一鬼 その三
そこかしこで火の手が上がり、人と人ならざる者の骸で埋め尽くされた平原に、激しい剣戟だけが響き渡る。
戦場に立つ影はたったの二つ。
小山を思わせる巨躯と、その手に持った巨大な鋼の昆を武器に、息つく暇もないほど激しく攻め立てる一匹の鬼。
それに対するのは、鬼に比べればあまりにも脆弱な体を持つ人間。
甲冑は激しい攻防の最中に砕けてもはや用を成さず、岩をも砕く鬼の強撃を紙一重でかわし続ける。
その人間の手に閃くのは、見事な一振りの太刀。
人間は猛攻をかいくぐり鋼の如き鬼の体を切りつけた。
いかなる名刀を以てしても傷つけることすら敵わない肌に、人間の持つその太刀は深く切り込んだ。
噴き出す血を気にも留めずに鬼は人間に迫る。
一進一退の攻防は、既に一昼夜続いていた。
果敢にも鬼に挑む人間の名前は、桧神 出雲。
この国を妖から守護するために組織された「陰陽庁」の、その頂点たる退魔師の頭領であり、この戦の総大将であった。
それを追い詰めるのは、この国にはびこる妖にまで恐れられる鬼の集団「百鬼衆」の頭目、九角丸。
「どうした出雲! 動きが鈍ってきたようだなぁ!」
九角丸はなおも出雲に襲い掛かる。
その体には無数の、決して浅くはない傷が刻まれいる。
そこから吹き出すどす黒い血が、足下の土と散らばる骸に吸われていった。
「貴様こそ! その傷は決して塞がらん、退くなら今ぞ! もっとも逃がしはせんがな!」
出雲も満身創痍だった。
息をするたび肺が焼けるように苦しみ、折れた肋骨が臓腑を痛め、左手は折れて使い物にならない。
右目のあたりから右耳にかけてはひどい火傷を負ってもはや用をなしていなかった。
柄を握る右手の力も限界で、落とさぬようにさらしできつく巻きつけている有り様だ。
それでも、萎えそうになる膝を叱咤し、今にも消えそうな命の灯火を燃やして、出雲は地を蹴る。
これ以上長引けば先に力尽きてしまうのは目に見えて明らかだった。
この九角丸と渡り合えるのはこの国には出雲以外にいなかった。
もし敗れればこの鬼を止める手段が尽きてしまうのである。
百いる鬼のうち、九十九を倒しても、九角丸はそれを上回る力を持つ。
この戦で退魔師の大多数を失ったこの国は、成す術もなく支配され、民は地獄を見ることとなるだろう。
(させぬ、それだけは断じて!)
力強く踏み出し、柄をしっかりと握り直す。地を滑るように駆けて、九角丸に迫る。
「来い、出雲!! わしとお前との勝負に、決着をつけようではないか!」
九角丸は力を漲らせ、昆を構えた。
瀕死の深手を負いながらも、放たれる殺気は全く衰えていない。
互いの視線が交わり、一歩ごとに終局が近づく。
「これは私と貴様、二人だけの勝負ではない! 私はいま、この国を背負っている!」
間近に迫る出雲めがけて、鬼は昆を恐ろしい勢いで振り下ろす。
出雲はそれに、真正面から飛び込んだ。
大きな音を立てて地面が砕け、飛び散る土砂とともに土煙が巻き上がる。
九角丸は、にい、と口の端を吊り上げた。
「勝負あり、か……」
九角丸の呟きと同時に、土煙の中から出雲が弾けるように飛び出した。
その左腕は、肩から下が無残にもちぎれていた。
九角丸渾身の一撃をかわしきっていては、相手に防ぐ隙を与えてしまう。
出雲は避けきらずに、もはや使い物にならない左腕を捨てた。
その僅かな差が、永きに渡る人と鬼との戦いに決着をつけた。
出雲は、右手に刀を持ち、左肩に乗せるように構えたまま、九角丸の喉元へ飛び込んだ。
その顔には猛々しさはなく、まるで惜しむような表情が浮かんでいた。
それを見返す九角丸の表情は、どこか満足げで、見様によれば微笑んでいるようにも見えた。
薙いだ太刀は、丸太のように太い首をあっさりと落とした。
出雲は九角丸の肩に一度乗り上げる。そして首を失ってゆっくりと崩れる体から飛び降りた。
しかし着地に足が耐えられず、そのまま地面に倒れこんだ。
「……っ! うぐっ! げほっ!」
小山のような体が崩れ、地面を揺らす。首は少し離れたところまで転がっていった。
出雲は太刀を杖の代わりにして、なんとか起き上がる。
恐る恐る左腕を見てみると、その断面は無残にも潰れていた。
しかしそれが幸いして、血が流れ出ることがないのが救いだった。
腕から目を逸らす。気を取り直して、天を仰いだ生首まで這うようにして進む。
左腕はひどく痛む気がするが、他はもはや痛みを通り越して、痺れと寒気だけが感覚としてある。
全てを使い果たし、あとは呼吸が止まるのを待つだけの体で、それでも必死に這いずる。
「負けたなぁ……」
首だけの九角丸が、目玉だけを動かして出雲を見た。
「……驚いた、まだ息があるのか」
出雲は首の横であぐらをかく。
百妖も塵と化す霊刀でさえ仕留めきれなかったことに、出雲は驚きを通り越して、呆れながらも感嘆した。
「しかし、奇妙だ。負けたのに、それほど悔しくはない」
「ほう?」
「むしろ満ち足りている。お前のような強者がいて良かった……」
「私は貴様などいなければ良かったと思っているが」
九角丸はひとしきり笑った。
「まあ、そう言うな。わしは嬉しいのだ、敗北を味わうことができて。今までに味わったどの勝利よりも心地が良い」
「わからんな、鬼の考えることは」
出雲は胸に息苦しさを覚えて、九角丸と同じ様に天を仰いだ。
空は黒く、重い雲が覆って、昼間だというのに薄暗い。
今にも雨が降り出しそうな様子だった。
最後の剣戟が止んだ今、戦場だったそこは静寂に包まれている。
「わしらは、強さこそ全て。弱者になど価値が無い。闘争に生を見出し、闘争の果てに朽ちることしか望まない。この戦には、わしら百鬼衆の全てで挑み、敗れた。完敗だ、しかしそれは本望なのだ」
「それは、なんとも虚しい生だな」
「虚しい?」
「ああ、虚しいな。そして、貴様らの言う強さとやらも」
「その言葉の意味、わかりかねるな」
「……わからぬだろうよ、強さを闘争の中に見出そうとする貴様ら、鬼には」
出雲は大きく息を吸い込み、そして咳き込む。
口元にやった右手には赤いものが見えた。
しばらく浅い呼吸を繰り返して落ち着く。
「強さとは、己の内にあらず」
出雲は、ちらりと九角丸のほうへ視線を向ける。
「お師匠さまの受け売りだがな。この戦で、私にも、その意味がわかったような気がする」
「己の……内にあらず……」
九角丸は呟き、そして考え込むように黙った。
「よせよせ、考えたところでどうせわからん。これは人の道理、鬼の貴様には到底通用するまいよ」
「そうかもな……いや、そうなのだろうな」
「……惜しんでいるのか?鬼であることを」
「惜しんではいない。わしは鬼に生まれたことを誇りに思う、だが――」
「だが?」
出雲は、九角丸の言葉の続きを待った。
「だが、人であったならば、お前とは違う形で逢うことが出来たかもしれんな。こうして穏やかに、ただ語り合うことが出来たかもしれん、とな。……そんな事を考えていた」
それを聞いた出雲は盛大に吹き出した。




