第三話
僕はこの子に逆らうことができない弱みを握られている――
闇夜のかつての実家のとなりに住んでいた、昔からサブカルが好きだったばあさんがこんなネタが旧時代にちょっと流行った話をしてくれたことを闇夜はぼーっとした頭で思い出していた。
なぜ闇夜がぼーっとしているかというと…………彼自身が今そのような状況に置かれていて、ネタじゃないからだ。まさかあんな子供だましみたいな手に引っかかるなんて、と一生の不覚を後悔しているわけだ。
それに対して、その弱みを握っている側―つまりこの文で言うところの『この子』に当たるわけだが―はルンルン気分でにこやかに闇夜とテーブル越しに座っているのである。
このニコニコした、二股おさげの巨乳眼鏡っ娘は、需要は限りなくありそうではあるが、しかし、今まで様々な紳士からモーションをかけられ続けているのにことごとくそれをかわし続けてきた身持ちのいい方でらっしゃる。そんな娘が闇夜の弱みを握った途端あの変わり様だ。何がトリガーになっているのかは分からないが、どうもスウィッチがあるようだ。
「で? ここは?」
闇夜は終始ニコニコしているその娘に問う。
「え? さっき店入る時確認しなかった? ここはつけ麺屋の『麺屋苑寺』よ」
「いや、それはわかってるんだよ! なんでこんな店入るんだよ!?」
説明すると、放課後、闇夜は裕子に情報提供をちらつかされながら仕方なく拉致られてこの店に入ってきたわけである。本当はすぐに帰って寝たかったのだが。
裕子はまあまあ、と熱くなる闇夜をなだめながら、セルフサービスのお冷をコップに注いで振る舞った。
「いやね、月島くん食べ歩きが好きって言ってたでしょ? だからこの辺に詳しいあたしが挨拶代わりに美味しいお店を教えてあげようとね、思ったわけよ」
「ううう……まあそういうことなら致し方ないが……さっきの話はどうしたんだ? 情報を教えてくれるんじゃなかったのか?」
「まあね、それはおいおいね……まあ今はお食事を楽しみましょうよ。とりあえずここの美味しいやつをあたしが選んで頼んじゃうね。すみませーん、味玉入りベジポタつけ麺2つ、2つとも胚芽麺の熱盛でお願いしまーす」
良く分からない呪文の様な注文をされて、闇夜は戸惑った。
「ここはよく来るのか?」
「そうだね~でもあんまし頻繁に来ると女の子の最大の敵、脂肪が体にいっぱいついちゃうからね~」
なるほど、あなたの場合は理想的な部分に脂肪がついたのですね、と闇夜は裕子の顔からやや下に視線を移した。
そうこうしているうちに注文の品がテーブルに運ばれてきた。大きな丼にすのこが敷いてありその上に茶色く太い麺が湯気を立てて盛られている。熱盛というのは麺を茹でて、冷水でしめてぬめりを取り、また熱い湯に入れて温めたものを指すらしい。
そして一回り小さい丼に茶色いつけ汁が入っている。つけ汁の真ん中には水菜やゆずやネギなどを細かく切ったものが見える。
「おー、きたきた。月島くん、まずは麺だけで食べてみてよ」
「その、なんかいかにもグルメ漫画みたいなやり方はちょっと鼻につくが……へいへい、先輩に倣いますよ」
闇夜は湯気を立てる茶色い麺を一本だけ取ってすすってみた。
「ほう。普通の小麦の麺よりも味が濃いな。粗挽きのせいもあるのかもしれないが、麺の味が一本どっしりと通っていて鼻に抜ける小麦の香りも普通のものよりも強い。これが胚芽麺と言うものなのか」
「さすが月島くんね。つけ麺と言うのは常時麺がスープに浸かっているわけじゃないからどうしてもつけ汁の味が濃くなってしまう。ところが、今度はつけ汁のほうが味が濃くなりすぎて、麺の味が死んでしまう問題ができてしまう。この胚芽麺は旧時代に於けるその解決策の一つだとあたしは思ってるの。さあ今度はつけ汁に好きなようにつけて食べてみてよ」
闇夜は注意深く少なめに麺を箸でつかもうとした。なぜなら、麺がとても太いので、普通に掴んでしまうと、大量に麺が絡まってしまうからである。そしてつけ汁につけて一気にすすった。口の中に広がる様々な材料の味と香りに思わず舌鼓を打った。
「うむ。これはなかなか。魚介類、豚骨の味がとても強いが、ほのかな甘味がくどさを抑えているな。それに、ゆずの香りがすがすがしい。そして胚芽麺がそれに負けてなくてしっかりと小麦の味と香りを感じさせてくれて……喉越しもいい。そして適度なとろみでつけ汁が麺に絡みつきやすくしてる。この甘味は……とても自然で砂糖とかではないなあ」
「これがベジポタよ」
「ベジポタ?」
「ベジタブルポタージュの略。様々な野菜をペースト状にしたもの。野菜のペーストが自然な甘みを出して、味を尖らせないようにしているわけ。とろみの正体は多分山芋じゃないかな?」
「なるほど」
闇夜はひとしきり麺をすすり続けた。豊かな味わいなため飽きが来ない、すなわちどんどん食べられるということである。それというのもやはり、一番の主役である、麺の味が最大限に引き出されているからこそのことである。
「この味付け玉子はどのタイミングで食べるんだ?」
「それはいつ食べてもいいけどあたしは最後まで残しちゃうなあ。いまでは半熟の味付け玉子なんて珍しくないけど、半熟だけど黄身までちゃんと味が染みているところって旧時代以来、何十年経ってもまだ少ないんだよね。あたしは半分に割って黄身を出して、その黄身とつけ汁を混ぜてすするのが好きだなあ」
闇夜は、なるほど、と麺を完食してから同じような食べ方をしてみた。
黄身の濃厚な味わい、魚介豚骨のこれまた別の濃厚な味わい、そしてベジポタの豊かで自然な甘みが三位一体となってこれほど贅沢なものはないと闇夜は思った。
最後に残ったつけ汁をポットに入ったスープで割って飲み干して完食。いつの間にか裕子も完食していた。闇夜はすっかり満足したところで、
「で?」
闇夜は、腹も膨れたことだしそろそろ本題の情報提供をしてもらおうと、シリアスモードになって、両肘をテーブル載せようとすると、
「さ、でましょ」
と裕子に言われ、肘をテーブルにのせ損ない、顎をテーブルにぶつけそうになった。
「おい! だから、情報提供はどうした!?」
闇夜は先程から裕子のマイペースっぷりに振り回されっぱなしである。
「ラーメン屋でおしゃべりは野暮ってもんよ。近くに喫茶店があるからお話はそこでね☆」
なんだよ、てめぇがつけ麺食いたかっただけじゃねぇか、この胃拡張め、と闇夜は裕子に聞こえないくらいの声でボソっと愚痴を言った。
「ん? なんかいった?」
二人は並びながらしばらく話していた。
「ん? いんや」
「月島くんってさあ……」
「あのさあ……もうなんかさ、いいわ、苗字じゃなくて。名前でいいよ。闇夜で」
「そ、そう?……ええと、闇夜くんさあ……」
「『くん』もいらねーよ」
「え? そそそ……そう? あん、闇夜さあ……あれ? ええと……あれ? ごめん、なんて言おうとしてたのかわすれちゃった」
「はぁ? なにいってんだよ、おまえ?」
「あのねぇ、『おまえ』はやめてほしい。女の人に『おまえ』は例え彼氏や配偶者でもNGだと思ってるから、あたしは。闇夜もさ、あたしのこと名前で呼んでほしい」
「え? ば、バカ言うなよ……いきなりそんな……ハードル高いこと……」
「ず、ずるいよー! あたしにはやらせといて! ずるいずるいずるいずるい!」
「わ、わかった……わかったわかった……ゆ、裕子さあ……あ、別にオレは言いたいことはなかったんだ!」
闇夜は顔を真赤にさせて怒った。
「じゃなくてさ、どこまで歩けばいいんだよ!?」
「あー、ここここ!」
と裕子が指差したところは『喫茶 マラリア』と書いてあった。それは先程のつけ麺屋から数十メートルしか離れていなかった。本人たちには数キロメートルに感じられたというのに。
裕子が扉を開けると、険しい顔の中南米系のマスターがコーヒーカップを磨きながら目線だけを裕子に移した。するととたんに顔を緩めて顔を裕子の方に向けた。そしていらっしゃいと声をかけた。
今の時代には珍しく、旧時代のヴァイナルレコードが残っている店で、クラシックのレコードが豊富な、いわゆる名曲喫茶というやつで、闇夜も名前だけは聞いたことがあった。大きなスピーカーがあり、JBLと書いてある。他にサンスイのアンプだの色々機材が山積みになっていたが闇夜にはよくわからなかった。
裕子とマスターが一言二言言葉をかわすと、裕子はこちらに来て、テーブル席へ案内してくれた。
席に着くと、エルガーの『威風堂々』が流れた。裕子がリクエストしたのだろうか? 大きなスピーカーだから音が大きいと思っていたが、会話を邪魔するほどの音量ではないことがわかった。
「さて」
と、裕子はテーブルに両肘をおいて両手のひらを組んだ。だから、それはさっきオレがやろうとしてたやつだよ! と闇夜は心の中で叫んでいた。
「失踪した五人についてだけど……」
裕子は切り出した。
「その前に、マスター! ブレンド2つお願いー!」
闇夜はまたずっこける。この女は一体どこまでマイペースなのか? と闇夜はいらいらを通り越して悟りを開きそうであった。
「余計な茶々は置いといて、失踪した五人は、五人とも純日本人だったの」
「純日本人?」
「そう」
「そいつは珍しいな。知っての通り、日本は少子高齢化及び人口減少を食い止めるために大規模移民受け入れ政策をかなり昔に行った。それをさかいに旧時代と新時代に分かれるわけだが、人口増加のため、混血を積極的に行わなければならなかった。しかし、一部の人間は、純血の日本人こそ日本の人口であるとして、これを拒否した」
闇夜はちょうど来たばかりのブレンドコーヒーに何も入れることもなくひとすすりして喉を潤した。
「そうね。でもそれが許されたのはごく一部の特権階級や神主などの神職や一部の伝統芸能及び職人だけだわ。だからこの短期間に五人もかたまっていなくなると言うのは異常なの。だから犯人は純日本人に恨みを抱いているもの、もしくはいてもらっては困る人のはずだわ」
裕子もひとしきり喋ったあとにコーヒーをひとすすりした。
「うーん、そう簡単な話ではないと思うが……」
「じゃあ他にどんな事が考えられる?」
「わからんが、もう少し様子を見なければなあ……人為的なものじゃない可能性も捨てきれないし……」
「そう……」
裕子は生返事をしてコーヒーを飲んだ。
「闇夜って純日本人?」
「いや、オレは北欧の血が入ってる。母親がノルウェー人だ。この白い髪の毛は地毛だよ。裕子はどうなんだ?」
裕子は人差し指で自分を指差した。その仕草を不覚にもちょっとかわいいと闇夜は思ってしまった。
「ひみつー!」
裕子はいたずらっぽく笑った。闇夜はまたしても失敗した。自分だけプライバシーを明かされ、相手は無傷という。でもこの笑顔を見ていると、なんだかそんなことにこだわるのが馬鹿らしくなってしまった。
二人はコーヒーを飲み終わると、『喫茶 マラリア』を出た。
「闇夜。今日は楽しかったわ。また食べ歩きしましょ」
「ああ、暇があったらな」
闇夜は、目的が変わってないか? と首を傾げたが、まあ突っ込まないでおこうと思った。
「じゃあ、あたしはこっちに用事があるからここで」
と裕子は闇夜の家とは逆方向の青梅街道の方向を指差した。
「おう、じゃあまたな」
と闇夜は裕子と別れ、ニコニコロードという東高円寺の商店街の方向に向かおうとした時、いきなり小男とぶつかった。小男といっても、闇夜の身長が大きすぎるだけで、その男は160cmはあったようだ。それくらい体格差があるのでその小男は転んでしまった。
「ごめんなさい」
その男は起き上がると、闇夜に素直に謝った。よく見ると、闇夜と同じ制服を着ている。
「大丈夫ですか?」
闇夜はその男に手を差し伸べ、心配そうに見つめた。
すると闇夜の後方で、その男を叱責する女の声がした。
「おい! 加藤! 何やってるんだ!? 早くしないと置いていくぞ?」
振り返るといかにも気が強そうな女の人がいた。あの人って確か生徒会長だったような…と闇夜は思い出していた。
「ま、待ってください! 九美会長!」
その小男は急いでその女の人のところへ向かった。
「やっぱり生徒会長の山の辺九美さんか。あの腰巾着みたいなのは副会長の加藤六輝さんか……ん? なんだこれ?」
闇夜はいつの間にか自分のブレザーに赤い、蛇が自分の尾を食べて丸くなっている印が、判の様なもので押されている事に気が付いた。
「なんだこれ? こんなマークいつついたんだ? これって確か、錬金術とかで出てくるウロボロスってやつだよな? なんでこんなものが……」
と、闇夜がニコニコロードの入り口で思案していると、晴れていた空がいきなり赤く染まり、それまで通りを行き交っていた通行人が、まるで寒天標本のように静止し、触れられなくなった。そして背後に一人動く人の気配を感じた。振り返るとそれはホッケーマスクをかぶっており、手には釘バットを持っている。そいつはゆらり、ゆらりと、釘バットを引きずりながら歩いてきた。そしてそれでいきなり闇夜を殴りつけてきた。動きは遅いが、どうやら闇夜を狙っているらしい。よく見ると自分と同じ制服をきている男だった。
今の闇夜の攻撃力はスケキヨの力を借りることができないため、左足の不具を抱えたまま戦わなくてはならないので、一般の人より少し高いだけと言った程度である。しかし、杖を使った棒術はそれなりに心得があるものの、この手の物の怪にどれくらい通用するか見当もつかなかった。
そんなことを考えている暇もなく向こうは、極悪な釘バットをブンブン振り回している。その姿はまるで滅茶苦茶で、凶暴の一言に尽きる。
しかし、それ故闇夜も避けるパターンが読みやすく、効率的にダメージを与えていけば勝てる気がしてきた。
闇夜は敵が大振りしてきたタイミングで関節部を杖で叩き、確実にダメージを与えていった。そして仕上げとばかりに、顎をかち上げ、同時にスタンスティックにもなる杖の電撃ボタンを押し込んだ。
「よし!」
するとこの釘バット男は痙攣しながらばったり倒れてしまった。しかし痙攣し終わると、すぐにショーを再開するマリオネットのように立ち上がり再び釘バットを振り回し始めた。
「クソ! これじゃ終わらんぞ!? どこかにトリガーが……スケキヨがいれば……」
釘バット男は明らかに骨が折れていたが、あやかしの力で見事な傀儡となっていた。
なす術もなくなり、徐々に釘バットの有効射程距離に入りそうになる闇夜だったが、もう少しで釘バットが闇夜の顔面にヒットするところで急に釘バット男の動きが止まった。
「なんだ?」
釘バット男は見えない力で後ろに引っ張られ後ずさりしていった。そして彼の持っている釘バットが粉々になったかと思うと、強制シャットダウンをかけられたロボットのようにその場に崩れ落ちた。
釘バット男の向こう側から現れたのは、東雲裕子だった。彼女は一枚の御札を手に持っていた。どうやら釘バット男の背中に貼り付けてあって、それがトリガーだったようだ。闇夜にしてみれば本当に子供だましだ。
「これで貸し借りなしね」
あのモードだ! どうやら脳内神経伝達物質などの量がトリガーとなって裕子の人格にスウィッチが入るようだ。
釘バット男の背中に張り付いていた御札を剥がすと、通行人が動き出し、赤い空ももとに戻った。
闇夜は操られていた生徒のために特務課別室所属の医療チームを呼んだ。
そして自分を襲うためになんの罪もない生徒を利用した者に対して大いに憤慨した。
「クソ! ひでぇ事しやがって! ところで裕子。なんで裕子は、あんな技が使えたんだ? なんであの状態で動けたんだ?」
すると裕子は冷静に答えた。
「そうね、あたしも神職の家系だからかもね。あそこの天祖神社の巫女なんだ、あたし。」
おさげで巨乳で眼鏡っ娘でおまけに巫女さんなんてどんだけ汎用性が高いんだ!?
「それよりこれってどういうこと?」
御札の裏を見ていた裕子は闇夜にそれを見せた。
すると裕子の汎用性に驚嘆していた闇夜の余裕などは全て吹き飛んでしまった。
そこには今どき珍しく、新聞の切り抜きで一文字一文字を並べてこう書いてあった。
「文部科学省中等教育局特務課別室所属
霊能エージェント 月島闇夜殿へ
この件から手を引き給え」
「あ」
結局全部バレちまったじゃねーか! と闇夜は頭を抱えた。
裕子は満面の笑みで闇夜の肩を叩いた。叩かれた方を振り向くと、裕子は人差し指を立てていて、それが闇夜の頬に突き刺さった。
「詳しく、聞かせてくれるよね?」
闇夜、この日0勝2敗。
カマかけられてあっさり白状して一敗、しょっぱい勝負して助けられて素性がバレて一敗(これは実質二敗)。
闇夜はがっくしと肩を落とした。『最後の手段』があるとはいえここまでいろいろバレてしまうのは闇夜にとって情けなさ過ぎた。
裕子は、御札に書いてある文言を闇夜にじっくりと見せたあと、その御札をピラピラと振って、闇夜に見せた。
なぜ裕子はあそこまで屈託のない笑顔を見せることができるのか、闇夜にはわからなかった。
闇夜は裕子を家に招待し、スケキヨにも会わせることにした。
もはや『最後の手段』は不可避なようだ。
実のところ、お気付きの通り、闇夜は、目玉カマドウマの調伏以来寝ていなかったので、いい加減寝かせてほしかったのである。
先程の死闘が嘘のように、東高円寺駅の南側から大久保通り方面に続くニコニコロードという商店街は買い物客と売り手が交錯し活気にあふれていた。
ここはニコニコロードの商店街だけでなく、かつては共栄市場という、一階は商店街、二階は居住地という、今で言うアーケードがあり、非常に大きな賑わいを見せていたが、それもマンションとなり、ニコニコロード商店街だけが残った。
それでもなお大手スーパー、個人商店入り乱れてしのぎを削る商戦は、お互い買い物客を奪い合う程度には活気がある。
そんな活気の中、ずーん、とどす黒いオーラを纏った鬱な少年と、ルンルン気分の女子高生が、人波をよけながら、大久保通りの方向へと南下していた。
大久保通りまで出てくると、先程の活気が嘘のように閑散としている。
先程、裕子が言っていた、『ばりこて』というラーメン屋がすぐそこにあってお昼時や深夜のピーク時には行列ができるときもあるが、それ以外の時間帯はひっそりとしているものである。
その大久保通りを越えて、稲荷神社の隣のタワーマンションが闇夜たちの仮住まいである。
「はあー、いいところ住んでるんだねえ、闇夜」
「オレもまだ全部の部屋をチェックしてるわけじゃないんだがね」
駐輪場を見ると、例の闇夜の愛車であるごついチョッパーバイクがあった。
闇夜は自分のバイクを眺めながら何気なく言った。
「なんで……」
「え?」
「なんで気づいたんだ? あれがオレだって」
今朝のバンダナ族との一悶着で、闇夜と裕子が初対面を済ませてたことを闇夜は言いたかったようだ。
「うーん、目を見て、かな? 闇夜の目ってすごく攻撃的な感じだけど、実はやさしい……そんな気がする」
闇夜は自分の目が「やさしい」なんて言われたのは初めてだったのでものすごく照れくさかった。と同時に、裕子は自分が言ったことがものすごく照れくさい言葉だということに気づいて、二人で顔を赤らめたのだった。
「と、とりあえず、早く家に案内してよ」
「お、おう」
闇夜は体をカチコチさせながら早々にマンションのエントランスに向かい、鍵でオートロックのドアを開け、最上階の20階までエレベーターで上がる。
20階に着くとその階全部が闇夜の家だった。ペントハウスだ。
「なんなのこの格差社会」
「こんなところ借りなくていいって言ってるんだけどね」
闇夜は玄関のドアまで行くと鍵を開けドアを開け、中に入る。
「ただいまー」
と闇夜がいうか言わないかのタイミングで、ドドドドという轟音とともに小さな物体が闇夜に飛び込んできた。
「あんや――――!!!! おかえり!!!!! 」
スケキヨが飛び出込んできて、その白く細い腕で、闇夜の首にぶら下がり三回転した。
闇夜はいくらスケキヨの体重が木の葉のように軽くても、遠心力が加わりネックロックがキマってしまえば、脳へ行く血液が止まり、目眩を起こすのであった。
闇夜はスケキヨの腕を叩きギブアップのサインをした。
「あんや―、遅かったじゃん。僕がそばにいなくて寂しかったでしょ―? 僕もねー、あんやがいなくて寂しかったんだ―、だからねー……」
「スケキヨ、スケキヨ、ちょっと話があるんだ、大事な話が……」
そのタイミングで、裕子が闇夜の背中越しに手をかざし敬礼のポーズをして顔をヒョイと出した。
「ども!」
デレデレしていたスケキヨの顔が、途端に鬼瓦のような顔になり、闇夜に詰め寄った。
「ちょっと! どういうことなの!? これは? 対象以外の生徒との接触は認められているけれど、居住地への招待は厳禁なはずでしょ!?」
「だからー、それをこれから説明するってんだよ!」
裕子は空気を読まず修羅場に口を挟みつつ勝手に部屋へ上がり込んだ。
「どうも、お邪魔しまーす」
それがスケキヨにはカチンと来たらしく、両腕を広げ、裕子の行く手を阻んだ。
「ほんとに邪魔なんですけど……なんなのあんた?」
「君いくつ? 年上の人にそういう言葉遣いしたらダメってママに言われなかった?」
「カチーン」
裕子は相変わらず空気が読めておらず(というかマイペース過ぎて)、地雷ワードの連発である。そして雪のように白いスケキヨの肌は目に見えて怒りで紅潮していく。
「まあまあ、とりあえずお茶でも飲みながらゆっくり話しましょ。ね? ね? ね?」
闇夜はまるで二股がバレて修羅場になっているところを収めようとしているチャラ男のようだ。
或いは、嫁と姑の抗争が勃発してその仲裁に入る夫のようでもある。ただこの場合どちらが嫁で、どちらが姑なのかがはっきりしない、ということについてはのちに明らかになっていくだろう。
闇夜は自分ではクールでナイスガイでウィットに富んだセリフを飛ばすキャラだと思っていた。しかし、今日裕子と出会って以来、自分の正体がバレたり、あちこちに引っ張り回されたりとペースが狂いまくっていて、自分のキャラが崩壊していることに嫌気が差していた。
まあ、釘バット男に襲われたときに助けてもらった、という事もあったので良かったが……いやいやいや、あれこそ正体がバレた決定的な黒星じゃないか! と闇夜は首を横にブンブン振りながら思い直した。
とりあえずスケキヨと裕子を同じテーブルに座らせて落ち着けることが先決だと闇夜は思った。
「さ、スケキヨ、いつものチャイを淹れてくれ。話はそれからにしよう。な? はは…ははははは……」
闇夜はカラ笑いをしながらスケキヨの背中を押してキッチンの方に誘導した。
「さ、客人はこちらへ」
と、闇夜はリビングルームへ裕子をエスコートした。
さすがというか、外から見た通り、部屋は非常に広く、リビングリームも何畳あるかわからないほどだ。
家具や50インチテレビなどの家電などは、闇夜達が入る前に既に業者が設置していた。
「スケキヨ、ネコイラズとか入れるなよ」
闇夜は冗談めかして言う。ところがスケキヨは正にその時ネコイラズを片手に掴んでいて、裕子に出すチャイに入れるところだったが、闇夜に図星を突かれて、チッと舌打ちして手を引っ込めていたのだった。
しばらくして、スケキヨはお盆にチャイの注がれたティーカップを三つ乗せて運んできた。闇夜と自分のところにはやさしくティーカップを置き、裕子のところにはガシャーンと乱暴に置いて、ケケケと笑いながら小走りで自分の席についた。
「まあ、なんだ、スケキヨのチャイはどこに出してもちょっとした売り物になるようなくらいのものなんだ。味をみてくれ給え」
闇夜は裕子にチャイを勧めた。裕子はチャイを口に含んでみた。途端に口に広がる甘みと茶葉の豊かな風味と香辛料の香りに驚嘆した。
「これは……なかなか……甘いけど、くどくない……それにスパイスの豊かな香り……」
「ふふ~ん、そうーでしょー」
「スケキヨ、どうやって作ってるんだ?」
スケキヨは得意顔になって説明を始めた。
「これはねー、まず水にアッサム茶葉とシナモンとカルダモン、クローブ、そして生姜のすりおろしを入れて煮込むでしょう? まあ煮込む間に香りが結構飛んじゃうから茶葉はそんな上等じゃなくていいんだけど。それでから低温殺菌の牛乳を入れて沸騰しないように弱火で煮込む。あとは茶こししながらコップに注ぐだけ。白砂糖じゃなくて、はちみつを使うのがポイントだね。白砂糖を使うとどうしてもエグみが出ちゃうから」
「なるほど、はちみつかあ……帰ったらやってみよ」
裕子の何気ないその一言にスケキヨが噛み付いた。
「ちょ、ちょっと、それ僕のオリジナルレシピなんだから勝手に真似しないでよ」
「まあ、まあスケキヨちゃん、いいじゃんいいじゃん、それくらい」
「よくないよ! ちょっとあんやからもなんか言ってよ!」
闇夜はまた先程の板挟みモードに移行しそうなのでとっとと話をすすめることにした
「と、とりあえずさ、さっきの話に戻ろう。裕子がなんでここにきたかって話に」
スケキヨはぶーぶー文句をたれていたがそれは彼女も知りたいところだったので、闇夜の話を飲むことにした。
闇夜はその日どういうことがあってのペースにのせられてしまったかを説明した。そしてその話を進めていくにつれてスケキヨの不機嫌指数がどんどん上がっていくのだった。
「ちょっとおー。それって全部、あんやがヘマこいただけじゃないのー!」
「落ち着けスケキヨ!」
闇夜はスケキヨを小脇に抱え込んで裕子に聞こえないくらいの小声で語りかけた。
「とりあえず、裕子にはこの学校の交友関係について教えてもらって、最終的に、『最後の手段』を使えばなんとかなるだろ?」
「え? あれ使うの?? なんだか嫌な予感しかしないなあ……」
「オレだって使いたくないよ! でも事の成り行き上そうなっちまったんだから……」
闇夜とスケキヨのやり取りを不審な目で見ていた裕子は耐えきれず言葉を発した。
「あのー、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「さっきから闇夜の回りにいるおもしろ物体はなんなの?」
「おも……カチーン!」
一応説明しておくと、スケキヨは、カチンときたときに「カチーン」という癖がある。
闇夜はブチ切れ寸前の「おもしろ物体」をむりやり押さえ込んで答えた。
「ああ、こいつは識神の青沼スケキヨだ」
「識神?」
「オレを色々助けてくれる霊的存在だ。と言っても実体をともなっているし、ほぼ人間に近いかたちにしてある。オレが修行中に立ち寄った村の大きな旧家で、戦争前……つまり旧時代から地縛霊になっていたのを解放してやって、そのかわり識神になってもらったんだ」
このように、旧時代から存在する、という意味で「どちらが嫁か姑かはっきりしない」のである。つまり、見た目は12,3歳くらいの少女だが、実際の年齢はかなりのものであるということだ。もっとも、性格は見た目通りだが。
「なつかしいなあ……あの頃のあんやはこんなに小さくて、『大きくなったらスケキヨと結婚するんだ』なんて言ったりして……かわいかったなあ……ケケケ」
その話は闇夜にとっては地雷らしく、彼には珍しく冷静さを欠き耳を真っ赤にして怒った。
「その話はするなっていっただろ!」
ところが裕子はよく状況が飲めていないようであった。
「スケキヨ……闇夜……結婚……男……同士……結婚……BL?」
その裕子の言葉におもしろ物体は今日最大の怒りをぶつけた。
「BL……だ……と……?」
「え? だって、スケキヨって男じゃないの?」
「僕は、女だーーー――!!!!!」
スケキヨはどこからかハンドマイクを持ってきて、裕子の右耳に直接声を流し込んだ。ハンドマイクはハウリングを起こしていたが、そんなもの耳に向けられた裕子はたまったもんではない。裕子は二度と性別の間違いは犯すまいと心に誓ったのである。
とりあえずその場をおさめようと、闇夜が口を出した。
「それにしても、裕子はさっきの件といい、不思議な力を持っているようだが、改めてどういうことか教えてくれないか?」
裕子はそこでわざとらしくオホンと咳払いをして、自分の出自について語りだした。
「あたしは純日本人で、さっきも言った通り、すぐそこの天祖神社が実家で、巫女もやっているの。神社は基本的に純日本人の領分と決まっているからね。まあ、兄がいてそれが神主になって神社を継ぐことになっているから、あたしは純日本人の血を伝える必要はないんだけど、昔からたまに私達のような純日本人には不思議な力を持っている者がいたりするの。さっきみたいに普通の人が動けない状態のときでも動けて空間認識ができたり、特殊な武術・呪術が使えたり等々。因みにさっき見せた通りあたしもそういう能力があって、いろんな神々を召喚したり、自然を操ったりすることができるの。私のおばあちゃんもそういうことができて、そういう能力は封印するより伸ばしたほうがいい、ということで、いろいろ教えてもらってるの。もっとも、この能力は昨今の研究では人種との因果関係は否定されてきつつあるし、S.L.M.……シュライン・リベレーション・ムーブメント、つまり神社解放運動といって、神社を純日本人だけでなく混血の人や他の人種にも開放しようという運動が昨今あって、神社が純日本人の血統によって継がれなきゃいけないという考え方のほうが古くなりつつあるんだけどね。特殊能力については、人種より、国土に関係しているのでは? という説が最近出ているの」
「なるほど。でもなんでこの前、バンダナ族に絡まれた時、そういう術で切り抜けなかったんだよ?」
「おばあちゃんから、そういう術は、あやかし相手以外に使うことを禁じられているの。そういう使い方をして破滅してきた人たちの昔話がたくさん残ってるって」
そこで、先程最悪だった機嫌を直したスケキヨが話に割って入った。
「そう言えばあんやって不思議とそういうことしないよね?」
「そういうことってなんだ?」
闇夜は話を整理するためにスケキヨに聞いた。
「いや、だーかーら、あんやもね、自分の持ってる力を、私利私欲のために使ったり、化物以外に使ったりしないな、と思ってね。まあ護身用のスタンスティックは普通にムカつくやつをシバくために使ってるけど」
「よけいなことを言うんじゃない。オレのキャラ設定がますます崩壊するだろうが」
闇夜はスケキヨを小突いた。
裕子は微笑み、少し間を置いてチャイを飲み、改まって聞いた。
「さて、次は闇夜の番よ。さっきの御札の件、聞かせてもらいましょうかしら?」
闇夜とスケキヨは顔を見合わせ、覚悟を決めたように頷いた。
「裕子、人間とそれ以外の動物の違いってわかるか? それは『念』というものをもっているかいないかだ。『念』という、高次の意識活動及び欲求と言うものはものすごいエネルギーを生み出す。そして、それは人間だけのもので、死後も残ってしまうものなんだ」
裕子は相槌を打った。
「それは何となく分かるわ」
スケキヨはチャイをひとすすりして話し始めた。
「昔の人はそういうものが莫大なエネルギーを生み出すってことをわかっていたの。それが熟成されたものが『呪い』なの。でも『呪い』自体は使用済み核燃料のようにいつまでも呪いの瘴気を放射線のように放出し、処理に困るものだったの。だからそれを『要石』と言うものに封じて地中深くに埋めた。ところが、現在の政府はそういうものが地中深くに埋まっているということを知らず、地下を開発しようとしてパンドラの箱を開けてしまった。そして地上に『呪い』が開放されてしまったの」
「その結果、こんな水素自動車が走るような時代に、『呪い』の瘴気に土壌が汚染され、人々の心も汚染され、他人を呪う人まで出てくる始末さ」
そこで闇夜はチャイを一口飲んだ。
「特に『呪い』の影響を受けやすいのが、敏感な感情を持っている高校生だったんだ。だから、様々な高校で起こった『呪い』が原因と思しき事件の調査解決を行うのがオレらのような文部科学省中等教育局特務課別室所属のエージェントなんだ。エージェントは現場となる学校に転校生として送り込まれる。そして解決と同時に他の学校に転校していくってわけだ」
「なるほどね。『霊能エージェント』ということは、闇夜も何か能力があるの?」
「まーな、オレの場合、左足がこんな状態だから、スケキヨの力を借りないと上手く力を引き出せないが、小さい頃から陰陽道、密教から近代魔術まで一通りはやったかな?」
「あんやは努力家だったからね―」
「だから余計なことは言わなくていーんだよ」
闇夜はまたもやスケキヨを拳で軽く小突いた。スケキヨは両手で頭を押さえて舌を出しておどけて見せて、全く反省してない様子だった。
「『霊能エージェント』という言い方をしているけど、他のタイプのエージェントもいるの?」
裕子は聞いた。
「オレのやってることは古いスタイルだが、中にはサイキックとかもいたりするらしいが、実のところよくわからん。なにせオレたちエージェントは横のつながりが殆ど無いからな。何れにせよ、人間が不思議な力を引き出すには色々なやり方はあるが、ゴールは一緒なんだ」
「なるほどね。それで、そのなんとか、ってとこから転校生として闇夜が派遣されたのは、5人の失踪事件が『呪い』に関連していると、上の人が考えているからなのね」
「厄介なことに、敵さん、と言っていいのかわからんが、この事件の首謀者と思しき人物は、既にオレが特務課別室から派遣されてきたということに気づいているということだ」
闇夜はスケキヨから二杯目のチャイを注いでもらい、それに口をつけた。
裕子は目をつむり、腕を組み考え事をしばらくしてから目を開けた。
「闇夜、あたし、ちょっとこの件に関しては心あたりがあるわ。でもいまいち詳しいことがわからない。だから、お父さんにちょっと聞いてみる。もちろん闇夜のことや、特務課別室のことは伏せる。明日には詳しいことが話せると思う。じゃあまた明日ね! チャイ、美味しかったわ、おチビちゃん!」
裕子は話しながら身支度を整え、闇夜の家を出て行った。
「チビって! ……かわいくないわね―。あんや、なんであんな……あん?」
闇夜はチャイのカップを持ったまま眠っていた。