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第19話_公爵家③

とーきんぐばとる。


要約しますと、ゲストと兄妹の間でツェルナリオ領の良し悪しを巡る議論が繰り広げられ、結果「蛇野郎がいるから悪い」という結論に至るお話です。


読了予測:22分


「……? エルゼル様? どうかなさいましたか?」

エルゼル公爵子をまた不愉快にさせたのかと思ったレナーミアは、顔色を伺いながら問うた。


「……魔物の力を利用した生活。さすがは魔王伯爵と伯爵夫人の築いた土地だ。この領そのものが、人知を超えた『化け物』だな」


「……」


その言葉は、純粋に驚いているようにも聞こえた。


 確かに、土の下に川を作る、肉の大量生産をするといった技術は、オーバーテクノロジーと言っても過言ではないのだ。理論上は可能だろうが、現実的にはどんな大国でも難しい。

人材、金、時間といった多々の問題を排除して社会基盤に組み込んだツェルナリオ領のやり方は、相当突飛だろう。


レナーミアはふと、初めて海外で暮らした時のことを思い出す。


「生活というのは、土地と環境で大きく変わりますものね。私も、初めて海外に留学した時は驚きました」


 水資源を貴重とする国に行ったレナーミアは、「毎日湯浴みをするのは贅沢よ!」と寮母から説教をされ、カルチャーショックを受けたことがあるのだ。


「他の土地の技術は遅れてるって言いたいのか」


「いいえ。ただ、外の世界から自分の過ごした場所を振り返って、自分がいかに幸せな環境で育ったのかを自覚しました。故郷が『化け物』であることを、本当の意味で知ったのです」


「……」


「でも、私はその『化け物』が好きです。悪いものではないのだから。魔物の力は人間の力は、合わせればより大きな力になって、よりよいものになりえるのね、と。本当に感動しました」


「……」


「エルゼル様。ツェルナリオ領は素敵なところです。是非、この土地を好きになってください」


「……『好き』になれ、か」


 イェルズェル公爵子が肉の欠けらを皿に残し、かちゃりとカトラリーを揃えて置いた。


「……ここは悪魔の土地だからな。良いところを来賓に見せるのは当たり前だ。悪い面を見るまでは、本当の意味でいい土地か悪い土地か、判断ができない」


「……」


「悪評ならばごまんとありますよ。金銭事情で言えば、この領の経済の回りは悪く、外との交易も少ないのです。食事や生活は彩に欠けて、刺激に乏しいという退屈さはあります」

 と、レナーミアに代わって、ドルゼストが応える。


「経済の回りが悪い? 交易が少ない? 世界中から人を呼び込める観光地を持っているのにか? それは金がツェルナリオ領に貯まるばかりで、ほとんど動かないということだろ。自給自足に頼って、鉄資源も水資源も豊富で、軍力も高い。ツェルナリオ領で人の生活が完結できる。まるでひとつの国だ。いや、閉じられた別世界か。本当に、悪魔に魂を売ったみたいだな」


 毒の絶えない言葉を聞いて、レナーミアは「喧嘩をしたいのかしら……」と思ってしまった。それとも、エルゼル公爵子の素の口癖なのか。


「俺は世の中にうまい話はないと思っている。いい話こそ裏がある。真に信用するべきは、悪点だ」


「……」


 あまりにも捻くれた言葉。返答が思いつかないのか、ドルゼストも口を閉ざした。


 護衛を常に傍に着かせる、武器を携帯する、遠慮のない探るような発言を繰り返す。エルゼル公爵子は、かなり慎重な人間なのだろう。


「"悪魔も人も使い様"ということだろ。それは理解できた。だが、あまりにも話ができすぎている。何か大きな汚点を隠しているな?」


「大きな汚点ですか……」


 考え事をするためだろう。ドルゼストは数拍の間、言葉を止める。


「……ツェルナリオ領は一見安定しているように見えますが、社会としてはとても未熟です。人間だけの領では考えられない争いも起こるため、揉め事は領民たちの良識に頼りきりで、実質の法整備が追いついていないという問題はありますね。だからこそ、司法に関する学識の高いエルゼル様に、ツェルナリオ領の平穏を守っていただけたらと思います」


「物好きの貴婦人もとうの昔に旅立って、英雄も死にかけか。助けを叫べない孤立した島だから、婿を呼び込むなんて考えになったんだろう。とはいえ、家にも外にも、住み着いているのは魔物、魔物、魔物。ツェルナリオ家は、悪魔の力に頼り過ぎだ」


「……」


「人間に愛想を尽かされれば、それも必然なのかもしれないけどな。だが、魔物は人に危害を加える害獣だぞ? 魔物と仲良く暮らすのが当たり前という顔をして、どうして爪や牙を持つ存在に危機感を持たない?」


「……。魔物も人も、同じですよ」


レナーミアが反論する。


「ツェルナリオ領には、魔物以外にも人間の住民がいます。でも、どちらが上か下かといった差はなく、皆それぞれのできること・できないことを補い合って、生きているのです。エルゼル様は"悪魔も人も使い用"だと、仰いました。悪魔も人を救う善者になりえることもあります。人間の方が魔物より残酷な考えを練ることがあります。魔物だから、人だから、敵になるか、味方になるか、と、明確な境界線を引いて問題提起をするべきではありません」


「……」


「魔物は爪も牙もあるけれど、人間を恐れます。信用の有無はお互い様なのです。一方的に危険なものだと決めつけて、互いに悪魔だ敵だと区別するから、魔物と人の間に溝ができてしまうのでは?」


「レナーミア」

 ドルゼストの声を聞き、レナーミアははっとして、口をつぐんだ。


 ドルゼストが背の高い犬人(クーシー)の名前を呼ぶ。


「次の皿を持ってきてくれ」


「かすこまりますた」


 背の高い犬人(クーシー)によって、喫食者三人の鉄の皿が回収される。

 イオルフはドルゼストにワインを注ぎ足すように頼まれ、ボトルを手に持つ。


 次の料理を運ぶ準備をしようと、部屋の壁際に控えていた従僕やメイドたちがぞろぞろと食堂を出て行った。


 止まっていたかのような時が動き出す。


「……魔物も人も同じ? 馬鹿馬鹿しい」

 エルゼル公爵子が鼻で笑う。


「つまりは、平等だということか? 無茶を言う。人すら同じ存在として扱われることがないというのに、魔物を人間と同族のように見れるわけがないだろう。現に、魔物と人間では生き方が異なるからこそ、特殊な領統治をしているんだろう? この土地は」


「……」


「この領は治安がいいそうだな。魔物が人を襲わない。だが、それは何故だ? ツェルナリオ領の魔物は、みんな共生意識が強くて、敵対心を持たないというのか? 優劣を巡って食い合うことがありえないというのか?」


「……」


「俺にはそれが理解できない。それが真実だとしたら、レナーミア嬢のいう通りだろう。ここは素晴らしい土地であり、理想郷だな」


「……仰る通りです」


 ドルゼストが言葉を挟んだ。


「ここの領民たちの共生意識が強いのは間違いないでしょう。ツェルナリオ領は、魔物の世界からも、人間の世界からも隔離された場所だからです。法整備が整わない状態でこれだけの平穏を維持できるのも、一種の領民性……魔物たちが、"人間"や"ツェルナリオ領の民"に敵意を持とうとしないからです」


「……。薄気味悪い世界だな」


 ワインが注がれ終わった。それから少しして、狐色のベイクドチーズケーキが到着する。取り分けるための皿も小さな従者たちに配られ、戻ってきた背の高い犬人(クーシー)がエルゼル公爵子に「お切り致すますか」と声をかける。「少し腹を休めるからいい」と、不機嫌な声が断った。


「結局は、箱庭に"人に危害を加えない"という選りすぐりの魔物を集めて、安心感を生み出しているってことか」


「それでも、危険を想定するのは大切なことです。私も日頃から神経を張りすぎて、疲れを溜めてしまう人間でして。エルゼル公爵子とは気が合いそうです」


「ドルゼスト伯爵子と?」


「私とよく似た意見を持っていらして、思わず親近感を持ってしまいました」


「同感するのは勝手だが、一緒にされるのは納得がいかない」


「……そうですか。失礼しました」


 ……どうして。


 レナーミアは心の中で思う。自分が余計なことを言ってしまい、兄がうまく話を切り上げてくれたのは分かっているのだが。何だかもやもやした気持ちが治らない。


 武装して警戒するから、相手も警戒してしまうのよ。まずは心を開いて、受け入れることが先ではないのかしら?


 お兄様も似たような考えみたいだけれど……。


「ところで。エルゼル公爵子は、器楽にご興味はありますか?」


 食事が終盤に差し掛かったこともあり、ドルゼストは大きく話題を変える。


「器楽? 戯曲や芝居なら、人の付き合いで見ることはあるが……」


「本日の晩餐会をより楽しんでいただくために、ツェルナリオ領で最も才能のある音楽師を呼びました。魔物の演奏家が歓迎を奏でる、という演出は如何でしょうか?」


 ……今更だけれど、これってまるで、ラミウスを見世物にしているみたいよね。


 先日、案を出した後にやや罪悪感のような不安を覚えたのだが、ラミウスは「この上ない機会です」と、快く引き受けてくれた。実際に、ラミウスは一介の芸術家として自身が魔物であることを売りにしている。


 ラミウスの本心までは分からないが、レナーミアは四年前にその理由を聞いた。


『それは音を聞く者に、魔物としてのわたくしを受け入れていただくためです』


「……魔物の音楽師か。俺はそこまで音楽に精通していないがな。用意してるのなら、聴くだけ聴こう」


 ドルゼストがにこやかに笑って、「ラミウスを呼んできてくれ」と、イオルフに合図を送る。


 エルゼル公爵子は狼執事が去っていった食堂の入り口に顔を向けて、ぎょっとしたように目を見開いた。


 長い体を持つ魔物が、スルスルと赤いカーペットを這いながら、ドルゼストの傍に近寄る。


「……あら? エルゼル様?」


 レナーミアは凍りついたように動かなくなった公爵子に声をかけるが、今度は返事がない。


 細い尾の先までが食堂に入る。ラミウスは何気なく人のいない椅子の縁に手を置いては、くるり、くるりと蜷局(とぐろ)を巻いた。


「彼が、ツェルナリオ家専属の音楽師です」


「そ、そいつは……人蛇(ラミア)か?」


 エルゼル公爵子はやや上ずったような声を出した。


「はい。彼はその中でも珍しい、男の人蛇(ラミア)です」


 ドルゼストの言葉の後に、ラミウスが胸に手を当て、するりと優雅に体を屈める。


「お初お目にかかります、エルゼル・カトル・インヴェリオ様。人蛇(ラミア)族のラミウスと申します。本日はこの蛇の拙き音に耳を許してくださるとのことで、誠に光栄でございます」


「……」


「エルゼル公爵子? 顔色がよろしくないようですが、ご気分が優れませんか?」


 ドルゼストの問いに、エルゼル公爵子は睨むような視線を返す。


人蛇(ラミア)の音楽師がいるなど聞いていない」


「……確かに人蛇(ラミア)も凶暴な魔物の一種と数えられていますが、ラミウスはとても温厚で、生粋のツェルナリオ領育ちです。好物も……よく焼いた肉団子(ミートボール)だったな、ラミウス」


「はい。わたくしは人蛇(ラミア)ですが、生の肉はあまり得意ではございませんゆえ。こうして人と話していると、わたくし自身、魔物だという自覚が薄れてしまいます」


 スーと出し入れされる蛇の舌。エルゼル公爵子は胡散臭いものを見るような目をしている。


「エルゼル様、どうかご心配なさらないで」

 と、レナーミアが言葉を添える。


「ラミウスは私とお兄様の幼馴染で、家族のようなものです。彼は心優しくて素敵な紳士であると、私たちが一番よく知っていますから」


「おや。レナーミア様も、お世辞が上手になられましたね」


「あら、お世辞じゃないわ。周知の事実よ」


 如何にも仲が良さげ。というツェルナリオ家の兄妹と蛇の魔物の馴れ合いきった会話を、貴族の客人はげげんそうな顔で見ていた。


 ドルゼストはその表情を見たせいか、「頼んだぞ」とラミウスに声をかける。

 ラミウスは軽い会釈をし、しゅるしゅるとグランドピアノに向かって行った。


 ……エルゼル様。もしかして、蛇がお嫌いなのでは?


 ラミウスではなく、お師匠様にお願いした方がよかったのかしら……?


 ラミウスは妖艶な蛇だが、ラミウスの師匠は強面で豪快な大熊である。「お貴族様の相手ならラミウスが適任だろ」と、師匠側も弟子を薦めていた。物腰柔らかいラミウスの方が、第一印象で人に怖がられにくいと考えていたのだが。


 ……レナーミアもドルゼストもだいぶ感覚が麻痺しているが、人間の中には、魔物を生理的に受け付けられない者もいる。


 レナーミアは何事にも寛容すぎるためか、魚も虫も蛇も毛嫌いすることはない。ハエの集った動物の死体にも平然と近づけるため、留学先で「お嬢様らしくない」と、同級生に驚かれたこともある。


 兄妹の余裕は必然。魔物と共に育った故の感性である。


 そんな二人の幼馴染の魔物は、木の枝のように広がる大きな燭台に挟まれた椅子に座り、鍵盤に手を置いた。


 トロン、と滑らかな音から始まって、打弦楽器が奏でられる。


 ゆったりとした高音域が、晩餐の間に柔らかく響く。ピアノの音があっても、その空間はまるで静音であるかのようだ。


 だが。レナーミアはラミウスの調べに耳を傾けながらも集中はできず、ちらちらとエルゼル公爵子の顔色を伺っていた。


 ……『選りすぐりの魔物を集めて、安心感を生み出している』。

そうね。ツェルナリオ領の民は選ばれている。住民票で、住民と他の魔物と区別するのは確かだもの。エルゼル様のいう通りかもしれない。


 でも、それは魔物と人が一緒に生きるための確約に過ぎないわ。


 "ツェルナリオ領"を選んでいるのは、それぞれの意思よ。


 人のように暮らしたいと思う魔物と、そうでない魔物。


 ツェルナリオ領という"群れ"を愛する人間と、そうでない者。


 人魚村(アエス・ヴィクス)の青年が言っていたわ。「魔物、人問わず、合う合わないはある」と。


 ここはよくない噂ばかりが立っているけれど、決して悪いところではない。

「好き」か「嫌い」か。個人差。個体差。たったそれだけの違い。


 ちらりと、囚われの大蜘蛛アラネアの姿を脳裏に起こす。


 ……でも、エルゼル様はツェルナリオ領をよくご存じないだけで、嫌っているわけではないのよ。


 私と結婚する人には、ツェルナリオ領のいいところを知って欲しい。嫌な土地にいるのは、辛いことだと思うから。


 ……いいえ。婿候補の人たち全員が。ツェルナリオ領の何処かを、少しだけでも好きになって欲しいわ。


 突然、がんと椅子が動く音がした。エルゼル公爵子が立ち上がったことで、ピアノの音色が中断される。


「……気分が悪い。帰る」


 と、不機嫌そうな男はテーブルから離れる。


 護衛を呼び寄せて食堂を出て行こうとするエルゼル公爵子を、レナーミアが追いかけた。


「お待ちください!」


 行く手を遮るように、レナーミアはエルゼル公爵子の前に立つ。


「帰るとは、どちらへ?」


「俺の住んでいる屋敷に決まってるだろう」


「もう日が落ちた時間です。ツェルナリオ領の外は人を襲う魔物がいて危ないわ」


「そのために護衛を連れている。そこを退け、レナーミア嬢」


「エルゼル様!」


 レナーミアもまた、エルゼル公爵子のことをもっと知りたいと感じていた。


 最初は戸惑ったけれど、話していているうちに感じた。

 彼は、根は悪い人ではないわ。言葉に棘はあるけれど、悪意を感じないもの。


 それに。


 私はまだ、エルゼル様をよく知らない。


「折角お会いしたのですから、もう少しお話しませんか? 確かにツェルナリオ領は風変わりな土地かもしれません。でも、きっと、エルゼル様も『好き』になれるところがあるはずです。だから、どうかもう少しだけ……」


「レナーミア嬢。あんたは気が触れていることを自覚した方がいい」


 気が触れている……?


 どういう意味かしらとじっと目を合わせるが、エルゼル公爵子は笑っていなかった。


「無自覚か? まあ、だいぶおめでたい考え方をしているようだからな。魔物に囲まれながら蝶よ花よと育てられて、自分のいる世界が一番いいところだと思い込んでいる。違うか?」


「……私に世間知らずなところがあるのは確かです。でも、私は三年間、遠い国で生活をしてきました。海の向こうからツェルナリオ領に思いを馳せて、この土地のよりよいところをたくさん知ることができたのです」


「だから悪点に目をつぶるつもりか」


「ツェルナリオ領にも改善するべき点はたくさんあります。ですが、私はどんなところよりも自分の故郷が好きです。ツェルナリオ領が大好きだから。私にとって、ここに不満不平になるほどの欠点はありません」


「……」


「エルゼル様は悪い面を見ようと必死だわ。どうして『好き』になることに努まれないの? 『嫌い』な部分を見たらそれで全てが悪くなってしまうなんて、道理ではないと。そう思います」


「……」


「私はエルゼル様のことをもっと知りたいです。どうか、もう少しだけここに留まってください。少しでも多くの時間をかければ、きっと……」


「エルゼル公爵子を通して差し上げろ」


 レナーミアの話を遮ったのは、兄の声だった。


「押し付けのように引き止めるべきではない」


 そう言ってドルゼストも席を立ち、エルゼル公爵子に視線を向ける。


「配慮に至らぬ点があったのでしょうか? 不愉快な気持ちにさせたことは謝罪します」


ドルゼストの言葉に対して、エルゼル公爵子は疲れたようなため息をついた。


「俺は最初から乗り気じゃなかったんだ。叔父にしつこく『見合いに行け』と言われたから承諾した。一方的に突っぱねるよりは自分の目で見てから考えようと思ったが、予想以上にこの土地はイかれていると分かった。もうたくさんだ。俺は婿候補を降りさせてもらう」


「それは、もう少し考えていただきたい。また日を改めてお話する機会を……」


「他の婿候補を当たれ。俺はこの土地に合わない」


 奔放な発言。だが、最初から察していたことでもある。


「(……公爵家の『生贄の山羊(スケープゴート)』)」


 レナーミアは、「どうして本家(トゥルク)の血を引くエルゼル様が分家(ラムス)で暮らしているのかしら」と、ずっと胸に引っかかっていた。それはドルゼストも同じだ。二人で情報を集めてから話し合い、経緯を推測した。


 長男以外が、学業や仕事の関係で本家(トゥルク)から離れるのはよくあること。


 だが、エルゼル公爵子は本家のある王都より離れた、何もない田舎町で暮らしている。かつては上級の官吏を目指していたそうだが、現在は小さな学び舎の講師と分家の手伝いで生計を立てているという。


 上級の官吏を目指すなら、王都に近いところで暮らす方が合理的だ。それができていないのは、おそらく、本人の性格が関係している。


 横暴な言葉遣いと遠慮のない態度。世間体を気にする貴族からすれば、爪弾きにされやすい。エルゼル公爵子はツェルナリオ家とはまた違った意味で、貴族界の鼻摘まみ者なのである。


 貴族らしさに欠ける振る舞いも、学び舎の講師という、一般民と接点が多い仕事をしているからかもしれない。


 ……逆に言えば、庶民の姿をよく理解している。ツェルナリオ領に関する問いかけの中には、ところどころにその節があったように思えた。


 ツェルナリオ領ほどの規模はないが、彼も、人里の改革でいくつかの功を成しているそうだ。やや強引なやり口が、種々の議論を呼んでいるようだが。


 ツェルナリオ家にとって、エルゼル公爵子に対する婿候補としての期待度は高い。本家の血を引いていることが婚約の条件として大きい上に、彼は宰相から薦められた相手。宰相はいつも、優秀な者に目をかける。「ただの『生贄の山羊(スケープゴート)』ではないはずだ」と、信じたかった。


「レナーミアの言う通り、深夜の移動が危険なのは確かです。こちらからもご帰邸されるまでの守り役をつけさせてください」


「守り役?」


「魔物の兵士を幾人か。野生の魔物達も、ツェルナリオ領の魔物を恐れています。簡単には手を出さないでしょう」


「……お前もだな、ドルゼスト伯爵子」


「私も?」


「さっき言ったばかりのはずだ。ツェルナリオ家は、魔物の力に頼りすぎだと」


「……開き直るようですが、ツェルナリオ領は、魔物によって守られている土地です。魔物なしでは成り立たない。それが良いか悪いかと言えば、私は"良いことではない"と考えています。だから私は、ツェルナリオ領に新しい風を入れたかった。エルゼル公爵子を含め、こちらが選んだ婿候補たちは、ツェルナリオ家にとっての希望なのです」


「希望か。面白いことを言うな。一緒に重荷を背負ってくれる仲間を探しているというのが正しいだろう? ドルゼスト伯爵子」


「……」


「悲運だな、お前も。ツェルナリオ家の長男に生まれたからこその、負担ばかりがのしかかっていてな。叔父がドルゼスト伯爵子を絶賛しているのは知っている。魔王伯爵の息子でなければ、もっと真価を発揮できたのかもしれない」


「……悲運とされる謂れはありません。私はツェルナリオ家の一子として誇りを持っています。父が作り上げた絆を、母が守ったこの領を、私は何よりも大切に思っている。この身をもってツェルナリオ領を支えるのが、私の生涯の役目です」


「そうやってふるさと大好きごっこをやっていればいい。ツェルナリオ領は環境としては優れているみたいだが、やがては滅びる。外から人を取り入れて足掻いても無駄だ」


「しかし、そのためにこの度は……」


「俺も伯爵家に肩入れするつもりはない。こんな崖っぷちの領地で、共倒れはごめんだ」


「……」


「これで失礼する」


 エルゼル公爵子がドルゼストから目を逸らし、レナーミアの横をすり抜けた。


「エルゼル様……!」


 レナーミアが再びエルゼル公爵子を呼んだ。


 その直後、


「お待ちください」


 じっとやりとりを見ていた切れ長の目を持つ蛇が、静かな言葉を発した。


イェルズェル公爵子はなかなかいいキャラしてるなあと、紅山は感じているんですけどね。

次回、紳士が本気出します。

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