第4話 魔王伯爵
この話の一個前に「朝食の席」というストーリーがあったのですが、大改稿の際に思い切ってカットしました。個人的には飯テロ描写が気に入ってるので、何処かで出せたらいいんですけどね……。
しばらくはお蔵入り。幻のストーリーということで
というわけで、本格的なストーリーはここから始まります。
読了予測:19分
旅の疲れと夜会の疲れの両方に襲われて、レナーミアは夢も見ないくらい、ぐっすりと眠った。
「朝のお粧しにょお時間ですにょ」と猫のメイドに起こされても、しばらくはどうやって寝室まで来たか思い出せなかったくらいだ。
そして、日が一番高く登った頃。レナーミアはドルゼストに呼ばれ、父の寝室の扉前にやってきた。
ドルゼストがノックをする。すると中から「お入りください」とイオルフが現れ、恭しく兄妹を招き入れた。
部屋はカーテンが締め切られていて、少し暗い。
化粧台や小物をしまうタンス。お茶を楽しむための丸テーブル。二脚の一人掛けのソファ。それらに囲まれて、部屋の真ん中あたりにぽつんと、天蓋付きダブルベッドがある。
レナーミアもドルゼストも十坪以上ある自室を持っているが、その倍はある夫婦部屋を一人で使っているグアナーの寝室は、広すぎて寂しげでもあった。
「レナーミア。よくぞ帰って来た」
グアナーはベッドの上で体を起こしていた。端的な言葉と弱々しい声に、レナーミアは目を見開く。
「お父様……」
「すまないのぉ、こんな惨めな姿で。本当は儂も、昨晩の帰省パーティーに参加したかったんだがなぁ」
「いいえ」
レナーミアは笑顔を取り繕うが、何と言葉を返したらいいのか考えつかない。
「レーナ、こっちに寄りなさい。顔をよく見せとくれ」と、グアナーは娘を愛称で呼んだ。
近づいて、レナーミアはさらに驚く。
魔王伯爵として輝いていた英君の姿とは思えなかった。
やせ細り、顔色を悪くして、乏しくなってしまった表情には、いつも明るくて快活な父の面影が失われつつあるようだった。
「おお……フェリナによく似てきたのぉ。どうじゃ、留学先は楽しいか?」
「ええ、とても。宿題はいつも多いけれど、友達にも恵まれて、毎日充実しているわ。長らく家に戻らなくてごめんなさい」
「何、謝ることはない。年明け前の宴でレナーミアがいないのは寂しかったが、お前が達者でいたのならそれでいいんじゃ……グェホッ、ゴホッ!」
咳き込むグアナーの前に、イオルフが痰切り壺を差し出す。グアナーは「大丈夫じゃ」と、手で制した。
「すまんの、まだ喉が熱くて……長く話すのが難しい」
「冷やした水を飲まれますか?」ドルゼストが聞く。
「うむ、そうじゃな。イオルフ、用意してくれんか?」
「畏まりました」
「ああ、あと、これから親子水入らずで話したいことがあるんじゃ……水だけにの!」
「……」
誰もうまく笑えなかった。寒いジョークが健在なのは安堵したいところだが、空元気にしか見えない。イオルフは冗談に理解がないだけだが。
子供たちやイオルフの反応見て、グアナーは自虐的に笑った。
「ゴホン……というわけじゃ、イオルフ。水を持ってくるのは三十分後にしてくれ」
「はい。他の使用人にも部屋に立ち入らないように伝えておきますか?」
「そうじゃな。もし緊急の用があったら、できるだけイオルフに来て欲しい」
「承知しました。では、失礼致します」
「うむ。よろしく頼むぞ」
狼執事が立ち去り、部屋にレナーミアとドルゼストが残される。
グアナーは一転して真剣な表情を作ると、ドルゼストに顔を向けた。
「レナーミアには何処まで話した?」
「まだ何も。これからここで語ります。父上には傾聴していただき、何かあれば補足をお願いできませんか?」
「……そうじゃな。うむ」
話についていけないレナーミアが、兄と父を交互に見る。
「お兄様、語ることって? もしかして昨日の夜会で、お話しようとしてやめたこと?」
「ああ。軽い内容ではないからな」
「……」
「まず結論だけ言う。私は家督を継がず、ツェルナリオ家は代わりの婿を取ることにした」
「え?」
レナーミアは耳を疑った。
「お前はこれから婚約を結ぶことになる。式も早いうちに行うが……」
「ま、待って頂戴!」
あまりにも唐突すぎる話に、レナーミアはおもわず兄の言葉を切る。
「どうしてお兄様がツェルナリオ家を継がないの? それに、私の婿になる人は誰?」
「私がツェルナリオ家を継がない理由は、追々説明する。婿については、これから見合ってもらう」
「……」
「今の所、候補に挙がっているのは四人だ。全員人間だから、慎重に選ばなくてはならない」
つまり、他領の貴族を家に迎え入れるということだ。
グアナーが後妻を取っていない理由と同様に、魔物の土地に入りたがる者は少ない。
だからといって、変な人間を入れてしまえばツェルナリオ家が傾いてしまう。妥協で決めるわけにもいかない。
「でも、そんな、どうして急に……」
「この家の事情が変わったのだ」
ドルゼストは不安げな目を、父に向ける。「続けなさい」と、グアナーは頷きで息子の背中を押した。
「……見ての通り、父上の容体がよくない。今後のためにも、権力のある家から人を引き入れなくてはならないのだ」
「でも、それなら今までの予定とほとんど同じではないかしら? 私は何処かの良家に嫁いで、お兄様が爵位を継ぐ。それとも、お兄様が"半魔"であることを誰かに咎められたの? 悪魔が爵位を継ぐなとか……」
ドルゼストは、実は半分だけ魔物である。
吸血鬼。ドルゼストとレナーミアとは間違いなく血を分けた兄妹で、元々は純粋な人間だったのだが。幼少期のある事故がきっかけで、半魔として生きていく運命を背負うことになったのだ。
吸血鬼は死人に近い魔物。そのため、ドルゼストの内臓は特殊な性質を持つ代わりに、普通の人間より機能が弱い。つまり、子供を作れない体となっている。
だが、ドルゼストが領主になったら、養子をとるか、レナーミアが嫁ぎ先で産んだ子に次を継がせると、予め決めてあった。
さらに、ドルゼストはツェルナリオ家の正当な後継者として、アルクステンの王からも認められている。
「……半魔だからと言われても今更だろう。そうではない。問題は、私が若すぎることだ」
「若い、というだけ? だって、お兄様ほどツェルナリオ家の後継ぎに相応しい人はいないわ」
「私も、同年の者より少し大人びている自覚と、魔物のことをよく知っているという自負があるのだがな」
ドルゼストは人に疎まれることはあっても、それは必ずしも「半魔だから」という理由ではない。
世間への理解が深く、話が論理的で、頭も切れる。秀でているから打たれやすいのだ。むしろ「半魔だから」は、ほとんどドルゼストを貶めるための難癖である。
ツェルナリオ家に理解のある者たちは、口を揃えて「優秀な息子がいて羨ましい」とグアナーに語る。「貴族の長男でなければ部下に欲しかった」と、国の官僚にも言わせたことがある。後継としての器量は申し分ない。
「だが、普通の貴族は、三十歳以降に代を変える。私はまだ二十二だ。いくら優秀だと言われても、十も二十も年の離れた相手と対等に渡り合うのは難しい。その上、今のツェルナリオ家には、いざという時に支えてくれる後ろ盾がない」
「……貴族同士の繋がりが薄いってことね」
兄妹の母は王族の分家出身なのだが。母フェリナは半ば家出をするような形でツェルナリオ家に嫁いできた上に、すでに亡くなっている。
だから母方の家はグアナーのことを快く思っておらず、味方になってくれるような身内ではない。唯一婚約を許してくれたという祖父も、この世にはいない。もはや、母の生家との繋がりはあってないようなものである。
「今のツェルナリオ家が安泰なのは、父上という武の勲章を持つ英雄がいるからだ。誰もが父上の凄腕の武力を恐れるがゆえに、陰口は叩かれても、実害を被ることはなかった。だが、父上を失えば、この領の力は一気に落ちる」
「力を補うために、婿を取るのね」
「ああ。ツェルナリオ領の民を守るためにも」
"伯爵"とはいえ、ツェルナリオ家の発言力はあまり強くはない。国境の監視役を担っているために、爵位に色がついているだけだからである。
その代わり、他の伯を持つ家より、国からの縛りが少ない。だからこそ、魔物を召抱えるという自由も効くのだが。
「でも、お父様が魔物を連れて隣国の軍を破ったから、国は魔物の領の存在を黙認しているのよね? 国王様も、魔物の軍を頼りにしていると、仰っていたって……」
「国も魔物を好いているわけではないのだから、いつもツェルナリオ家に肩入れしてくれるわけではない。陛下がわざわざ賞賛を述べられたのは、その大国の脅威を防ぎたいがため。魔物の軍は人間の軍と違って特殊であるから、父上でないとうまく保つことができないのだ。例え息子である私が大将を継いでも、軍力は確実に下がる」
「だからお兄様は爵位を捨てて、軍の維持に集中するってこと?」
「二の次の理由としては、そうだな」
「二の次? 一番の理由は?」
「婿を呼び込むためだ。一領の主になれるくらいの恩賞がなければ、良家の人間は誰もこの土地に入ろうと思わないだろう」
「……」
レナーミアもちょうど婚期の最中だが、未だに嫁ぎ先となる家がない。留学前は社交パーティーで「婚約者募集中」と振舞っていたのだが、ほとんど声がかからなかった。
相手の年齢や家柄を考えなければ、貰い手もいるだろう。しかし、グアナーがそれを許さない。爵位や若い女が目当てで寄ってきた男も、娘を溺愛する魔王伯爵を「お義父さん」にはしたがらない。
また、何故ドルゼストが嫁をもらう案がないのかと言うと、すでに婚約者がいるためだ。
花嫁候補は純粋な魔物である。魔物を正妻として娶ろうとする半魔の男に、「側妻でもいいからお嫁になります」と言える貴族の女性はいないだろう。
婚約はドルゼストが好んで取りつけたものではないが、約束を隠して嘘をつくわけにもいかない。これもツェルナリオ領のためであり、仕方がないことなのである。
「……お前もわかっているはずだ。ツェルナリオ領が、どれだけ他の貴族に恐れられ、人間たちに怯えられているか。他領では未だに『ツェルナリオ家を取り潰してほしい』と訴える民までいると聞く。国も体裁を守る気になれば、容易くツェルナリオ家を見放すだろう」
「そんなことをしたら、困るのはアルクステンよ」
「国が求めているのは魔物の軍と武の英雄だけで、"ツェルナリオ家"の事情はどうでもいいのだ。例えツェルナリオ領の"民たち"が失われても、アルクステンそのものに大した痛手はない」
「無茶苦茶だわ! 軍を作っているのも、領民なのに……!」
レナーミアは気を落ち着けるために、ぐるぐるする頭の中を整理する。
まず、ツェルナリオ家にはドルゼストを支えてくれる後ろ盾がない。
そのためツェルナリオ家は権力のある家から婿を呼び込み、ドルゼストは魔物の軍の維持に力を注ぐことに方針を変えた。
もしもツェルナリオ家が崩壊すれば、魔物の民たちが路頭に迷う。国は、魔物に対して慈悲はない。保護などしない。
目的は現状維持に過ぎないものだが。今はグアナーがいつ爵位を手放すことになるかわからない。時間の問題なのである。
「どうして。国は何処まで魔物たちを見下しているの? 戦いだけを強いて生活の保障をしないなんてことになったら、軍の維持だってできなくなるのよ。どうして気がついてくれないのかしら?」
「野生の魔物とツェルナリオ領の民を一色端にしているのだろう。魔物が金銭で物を買い生活するというのは、確かに不自然だからな。元々の魔物は野蛮なものばかりで、人間社会には染まらない」
「理由の半分はそうかもしれないけれど。折角、お母様が築き上げた領なのに」
「……まず、ツェルナリオ家が魔物を領民として抱えたのは、父上が軍を作った後のことだ。傾いていたツェルナリオ領の財政を安定させるためにとった政策だから、アルクステンから見れば良い気分はしないだろう。『もしツェルナリオ家が"富領強兵"になったら、一層脅威が増してしまう』と」
「"魔王"だから?」
「ああ」
"魔王"。いつかの日に魔物を従えて人間界を滅ぼす、神に背く悪魔だと言い伝えられる。
もちろん、空想上の存在に過ぎないものだが、生まれてこの方話を知らないという国民はいないだろう。ツェルナリオ領の民たちも知っている。
学者によっては「魔王と魑魅魍魎たちは疫病や災害を例えたものに過ぎず、たまたま身近な脅威である魔物が伝説の材料に使われただけだ」と唱えられることもあるが。
何れにせよ、魔物と人間は決して相容れることはないと、古の時代から考えられてきた。
その常識を覆したのが、グアナー=ドミム=ツェルナリオである。人間の歴史の上でも「ありえない」はずの存在だった。
類稀れな軍才と人外生物を操る能力を世の内に知らしめ、グアナーはすっかり、人間と同列に見られることはなくなってしまっていた。その上で魔物を領民として囲っているとなれば、もはや"気狂い"である。
魔物軍の力は強い。しかし魔物だけが恐ろしいのではない。"魔王"という世界崩壊の伝説の要が半ば具現化しているようなものだから、人間はさらにツェルナリオ家を怖がるのである。
アルクステンも魔物の軍と魔王伯爵を頼りにしている半分、国の脅威になりえるのではないかと恐れているのだ。
「他領を乗っ取ろうとか、魔物で土地を埋め尽くそうとか、そんな野心はないはずよ。お父様も魔物も、争い事はお嫌いだもの。ねえ、お父様?」
「そうじゃな。体を動かすことは好きじゃが、血は流れん方がいい」
グアナーがぼんやりとした目で、虚空を見つめた。
グアナーは兵を動かすことを好むが、積極的に戦うことはしない。ただ、「物事は起こる前に抑えるべき」というのが、グアナーのやり方なのである。
力を見せつけて脅すだけというのも、極論としては平和的。話し合いより武器を取るのが早いのも、相手の降伏を買う意味合いがほとんどだ。
むしろ、グアナーは対等に話し合うのが苦手である。根が素直で大らかな性格だから、相手を言いくるめたり、意見を貫いたりすることができない。
事あるごとにすぐ出兵するから、「魔王を怒らせたらやばい」と、国内の貴族や他国に武断主義だと思われがちだが……逆に言えばその誤解を盾に、ツェルナリオ領は守られていたのである。
もしグアナーがいなくなってしまったら、その盾さえ脆弱になってしまう。
「ツェルナリオ家は代々、武力を維持するだけの存在だった。国から支給される金だけで食いつなげる隷奴と同じ。"魔物を従える"ことでいきなり力をつけたから、アルクステンは飼い犬に手を噛まれるのではないかと肝を冷やしているのだ」
「飼い犬……」
「それがアルクステンの統治方法だ。結局、私が爵位を継げることになっていたのも、父上が進言してくれたおかげだからな。私やレナーミアには何の功績もない。国に楯突けるほど、特別な力がないのだ」
「……」
レナーミアは口をつぐんだ。
父の力に依存して、仮初めの平和の中で生きてきた。留学先でのうのうとしていただけに、いきなり「婿を取れ」と言われても戸惑ってしまう。
貴族は政略結婚が当たり前。それはわかっている。婚期を逃さないで済むし、家に残れるのだから、ずっといいことだと思うけれど……。
「レナーミア」
ドルゼストが呼ぶ。
「不安があるのはわかる。お前の知らない間に話を進めてしまったのも、本当にすまないと思う。方針が明確に固まったのは、手紙を送った後なのだ」
「……そうだったのね」
「婚姻には消極的か?」
「いいえ。ツェルナリオ領のためになるのだったら、私は喜んで結婚するわ」
「……そうか」
ドルゼストが安堵のため息をついた。グアナーもそれに同意するように首を動かす。
レナーミアに「結婚したくない」という意思はない。いずれ、何処か別の家に嫁がなくてはならなかったのだ。
それが逆の形で早まっただけである。
"特別"に思う異性も、今はいない。
私はみんなが好き。みんなが特別。
だから、結婚を拒否する理由なんてないわ。
ふと、ある魔物の姿が頭に浮かんだ。
……そういえば。
"彼"は今、どうしているのかしら?
この場で"彼"のことを口にするのは躊躇いがある。グアナーの手前、余計な心配のタネを持ち込みたくなかった。
……ただし、ラミウスのことではない。ラミウスに好意を寄せられていることを、レナーミアは知らない。
「ああ、そうじゃ。留学先のことだがの……」
俯き加減のレナーミアを見て、グアナーがまた口を開いた。
「学園のことは心配せんでいい。修了できるようにドルが日程を調整してくれる。残り一年と少しじゃが、好きな勉学に打ち込んどくれ」
「……ええ、ありがとう、お父様、お兄様」
誰も不幸にしたくない。
するわけにはいかない。
家族のためにも、領民のためにも。
私は私のできることで、頑張らないと。
「私のことは大丈夫よ。みんなのために何かができるのなら、何も怖いことはないわ」
自分に言い聞かせるようにして、レナーミアは笑った。
*****
「(……黙っていた方が、後で問題になるかもしれない。お兄様は"彼"に直接会ったことがないから。それとも、お父様ともうお話は済んでいるのかしら?)」
イオルフと入れ替わるようにしてグアナーの部屋を出てから、レナーミアは一番の懸念を兄に伝える決心をした。
「お兄様」
「うん?」
「……決まった方針に反発したいわけではないのだけれど、ひとつだけ。どうしても気がかりなことがあるの」
みんなが好き。みんなが特別。家族も、領民も、そうでなくても。だから、"彼"のことが心配だった。
「結婚の話。キドには、どう伝えたらいいのかしら?」
「……」
"彼"の名前を聞いて、ドルゼストは難しい顔をした。
レナーミア超いい子。全然我儘じゃなくね?
……いいえ。長所あれば短所ありです。
次回はツェルナリオ領観光ツアーとなります。
第二攻略対象は次々回登場する予定です。