第20話 慈しみの蛇
蛇野郎意味深発言の回。2つの意味で。
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蛇が移動する速さは、人間の走る速度と同じくらいだと言われる。
だが、蛇が獲物に飛びかかる時の速度は、その六倍にまで跳ね上がる。
ラミウスは野生の魔物ではない。人蛇の中でも動きが俊敏とは言えないだろう。体も大きいから、ただの蛇より"鈍速"かもしれない。
だが、人知を超える力を持つのが魔物。
四メートル級の長い体がバネのように縮んで宙を飛び、エルゼル公爵子を捕らえるのは一瞬だった。
「っ、ひっ!? ぎゃああああああああーーーっっ!!」
木の幹のように太い蛇の体に巻き付かれ、エルゼル公爵子が血相を変えてつんざくような悲鳴を上げた。
食堂にいる人と魔物の間に、ざわりと緊張が走る。
すぐに動いたのはイオルフだった。おたおたと狼狽える護衛よりも先に、ラミウスとエルゼル公爵子を引き離そうと蛇の尾を掴んでぐっと引く。
「……少しばかりの猶予をくださいませ。わたくしはこのお方に危害を加えるつもりはございません」
ラミウスは狼執事にそう言って、胴を解こうとしない。イオルフが無言で顔をしかめてからすぐに、「無礼はよせ! 何をしているのだラミウス!」と、ドルゼストが呼びかけた。
「ご心配には及びませんよ、ドルゼスト様。わたくしはこの方に、急ぎ話をしたいだけなのです。どうかこの蛇の粗雑な態度をお許しください」
イオルフが「如何しますか?」とドルゼストに問いかけるような視線を送る。
ドルゼストとレナーミアは長年の付き合いから気がついていた。ラミウスの落ち着いた口調の奥には、激しい怒りを秘めているのだと。
だが、ラミウスはかなり理性的な男だ。感情任せに人に噛み付いたり、強く締め上げたりはしない。エルゼル公爵子を傷つけることはありえない。
ドルゼストは護衛たちに目を移す。あちらは武器が手元になくても、隙を見てラミウスを攻撃しかねない。そんな一触即発の殺気を放っていた。
「……ラミウスのことは大丈夫だ。この場に誰も怪我人が出ないようにだけ注意してくれ」
「承知致しました」
イオルフが掴んでいたものを降ろす。
尾の先が自由になるとラミウスの体がずるりと動き、鱗がエルゼル公爵子の体を擦った。
「ひいいいいーーーー!!」
客人は蛇が相当苦手なようだ。
「ら、ラミウス……エルゼル様が怖がっているわ。離して差し上げて」
顔に血の気がないエルゼル公爵子が可哀想に思えたレナーミアも、ラミウスにおそるおそる声をかけるが。
「……はて? 怖がっているのでしょうか? 緊張されているようには見えますが」
ラミウスから惚けたような答えが戻り、レナーミアは「え?」と唖然とする。
「戯けるな」
叱りつけるように切り返したのはドルゼストだった。
「さすがに、ついていい冗談とそうでないものがある」
「冗談ではございませんよ。わたくしはただ、エルゼル公爵子の余りにも早すぎるお帰りを惜しんでいるだけなのです」
「惜しんでいる?」
「はい。わたくしには、エルゼル様がツェルナリオ領のことをよく考えてくださっているのだと見受けられました。素晴らしきお言葉の数々に、思わず心を奪われしまったのです」
胸に手を当ててにやりと微笑む蛇の顔。間違いなく方便である。
こうなったラミウスを止めるのは難しい。ドルゼストに諭されようと、イオルフやエルゼル公爵子の護衛たちに手荒な行為を受けようと、絡めた蛇の体を緩めようとはしないだろう。
「クスススス……そうではございませんか? エルゼル様」
「な、な、何のことだ……?」
「蛇は耳がよいのです。失礼ながら、ご紹介を受ける前の、レナーミア様との会話も聞こえておりました。貴殿は利を求めてこの地に来たわけではなく、民の目線で物を考えていらっしゃるようだ。魔物を見くびらず、しかし整然と物を言う。その臆することのない信条と勇気は魔物の主に相応しき素質。その心意気に、すっかり惚れ込んでしまいました」
「こ、心意気?」
「貴殿のような方には是非、この地を治める者になっていただきたい。このツェルナリオ領の一領民として、わたくしは歓迎の意を示します」
蛇の体がさらにエルゼル公爵子の肌を圧迫し、「ひいいいいいい!!」と悲鳴が上がった。
「……ええ。歓迎致します。ですが。不躾ながら一つ、ご忠告をさせてください」
「は、ひ……?」
「ツェルナリオ領は特殊な土地。現状としては、"信頼"だけで成り立っている世界です。それ故に、ツェルナリオ領の魔物は、他所から来た貴族に不安を抱く。もしも、民の期待から外れるようなことをすれば、どうなるか? 聡明なエルゼル様であればお分かりのはずでしょう? 魔物は人間よりも、力が強いのですから」
「っ……!」
「魔物は大変臆病でございます。共生意識も高いために、蜂起の発想に至ることは稀でしょう。だが無きにしも非ず……恐れながら、これは蓋然的に新たな領主となりえるお方に先んじて申し上げるべきことだと、考えた次第にございます」
ずっと蛇の顔をエルゼル公爵子に近づけて、ラミウスは妖艶な笑みを浮かべた。
「"信用"こそが魔物との絆。魔王伯爵は、ツェルナリオ領という"群れ"にとって神に等しい"リーダー"であり、ここに住む魔物はツェルナリオ家そのものを崇敬している。それを崩すような発言は極力控えていただきたいものです」
「つ、つまり、ツェルナリオ家を侮辱したように聞こえたから、謝罪しろってことか……?」
「滅相もない。わたくし如きがエルゼル様の深いお考えに口出しなどできません。ただ、領民にとって、雲の上の声の解釈は様々です。この先にあらぬ誤解がないようにと……魔物を敵に回すことがないように。エルゼル様の身のためでございます」
ラミウスが艶のある目を光らせて、スーと割れた舌を泳がせた。
……突然、エルゼル公爵子の力がくたりと抜けた。
「エルゼル様!?」
「エルゼル公爵子!」
レナーミアとドルゼストが安否を確認しようと駆け寄る。エルゼル公爵子は白目を向いていた。
「おや、眠られてしまいましたか。エルゼル様はお疲れだったようですね。すぐに休めるところへお連れ致しましょう」
「もういい! お前は控えていろ!」
ドルゼストはラミウスを退けさせた。そして犬人猫人を呼び寄せ、気絶したエルゼル公爵子を客人用の寝所へ運ぶように指示した。
小さな従僕たちが担架を持ってきて、男一人の体をえいさほいさと六人がかりで食堂の外に出す。護衛たちもイオルフに淡々と促されて、エルゼル公爵子の後を追いかけていった。
「ドルゼスト様。私はしばらくあの者と護衛の近くについて、動きを見張ろうと思います。何かご指示があれば、従者の誰かを遣わせてください」
そう言って狼執事も出て行く。ラミウスを一瞬だけ睨んでから。
メイドたちが壁際で待機のポーズを取りながら、「イオルフさんかなり怒ってるね」「にゃあ。音楽師の独断であのマッスルメンたちを刺激したようにゃものにぇすからにぇ」「穏便に済めばいいけろ。これからどうなるんらろう……」と、ひそひそ話をしている。
「何てことをしてくれたんだラミウス。エルゼル公爵子に『ツェルナリオ領で魔物に襲われた』と噂をされたら、今後に響くのだぞ」
「申し訳ございませんドルゼスト様。感動に溢れるあまり、つい心を乱してしまいました。わたくしもエルゼル様の傍について、一切の害意がなかったことをご説明して参ります。目を覚まされた際にすぐお詫びをしなくては」
「いや、そうではなくてな……」
鬼である。確信犯だろう。起きて目の前にまた恐ろしい魔物が立っていたら、エルゼル公爵子はどう思われるのか。
ドルゼストは頭を抱えた。ラミウスは大人しい紳士だが、時折サディスティックな一面を見せることがあるのだ。嘘八百を並べる口ぶりと共に、表立って感情を見せない代わりの態度とも言える。
だが、ラミウスは何故「歓迎する」と、わざわざ心にもないことを言ったのか?
これは、婿候補を明らかに拒絶しないためだろう。あくまでも示したのは「歓迎の意」。追い払うような印象を持たれないようにするためだ。
「ラミウス」
レナーミアがそっと声をかけた。
「はい」
「ラミウスは、私たちのために怒ってくれたのよね。それは嬉しいけれど、やりすぎよ。人を脅すのはよくないわ」
「差し出がましい真似を致しました」
蛇はするりとお辞儀をする。
「……ですが。ドルゼスト様、レナーミア様。ツェルナリオ領のことを気負いすぎないでください。無理をして体を壊されるようなことがあってはなりません」
「……? どういうことだ?」
「お二方のツェルナリオ領を守りたいという気持ちはよくわかります。わたくしも、この地の存在が恒久であって欲しいと願っております。だからといって、己を切り崩すような考え方はおやめください。民の主が不幸になられたら、民が幸せになることもありえません」
「……」
「……」
「わたくしは領民である以前に、ツェルナリオ家の味方です。多くの者に失望されようと、見放されようと。例えこの地が滅びの道を辿っても、ドルゼスト様とレナーミア様の平穏は必ず守られるように……ただ、それだけが叶うことを望みます」
そして、ラミウスはすっと顔を上げ、レナーミアと目を合わせた。
「レナーミア様。将来を添い遂げる相手はよく考えてお選びください。ツェルナリオ領のためではなく、どうか貴女のために」
「……ラミウス」
蛇男は丁寧な一礼をしてから、するすると食堂の外に抜けていった。
***
エルゼル様が突然お怒りになられたのは、おそらくわたくしのこの姿が起因でしょう。
見た目で恐れられる辛さ。迫害され虐げられる苦しみ。わたくしはその両方を知っているつもりですが。
……致し方ないのです。わたくしは人蛇。魔物ですから。
ツェルナリオ家とは長い縁がありますが、わたくしは一介の領民に過ぎません。決められた方針に何も口出しをするつもりはございませんでした。
レナーミア様がご婚約されるという話にも。
実は、レナーミア様がこちらに戻られる前に、ドルゼスト様から少しお話を伺っておりました。レナーミア様がご帰邸される三日前のことです。
「もちろん、本人に了承を得てから本格的な準備を進める」
そうドルゼスト様は仰られ、苦い顔をされていました。
「政略結婚なんて、妹にはさせたくなかった。切り出すのも心苦しい。『留学先に好きな相手がいる』とでも言われたらどうするべきかと、まだ悩んでいる」
「……。レナーミア様ならば拒まれることはございません。それもおそらくは、貴族の宿命。いつかはそのような日が来るのだと、わたくしは思っておりました」
シューと己の舌を出して、そっと静かな笑顔を出す。
「ドルゼスト様にご協力致します。わたくしにできることならば、何でも仰ってください」
あの晩に。レナーミア様と踊った日に何も申し上げなかったのは、ドルゼスト様のお心を気遣ったためです。
そして、インヴェリオ家の五男がお越しになられる日が定められ、わたくしは晩餐時の演奏を任されました。インヴェリオ家と言えば、地方の管理だけではなく、アルクステン王国の政界に関わりが深いと耳にしたことがこざいます。ドルゼスト様が大変期待を寄せておられたようです。
しかし、流石に。来領されたかのお方の言葉は、聞くに耐えなかった。
レナーミア様への侮辱と、ドルゼスト様の気苦労を踏みにじるような発言。もしも事が許されれば、わたくしのこの胴で容赦なく絞め殺していたことでしょう。
「ここに住む魔物はツェルナリオ家を崇敬している」
大袈裟な言い回しです。ですが、少なくともこのラミウスには、当てはまります。
わたくしはツェルナリオ家に育てられたようなもの。ツェルナリオ家なしに今のわたくしはない。恐れ多い考えではございますが、わたくしにとっては、皆様が家族のように思えるのです。
ドルゼスト様のご意向を裏切ったことに後ろめたさはございます。しかし、後悔はないのです。あのような相手にレナーミア様を渡すわけには参りません。どれだけ血筋の良い貴族であろうと、ツェルナリオ家を悪し様に言い、わたくしの最愛のレナーミア様を無下に扱うあの者などに。
……ええ。わたくしはレナーミア様を愛しております。親愛の意味でも、異性としても。レナーミア様がまだ赤子に近い時から、ずっと見守ってきたのですから。
そして、夢を見続けた。人知れぬところで愛の口説き文句を唱え、思うがままにする夢を。可憐な姿をひたすらに穢し、甘美に浸る夜を。
躊躇いなどございません。所詮は夢想。わたくしはこの上なく、貴女を愛しているのですから。相応の劣情を持つことくらい、当然ではありませんか。
わたくしこそが、レナーミア様をこの世の誰よりも深く深く、愛しているのです。
……これは愚かな恋に思えますか?
恋をすることは罪なのでしょうか?
クスス。いいえ。わたくしは何も悪いことはない。この蛇の心意気は誠実であると、絶対の自信を持って語ることができます。
かつて、わたくしは胸に決めました。孤独な恋を貫くのだと。
わたくしの役目は、貴女の笑顔を守り抜くことなのです。
この片想いが、身分不相応の一人想いが、大切な者たちを傷つけることがないように。
レナーミア様はツェルナリオ領にとって最後の希望。ドルゼスト様もグアナー様も、レナーミア様に未来を賭けていらっしゃる。
そして、レナーミア様は懐が深く、お優しい方だ。わたくしの想いを知ったら、振り払うことができずに惑ってしまわれるでしょう。
だから、これでよいのです。
誰も裏切ることがなく、誰も苦しめることがないのですから。
全てはツェルナリオ家のため。わたくしが敬する一族のために。我が振りを省みずお二人方に物を申してしまいましたが、わたくしの"思い"もまた、似たようなものなのです。
……レナーミア様。
何処にいても、何をしていても。わたくしの貴女への気持ちは変わりません。
誰と添い遂げても、必ず幸せになってください。
貴女を常に愛するが故の、望みでございます。
蛇野郎は根が真面目すぎるから、恋煩いで脳みそやられちゃったんですよね。
詳しいエピソードはまたの機会に語りたいと思います。
次回は第2婿候補vsぬるぬる君のお話!
続きは書き上がったらまた報告します。
どうか気長にお待ちいただけたら幸いです。
ここまでご閲覧ありがとうございました。




