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人と天災

 この戦いで初めての攻撃に、刃を躱した【焔魔狼(アモン)】の動きが止まる。

 地面に突き刺さった橙灯の刃。

 天災の獄炎とは違い、優しい火を思わせるこの色が誰のものか曜は知っている。


「はあ……」


 ため息を一つ。

 でも、口元にはこらえきれない笑みが浮かんでいた。


「アリアドネ、通信繋げて」


 集中するためにアリアドネの通信は切っていた。

 いや、それは方便だ。

 本当は、何を言われるかわかっていて聞きたくなかったから切っていた。

 通信をオンにし、曜は予想と同じ声に怒鳴られた。


『この馬鹿野郎! やっと出たな!』


「まったく、残った意味がない……何で逃げてないんだよ。イデアは?」


『ちゃんと安全な場所に送ってる。あとは馬鹿一人を回収するだけだ!』


 晴久の声だけではない。

 皆の声がアリアドネの糸を通じて曜を怒る。

 馬鹿野郎。誰もそんなことは頼んでいない。二回も見捨てられるか。ビックになるチャンスだろ。勝ち目もありそうだ――友達だし。

 一人ずつ喋ってくれないから、何を言っているか聞き取りづらい。

 それに理由の合間に聞こえるてくるのは馬鹿だの、不憫だの、相変わらず呪われているだの、何が憑いてるんだろうなだの、ストレートな悪口ばかり。

 聞こえてくる通信はこんな調子。足止めの意味もなくなってしまった。


 それでも、悪い気分にはなれなかった。


 今の曜は”朔”に包まれ、振り向くことすら難しい。

 首も百八十度は回らないから、どう頑張ったとしても曜は背後の光景を目にすることはできない。

 それで良かった。見てしまえば不覚にも涙を零していたかもしれない。

 そんなことになれば、この先ずっと皆にからかわれていただろうから。


「それで、いつの間にか二年三組は随分な数になったみたいだけど」


 二年三組は総勢二十五人、先生を入れたとしても二十六人。

 そのはずなのに、いつの間にか三桁を優に超える転入生が来たらしい。

 背後の気配は数え切れないほど多く、まるで南高の全員が来てくれたような数の人々が曜の背後にいた。


『そうだよ、今だけ二年三組は三桁越えのマンモスクラスだ! 高校生だけじゃない。有名探索者事務所から、趣味で探索している方々まで転入生だ!』


 興奮を隠せないのか藤村が叫ぶ。

 そんな馬鹿な、と信じられない思いはあるも感じる気配に嘘はない。

 黒い機械の糸を震わし声を送ってくるのはクラスメイトたちだけではなかった。

 知ってる声と知らない声の大合唱。

 何だか視界が少し歪んでくる。この状態でも手だけは動くのを曜は感謝した。

 本当に、自分はツイているな、と心底思った。


「これじゃあ、今度から青空教室になりそうだ」


『それもいいかもな、楽しそうだ!』『ほら、話している暇なんてないでしょ』『俺たちが攻撃! お前が防御だ!』『私たちはアリアドネで送った範囲からは出ない。もう逃げられないってなったら月城君の神器で囲って!』


「了解……ありがとな。攻撃は任せた」


 やることは今までと変わらない。ただ守るものが増えただけだ。

 自分も、アリアドネが映しだす無数の光点の一つも欠けさせない。

 この力で曜が貫けることはそれだけだ。


『ひどいなあ、月城君。先生からサポートしてやれって言われてたのに全然できなかったよ』


『アリアドネを切られたら僕たちは役立たずだ。ここらで名誉挽回させてくれないかい?』


 日下、加賀の声と同時に迷宮一階の地図が送られてくる。

 曜のアリアドネが展開しているものと違い、色で範囲が分けられているものだ。

 自分の周囲が赤く染まっているのを見れば、それが何か予想はできた。


「ごめん。頼りにしてる。この分けられてるのは温度?」


『うん。赤で危険、それを通り越して黒になったら、もう人は生きていられない熱だと思って。だから、赤になった時点でその辺りの人たちを月城君の神器で囲んで守ってほしいんだけど……月城君、そこ赤だけど大丈夫? その場所、もう五十度超えてるよ』


 暑い熱いと思ってはいた。でも、改めて聞きたくなかった。

 確認したことで余計に暑くなった気がする。

 果ては熱中症か脱水症状か。まだ倒れはしなさそうだが、曜も自身が置かれている環境がどれほど危険なのかは理解している。


『【焔魔狼(アモン)】の火で水分が蒸発して、周囲一帯が乾燥しているから耐えられるのだろうか。それとも、神器が月城君の体を覆っているから? 実に興味深いな。本当に月城君が友達でよかったよ。一学生が神器を調べられる機会なんてないだろうけど、友達だったら実験とかに付き合ってもらえる。うん、休み明けの来週からが楽し――』


 何だか内容がどんどん怖い方に向かっている。

 このままでは人体実験の予約までいきそうであったが、曜は加賀の話を最後まで聞くことはできなかった。

 無視するな、と言わんばかりに魔狼が動きだす。

 その狙いに変わりはない。【焔魔狼(アモン)】は未だ曜以外を敵と見ていないのか、ただ一匹の獲物に襲いかかる。

 黒壁を展開。

 苛立ちを募らせた唸り声を耳にしながら、曜は火群の疾走を遮断していく。

 炎を防ぐことに問題はない。

 だが、【焔魔狼(アモン)】の炎を遮断するということは、こちらの攻撃も遮断しているということ。

 防ぎ方を考えねば味方の攻撃を邪魔してしまうだろう。


「……こうするか」


 数秒ほど考えた後、曜は手を振るった。

 虫でも払うかのような何気ない動作だが、起きた変化は劇的であった。

 一瞬にして城壁のような黒壁が曜と【焔魔狼(アモン)】を取り囲む。

 相手が飛ぶ以上、中途半端な高さでは意味がない。どうせなら、外側から見る人が第二のメイズ・バベルと思うほどの高さに。

 そんな思考の結果が一層、暗くなったこの空間だ。


『流石、神器の力……』


 まるで黄昏時。朧げな影に沈むこの空間に差しこむ光は限られている。

 遥か上の丸く切り取られた青空と曜の背後に扉の如く開いた壁の隙間。

 そして、薄闇の中に浮かぶ災禍の灯火だけだ。


『でも月城君、これだと攻撃できないよ? 何か考えがあるの?』


「開けたままだと守るのがちょっと不安なんだ。でも、これなら【焔魔狼(アモン)】の位置がわかりやすい。それに、速度についていけなくて壁が間に合わない心配もない。攻撃の方はタイミングを教えてくれ。そうしたら、俺の後ろみたいに道を作る」


 背後に壁を作らなかった理由はアリアドネの通信ともう一つ。

 これからの作戦を説明しやすいからだ。

 すぐにスポッターの二人はこの作戦を理解し、その精度を上げていく。


『なるほど、少し待って……よし、攻撃する人物の光点が目立つように変えておいた。あとは、タイミングと位置取りか。月城君のアリアドネで【焔魔狼(アモン)】の位置はわかるけど、速度にはついていけない。待ち伏せがベストだろうね。班を編成後、この黒壁の周辺に配置するのがいいと思うけど、どうだろう?』


「あ、いいと思います」


『うーん、この作戦はいいと思うけど、閉鎖された場所だと熱がこもりやすいよね。攻撃以外に冷やすことも考えた方がいいんじゃないかな。消火か冷却ができるウィザードを持っている、この場に適している人は……晶かな。月城君、よかったら晶にウィザードを撃つようにお願いするけど、どう?』


「あ、お願いします」


『じゃあ、まずは皆のとこに……』


 すぐにマップ上の光点が動き出した。

 A、Bと班の番号が光点に振られていき、小さく加賀と日下の指示がアリアドネから聞こえてくる。

 二人の指示を聞き逃さないよう、アリアドネから聞こえる他の音は小さくなっている。

 だが、二年三組のチャンネルで指示を飛ばしているのか、耳を澄ませば曜にも他の指示を聞くことができた。


『じゃあ、お願い晶。開戦の一発だよ。詠唱付きの派手なのをお願いします!』


『え、私やるの? こんな大勢の人たちの前で?……ええ、嘘……』


 水無月晶は戸惑っているようだった。

 その理由は曜にも想像できる。

 なんというか、水無月のウィザードは個性的なのだ。世にも珍しい”詠唱”で効果が微妙に変わる丙型ウィザード。

 中学時代からウィザードを持っていたことが幸か不幸か、そんな代物を生み出してしまっていた。


『ああ、許すまじ月城君。私の尊い青春を犠牲にするんだから、あとで何をしてもらおうか……』


 とりあえず、曜は聞かなかったことにした。


『うう……【祈りを此処に。蒼穹の果て、我はその紺碧を射抜く心願の矢を放つ。閉ざせ、陽を、月を、星を。八雲をもって空を覆え】』


 長い。詠唱はまだ続く。『ちょ、長文詠唱!?』と誰かの合いの手が入ったことで、水無月の声色に照れとやけと哀しみが混じる。


『【降れよ天泣、空の落涙。幾夜の悲哀を溶かしこみ、千を重ねた蒼の雫が彼方を穿つ!】』


 響くはクラスメイトの独唱。

 何故か邪魔する音もなく、よく響くアリアドネのせいで、それはもうよく聞こえた。これが全国放送されているとしたら憐れすぎる。

 隣りのアリアドネが不安な曜には決して他人事ではない。


『【水穿涙華†終式†時雨竜胆】!』


 カッコよさげな技名とともに、曜の背後から無数の雫が重なり合いながら飛んでくる。

 現象としてはウォータージェット。

 圧縮した水を小さな穴から飛ばし物体を切断するという技術に似ている。

 ただし、水無月の水流は大蛇の如く太い。炎を吹き飛ばし、大地を削りながら暴れる水の蛇は鎌首をもたげ、【焔魔狼(アモン)】に襲いかかる。

 だが、それは魔狼に届くことなく蒸発した。

 揺らめく熱の鎧を水流の蛇が幾度叩こうと意味はなく、白い蒸気を一筋だけ残し消えていく。


『嘘、(わたくし)の秘奥義が……!』


 あまりにショックだったのか水無月が少し戻っている。

 高威力の丙型ウィザードが通用しなかった。防衛部隊の攻撃が通じなかったことから、ウィザード一つでは足りないことはわかっていたはず。

 それでも、少しの動揺が曜の胸にもあった。


「よし、炎も消えたし、涼しくなった! 次はどこがいける?」


 不安を払うように声を上げる。

 燃えていた大地はいくらか鎮火され、水が気化したことにより僅かに涼しくなった気もする。状況は少しだが好転しているといえるだろう。

 それに、水無月の攻撃はまだ終わっていない。

 足止めとしての意味はあるのか、【焔魔狼(アモン)】の足も止まっている。

 畳みかけるなら今がチャンスだ。


『攻撃可能な班はバツ印が出るようにした。月城君、壁を開けてくれ!』


『よし、次は俺たちだな! 湊行くぞ!』


『ああ、月城任せておけ! 親子パワーを見せてやる!』


「は、親子?」


 そういえば、藤村の父親は探索者事務所に所属していた。

 この親子で大丈夫だろうか、と払ったはずの不安が戻ってくるも、曜はバツ印がついた光点付近の城壁を開いた。


『『いっけえ!』』


 微妙に色が異なる二つの青の弾丸。

 その二つに続き、似たようなウィザードの力が雨あられと降り注ぐ。

 丙型が通用しなかったなら甲型の連射で熱を削る。そんな意思を感じる作戦だ。

 効果はあるのか。

 おそらく、誰もがその答えを求め、暗闇の中の【焔魔狼(アモン)】に視線を注ぐ。

 しかし、その解答は見ることもできなかった。

 魔狼が動く。

 水無月の水流を解き、無数の弾丸を躱しながら、【焔魔狼(アモン)】は藤村たちへと駆けていく。

 彼我の距離など魔狼にはたった数歩に過ぎず、気づけば城壁の外に飛び出そうとしていた。


「行かせない!」


 閉じた城壁に【焔魔狼(アモン)】が衝突する。

 邪魔をすることも考えたが、欲を張らなくてよかった。その手段では多分、壁の向こうにいる藤村たちは燃やされていただろう。

 守る対象が増えたことにより、守ることが難しくなる。

 曜一人に襲いかかっていたときよりも、【焔魔狼(アモン)】の行動が読みづらくなってしまった。後手に回ってばかりでは、黒壁の展開がいつか追いつかなくなる。


『くそ危ねえ! 即席の部隊じゃ、やっぱりダメか!』『これが天災級……下の防衛部隊と合流した方がいいかもな……』『そんな時間があるか、わかんねえだろ。とりあえず逃げる準備もしておけよ!』


 欠片の傷も与えることもなく終わった二回の攻撃。

 それを見て希望など抱けるはずもない。協力してくれている大人たちも、すでに勝てないときの準備を始めているようだった。

 それは正しい行動だ。だが、まだ二回。これで諦められるわけがない。


「次は……」


『私たちだ。将来、君をスカウトする探索者事務所〈ウィークエンド〉を覚えてもらおうか』


「へ? あ、はい。覚えておきます。是非かっこいいとこを見せてください」


 週末だけ探索者をする人が多く所属する大手事務所。

 将来の選択肢としては”あり”だろう。

 先輩になるかもしれない方々に期待を寄せ、曜は城壁の扉を開いた。

 新たな光が差しこむと同時に【焔魔狼(アモン)】が駆けだす。

 迎撃するのは多種多様な攻撃。先ほどは甲型で統一していたようだったが、今度は全種のウィザードに加え実弾まで混じっている。

 しかし、その迎撃も一瞬だった。


『くっ、もうか』『アピールタイム短すぎだろ!』『馬鹿、ちょっとだけ熱気を感じたでしょ。一秒遅ければ死んでるよ、多分』『で、あれダメージあったの?』


 僅か数秒で攻撃は終わったものの、流石は大手探索者事務所。

 いくつかの攻撃は【焔魔狼(アモン)】を捉えていたように見えた。

 洗練されたウィザードの力や銃器を扱う技術は確かなもの。【焔魔狼(アモン)】に傷を与えたかはわからないが、これを続ければ勝機はあるかもしれない。


「次、これならどうだ!」


 この薄暗い空間が一気に明るくなる。

 出入口ができれば攻撃がくる。

 すでに【焔魔狼(アモン)】はそれを理解しているだろう。ならば、その出入口を増やしてやればいい。

 無数に開いた扉。

 正解に迷ったのか【焔魔狼(アモン)】が止まった瞬間、二か所から攻撃が飛ぶ。

 いつの間に部隊を再編しているのか、その攻撃は先程と同じく意図的にウィザードの種類をばらけさせていた。


『巧い! これならフェイントになる!』


「加賀さん、次は西側の人たちだ。壁に近づくように頼んでくれ」


『わかった。すぐに伝えるよ!』


 扉を増やすということは逃がす出入口を増やすということ。

 あまり長いこと開けっ放しにしておくわけにもいかない。【焔魔狼(アモン)】が走り出す前に曜は扉を閉じていく。

 残った、いや、残した扉は曜の背後を除けば一つ。

 その選択肢に敵は飛びついた。

 面倒なこの檻から飛び出そうと魔狼はすぐに走り出す。


「出させるわけないだろ」


 遮断。もうすぐ外に出られるといった寸前で黒が魔狼を阻んだ。

 苛立ちの吠声。尾の蛇からも炎が漏れている。怒っている。すごく怒っている。

 遠かろうと暗かろうと、曜にはその怒れる気配が嫌なほど伝わっていた。

 それでも、怯むことはない。

 曜はその紅蓮の怒りへと、さらに油を注ぐ。


「次、開ける!」


 怒れる天災に幾条もの光が放たれる。

 城壁はどこも開いておらず、光が差しこむ場所はない。

 それなのに薄闇の中、【焔魔狼(アモン)】を挟んで攻撃が降り注ぐ。


『よし、いい感じだ!』


『作戦通り!』


 光が差し込まないよう、攻撃する班を”朔”で包んでから城壁の扉を開いた。

 タネはいたってシンプルなものだが奇襲としては大成功だ。

 曜の背後から冷気を纏った攻撃が飛び、城壁の扉を開くたびに、新たな光が回避を許さず魔狼に直撃する。

 全方位から押し寄せる数に押されたのか、ついに【焔魔狼(アモン)】が体勢を崩した。


『よし、いけるぞっ!』


『気張れ、大人の意地を見せろ!』

 

 攻撃する時間が長ければそれだけ勝利に近づくはず。

 反撃を遅らせようと、曜は魔狼の動きを次々と黒壁で阻害していく。

 四方から襲いかかる攻撃から逃れようとする動きも、生意気な獲物に襲いかかろうとする動きも、その強靭な四肢に力がこもった瞬間に小さな壁を作り出し、邪魔をする。

 こちらは常に命懸け。

 こんなに長く対峙していれば動きも気配も覚えるというもの。

 的確な先読みと、扉のトリックで、曜は魔狼を翻弄する。


 攻撃は皆、防御は曜。


 一人で届かないなら力を合わせて届かせる。

 足りないものは知恵で補っていく。”人”の力がここにはあった。


――勝てる……!


 曜だけではない、アリアドネから聞こえてくる声にも希望を感じる。

 ペースは確実に曜たちが握っていた。

 攻撃が当たるたびに、少しずつ勝利への階段を上っている実感がある――そんな錯覚を誰もがきっと抱いていた。

 たった一つの傷。

 それを刻んだ瞬間、魔狼から溢れ出した殺気と紅蓮にその熱は冷めた。

 眼前にいるのは”人”の力など容易く飲み込む”天災”であったと現実を思い出す。

 聞くもの全てを震わせる【焔魔狼(アモン)】の遠吠えが轟くと同時に、


 極光が曜の黒を覆いつくした。

水無月晶

C班。藤村よりも症状が重かった人。今は大和撫子だけど、たまに戻る。ウィザードの力を変化させるという、割とすごいことができる。

†を使ってみたかった。

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