第7話 人魚ニフリー
本話は超長文です。
読了予測:25分
「あら?」
レナーミアが足を止めた。『オリジナルアクセサリーあります。オーダーメイド可』と張り紙を出す店の中を、そっと覗き込む。
ここは大通りから外れた通りだ。
いくつかの店を回って、お土産に適していそうなアクセサリーに目星をつけていたが、レナーミアは「オーダーメイド」という言葉に惹かれた。
「みんな、少し待っててね」
猫メイドと兵士たちを外で待機させ、ドアを開ける。きりりりん、と澄んだベルが鳴った。
「こんにちは。どなたかいらっしゃいませんか?」
店内は川のせせらぎだけが静かに響いている。
ガラスのない窓の明かりだけで照らされる円型の店内を、ぐるりと見回してみた。
淡水真珠や半貴石でできた様々なアクセサリーが並べられている。おそらく張り紙にあった"オリジナル"だろう。大通りでよく見る"量産品"は一つもなかった。
「(観光客向けのお土産は村とは別のところで作っているのよね。個人が作ったアクセサリーは売れ行きが不安定だから、商売で食べていく店は手作り品だけを並べることはないって。昔、お母様が言っていたわ)」
ぱしゃん、と水面を叩くような音がした。
ずっ、ずっ、と床を擦るような音が、レナーミアの方に近づいてくる。
カウンターより後ろの、石を連結して吊るしたカーテンのかかる店奥から、レナーミアと年が近しい青年が現れた。
先端だけ黒くなった金色の髪を持ち、素肌の上からボタンのない赤いベストを羽織っている。
「いらっしゃい。お客さん、アクセサリー探してるの?」
青年はカウンターの端に掴まって、ずるずると全身像を現わした。
黒銀色の鱗に覆われる下半分の体は、淡水人魚によく見られるものだ。
尾鰭の近くから一対の大きな足のような鰭が生えていて、それを回転させることでぱたっぱたっと、擬似的に陸を歩いている。
にっと明るい笑顔が印象的な店員に、レナーミアも笑顔を返した。
「ええ。友達のお土産を探しているのだけれど。このお店は、アクセサリーのオーダーメイドができるって、外に書いてあったから」
「うん、受け付けてるよ。一週間くらい時間もらっちゃうけど。お客さんのイメージから作るから、世界にひとつだけのアクセサリーができるんだ。お土産にしたら、きっと喜んでくれるよ」
「世界に一つだけのアクセサリーね。素敵!」
淡水真珠を連結しただけの首飾りも実用性は高いから、土産物としては十分だろう。
だが、レナーミアは留学先の友人たちのイメージを、アクセサリーに込めたいと思った。
観光客がツェルナリオ領に一週間も滞在するのは難しいだろうが、レナーミアには滞在日程の問題はない。取りにくる時も、使用人を送ればいい。
人魚の青年は革の手袋を嵌めると、カウンターの下からバラバラの石や淡水真珠の入った木箱を取り出した。
「これを、お客さんの思いつくままに並べてみてね。これはモデルだから、実際のアクセサリーは石や真珠の形が変わってしまうことがあるけど、大きさや並びは近しいものを再現するよ。並べるための台は、ええっと、確かこっちに……」
「二人分お願いしてもいいかしら?」
「二個作るんだね。了解」
底の浅い木箱が、カウンターに二つ置かれた。中に砂が敷いてある。並べた石がずれるのを避けるためだろう。
「たくさん色があるわね……私のセンスが悪かったらどうしよう」
「友達に送るなら、紅玉髄を使ってみたらどうかな?石に『友情』の意味があるんだ」
「紅玉髄?」
「この、橙色の石。温かい色だから、赤や茶色の石と一緒に並べると見栄えがいいよ」
「あら、本当だわ。この赤くて角のある石は何かしら?」
「珊瑚。白いのもそうだよ。ここは海が遠いから、珊瑚は結構貴重な石かな。あ、でも、この木箱の中にあるものだけを使うなら、オーダーメイドの値段は一律だよ。金剛石とか、もっと高価な石を使いたかったら言ってね。金額がかなり跳ね上がっちゃうけど」
「あら、金剛石もあるのね」
「金剛石は穴が開けられないから、もし使うんだったら銀や鉄に埋め込んだものになるけどね。大粒じゃなくても、一カラット以下のものを何個か黒曜石に埋め込んだものも綺麗だよ」
人魚の青年は店内の端に寄り、「これがサンプルになるかな……」と、商品棚から一つのアクセサリーを手に取った。
レナーミアはその様子を目で追い、ふと棚に釘で打ち込まれた、木の板の文字を読み上げる。
「"ニフリー・ゾーン"?」
「うん。この棚にあるものだけは、全部俺が作ったものだから。ニフリーっていうのは、俺の名前」
人魚の名前は語尾を伸ばすという特徴がある。
ツェルナリオ領に住む魔物は皆、住民票を持ち、役所の名簿に記載された登録名を持っている。野生の魔物は持たないこともあるのだが。
しかし、人魚は同族で集まって暮らす魔物であるため、野生でも一人一人に必ず固有の名前がある。
「この店の商品は、ほとんど母が作っててね。俺も一流のアクセサリー職人目指してるから、ちょっとだけ作品を置かせてもらってるんだ」
「まあ。貴方も職人さんなの?とても素敵な夢ね!」
「ありがとう。何だか、お客さんの声で励まされると照れるな……」
そして青年は「あ」と言って、慌てて取り繕うような言葉を作る。
「ごめん、そういう意味じゃなくて、つい。今の、ナンパじゃないんだ」
「ナンパ?」
レナーミアが首を傾げると、青年はほっと胸をなでおろした。
「そっか、お客さんにはわかりづらいかな。人魚は声を褒めると、相手に好意を示すことになってしまうんだ。俺はずっと人間の生活しているから、そういうところ少し鈍くって。純粋に声が綺麗だなと思って、ね……本当に誤解だから」
大通り(メインストリート)では人魚の女性がステージの上で歌を披露していたが、元々人魚の歌は求愛をする時に使うものだ。
人魚村ではパフォーマンスとして観光客の前で歌っているだけだから、「好きです」という意味はないのだが。
「人魚はみんな声フェチだから、もしお客さんが人魚だったら、たぶんすごくモテてるよ」
「そうなの? 意外だわ。私、人間には全然好意を寄せられないのに」
「ええー? 嘘でしょ? 人間にも好かれてそう」
「本当よ。婚期を逃しそうで、少し焦っているわ」
フレンドリーな会話をしながら、ずるずると尾鰭を引きずって青年が戻ってくる。
革手袋の指で包まれる髪留めには、楕円形の真っ黒な石の中に、ちらちらと小さな石が輝いていた。
「これはヘアクリップなんだけど、黒曜石の上にすごくちっちゃい蒼玉と紅玉が入ってるから、角度を変えるときらきら光るんだ」
「綺麗。まるで星空みたい」
「でしょ? 星って全部白いんじゃなくて、よくみたら青とか赤とか、ちゃんと色があるんだよね。そこからイメージを膨らませてできた作品がこれ。俺の自慢の品なんだ」
星。ちょうど、レナーミアと友人たちの専攻も天文学である。
月や星をモチーフにしてみたらいいかもしれない。
レナーミアは少しずつ頭の中のイメージを固めていく。
「宝石使うと高いな、って思うなら、瑪瑙でも代わりになるよ。紅玉髄も瑪瑙の仲間だから、並べても馴染みやすいし」
「折角だから、淡水真珠は何処かに使いたいわ」
「そうだね。人魚村に来て真珠を買わないのは勿体無いから」
青年は木箱からいくつかの淡水真珠と石を手に取り、カウンターの上に並べる。
「石と石の間を埋めるように入れたり、輪の三分の二を真珠にすると首飾りっぽくなるよ。全部を石にしてしまうと首や肩に負担がかかる人もいるから、真珠の割合を多くすると、アクセサリーの重さが減って使いやすくなると思う。胸の前にかかる部分だけ装飾して、あとはシンプルに紐だけって手もあるけどね」
「……だんだん難しく感じてきたわ。重さも考えなくてはいけないのね」
「淡水真珠は元が貝の中身だから、比較的軽いんだ。繋がりのある石といえば……ああ、これこれ。淡水真珠を作る貝を砕いて、ガラスに閉じ込めた石だよ。好みで使ってみてね」
ガラス玉の中には虹色に輝く雪のようなカケラが浮いていた。まるで形のある時を閉じ込めたかのようだ。
「これも素敵ね。繋げたら天の川みたいになりそう」
「天の川かー。確かにそうかも。お客さん、感性いいね」
「私、天文学の勉強をしているの。アクセサリーも、天体にちなんだものにしてみたいわ」
「なんだ、そっちの専門家だったんだ。じゃあ、星の次に必要なのは月かな? そしたら、月長石がいいかも。石に月の力が篭っていると言われているんだ」
青年が目当ての石を探して、またシャラシャラと木箱の中を漁り出す。
「ふふ。アクセサリー作りって、何だか楽しいわ」
「そう思ってくれると嬉しいな。魔物が物作りをするのって、お客さんから見れば不思議なことなのかもしれないけど」
「そうかしら? 芸術品は、心に余裕があるからできるものだと、私は思うわ。ツェルナリオ領が平和な証拠。こうして一緒に楽しめるというのも、魔物と人が、同じ心を持っているからよ」
青年が顔を上げる。その目はきょとんと不思議そうにレナーミアを見ていた。
「……お客さん、変わってるね。本当に観光の人?」
「え? ええっと……」
「でも、俺もその気持ち、わかるかも」
青年は手を止めて、遠くを見据えるかように目を細めた。
「俺は生まれてからずっとツェルナリオ領で暮らしているから、逆に野生の生活を知らないんだけどさ。ここの人魚は昔から、ずっと人間に怯えて生きていたんだって。ツェルナリオ家のフェリナ様が、この村を作るまではね」
突然母の名前が出てきたことに驚いて、レナーミアは口を閉ざした。
「人魚と人間は違う。人間とは見た目や住む場所、習慣が違うのは確かだから。でも、フェリナ様は人魚たちにこう仰った。『相手から逃げるだけでは何も変われない』って。まあ、俺が実際に聞いたわけじゃないんだけどね。個人的に、この言葉好きなんだ」
本来の人魚は人を怖がる。
人魚には人間の作った幻想があるために、見世物や売り物として、捕獲されることがあるからだ。
だから、野生の人魚は人間を見かけると、すぐ水の中に飛び込んでしまうという。
「ツェルナリオ領は魔物にも人権があるからね。人魚として生まれた俺でも、たまたま平穏に暮らすことができてるけど……俺、仲のいい友達がほとんど人間だから、時々思うんだ。"括る"ってつまり、見下すことなんだなって。魔物とか人間とか関係なく、気の合う合わないっていうのはあるし。"括り"だけを見て好き嫌いをする人は、たぶん"括り"の中にある違いを見ていない。逐一相手を知ろうとするのは大変だけどね。でも一人一人をよく見れば、簡単にまとめられるものじゃないって思えてくるよ」
おそらく青年の言い方は、魔物目線で見ている世界観なのだろう。
……でも、人間の見方と同じよね。
人間が魔物を恐れるように、魔物も人間を恐れている。
「野生の世界は生きるか死ぬかだって言うし、俺の考えは平和ボケなのかもしれない。でも、魔物も人間を偏見で見たり、差別をしちゃいけないなって。俺は思ってる」
現在のツェルナリオ領に住む人間は、古くからこの土地に住む者よりも、人魚村の開拓のために呼び集めた元労働者がほとんどだ。
その子供や孫、時折他領から越してくる人間が現れてはいても、まだ人間の領民は割合として少ない。
ツェルナリオ領には独自の領法がたくさんあるが、魔物を優先して人間を蔑ろにすることがないように気をつけられている。
定め事によって、領民の立場を逆転させるのは簡単だからだ。
それはかつて、魔物の軍を維持するために、ツェルナリオ領から"元の領民"たちが離れていってしまったという、反省も入っている。
「……そうよね。片方が甘んじるだけでは、真の意味で理解にならない。私と同じことを考えてくれる魔物がいてくれて、嬉しいわ」
「あはは。ごめんね、急に悟りを説いたりして。俺も領外の人がそういう考えを持ってくれていたら、嬉しいなって感じるよ」
「……」
ニフリーはレナーミアを領外の人間だと思っているようだ。嘘をついているようで心苦しい。
「……ええっと、なんか、しんみりしちゃったね。そうだ。月長石を探していたんだった。確か、木箱にも入っていたはずなんだけど……」
空気を誤魔化すようにニフリーは木箱を持ち上げて、いくつかの石を手袋のひらに乗せた。
その時に石が一つ、床に転がり落ちる。
それを急いで拾おうとしたらしい。
……青年はカウンターに置いたモデル台を掴んだことに気がつかず、そのまましゃがんでしまった。
「あ、危ない!」
レナーミアが叫んだ瞬間、テコの原理で浮いた台から、バッと砂と石が宙を飛んだ。
「っ! やばっ……!」
二フリーは砂を避けようと無理に体を動かした。そして、持っていた木箱の中身をぶちまける。
「きゃあっ!」
ドサ! ドン! バララララララ! バタッ! ゴンッ! と。
レナーミアの黄色い悲鳴と共に、色々と大きな音が鳴った。
「……痛っ、た……」
床に頭を打ちつけた青年は顔をしかめる。
「だ、大丈夫?」
「大丈夫……。って、え!?」
人魚の青年はレナーミアも巻き込んで倒してしまったことに気がつき、顔を赤くしてぴょこんと飛び起きた。
「ご、ごめんなさいっ!! お客さんこそ大丈夫!?」
「にゃに事ですにゃ!?」
猫メイドと小鬼兵たちが店の中に飛び込んできた。
「え?」
外からなだれ込む兵士に店の中を占領されるという突然の状況を飲み込めず、ニフリーは呆然とする。
「何々!? 今の何の音!?」
さらにカウンターの奥の部屋から、波打つ髪を2つ縛りにした、背の小さな人魚が飛び出してきた。
「え!? 何これ、兵士!? 兄ちゃん何やったの!?」
「誤解だよ! ちょっと、砂に驚いて転んだだけで……」
「お怪我はにゃいですか、レニャーミア様!」
「……え? レナーミア、様?」
ニフリーは二度呆然とする。
「名前を言わないでよ!」と、レナーミアは猫メイドに向かって、沈黙を示す人差し指を立てた。
「ああ! レニャーミア様、お召し物が!」
「え?」
レナーミアは自分の服に視線を落とす。
右胸からスカートの端まで、べっとりと濡れた何かがついていた。
「これくらい大丈夫よ。けれど、ニフリーさんは……」
「兄ちゃん馬鹿なの!? 阿保なの!? 最悪死んでるよ!?」
「いや、わかってるけど、俺は平気だから。ぎりぎり砂は被らなかったし」
「レナーミア様を転ばして粘液をなすりつけるなんて! 窒息の前に、首飛ぶんじゃない!?」
「……」
……正体がばれてしまったのなら、もう仕方がない。
騒ぎを大きくする前に人魚兄妹の口止めをしようと、レナーミアは伊達眼鏡を外した。
「黙っていてごめんなさい。今日はお忍びで来ているの。他の人たちには内緒にしてもらえるかしら?」
ニフリーは己を取り囲む兵士を見渡し、目をぱちくりとさせ、レナーミアをまじまじと見る。
「……ええっと。本当に、レナーミア様なの? ……ですか?」
「ええ」
「兄ちゃんボケすぎでしょ! 学校で見る肖像画の人とそっくりじゃん! 何で気がつかなかったの!?」
妹に責められ、ニフリーは「あ……!」と声を漏らす。
目の前の顔と古い記憶を照合できたらしく、さぁーっと顔を青くした。
「……ご無礼を申し訳ありませんでした!!」
レナーミアに向けられたのは、ぴしっとした斜め四十五度の人魚お辞儀だった。
「領民なのに、全っ然気がつかなくて! タメ口聞いたりお怪我させそうになったり! 本当にすみません! すみませんっ!!」
「兄ちゃん、お辞儀じゃなくて土下座!」
兄妹のダブル人魚土下座を披露される前に、「そこまでしなくていいのよ」と、レナーミアが慌てて止めた。
「ところで、体の方は大丈夫? 人魚は体の粘液が取れてしまうと、陸で息ができなくなってしまうのよね?」
人魚の全身は常に粘液で覆われている。これは体を保湿する役目だけではなく、皮膚呼吸をするためだ。
水中では鰓から、陸上では皮膚からと呼吸法を使い分けているから、人魚は陸に上がることができる。
ということは、粘液が取れたり汚れたりすると、息がしづらい。
だから二フリーは、無理矢理でも砂を回避しようとしたのである。
素肌の上に胸元を開けたベストを着ているのも、服で呼吸を妨げないため。
ちなみに、妹の服装は胸元だけを隠した、お腹出しルックスである。
「お陰様で無事です。ご心配ありがとうございます。それよりも、俺の粘液でお洋服を汚してしまってすみません。折角並べたものまで台無しにしてしまって……」
「兄ちゃんほんとドジ」
妹人魚の小声を聞いて、ニフリーは少し震えながら唇を噛みしめる。
「服は洗濯をすればいいし、石はまた組み直せばいいわ。呼吸が止まってしまう方が問題でしょう? 貴方に何事もなくてよかった」
レナーミアはにこりと笑って、また伊達眼鏡を掛け直した。
「それと、お礼も言わせて頂戴。たくさんお話をしてくれてありがとう。一介のお客さんに過ぎない私に、親身になってアクセサリーのことを教えてくれて。その時間がとても楽しかったの。このお店でオーダーをする以上、ずっと正体を隠しているわけにはいかないと思っていたけれど……できれば、身分を隠したままでいたかったわ」
「いや、その、お客さんに親切にするのは当たり前ですし……。アクセサリーって想いが篭るものだから、値段よりも個々に合った価値観の方が大事だって、俺は思っています」
ニフリーが最初からレナーミアの正体に気がついていたら、対応はもっと畏まり深くなったものだっただろう。
でも、もし私が貴族としてこのお店に来ても、彼は私に商品を押しつけるようなことはしなかったのかもしれない。
「ニフリーさんはきっと素敵な職人さんになれるわ。アクセサリー一つ一つに、ちゃんと意味があるのね」
「ありがとうございます」
「もう一度石を並べ直してもいいかしら? 私も、アクセサリーに自分の想いを込めたいの」
「は、はい! すぐに新しい台を用意します!」
兄妹は並べ台と床の砂を掃くための箒を取りに、店の奥に入っていった。
その間にレナーミアは猫メイドや兵士と共に、散らばった石を回収する。
頭の位置を低くしてちまちまと石をつまむ高貴な人と家来の姿に絶句したらしく、戻ってきたニフリーは「いや俺たちが拾いますから!」と、慌てふためいた様子で止めようとした。
水ですすがれた石が木箱に返ると、レナーミアとニフリーはカウンターを挟んで向かい合わせに立ち、もう一度石の並びを作り直す。
六人の兵士に真顔で成り行きを見守られている中、レナーミアだけが心底楽しそうに笑っていた。
*****
レナーミアとその付添人たちが立ち去って、ようやく店の中に川のせせらぐ音が戻ってきた。
気が抜けたニフリーとその妹は、思いっきり疲れた顔をする。
「まさか、貴族の人がこのお店に来るなんて……上品なお客さんだなとは思っていたけど」
兵士の黄色い目に囲まれながらも必死で愛想笑いを続けて、顔の筋肉が吊りそうだった。ニフリーはぐたりとその場にへたり込む。
「兄ちゃん首飛ばなくてよかったね」
「ホントだよ……」
転ばせたことも服に粘液をつけてしまったことも、罷免にしてもらえたのが奇跡だ。
「クリーニング代です」と端金も包んだが、「別にいいのよ」と、受け取りを断られてしまった。
お金を渡すと賄賂みたいになるのかなと思って、素直に退いちゃったけど。
無理にでも渡す方がよかったのかな?
後悔しようにも、過ぎたことはもうどうしようもないが。
「ねえ兄ちゃん。レナーミア様にはお店に来たこと、内緒にしてって言われたけど。お父さんとお母さんには伝えた方がいいよね?」
「うん。重大な依頼を引き受けちゃったから」
二フリーは壁を支えにして立ち上がり、二つの並べ台に乗った、輪っか状に並ぶ石を見る。
淡水真珠の位置や石の大きさはほぼ同じだが、全体的な色調が少し異なっていた。片方はやや赤っぽく、もう片方は青っぽい。
作業机に持って行く時に、また落とさないかと気を張りそうだ。
「……体が乾きそうだから、一回水浴びしてくる」
そう妹に告げて、少し現実逃避。
「兄ちゃんさ。また調子に乗ったんだ?」
妹の言葉に、はたと足鰭の動きを止めて振り返る。
「何が?」
「ホントわかりやすいよね。タイプの子を見ると、すぐ見栄張っちゃうから」
「そんなわけないでしょ。俺はお客さんが喜んでくれるようなことをしただけ。領主の娘さんだってことに気がつかなかったのは、俺のポカミスだけど」
「へぇー? 格好つけるのに必死で、ちゃんと顔見てなかったんじゃないの?」
「……本気で怒っていい?」
「はいはい。兄ちゃんが老若男女問わず、誰にでも愛想振りまくのは知ってるよ。けど男だもんねー? お年頃だもんねー??」
「その発言、レナーミア様にも失礼だよ」
思春期真っ盛りの妹に言われると、なんか、すごくむかつく。
「だいたい、お客さんに見栄張ってどうするの。観光の人をいちいち口説いてもしょうがないでしょ。見境いのない店員とか、最低だよ」
何を言っても妹は追撃してくるので、ニフリーは面倒事から逃げるように店の奥に引っ込んだ。
手摺のついた斜路を下り、水面に浸りかけた人口陸に、鰭を浸す。
開いたカーテンの先にある青緑色のルーナ川を眺めて、ため息をついた。
……人に対して態度を変えてるつもりなんかない。
確かに、声が綺麗だなとは思ったけど。
人間が可愛い女の子に見とれるのと同じ。これはよくある感情だと思う。
「(でも、今回は思ったことが口に出ちゃって、弁解したんだよね)」
あれは焦った。
人魚の習慣に鈍いからとか言って、誤魔化しちゃったけど。
さすがにわざとらしかったかな?
まず俺、ヘタレな方だし。
ナンパとか絶対無理。
……事故で押し倒したりはしたけど。
「(……うわーーー!自分の失態が恥ずかしい!)」
ニフリーは心の中で羞恥を叫ぶ。
「(相手が貴族でしたという事実も衝撃的すぎて、心臓まだばくばくしてる。よく生きていられたよ……はぁ。俺の大馬鹿野郎。早く頭冷やそ……)」
俺は調子に乗ったわけじゃない。
……うん。そうじゃないんだ。
ぱしゃっと床を叩いて、尾鰭の力で跳ね上がる。
人魚は水の中にとぽんと潜った。
はい、ややおっちょこちょいなぬめぬめ人魚君の回でした。性格は他の野郎共よりかなりまともな気がします。
次回は、一旦レナーミアから視点を外しまして、ドルゼストとグアナーの会話シーンです。
3番目の攻略対象は、次々回登場予定。
どうかお楽しみに。