第6話 外は雨が降っていた
「・・・というわけで、ハルナ。一緒に来てくれるかい?」
萩原君は隣のクラスで学級委員長を務めている尾花君から、入学直後から学校に来ていない、秋山桔梗さんという女の子について相談を持ち掛けられたのです。
とりあえず、彼女に会ってみよう・・・となったまでは良かったのですが、二人の男の子だけで女の子の家に行くのは如何なものか・・・となったようで、それなら、私と一緒に・・・となったのが、お昼休みの事です。
その時、雷が鳴っていた事が唯一の懸案事項だったのですが・・・授業が終わる頃には雷雲は去り、雨は弱くなっていました。
彼女が住んでいるマンションの敷地内に入ると、先ず、チョコレートの風味を感じ・・・そして、萩原君と尾花君の気配が消え・・・更に、奴が現れました。
「謎の白いオタマジャクシ・ナズナ投手、中二日での登板です!」
父が野球好きなので、それが野球用語である事は解りましたが・・・自らを「謎」と自称するのは如何なものでしょうか。
まぁ、その「謎」も・・・三日前にナズナが何かを隠そうとしていた件を契機に、解明の兆しが見えてきたところですが・・・今は、そんな事はどうでも良いのです。
「二人は無事なのですか?」
この時、彼らが居なくなったのは、ショッピングモールやスイミングスクールでの事件と同様に、ナズナによる人払いの効果だろうと高を括っていたのです・・・ですから、
「無事では無いね。」
思いがけない返答に、私は狼狽えてしまいました。
「宇宙人に操られた秋山桔梗さんによって、このマンションの一室に閉じ込められているんだ。」
「二十四時間以内に解決しないと、『死のエネルギー』と共鳴しちゃうよ。」
ナズナから齎された情報が右の耳から左の耳へ通り過ぎていくのを必死で堪えながら、七階へ向かいます。
「生のエネルギーの素」は鎮静効果も有している・・・と、三日前に入手した「ナズナアプリの説明書」に記述されていました。
粘液にまみれたショッピングモール、凍てついたスイミングスクール、時が止まった教室・・・普通の女の子なら半狂乱でしょうね。
「727号室・・・此処だね。」
チャイムを鳴らしてみましたが、応答は有りません。
「産め!産むんだハルナ!」
「・・・ちょっと待って下さい。」
まだ、秋山さんに会ってもいませんし、既に産んだアイテムが出て来ないとも限らないのです。
こんな時は、スマホです!
実は、ナズナアプリの機能によって、アイテムが重複するのを避けられる事が判明したのです!!
「ナズナアプリの説明書」に記述されていた通りに、スマホを操作します!!!
「出産の必要、アリ。」
・・・まぁ、そう旨くはいきませんよね・・・。
仕方がありませんね・・・産みますか。
先ず、「出産の必要、アリ。」の文字を見た瞬間にイヤらしい表情に変わった白いオタマジャクシを抱きしめます。
私は・・・遂に、編み出したのです。
ナズナを抱きしめる事によって、ナズナの視界を塞ぐ方法を。
この裏技によって・・・ナズナの視線を気にする事無く、このように卵を産む事が出来るのです!
「・・・出産中の女子中学生に抱きしめられるとか・・・どんな御褒美だよ・・・。」
「・・・ナズナ、何か言いましたか?」
「いや、何も。」
・・・まぁ、どうでも良いです。
卵を割ると、聴診器のような形をした物が出てきました。
一般的な聴診器よりも二回りほど大きいアイテムの使い方を、三日前まではナズナに訊かなければなりませんでしたが、今の私は違うのです。
聴診器の集音部分には、一般的な物よりも複雑な二次元コード・・・いや、「ナズナアプリの説明書」に記述されていた言葉を借りると、「三次元コード」と呼ぶべき代物が在り、この図形をスマホで読み取る事により、アイテムの使い方を知る事が出来るのです。
「『盗聴心器』・・・人の心の声を聴く事が出来る。直接、身体に当てるのが普通の使い方だが、室外の壁に当てて使う事により、室内に居る人の心の声も聴く事が出来る。」
・・・なるほど。
早速、使ってみましょう。
(ブォブァブィブォブゥ・・・。)
(ブェブォ、ブォブォブァブァブィァブァブェブァ・・・。)
・・・あぁ、なるほど。
「死のエネルギー」と共鳴しているようです。
「出産の必要、ナシ。」と、スマホに表示されているという事は・・・解決の鍵が手の内に有るという事です・・・ならば。
早速、バッグの中に用意しておいた「コレ」が役に立つようです。
「ハルナ・・・その、『虹色の卵』はッ・・・!」
話は、三日前に遡ります。
「ナズナアプリの説明書」を読み始めたのは、午後三時半頃でした。
未だにスマホすら使いこなせていない私が「ナズナアプリの説明書」に記載されている「ナズナアプリの機能」の項を理解するのには、とても長い時間が必要でした。
「『生のエネルギー』の効果は、二十四時間である」という一文で始まる、「生のエネルギー」の項に差し掛かった辺りで眠くなってしまった為・・・ようやく説明書を読み終えたのは、翌日の午前のこと。
最後のページに、或るアイテムが記述されていました。
そのアイテムこそ、虹色の卵・・・「エッグ・スクランブル」です。
三次元コードを虹色の卵でスキャンすれば、既に産んだアイテムなら何時でも取り出す事が可能・・・アイテムの重複を避ける機能と併用すれば、鬼に金棒です。
昨日、チョコレートの風味を感じたのは午後二時半過ぎ・・・「『生のエネルギーの素』を植え付けられたら、その者が必要とするアイテムを産む事が出来る」とも説明書には記述されていたので、産もうと思えば産めるわけです。
しかし、私は躊躇しました。
産みたいアイテムが在るからと言って、私利私欲の為だけに卵を産もうとする私を、ナズナはどう思うだろうか・・・そう思い悩んでいると、あの声が響いてきたのです。
「産め!産むんだハルナ!」
・・・あれ?
良く考えたら、中二日じゃ無いじゃないですか!
白いオタマジャクシの姿は無く、甲高い声だけが私の身体に響いている・・・という、変則的な登場だったので、忘れていました。
僅か、五分くらいの事でしたし・・・まぁ、そんな事はどうでも良いのです。
結果的には・・・「『出産少女』の活動に必要な出産を躊躇うべきでは無い!」というナズナの言葉に甘える形で、「エッグ・スクランブル」を入手したのです。
「エッグ・スクランブル」には指紋認証装置が有り、指紋認証が成功すると・・・虹色の卵の底面が開き、今の私に必要な卵がポロっと出てくるのです・・・というわけで、ポロっと出てきた卵を割ってみると、「黄色いスピーカー」が出てきました・・・まぁ、コレしか無いですよね。
『秋山さん・・・秋山桔梗さん・・・聞こえますか?』
「黄色いスピーカー」で彼女の深層心理に話しかけると、彼女の心の声が「盗聴心器」に届きました。
(怖いよう・・・。)
(でも、このままじゃ駄目だ・・・。)
そうなのです。
小学生から中学生になった・・・ただ、それだけの事なのに、言い知れぬ不安が押し寄せて来るのです。
その気持ち、良く解ります。
しかし、このまま部屋に閉じ籠っていても解決しない・・・という事を、彼女は解っているのです。
『私は、一年一組の芹澤ハルナという者です。』
「・・・ちょっと、堅苦しくないかい?」・・・とかいう、ナズナの茶々は無視です。
(・・・芹澤ハルナ・・・何故、こんな所に?)
私の事を御存知なのでしょうか・・・兎に角、話を進めます。
『秋山さん・・・私も怖いんですよ。』
『変化していく環境に不安になるのは、みんな同じです。』
『ですから・・・』
(・・・ふざけんな!)
(アンタみたいに勉強もスポーツも出来て、可愛い恋人だって居る・・・そんな奴から、そんな事言われたって、励ましになるわけないだろうが!)
・・・!?
『ちょ、ちょっと、待って下さい!』
『「可愛い恋人」って、誰の事ですか!?』
「・・・萩原秋一君。」
『はぁっ!?』
『・・・何かの間違いです。』
「いやいや、そういうの良いから。」
『えぇ・・・?』
「隠してるつもりかもしれないけど・・・長身の美女と小柄な美少年のカップルは、みんなの憧れなんだよ!」
・・・見解の相違です。
何故、彼女と言い争わなければならないのでしょうか・・・これも、地球征服を企む輩の仕業・・・?
・・・あれ?
言い争う・・・?
「何、黙ってんだよ!何とか言えよ!」
間違いありません・・・!
私が言い争っている相手は・・・彼女の心の声などでは無く、彼女の口から発せられた声です。
七階の廊下から外を見下ろしてみると、マンションの中庭で子供たちが遊んでいます。
薄日が差してきたから、中庭で子供たちが遊べるようになった・・・という、単純な理屈が通用しない状況にも関わらず・・・です。
「彼女が人々を閉じ込めていたのは、自分だけが家の中に閉じ籠っている孤独感が原因だったんだよ。君と会話する事で孤独感が和らぎ、『死のエネルギー』との共鳴が途切れたんだ。」
「『盗聴心器』と『黄色いスピーカー』を併用すれば、鬼に金棒だね。」
「おめでとう、事件解決だよ。」
「・・・いや、ちょっと待って下さい。」
「秋山さんは、まだ・・・。」
「君に出来るのは負の感情を和らげる事だけ・・・現に、ショッピングモール事件の鯨井さんは独身のままだし、スイミングスクール事件の氷室先生の性癖は変わらない・・・海老名先生は良い教師になる為の努力を再開したけど・・・それが実を結ぶのは、随分、先の事になるだろう。」
「そんな・・・。」
「それでも、『黄色いスピーカー』の効力は抜群だからね。もし、彼女に掛ける言葉が、まだ有るのなら・・・」
『秋山さん、友達になって下さい!』
「最後まで聞けよ!」・・・とかいうナズナの茶々を無視して、更に、彼女に言葉を投げ掛けようと口を開いた瞬間、727号室の扉が開きました。
驚きました。
荒々しい言葉遣いからして、やんちゃな子を想像していたのですが・・・「秋山桔梗」という子は、とても小さく、思わず抱きしめたくなるほどに可愛らしい女の子でした・・・ので、抱きしめてみました。
「・・・ハルナ、初対面の女の子を抱きしめるなんて、どうかしてるよ!」
「だって、可愛いんですもの!」
・・・と、いつも通りの他愛の無いやり取りをした瞬間、「しまった!」と思いました。
案の定、秋山さんが唖然としています。
「初めまして、桔梗ちゃん。マイネームイズ・ナズナ。以後、お見知りおきを。」
以後が在るのでしょうか・・・不安に思った瞬間、今度はスマホが鳴り出しました。
パニックになりそうになりながら、電話を取ると・・・。
「やぁ、ハルナ。一体、何処に行ってしまったんだい?」
萩原君です。
どうやら、無事だったようです。
萩原君にとっては、忽然と居なくなったのは私の方だったようです。
「えーと・・・ちょっと、私、先走っちゃったみたいで・・・そうです、一足先に、秋山さんのお宅に・・・はい、解りました。お待ちしております。」
「彼氏との電話にしては、固くない?」
「・・・ですから、彼氏とかでは・・・あれ?」
また、ナズナの茶々と思ったら、忽然と居なくなっています。
「あの白いのなら・・・『シーユーアゲイン』って言い残して、消えちゃったよ。」
アゲイン・・・!
どうやら、また、秋山さんに接触しようとしているようです。
「アレ・・・何なの?」
「・・・アレの事は、忘れて下さい。」
彼女を白い悪魔から守らなくては・・・と考えていると、萩原君たちが七階までやって来ました。
「・・・ハルナ、勝手に先に行っちゃうなんて、どうかしてるよ!」
・・・本来なら、責められるべきは秋山さんを操っていた宇宙人なのですが、萩原君に「出産少女」絡みの話を説明するわけにはいきません。
「あれっ!?・・・もう、仲良くなっちゃたのかい?流石、ハルナだね!」
・・・冷静になってみれば、私が一方的に秋山さんを可愛がっているだけだったので、この時点では、仲良しになれたかは判らなかったのですが・・・でも、「こんな場所では何だから」と、私たちを部屋に招き入れてくれた事を考えれば・・・状況は、かなり好転していたと言えます。
その後、私たちは取るに足らない話をして・・・「ハルナちゃん、桔梗ちゃん」と呼び合えるくらいになった頃に、お暇しました。
「とりあえず、彼女に会ってみよう。」という目的だけで過ごした、彼女との時間。
楽しかった。
桔梗ちゃんが笑っている。
それだけで、私たちは笑顔になれたのです。
「ハルナちゃん、だーれだ?」
その言葉と同時に、私の瞳が小さい掌によって隠されたのは、翌朝・・・学校の昇降口での出来事でした。
「盗聴心器」を使わなくても、彼女には伝わったと思います。
彼女の掌を濡らした、私の心の内が。