田の向こう側の畦に黒色の小袖を着て破れた菅笠を被った女子がこちらを見ていた。
官人は女子からは目を背け構わずに馬を進めたが、官人の心中には一種の違和感が去来していた。
「あの者?昨日と同じ者か…。」官人の心には不安と恐怖が立ちのぼった。
次の日も、官人はかの女子を見かけた。やはり夕暮れ時に街道から少し離れた丘の端から官人の姿を見ていた。
「あれは魔性に違いない。」官人はそう思った。古く、夕暮れ時は逢魔時(大禍時)とも言い、人ではない者に出会う時刻であるとされた。
「魔性に目をつけられるとは。」官人は心に多聞天の姿を浮かべ我が身と仏法の守護を願った。しかし、願に違って、翌日も官人はかの女子の姿を見てしまった。次の日から官人は夕暮れ時になる前に馬を休めることにした。早朝に駅を出立して昼過ぎには馬を休めた。
旅も半ばを過ぎる頃、官人はすっかりかの女子の存在に慣れてしまった。その頃には再び夕暮れ時に馬を進めるようになっていた。
「またあの女子だ。」魔性の女子は夕暮れ時には必ずと言っていいほど現れて街道から少し離れたところから官人の姿を見ていた。かと言って何をしてくるのでもなかったので、官人もすっかり安心しきっていた。
「もしやあれは道祖神なのかもしれぬな。」官人はそう思っていた。
「我が旅路を見守ってくれているのやもしれぬ。」官人はそう思うとかの女子に対する畏敬の念がこみ上げてきた。官人は女子を見つけると手を合わせて首を垂れるようになった。
ある日の夕暮れ時、いつもの通りに道祖神の女子が現れた。やはり街道から少し離れた林の入り口に立っていた。官人はそれを見ると一行の者に伝え、街道から馬を外して林の方へと向かった。道祖神を一度間近で見てみたいと思ったのである。
日が落ちてあたりは薄暗くなったおり、駅長が駅家の扉を閉めようとしていると街道の向こうから、馬が一頭歩いてくるのが見えた。
「まだ人がおったのか。」馬は伝馬か駅馬であろう。しかし、それにしては様子がおかしく、馬影が近づいてくるにつれて見えると、馬の周囲には人がおらず、馬の背にも人がいない。
「迷い馬かな?」と思ったが、鞍具は確かに官馬のそれをつけていた。とりあえず駅長は迷い馬を空いている厩に入れた。鞍具は外しておいた。手綱は麻布を赤と白に染め分けた官馬にあるものであった。ただ手綱の乗り手が綱いていたところであろうか、そのちょうど赤く染められたその色の上に塗り重ねたように浅黒く血の跡がついていた。