第2話 小夜会
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レナーミアとドルゼストは少し早い夕食を摂った。その時に背の高い犬の給仕係から、「まだ夜会の準備に時間がかかります。声をかけるまでは寝室にいてくだすい」と指示される。
レナーミアは素直に従ったが、ドルゼストは「まだやるべきことが残っているから」と、食堂を抜けて、伯爵の書斎へ向かっていった。
……父が床に伏している間、領主の仕事はドルゼストが代行しているそうだ。
掃除の行き届いている自室に引きこもって、レナーミアは犬メイド、猫メイドの二人と一緒に荷物整理をし、小夜会に出るための着替えを済ませた。
夜会の衣装には、淡い紫色のパーティドレスを選んだ。着付けが終わり、メイドたちが準備の手伝いに行ってしまうと、レナーミアはすっかり退屈になってしまう。
父の病態のことや留学先のことについて考えを巡らしながらベットに腰掛けていたが、長旅の疲れがあるのか。ついうとうとしてしまい、船をこぐ。「準備が整にょいましたにょ」と使用人たちの声がしてから、ようやく意識を取り戻した。
メイドたちに連れられ、レナーミアはまたメインホールに向かう。壁際には白いクロスを掛けたテーブルが並べられていた。
カラフルな宝石を埋め込んだようなドライフルーツ入りビスコッティ、薔薇の花や犬猫の形をした柔らかいアーモンド飴、チーズや生ハムをスライスパンに乗せたオープンサンドといった、甘味や軽食が用意されている。
レナーミアは夕食より時間の経ったお腹から、小さく音が鳴るのを感じた。
立派なグランドピアノがホールに置かれ、何処からか出張してきた人獣問わない演奏家たちが、手に持つ種々の楽器の音を調節している。
物や"人"を端に寄せてホールを広く開けてあるのは、舞踊を行う夜会だからだ。
舞踊と言っても、貴族同士の華やかで作法の厳しいものではなく、身内だけで使用人たちと踊る、愉快なパーティの催し物である。
「(あら? お兄様はまだいらしていないのかしら?)」
兄の姿を探してきょろきょろと周りを見渡すと、脇に楽譜を挟んだ体の長い魔物がホールに現れ、レナーミアの目に止まった。
「(……ラミウス)」
上半身は人間の体だが、下半身は四、五メートルはある、長い蛇の尾。光の加減でやや紫色にも輝く、背中の途中まで伸びた銀髪を揺らしている。時折スーと赤い蛇の舌を覗かせて、ピアノの鍵盤に向かっていく。
レナーミアはラミウスに声をかけようとしたが、使用人たちから飲料の入ったワイングラスを手渡され、イオルフが開宴の挨拶を始めてしまった。レナーミアが夜会の主役である以上、今は迂闊に動けない。
ラミウスはレナーミアの視線に気がついていないのか、ピアノ椅子に"腰元"を掛けて、楽譜と鍵盤を交互に見ていた。
「……では、レナーミア様が無事に、ツェルナリオ領に戻られたことを祝福して。我々一同と再会の喜びを分かち合い、今宵は楽しんでください」
「乾杯!」と、イオルフがグラスを掲げた。
本来ならグアナー伯爵かドルゼストに音頭を取らせるのかもしれないが、グアナーは欠席しており、ドルゼストはまだ来ていないようだった。
指揮者の合図で、軽やかな音楽が始まる。
グラスの中身を少し飲んだところで、レナーミアはすぐ、男使用人たちから踊りに誘われた。
……その中に、何故か女性である猫メイドも一名、混じっているが。
ツェルナリオ家の使用人は、ほとんどが魔物である。人間なのは厨房のコックたちくらいだろうか。
使用人の犬人、猫人たちは服装で男と女の区別はつくが、初対面かつ服を着ていなければ、レナーミアでもすぐに判別はできない。
今の所、新人の使用人でなければ、顔は見分けられる。レナーミアの案で、上の年齢の使用人から順番に踊っていくことにした。
ちなみに、メイドには「どうか最後にしてくにゃさい」と言われた。他の使用人たちに年を勘ぐられるのが嫌だったようだ。
テンポのいいワルツに合わせて、レナーミアのペアだけでなく、他の使用人たちもくるくると踊る。
犬人、猫人たちの身長は百三十センチ前後。百六十センチ少しのレナーミアより、ずっと背が小さい。
ダンスの輪の中でも、人間であるレナーミアはその存在が際立つ。パートナーの使用人それぞれと話しながら笑いかけるレナーミアは、まるで子供と遊ぶお姉さんのようだ。
曲がタンゴに変わる。
最後に猫のメイドと踊った。どちらが女性役になったかというと、レナーミアである。
アルクステンの社交ダンスは、男性目線だと、右手は女性の手を取って体より横に伸ばし、左手は女性の背中の真ん中あたりに回して支えるというのが基本姿勢である。パートナーとの距離の取り方は、お腹同士が拳三つ以上離れるのがベストとされる。
つまり、犬人、猫人がレナーミアを支える時は、どんなに頑張っても腰よりやや上に手を回す形になる。
また、レナーミアは使用人たちが自分の腕を取りやすいようにと、体をかがめていた。
「(……さすがに、腰が疲れてしまったわ……)」
自然ではない体勢のまま、十曲以上の参加。
メイドと踊り終わった後、レナーミアは休憩のために自分の椅子に戻った。
レナーミアが無理をしていることは猫メイドが途中で気がついたが、レナーミアは「平気よ」と明るい笑顔を続けた。
小さい頃は、使用人たちと踊るのも全然苦じゃなかったのに。
犬人猫人たちが踊る様子を眺めながら、ビスコッティを齧る。
実家の夜会が催される度に、父や母が適度に休息を挟んでいたことを思い出した。
確か、前回の小夜会に参加した時は、お兄様も頻繁に休憩するようになっていたわ。
自分も、途中で休もうかと思ったが。誘ってくれた使用人たちが踊りを遠慮してしまうかもしれないと考えて、やめた。
レナーミアは弱音を吐くことはない。自分の都合で、人に気を遣れたくないのだ。
「どうした? 踊らないのか?」
不意に声をかけられる。ドルゼストだった。
「お兄様。今いらしたの?」
「ああ。開宴から参加できなくてすまなかった。どうも、まだ書類の扱いには不慣れでな……」
乾杯の音頭を取った後は、イオルフも夜会から姿を消していた。おそらくはドルゼストを手伝うためだろう。
「やっぱり、領主のお仕事は大変なのね」
「慣れてくれば効率もよくなるだろうが。何せ、急に任されたことだったからな」
「お兄様は頭が良くてしっかり者だから。きっとお父様の仕事も、すぐ引き継げると思うわ」
ドルゼストは神妙な顔をして口をつぐむ。
「……レナーミア、そのことなのだが……」
「うん?」
「……いや。今言うべきことではないな。忘れてくれ」
「何か大事なお話なの?」
「明日、父上とお会いした時に話そう。今日はパーティを楽しむべきだ」
ドルゼストはレナーミアの前に右手を差し出した。
「折角だ。私とも一曲踊らないか?」
「ええ。もちろんよ!」
レナーミアの腰の疲れはまだ回復していない。だが、レナーミアより頭一つ高いだけの身長なら……。
「(たぶん、大丈夫よね)」
レナーミアは残ったビスコッティを皿に置いて菓子の粉を軽く払い、兄の手を取った。
ドルゼストの手は、ひやりと冷たい。
舞踊の輪に入り、側で見るドルゼストの顔色は悪かった。
レナーミアは度々聞かれる留学先についての質問に答えながら、思っていた以上に深刻なことがこのツェルナリオ家に起きているのだと、実感する。
……兄妹は、十年前に母を亡くしている。
しかし、グアナー伯爵は後妻を取らなかった。
「生涯妻として愛せるのはただ一人!」という本人の希望だけではなく、再婚相手の候補がいなかったというのもある。魔物だらけの土地に娘や自分の身柄を渡そうと考える酔狂な貴族は、そういない。
もし、お父様まで失うようなことがあったら……ツェルナリオ領はどうなってしまうのかしら。
仮定とはいえ、想像したいものではない。レナーミアは考えていることを頭から締め出した。
一曲踊りきり、ダンスの輪から抜ける。
「……すまないが、明日も早くてな。今日はこれで休ませてもらう」
「……」
「そう難しい顔をするな。私はレナーミアが無事に帰ってきてくれて嬉しい。お前が海外で上手くやれているのか、心配でならなかった」
「……私も、お兄様に会えて嬉しいわ」
ドルゼストは温かく笑って、レナーミアの頭をぽんと叩いた。
「また明日。おやすみ」
ドルゼストはホールから去っていく。
……お兄様、きっとすごくお疲れなのに。私と踊るためだけに、来てくれたのね。
ドルゼストはいつも優しい兄だ。レナーミアのことを気遣ってくれる。
他人に対しての優しさというのは、兄も妹も持ち合わせている。だから、ドルゼストも簡単に弱音を吐かない。
やがて、イオルフがホールに戻って来た。
レナーミアは兄の内心について聞き出そうと、狼執事に声をかける。「私とも御一曲」と誘われたので、踊りながら話すことにした。
「……はい。お辛いようです。本当は言いたいことが山ほどあるのでしょう。しかし、ツェルナリオ家の長男としての責務を果たすために、とても頑張っていらっしゃいます」
「……」
「レナーミア様も、ドルゼスト様を支えてあげてください。皆で力を合わせれば、何とかなりますよ」
「……そうね」
「私も、ツェルナリオ領を守るために、残りの生涯を捧げます。老いぼれた狼は、ここを死に場所にするつもりです」
少し引っかかるような言い方だった。
ツェルナリオ領も、以前は人間だけが領民だった。魔物を領民として数え始めてからは、実はまだ、三十年ちょっとしか経っていない。
イオルフはおよそ三十年より前からグアナーに仕えていた魔物であり、一番最初の領民だ。"魔王伯爵"が現れるまでの過程と、今のツェルナリオ領が確立するまでの光景を全て見てきている。
屋敷で働いている使用人たちは皆、ツェルナリオ領で生まれ育った魔物である。しかし、イオルフだけは元々野生の魔物だ。
グアナーに絶対の忠誠を誓っている彼は、年老いた分だけ死を意識し、どこか達観して物事を見るようになっていた。
野生の魔物として生きる厳しさも、人間社会の難しさも、両方経験してきている。
ツェルナリオ領に愛着があるのも、彼なりに思うところがあるのだろう。
……少なくとも、イオルフはお兄様を助けてくれているのね。
イオルフは野生の感覚が残っているため、余所者には厳しく当たる面もあるが。仲間と認めた相手には親切だ。頼れる"人"だと、レナーミアは思っている。
踊り終えると、イオルフは一礼をしてホールを去っていった。また書斎に戻るのだろうか。
演奏が一旦止む。小休憩に入った。演奏家たちが、犬人の配るグラスで喉を潤している。
レナーミアはラミウスに目を向ける。蛇の演奏家はピアノ椅子から立ち上がると、するすると玄関の外に出ていった。
「今が話しかけるチャンスかもしれない」と、レナーミアは幼馴染の後を追った。
次回は変態蛇野郎との会話シーンです。