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未知への扉

 アリアドネを介して周囲の解析をしていた加賀聡から衝撃の事実が伝えられた。

 人に続いて建造物という文明の発見。

 間違いなく、日本のみならず世界を揺るがす新情報だ。


『なんだと?』


 篠原先生を含め、少なからず驚愕の声がアリアドネから伝ってきている。

 だが、加賀は相変わらずクールにカタカタとキーボードに指を走らせている。「さん」づけも納得のクールさだ。


『加賀少し待て。あとでお前に時間を回す。まずは月城の詳しい状況を聞きたい。襲われる危険性。その少女を連れて行動は可能か。お前自身は戦闘が可能か。その情報が欲しい』


「戦闘は可能です。怪我の痛みは大分引いています。襲われる危険性は時間の問題かと。なんか蛙の鳴き声がさっきより大きくなっている気がしますし。この少女との行動が可能かは……不明です」


 イデアはしきりに首を傾げながら、獅子のような女性の映像に見入っている。

 この子が一緒に行動してくれるかはまったくわからない。

 何しろ、会話どころか意思の疎通が難しいのだから。

 まあ、敵と認識はされていないだろう。一休さんよろしく、とんちのきいた答えを捻り出せば、何となくこちらの意思も分かってくれるかもしれない。

 ようは、出たとこ勝負だ。


「一緒に行動できるか試してみてもいいですか?」


『構わん、やれ。こちらはお前たちの位置を目指す。可能ならば、その場で待機。ただし、対処できない数の【ベールゼブフォ】や他のイヴィルと対峙した場合は、マニュアル通り中央に退避しろ』


「了解しました。でも、【焔魔狼(アモン)】はどうするんですか?」


『それについては考えがある。まあ、賭けみたなものだがな』


「考え?」


 なんだろうか。

 一階から五階まで降りることは、そう難しいことではない。

 ただし、それは通常での話だ。

 今は【焔魔狼(アモン)】とばったり遭遇する可能性がある。そうなれば、待ち受けるのは確実に死だ。

 助けてくれるのはありがたい。

 だけど、自分のために誰かが代わりに死ぬなんて曜は御免だ。

 運に任せてなんての強硬策なら作戦の中止を求めたかった。


『安心しろ。【焔魔狼(アモン)】については現在位置をほぼ把握している。遭遇する危険性がある場合はお前には悪いが作戦を中止する』


「安心できるような、そうじゃないような……」


『ならば、お前の仲間を信頼しろ。私は通信は聞いているが、しばらく席を外す。校長に現状を伝える必要があるからな。作戦まで今しばらく時間はあるが、何かあったら指揮は日下、お前が取れ。加賀はその少女や建造物を調べておけ』


『『了解』』


『ああ、任せるぞ』


 画面から先生の姿が消える。それと同時に伸びていた背筋が緩むのを感じた。

 別に気を緩めたわけではないのだが、先生がいるのといないのでは氷と水くらい空気の引き締まり方が違う。


『月城君、早速、そちらの解析をしたい。ちょっと頼まれてくれるかい?』


 アリアドネの映像が切り替わり、E班の一員である加賀聡の姿が映った。

 その周りには手を振る他班のスポッター達もいる。


「わかった。何をすればいい?」


『ちょっと、君の右手側にある壁に行ってほしい』


「壁……」


 加賀の指示を受け右を見れば、たしかにそこには壁があった。

 蔓や土に汚れて見えにくいが、それは金属らしいものでできた人口の壁・・・・だ。

 昨日は、暗くてまったくわからなかった。

 驚きとともに曜が壁に近づくと、ひょこひょことイデアもついてくる。


「あー、イデア? これ、何か分かる?」


『『『イデア!?』』』


 クラスメイトたちの悲鳴のような叫びが轟いた。


『おい、どういうことだってばよ月城!』


『名前があるなら、はよ言えや! 最優先事項だろっ!』


 鬼気迫る皆の声。そんなことを言われても仕方がないとしか言いようがない。

 詳しい話をしたいが、状況がそれを許してくれない。それに、優先順位としては彼女の名前はちょっと下だと曜は思う。


「ヨウ――?」


「あ、気にしないで」


『喋ったー!』


『今、曜って言ってたよね。自己紹介できるの!? はい! 私の名前は――』


 イデアが曜の名前を呼んだことでさらにアリアドネが騒がしくなる。

 画像の投影は加賀さんのアリアドネからしか来ていないが、他の皆がそれぞれのアリアドネに群がっている姿が幻視できた。

 そんな騒動を、大きな咳払いが一瞬で静めた。


『コホン!……諸君、話を遮るのは遠慮してもらおう。今は、僕の時間だ』


『『『はい、加賀さん』』』


 一年半も過ごしているとヒエラルキーのようなものが形成される。

 逆らってはいけない人間というものはどこにでもいるものなのだ。


『では、月城君。壁を……えっ?』


 加賀が何かに驚いたのか息を呑む。眼鏡の奥の目も驚愕に見開かれていた。

 何事かと振り向けば、イデアが手の平が汚れることを厭わず、一心不乱に壁の土を払っていた。

 何をしているのか。その答えはすぐに出た。


「……これ、絵だよな」


 彼女が熱心に土を払い落している先にあったものは”絵”。

 イヴィルのようなものや、黒い花が描かれた色褪せ、消えかけた壁画だった。


『そう見えるね。壁画か……ただ、掠れている部分が多すぎてよくわからないな。月城君、僕は自分の想像に自信が持てない。現場にいる君のフィーリングで答えて欲しい。その空間を見て、君はここが何を目的とした建物だと思う?』


「……ちょっと時間をくれ。考えをまとめたい」


『うん、了解だ。皆も考えて。このあと意見を聞きたい。これはこの空いた時間で何の行動をするのかにも関わるはずだ。もしかしたら、優先順位が変動する可能性もあるかもしれない』


 各班長から了解の返事を聞きながら曜は思考をまとめていく。

 蔓だらけの空間を見渡し、イデアが今、この絵を見せた理由を曜なりに考える。


「……色々ありすぎてまだ伝えてないことも多いんだけど、この子、イデアはそこの中央にある花、セフィラみたいのから出てきたんだ」


『『『『セフィラ!?』』』』


 億越えの花の名に驚きの声が上がる。

 その中にはもちろん、藤村たちの声もあった。

 しかし、これは彼らが狙っていたセフィラではなく、あくまでセフィラみたいな花だ。だって、大きすぎるし、何か出てきたし。


――だけど。


 もしかしたら、この巨大な花が本体・・なのかもしれない。

 これはただ、イデアのためだけの花。

 根と蔓を広げ、養分を集め、花の中の眠り姫に捧げる装置。状況から見て、この推測はそう外れていないように曜は感じた。

 そうなると、今まで確認されていたセフィラはその余剰分の養分で咲いたか、花が養分を・・・・・集める装置・・・・・だったのかもしれない。

 そう、ここは迷宮。

 見た目が綺麗な花だからといって、中身までが花であるとは限らない。


『た、たしかに、黒い花弁に特徴的な金の模様と、セフィラの特徴に合致しているけど……大きすぎないかい? それに花から出てきただって?』


「まあ、童話チックなことを言っているのは重々承知しているけど、本当にその花を触ったら出てきたんだよ。で、それを踏まえてここをどう思うかは……」


 あくまで、これはフィーリング。

 この少女と最初に会ったときに曜が想起したこと。


 それは――お伽噺の姫。


 まるで、魔女の呪いにかかった眠り姫のような。


「……イデアを眠らせていた。もしくは封じていた。俺はそう思った。ここ自体は神殿みたいな場所って感じがする」


『ちょっと待って。封じていた、という表現からすると月城君は彼女、イデアを悪いものだと思ってる?』


「そういうわけじゃない。こっちを害そうとかする意思はイデアからは感じない。鈴木さんのケーキを美味しそうに、にこにこしながら食べてたし。ということで、話はズレるけど、ありがとう鈴木さん。本当に助かった。あれが無かったら多分、名前は教えてもらってない」


 お礼と同時に、アリアドネから「やったー!」と歓声が聞こえてきた。

 仮に今後、地球の人々がイデアといい関係を結べることになったのなら、それは間違いなく鈴木のケーキのお陰だろう。

 少なくとも、あのケーキが無かったら曜は困り果てていた。


『なるほど。敵意があるのなら、見ず知らずの人から貰ったものに手をつけることはないか……お腹が空いていただけかもしれないけど』


 実に浪漫もへったくれもない意見である。

 彼女のケーキが美味しそうだったから、という理由にここはしておこう……あのケーキ潰れてたけど。


『そうだね。僕も”眠り”という考えが一番近いように思えるよ。皆はどう?』


 加賀の質問に周囲にいた各班スポッターが答えていく。

 そのどれもが、今の意見を肯定するものだった。


『同意』


『そう言われると、それ以外の答えが浮かんでこないわね』


『私も同じ。月城君の話を聞いたとき絵本のお姫様みたいだなあって思ったよ』


『そう。多分、この場所と彼女の状況を聞けば、そんなイメージを抱く人は少なくない。眠り姫、魔法の眠り。科学で言えば、コールドスリープ』


 その単語を聞き、改めて壁画を見て、ようやく曜は加賀の思考に追いついた。

 曜がもしかして、と考えていたさらに先。

 加賀が何を危惧し、何の優先順位が変動すると言ったのか。それを理解した。


『僕はこの話を聞いてコールドスリープというイメージが浮かんだ。入っていたのがセフィラに似ている花というのも実にそれらしい。傷を治し、若返らせるなんて生命に関わる力を持つ花なら、生命維持に使う方法だってあるかもしれないじゃないか。仮にこの推測が正しかったとし、この蔓に囲まれて保護された空間。彼女がその黒い花が描かれた壁画を見せた理由。それらを考えると、もしかして、と思うことがある』


 もしも、言葉も何も通じない人に――例えば外国人、宇宙人、異世界人とか――それでも何かを伝えなくてはいけなかったら、どんな手段を取るだろう?

 その一つは多分、古代の人間が実践していたことと同じだ。

 この壁画や象形文字、そういった極めてシンプルに、何の知識もなくとも見ただけで直感的に理解できる手段。

 では、この黒い花の絵は何を意味し、何を伝えたかったのか。

 大きな黒い花が鎮座していたこの部屋の壁に描かれていたその理由は?


『彼女は花から出てきた。部屋にはその花と似たような絵がある。そこに意味を求めるなら、その絵は花の開け方を描いた説明書、つまり、イデアさんの起こし方が描かれていたという可能性もあるんじゃないかな』


 納得したような声がアリアドネから伝わってきた。

 絵の全体を見ないとそれが正しいかはわからない。ただ、加賀が挙げた可能性は凄く説得力があった。


『そして、重要なのはすでに花から出てきた彼女が花の絵を指差したということ。つまり、彼女はまだ花を開いて欲しかった。まだ人がいることを伝えたかった』


 興奮したような声が湧き、今は校長のところにいるはずの篠原先生すら聞き流せなかったのか、確証を求める声が返ってきていた。


『人がいる可能性は正直わかりません。だけど、この空間以外にも何かがある確証ならあります』


 はっとした。ここは建造物。もしも、それが正しいのなら。

 きょとんとするイデアを置いて、曜は周囲を見回す。そして、


――あった。


『その部屋には扉がある。この空間には先があるんです』


 目を凝らして探さなければ、きっと見つけられなかった。

 近づくほどにそれは確信に変わっていく。

 文化が異なり形が違くともそれだとわかる。蔓に紛れ、土に汚れ、薄っすらとしか見えないが、そこには扉があった。


 何処に繋がっているかもわからない扉が。


『さて、どうする? 行くか、行かないか』


 それはどちらをとっても正しい選択だ。


 今の曜ではイデアを守って地上を目指すことすら難しい。

 もっと大勢で、入念な準備をしてから救助する方がいいに決まっている。

 だから、”行かない”という選択は、どこまでも合理的で正しい。


 だが、仮にイデアと同じような状況の人がいた場合、その人たちを見捨てることになるかもしれない。

 そうなったのは曜が原因だ。曜がこの場所に来てしまったがために、イヴィルがこの空間に侵入する可能性が出てしまった。

 花の中の人たちが、イヴィルに抵抗できるとは考えにくい。”行く”という選択肢は人道的で、これからのイデアとの関係を考えても、人として取るべき選択肢かもしれない。


 どちらも正しい。

 そんな加賀さんの説明を聞いた上で、それでも各班の意見は同じだった。


『俺は反対だ!』


『少なくとも、月城一人に行かせるのは反対』


『危険な目に合わせるのは、絶対反対だ』


『状況から見ても、反対。曜君だけに行かせるのは、まずいんじゃないかな』


『人命救助が正しくても、万全じゃない曜を危険かもしれない場所に行かせるのは間違ってる。反対』


 クラスメイトが自分を心配してくれている。

 これだけ聞くなら、なんとも心が温かくなる話だった。そう、ここまでなら。


『曜に行かせたら、絶対やばいのが出てくるって。これ以上、状況を悪くしてどうすんの』


『『『『『その通り!』』』』』


 腐れ縁であるA班の班長に皆が同意した。

 でも、その意見はちょっと待ってほしい。


「俺はそこまで運悪くない。これは偶々、今週の水瓶座の運勢が悪かっただけだ」


『は? 寝言は寝て言えよ』


『これから月城の救助に行くってだけで、おっそろしいってのに、さらに状況が悪くなるとか何の罰ゲームなんだ……』


『月城君、絶対じっとしてて。動いちゃダメ。余計な事したら怒るよ』


 孤立無援、四面楚歌。誰も曜の味方をしてくれない。

 運なんて曖昧なものを信じていなさそうな、加賀ですら実に納得したように頷いていた。


『決定だ。月城君はそこで待機。扉の先には行きませんが、いいですか先生?』


『それでいい。ただ、場所の座標、周囲の映像は確実に撮っておけ。こちらも校長の許可を取った。今から戻る』


『わかりました。アリアドネで位置情報、映像を撮ってと……さて、月城君。皆が来るまで、彼女と意思疎通ができるかいくつかデータを取っておこう』


「ん、了解」


 行かない。その選択肢を曜たちは取った。


 しかし、それはきっと、運が許してくれなかった。


 パキリ、と枝が折れた音が上から聞こえてきた。

 何の音か、見上げようとするまでもなく、そいつは曜とイデアの眼前に潰れるような音を轟かせ、現れた。


『【ベールゼブフォ】一体! メスの方だよ! アリアドネの探知領域外から、ジャンプしてきたみたい。月城君、そこから逃げて! 次々とイヴィルの反応がそっちに向かって来てる!』


 昨日、散々見た気持ちが悪い蛙。それもグロテスクなメスの方。

 待ち伏せするのが習性のはずなのにわざわざやってきた蛙の悪魔は、背中から卵を撒き散らし、こちらに大きな口を向け――そんなタイミングで、ぼそりと呟いた誰かの通信が耳に入った。


『やっぱり、運悪い……』


――おい、今の誰だ。異議を申し立てる!

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