ああ、無情なる日常
朝一番の目覚めというものは二度目のための踏み台でしかないと思っている。
ぼんやりとした頭で朝だと認識しても、暖かな布団からは抜け出せず、ずるずると意識は心地よく溶けていく。堕落と言われても、これだけはやめられない。
そんな二度寝の常習犯である曜も、流石にこの状況では目を閉じて、夢の世界には旅立てなかった。
「……ちょっと待とう。何で俺の部屋にいる?」
曜が目を覚まして一番最初に見たものは、幼馴染が部屋の片隅で漫画を読んでいる姿だった。
「あ、ようやく起きた。おはよう」
「…………おはよう」
「この漫画、最近また面白くなってきたよね。俺も集めようかと思ったけど、曜が持っててくれて良かったよ。いやー持つべきものは友達だなあ」
たしかに、その漫画が面白いことに異論はない。小学生の頃から集めている人気漫画だ。最近は展開が遅いだの、休載が多いだのと批判も多いが、曜は歴史に残る名作だと思っている。これに対する異論は認めない。やはり、ファンとしては……
「そうじゃなくて、なんで朝っぱらから人の家にいるんだよ? それが許されるのは可愛い幼馴染の女の子くらいだろ」
「……さりげなく好みを暴露してるあたり、まだ寝ぼけてるね。忘れちゃった? 俺たちには異性の幼馴染はもういない。悲しいけどこれが現実なんだ」
本当に悲しそうに「くっ……」と腐れ縁、旭晴久がうつむく。
それをやりたいのはこちらである。中学までは幼稚園から一緒なんて男女問わず珍しくなかった。
それなのに、今では不法侵入するような幼馴染しかいないと思うと、あまりの悲しさに二度寝ではなく、不貞寝を敢行したくなってくる。
「口を閉じろ。俺はまだ夢を見ていたい」
「もう夢から覚める時間じゃない?」
残念ながら、学校があるから二度寝も不貞寝もできないけども。
布団を蹴るようにしてどかし、曜がベッドから起き上がると、今度はノックもされずに扉が開いた。
「旭さん、兄は起きました?」
「起きたよー。もう少し寝過ごしていたら、遅刻になるから置いていってたけど」
「それは残念です。では、私は学校に行くので戸締りをお願いします」
「りょーかい。いってらっしゃい」
おかしい。
いや、プライバシーについても言いたいことは山ほどあるが、ここは『月城家』であって『旭家』じゃない。ここは『月城曜』の部屋であって、決して『旭晴久』の部屋ではないはずなのだ。なのに何で、月城曜よりも旭晴久の方が家に馴染んでいるというのか。
「何で、自分の家なのに疎外感を味合わなくてはいけないんだろう……」
「何言ってんの? というか曜、早くしないと本当に遅刻するよ。あと五分しても準備できてなかったら置いていくから」
「いや、まだ目覚ましも鳴ってない……」
これまたおかしい。
昨日、七時にセットしたはずなのに、時計の針は無情にも八時を過ぎている……アッレレーオカシイナー……。
「あ、目覚ましはうるさかったから消しといたよ」
「お前、とりあえず帰れよ」
朝の占いコーナーを見ながら身支度を整え、外に出る。ここまで、およそ十分。朝食さえ抜けば、準備なんてすぐである。
家を出て向かうは北。曜たちの前には青空を閉ざす、黒く巨大な壁にしかみえない建造物――『メイズ・バベル』がそびえている。
「はあ……ほんっとあんなのどっから飛んできたんだろうな」
曜にとっては生まれたときから変わらない光景。それでも、自転車を漕ぎながら嫌でも視界に入るそれを見ていると、そんな疑問が口をつく。
「さあ」
隣で同じように自転車を漕ぐ晴久はそう言って肩をすくめる。
べつに、曜も答えが返ってくると思っていない。なにせ、それは半世紀が過ぎた今もまるでわかっていない謎なのだから。
約五十年前。
巨大な、それこそ、旧首都である東京の三分の一ほども大きいメイズ・バベルは日本では昔でいう関東地方の東京、千葉、埼玉、茨城の間を貫くように出現した。
そう、出現した。
宇宙から落ちてきたとか、地面から生えてきたとかではない。
光の柱のようなものが突如現れ、それが徐々に大きくなっていき――メイズ・バベルと後に名付けられる黒い建造物は姿を現したのだ。
「でも、上からじゃなくてよかった。あんなのが空から十二本も落ちてきたら地球が壊れてたろうし」
「落ちてこなくても、アレが中身じゃ迷惑だけどな」
晴久の言うとおり、上から落ちてくるのと比べれば被害は少なかっただろう。
ただ、メイズ・バベルによる世界規模の被害はその出現が原因ではない。
メイズ・バベルの中から溢れ出した――後に『イヴィル』と名付けられる――謎の生物によるものだ。
「そうだね。イヴィルがいなければ、もうちょっと夢があったんだろうなあ。誰かからのプレゼントとか」
「未知の資源だらけだから、そう言えるっちゃ言えるかもだけど……」
この五十年。
人類はメイズ・バベルと名付けられた建造物から溢れるイヴィルを退治し、同時にメイズ・バベルの内部、通称『迷宮』を探索することに力を注いできた。
それは決して、イヴィルの被害を抑えるためだけではない。迷宮という名の未知の資源を得るためでもあった。
不思議なことに、メイズ・バベルの中には森やら山やらの自然が広がっている。
地球上では確認されたことのない未知の植物。燐光を纏う不思議な石。ファンタジーもかくやという景色がメイズ・バベルの中には存在している。
これらの未知を探索するため、世界は自然とメイズ・バベルを中心に回っていくようになっていったのだ。
(……プレゼントだとしても迷惑だな)
それは今までの全てを壊すような贈り物。
世界中がメイズ・バベルが現れたことにより、変化した。
例えば、日本では東京、千葉、埼玉、茨城が合併し『天京』と名付けられた。
メイズ・バベルの解明が国家事業となり職業には『探索者』などという、ゲームさながらの職業まで追加された。
さらに、将来的にメイズ・バベルの探索、イヴィルの討伐を担う人材を育成するため、メイズ・バベルの探索をカリキュラムに取り入れた高校を建てられた。
他にも、探索者を始めとして、イヴィルを討伐するための武器を売り出す組織。
探索に必要な道具を開発する企業。
溢れたイヴィルを退治する機関や退治屋。
採取された植物や鉱物の解析をする研究者。
有名な探索者等がテレビに出演し、探索者やメイズ・バベルを題材にしたアニメや漫画が作られる。
現代とはそういう社会だ。
「ま、神の贈り物説も夢があっていいけど、俺はどっかの組織の陰謀説派なんだけどね」
「何だよ、結局それか。でも、それ以外が夢がありすぎるしな」
「そうそう。神の贈り物説、地球の意思説、宇宙人侵略説、異世界転移説、平行世界移動説……どれも地球の技術では確認もされていない、眉唾ものの説だからね。それにメイズ・バベルが現れてから五十年。神さまも地球も宇宙人も何も言ってこないし、異世界や平行世界との交流だってない。残念ながら、一番面白くないものが正しいということになる気がするよ」
「なんとも夢のない世界なことで」
どっかの組織が未知の技術を使い、何らかの目的を果たすためにメイズ・バベルを作った。
どっか、未知、何らか……何一つとして判明していないというのに、これが一番有力というのもおかしな話だ。実は国は知っていて隠しているなんて説もあるが、こうも何もわかっていないとそれも眉唾である。
「俺としてはもっと浪漫がある説がいいけどな……んで、話は変わるが朝っぱらから人の家に来てた理由は?」
「そう、それそれ。忘れてた。探索の課題があるだろ、来週までのやつ。曜は探索の予定はどうせ何も決めてないでしょ?」
「まあ、そうだけど」
曜たちが在籍している『天京南高等学校』の探索の授業には課題がある。
指定された階層や特定の位置までの探索、貴重な資源の発見、イヴィルの退治等々。
これらの課題の結果がポイントとして成績に反映され、その最低ラインを越えなければ進級もできない。ようは迷宮の探索版テストみたいなものだ。
そういえば、今度の探索課題はなんだったか。
その話のとき、曜は探索帰りで疲れ切っていて、よく覚えていなかった。
「でさ、今度の課題は俺たちと行こうよ。久々に一緒に組んで珍しい資源見つけにいったり、大物のイヴィルを狙いに行こう!」
晴久は熱く語るが、残念ながらその話を聞いた曜の心は冷え切っていた。
「たしかにお前たちのところと組んだら、いい成績が出せそうだ。人数が増えれば大物とも戦えるし、探索範囲も広くなるから珍しい資源も発見できるかもしれないしな」
「お、じゃあOKで……」
「だが断る。お前のとこと組むと、周りの班員が怖いから」
「えっ、いや皆いい子だよ」
晴久の顔はいたって真面目だ。むしろ、「何言ってんのこいつ?」みたいな表情まで浮かべている。そんな晴久を見て、ふかーいため息を曜はついた。
ああ、そうだろう。曜が入らなければ、皆いい子なのだろう。なんていったって……邪魔なのは曜なのだから。
「お前以外は女の子なんて班は俺にはきついんだ……」
「照れ屋さん過ぎない?」
滑り落ちそうになる言葉を何とか飲みこみ、曜は再度ため息をつく。
晴久が女たらしな奴でないことも、そんな班になったのも、こいつのせいではないことを知っている。偶然女の子を助け、紆余曲折を経てそうなったのもわかっている。
だが、言いたい。お前は何かのゲームの主人公なのかな、と。
自分以外の班員が女の子で、皆が自分を好いていて、おまけに女の子たちは可愛い部類に入る……二年くらい前は、そんなの空想だと曜も思っていた。
しかし、その空想は他ならぬ幼馴染の手で壊された。
中学まで女っ気なしだったくせに、こちらとは違い随分と華麗な高校生活を送っているものである。素直に羨ましかった。
「とにかく、俺がお前の班に入ると気まずいんだ。いつも通り俺はやるよ」
入ると表面上は何もないが、空気とか雰囲気とか名状しがたい物質化した女子力のようなものが、お前は邪魔だと告げてくる。前に入ったときは、あまりの気まずさに曜はお腹が痛くなった。
「そっかー。ま、曜が嫌ならいいけどさ」
しかし、そんな事情を欠片も知らない晴久はきっとまた誘ってくるのだろう。
卒業までに「あの子たち、お前のことが好きなんだぜ」とバラしてしまいたくなる衝動にあと何度、襲われることやら。
そんな遠い未来を思っていた曜だったが、本当の敵はいつだってすぐ先の未来にいる。それを続く晴久の言葉で思い出してしまった。
「でも次の課題、必要なポイント多いよ。ソロじゃクリアきつくない?」
「………………はい?」
二年三組所属、月城曜。わけあって活動の基本はソロ。
べつに曜は戦闘力が高いわけでも、成績がいいわけでもない。クラスでいじめられてもないし、嫌われてもない……多分。
一番大きな理由は適しているから。次点はたんに余ったからという理由だろう。
そんなわけで、曜はソロや他班のアシスト要員となってしまった。ゆえに、多くのポイントが必要になる課題は寄生虫になるしかない。
それが月城曜の悲しい運命だった。
月城曜
本作主人公。おみくじを引くと、大吉だけどあんまりいいことは書いていないような運の持ち主。
旭晴久
腐れ縁にして裏切り者。最近おみくじを引くと、大吉ばっかでつまらない。