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空翔る

 荒野をゆくトラックの中で、方丈華絵は奇妙な感覚の中にいた。

 窓の外に視線を向ければ、だだっ広い荒野に黒く巨大すぎる壁が広がっている。

 変わらない、いつもどおりの見慣れた景色だ。

 車の中の独特な匂いも、開けた窓から吹きこむ砂混じりの風も、がたんがたんと揺れる微妙な乗り心地も何も変わらない。

 それでも何もかもが新鮮で初めてな気がする。

 何度も経験しているはずなのに、そんな奇妙な感覚が方丈を離さなかった。


 それはきっと――異邦の少女、イデアがいるから。


 視線を少し離れた隣に向け、方丈は彼女の姿を盗み見る。

 この車に乗っているクラスメイトや大人の探索者たちと同じ、片手の指では足りないこれが夢ではないという確認の作業。

 荷台の両脇に設置されたベンチに座り、窓の外をじっと見ている未知の”人”……やはり、何度見ようと信じられない思いがあった。

 運転手も同じ思いなのか、バックミラー越しに彼女の姿を何度も見ている。

 気持ちはわかるが脇見運転は危ないから止めて欲しかった。


(それにしても……)


 イデアの容姿はとても人に似ている。

 それこそ、方丈の隣に座っている石居が何の前情報もなく彼女を見たら「よくできたコスプレですな。で、何のキャラですかな?」と言っていただろうな、と思うくらいには違和感がない。

 しかし、陽の光の下、その姿をよく見れば違いがわかる。

 方丈は何かを忘れようとするかのように、彼女の観察に集中していた。


 灰色の髪は染めたような不自然さがまったくない。

 色合いも不思議で、銀に近い灰色だというのに銀細工や金属という例えは似合わないと感じてしまう。

 月とか星とか、そんな柔らかな光を思わせる色。

 金属のような艶やかさではなく、光のような柔らかな輝きがある髪とでも例えればいいのだろうか。

 何にせよ、彼女を描くときに苦労するところの一つだと、方丈は直感している。


 顔立ちは不思議なことに地球の人と変わりがないように思えた。

 一つ一つのパーツが作ったように整っているが、それはきっと個人差だろう。

 つまり、イデアは地球人感覚だと美少女といっても過言ではない。


 ただ、目だけは地球の人々と違った。

 虹彩の色がとても複雑なのだ。

 黒かと思えば深い青に見えたりと何か一つの色で例えることが難しい。

 強いて言うなら夜空のような、そんな色だ。これも描くときに大変だろう。


 白いワンピースと思っていた服も、よく見れば繊細な花のような模様がある。

 この刺繍がまた不思議で、何だか生地から浮き出ているように見えるのだ。

 方丈が思いつく例えだとレンチキュラー。見る方向で絵が変わる、お菓子の付録とかについているあのカードだ。

 ちょっと安く感じる例えだが、迷宮の中を歩いていたはずなのに汚れ一つない、この真っ白で不思議な服は地球の少女感覚だといいものに思える。

 何しろ、ただのワンピースなのに、お姫様のドレスを二年三組一同に想像させた代物なのだから。もう、こんなのどう描けばいいというのか。


 似ていると思った特徴も改めて見れば少し地球の常識とは乖離している。

 そして、何よりも少女を異邦人だと認識させるものは、側頭部から生えた二本の角だ。

 角でいいのだろうか、と方丈はしばし、あごに指をかけ考える。

 だが、名探偵みたいなポーズを気取っても何も思いつかない。方丈は思考を要することは苦手なのである。

 対戦ゲームとか考える遊びが好きな石居なら何か思いつくかもしれない。

 でも、静まり返った車の中で質問することは気が引ける。何より、方丈がそんなことを尋ねる気分ではなかった。


 暫定角はオニキスや黒水晶を思わせるほど美しい。

 ただ、祖母がつけているのとはなんか違う。

 あの黒くて丸いのが一杯ついた首飾りよりも上品だと方丈は思う。

 それが、少し透明感があるからか、この少女と祖母を比べることは何か違うと思っているかはわからないけども。


「うーん……」


 これらの微妙な違いを表現せねばならないというのに、ただ色を重ねただけでは普通の人物画になってしまう気がする。

 思わず漏れた声は静かな車中によく響いた。


「どうしたのですかな?」


「んー、イデアさんを描くのは難しいだろうなあって思って」


「あ、そっちですか。小生はてっきり……」


 石居の視線が車の後方、窓の外から見えるメイズ・バベルへと向かう。

 彼が今どんな気持ちなのか、方丈には何となくわかった。

 いくら誤魔化そうとしても、晴れることのない心配と不安。きっと石居も同じように、そんな思いやこの静けさから逃げ出したくて、

 

 あれほど響いていた通信が途絶した事実を受け入れたくないと思っている。


 いくら加賀や日下といったスポッターが呼びかけようと反応はない。

 迷宮内に設置されたカメラも壊れたらしく、何も映していない。

 作戦に参加していたものたちの安否すら不明。

 もうそんな状況になってから、数分が経過しようとしていた。


「……大丈夫。ほら、昨日もあんなに心配してたのに、月城君はひょっこり通信してきたよ。だから、今回も大丈夫だよ」


 それは多分、誰よりも自分自身に向けた言葉だった。

 そう思って、そう信じて、何か違うことを考えていなければ、胸が張り裂けそうになる。

 どうせ、みんな無事に戻ってくる。

 だから、泣いたり心配する方がもったいない。そうに決まっている。それ以外の結末なんて……嫌だ。

 じっと方丈は耳を澄ます。

 聞きたいのは荒野をゆく車の音でも、少し強い風の音でもない。

 毎日のように聞いているあの声が欲しい。アリアドネを両手で握りしめ、方丈は切れてしまった糸が再び繋がること祈っていた。


「ええ、皆しぶといですからな。でも、やっぱり……仲間外れは辛いものですな」


「うん……」


 本当にそうだね、と方丈は頷く。

 そして、気持ちとともに落ちていた視線をふと隣に向け、


 その夜空みたいな目と視線が絡んだ。


「――?」


「えっ?」


 耳を震わせる歌みたいな声。

 それが誰に向けたものなのか、方丈はしばし考えこむ。


「――――?」


――あ、私か。


 二度目の声。

 どう考えてもこちらに向いているその視線と声に、方丈の思考はショートした。


「ほ、方丈氏、方丈氏。何か言った方がいいんじゃないんですかな?」


「ま、待って。私、英語苦手なの知ってるでしょ。他の外国語なんて、もっと無理に決まってるじゃん!」


「いやいやいや、お前ら落ち着けよ」「ほら、まずは挨拶しないと」「外国語、なんか? あれ」「やっぱり第一印象が大事だと思うの」「がんば」


 そんな、方丈や石居と同じく、異邦の少女の護衛についている他のクラスメイトたちの声なんて気にする余裕はなかった。

 何故か少女が近くにきたことで方丈の混乱はさらに加速する。

 そして、近寄る少女とは反対に、石居は離れていった。

 それでも同じ班の仲間なのか。

 薄情者と向けた視線に返ってきたのは、いい笑顔とサムズアップだった。

 異邦の少女の声一つで、あれほど静かだった車内が騒がしくなっていく。

 大人たちも興味深そうに方丈と少女を見ているが助けの手は伸びてこない。

 どいつもこいつも役立たずである。


「え、えーと?」


「ツ、――、ヨウ?」


「え?」


 歌みたいな声が紡ぐのは知らない言葉のはず。

 でも、異邦の少女が話しているのは、よく知っている誰かのことな気がした。


「ツキシロ――、ヨウ――?」


 耳を澄まし、歌に混じったその名前を聞き取った。


「つ、月城、曜くんのこと?」


 咄嗟に出たのはそんな言葉。

 何となくは伝わったのだろうか。

 少女は少し考えるように視線を落としたあと、じっと方丈の目を覗きこんだ。


「イ――ア、――イデア。イデア――?」


 自分を指差し、イデアと何度も声に乗せる。

 おそらく、この少女と最初に出会ったクラスメイトがそうしたのだろう。

 これが何をしているのかは、すぐに理解できた。


「方丈華絵だよ! えと、方丈も、華絵も長いかな。えーと、ハナ、ハナだよ」


 ハナ、ハナと何度も繰り返す。

 精一杯の思いは無事に伝わったのか、イデアはふわりと笑みを浮かべた。


「ハナ、――」


 これはきっと、よろしく的な意味に違いない。

 勘違いの可能性など露ほども考えず、方丈は感動に身を震わせた。


「ハナ、ヨウ――?」


「え、んーと」


 これについては答えに困った。

 何となく、本当に何となくだが彼女が何を聞いているのかはわかる気がする。

 だが、答えることが難しい。


 だって、これはきっと、「曜はどこにいるの?」とか、そんな感じの問いだろうから。


 どうしようか、と方丈は悩む。

 しかし、助け船は思わぬところからきた。


『――あっっっつ! うわ、焼け野原、ってあーもう、うっとおしい!』


 アリアドネを震わす少年の声だけではない。

 獣の唸り声、何かが燃えるような音。数分前までこの車内に響いていた戦闘音が唐突に戻ってくる。


『月城くん、無事だったか! どの画面も真っ暗になっていたけど、大丈夫だったかい!?』


『大丈夫じゃない! 皆を神器で囲んでるけど、こいつを離さないと解放もできない! この焼け野原、というか燃え野原を何とかできない?』


『こっちでは無理だ! 炎を囲んで消すことは?』


『まあ、それしかないか、っと!』


 天災級のイヴィルとの戦闘は続いているようだ。

 それも切羽詰まった同級生の声を聞く限り、状況は悪化している。


「ハナ、ヨウ――?」


 顔を曇らせる方丈に、イデアが話しかける。

 声はさっきと似た響き。だが、今度の声には動作が伴っていた。

 イデアはそのほっそりとした白い指で、窓の外にそびえる空を塞ぐような黒い壁を指差していた。

 直感的に方丈は頷き――


 そして、イデアの少し怒ったような表情に、護衛としての失敗を悟った。


 そこに月城曜は残っている。

 まだ彼はその場所で戦っていて、危機に陥っている。


 それをこの異邦の少女は理解してしまった。

 きょろきょろと辺りを見回していたイデアの視線が開いた窓に止まる。

 立ち上がった彼女は方丈を通り越し、石居のそばにある開いた窓に近づいたかと思うと――


「ちょ、ちょっと待ったあ!」「や、やばい、止めろ!」「方丈、足つかめ、足っ!」「俺たちが掴んだらセクハラになるっ!」


 窓から身を乗り出した少女に皆が慌て始める。

 しかし、止めようと踏み出した足はそれを目にしたことでぴたりと止まった。


 翼。


 イデアの背にはいつの間にか黒い翼があった。

 悪魔のような、竜のような。

 でも、生物的でない、黒い光を束ねて生まれたような翼が。


「――」


 呆然とする方丈たちに声をかけ、少女は空へと羽ばたく。

 舞い散る光の羽を残し、メイズ・バベルへと飛んでいく彼女を見送る中、通信で騒がしい車内に興奮の叫びが響く。


「やはり、竜っ娘……!? いや、悪魔っ娘という可能性も……方丈氏はどっちだと推測しますかな?」


 とりあえず、方丈はすねに蹴りを入れておくことにした。

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