第5話_人魚村①
"人魚村"にルビ振りました。
何故今までなかったのか、紅山でも謎です。
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父を見舞った翌日。レナーミアは馬車に乗り込み、ある場所に向かっていた。
ツェルナリオ領の領境を地図に書き起こすと、長い辺の一方を潰した、角のない平方四辺形のような形になる。四面の長辺は山脈、凹のある辺が川、短辺は隣領および国境線が接しており、城郭町は国境寄りにある。
屋敷から半日ほどかけて隣領方面に向かうと、ツェルナリオ領の観光名所である、人魚村に辿り着く。
名前の通り、淡水人魚たちが住む村だ。城郭町に比べると人間の住民もも多いのだが、この村は水棲の魔物が大半を占めている。
他領や他国の人間がやってくるこの村は、ツェルナリオ領の財政を支える要だ。
レナーミアは留学先の友人たちの土産を、そこで買おうと考えた。
目当てはツェルナリオ領の特産品。
淡水真珠を使ったアクセサリーである。女性の観光客に人気の商品だ。
道連れは馬車を引く人首馬のユパニガル以外に、袖のない羽織を被った一名の猫メイド。
また、馬車の後部にある荷物入れには、細槍を抱えた小鬼の兵士六人が、ぎゅうぎゅうに詰められている。
「大丈夫? みんな、辛くはないかしら?」
レナーミアは過密な座席の後部が心配で、何度か兵士たちに声をかけていた。
小鬼の体は猫人と同じくらいだから、無理矢理なら二人席相当の空間に収まるのである。流石に、六人もいると窮屈そうだが。
「お兄様も心配性ね。折角お忍びでお出掛けをするのに。あまりたくさん兵士を連れていると、目立ってしまうわ」
レナーミアは屋敷を出る前に外出用の衣装に着替えたが、その時に、やや地味な色合いのワンピースを選んだ。
服の色と同じ灰色のリボンがついた釣鐘型の帽子を膝に乗せ、顔にはガラス板を嵌めただけの飾り眼鏡をかけている。胸に取りつけた、真紅の縦長の石を金縁で囲ったブローチが、全身のアクセントになっていた。
貴族が外出するとなると、絹の服の半分以上に刺繍を凝らした高級衣装や、小さな宝石をあしらった首飾りをつけることが多いのだが。
レナーミアの着ているものは、一般女性の外出着と同じもの。伊達眼鏡も用意しているから、変装しているようにも見える。
そのような格好をする理由は、人魚村が観光地だからだ。商売の妨げにならないようにするための配慮である。
貴族というのは、一般民からすれば身近な存在ではない。
「広い土地を支配する一族であり、とても偉い人」という立場であるため、町や村の人の集落に入れば必ず噂になり、人の目を引く。
特に、「貴族御用達」のお店は注目を集め、売上げが伸びる。
……つまり、レナーミアが貴族らしい姿で人魚村に入ってしまうと、騒ぎになってしまうのだ。それで観光客の扱いがおざなりになったり、現地を混乱させるわけにはいかない。
また、村で店を出す者たちが商魂を張り合い、「とても偉い人」に対する過剰接待が起きてしまったら、お土産を探すどころではなくなってしまう。
今日は商品に箔をつけに行くわけではないのだから。大切な友人たちに送るものは、ちゃんと自分の目で探したい。
そうレナーミアは考えている。
幸い、観光客はほとんど人間だ。領主の娘とはいえ、百も千もある人間の顔の中に紛れ込んでしまえば、簡単には気づかれないだろう。
「護衛がつくのは仕方のないことかと。ドルゼスト様は、例の魔物を警戒しているのでしょう」
馬車を引く人首馬の御者、ユパニガルが言う。
「キドのことよね。ここまでする必要があるのかしら。彼は別に、悪いことをしているわけではないのよ」
「……」
ユパニガルは返答が思いつかなかったらしく、結局何も言わずに口を閉じた。
……ところで、人魚は魔物の一種である。それなのに何故、人魚村には領外の人間がやってくるのか。
理由は二つある。
一つ目の理由は、魔物にも、人間から恐れられている種族と、恐れられていない種族があるため。
二つ目は、"魔王"の物語を恐れながらも、「お伽話だ」と認識している人が多いという事実だ。
まず、前者のことだが。
「人間に恐れられる魔物」というのは、狼人や人蛇など、人を死傷させることがあり得る、肉食性の魔物が多い。
犬人や猫人の場合。物をくすねる厄介者として煙たがられてはいるが、恐れられているというほどではない。時折、「可愛い」と感じて餌づけをする人間もいるくらいだ。
特に人魚は、人間の中で昔からよく親しまれてきた。
澄んだ歌声は人を魅了し、性格もおとなしい。"半人半魚"として見た目も人間に近しいからこそ、人魚と人間が恋仲になるという創作も数多く存在する。
人は美しいものに惹かれやすい。
そして、それを良いものと捉える傾向がある。
物語に唄われるほど神秘性があるから、観光客は人魚に興味を持つ。
だから、ほとんど人魚しかいない人魚村は、人間が立ち入りやすいのだ。
そもそも「魔物」とは、定義として、人間並みに知能がある異形の生物を示す。これはあくまで、"人間が定めた"区分である。
「魔物も人も、兎や猪と同じ『動物』であり、知能が高いという意味で括れば、人間も『魔物』の一種である」という説も存在する。初めてそれを唱えた学者は、非難を浴びた末に処刑されてしまったそうだが。
学術的な話はさておき。
ツェルナリオ領において、人間が恐れやすい肉食性の魔物は、軍役に服する者が多い。
つまり肉食性の魔物の人口比率(?)は、ツェルナリオ家の屋敷がある城郭町やその郊外に集中しており、人魚村は「ツェルナリオ領に住む人間」や、大して"恐ろしくない"魔物ばかりが集まっている。
実際に、ツェルナリオ領もその点は観光客に配慮している。余程の物好き以外は、"恐ろしい"魔物のいるエリアに近づかなければいいだけだ。
次に、二つ目の理由であるが。
「ツェルナリオ家が人間に恐れられている」というのは、結局のところ、国の価値観に基づいて広まっている一般感情にすぎない。魔王はあくまでも空想上の産物。「魔王伯爵でもさすがに、神に背けるわけがないだろう」と、多くの人間が思っている。
思想からくる悪の定義とは、鼠が災いを運ぶと知れば、鼠を徹底的に避けるのと同じようなものだ。
魔王=悪魔という連想は、アルクステンおよび、周辺国の宗教的な教えから根付いている。
アルクステンとツェルナリオ家の仲が険悪である一番の理由は、圧倒的な軍事力で「ツェルナリオ家が国に反逆するのではないか」という、憶測があるためだ。
"魔王"への恐怖を払拭するためか、対象の力を削ぎたいがためか。だから"アルクステンに属する"人間は、ツェルナリオ家を悪く言う。
王も貴族たちもわかってはいる。
"魔王伯爵"と"魔物の軍"がいなければ、自分たちの国の平和は守られないのだと。
"悪魔"を抱えることによって周辺国に対する面子が立ちにくいというリスクや、「魔物を領民にする」という国の摂理を無視するような領統治が、アルクステンの反感を買っているのだ。
……結局、ツェルナリオ領に行きたいか行きたくないかというのは、個人の自由意思に委ねられる。
また、アルクステンから海を隔てて離れた国では、"魔王"の話が一般的ではないことも多い。ツェルナリオ家とアルクステンのいざこざとは無縁だ。
人魚村を訪れる観光客として最も多いのは、独創性やインスピレーションを求める、世界中の芸術家たちだと言われている。
アルクステンはツェルナリオ領を"危険区域"としているが、立ち入りそのものは禁止していない。確かに数十年前……開村当初は、他領や国が「ツェルナリオ領に立ち入ってはならない」と、国民にも圧力をかけていたのだが。レナーミアの母が生前にその問題を逆手にとって解決し、他領主もアルクステンも、人魚村に向かう国民を咎められない状態になっている。
そして、現在に至り。人魚村は「また訪れたい場所だ」と言われるほど、安定して観光客が入ってくる土地になった。
「あと三十分程で人魚村の入り口に到着します。正面から入られますか?」
ユパニガルがレナーミアに聞いた。
「ええ、それでいいわ」
「承知しました。わたしは馬車の停留所でお待ちしております」
「折角だから、馬車を預けてユパもお土産屋さんを巡ってみたらどうかしら? お子さんや奥さんに手土産を持って帰ってあげたら、喜ぶと思うわ」
「しかし、仕事ですから……」
「いいのよ。今はちょうどお昼だから、私は少し遅めのランチをしてからお店を回ろうと思うの。四時になったら、また入り口で集合ね」
「……はい。では、お言葉に甘えて」
妻子想いのユパニガルは、家族を出されると弱い。レナーミアもそれをよく知っているのである。
「ありがとうございます、レナーミア様」
「ふふっ」
レナーミアは兵士たちにも同じことを薦めたが、首を横に振られてしまった。
馬車から降りて、レナーミアについて回るという。
「大丈夫よ。キドは集落の中までは滅多に来ないわ」
兵士たちは気難しい顔や申し訳なさそうな顔をしながらも、「ご命令ですから」の一点張りで、レナーミアの説得に応じない。
交渉に疲れたレナーミアは、「村の駐屯兵が見回りをしているようなフリをしてね」とお願いして、ため息をついた。
続きます。