第1話 レナーミア
読了予測:10分
アルクステン王国の街並み、色、匂い。
風にそよぐ草花の形、遠い山並み。
……そっか、私。
ようやく自分の国に。ツェルナリオ領に。帰って来たのね。
三年前の記憶と繋がる城郭町の景色を眺めて、貴族の娘は実感に浸る。
彼女の名前は、レナーミア=テル=ツェルナリオ。年齢は十八歳だが、ぱっちりと開いた甘橙色の明るい瞳が、まだあどけない少女の雰囲気を感じさせる。
ガラス窓から差し込む日の光が、腰まで届かない程度の金髪を鮮やかに照らしている。顔の右側に垂れるところは束ねて頭の後ろに流してあり、青い髪飾りで留めていた。
レナーミアを乗せた箱馬車は、濃淡のある緑と季節の花で彩られた大庭を進んで、古い煉瓦造りの屋敷の前に辿り着く。
「レナーミア様。ご到着です」
馬車を引いていた御者が、玄関前で移動を止めた。ざりっと自らの蹄で土を掻き、自らにつけている頸木を外す。
レナーミアは窓から玄関周りを見渡した。犬や猫の顔を持つ、人間のように服を着た小さな使用人たちが規則正しく並んでいる。
その側には、貴族らしい風貌の青年もいた。耳を覆う程度に伸びた癖のない金髪と、晴れた空のように澄んだ瞳。よく知っている立ち姿だった。
「みんな! お兄様!」
レナーミアは車窓の中から、できるだけ大きく手を振った。
上半身は人間、下半身は馬の姿をした御者が扉を開けると、レナーミアは一気に飛び出した。整列する使用人たちの横をすり抜けて、兄の元へ駆け寄る。
「レナーミア。遠いところから大変だったな」
「いいえ、ドルゼストお兄様。私はちっとも疲れていないわ」
ドルゼストに抱きつくレナーミアは、兄の纏う匂いに安堵を覚えた。
香草のようにすうっとした、爽やかな匂い。お兄様の香りがするわ。
「お帰りなさいませ、レナーミア様」
ぬっとレナーミアの横に現れたのは、ドルゼストよりもずっと背の高い、燕尾服を着こなす二足歩行の狼だった。恭しく礼をする、執事の老"人"だ。
「イオルフ!」
レナーミアはドルゼストを離して、執事にも飛びつく。
「はははっ……レナーミア様、しばらく見ない間に背丈を伸ばされましたね」
「ええ。でも、イオルフの方がまだ大きいから、実感が薄れてしまうわ」
一九〇センチをゆうに超えている体長と、ごわごわとした灰色の長い獣毛。イオルフは、レナーミアやドルゼストが生まれる前からツェルナリオ家に仕えている使用人だ。
まだ赤子だった時のレナーミアは、巨躯の狼執事を見てよく泣き出していたという。だが、それも今や昔の話だ。
「使用人一同、レナーミア様のお帰りを心待ちにしておりました。さあ、どうぞ中へ。荷物は私と御者で降ろし、部屋に運ばせますので」
「ありがとう。よろしくお願いね」
「畏まりました」
レナーミアはドルゼストと共に玄関口へ向かう。かつて侍女として側に仕えていた獣のメイドたちと再会の喜びを分かち合いながら、大広間に入った。
辺りには、薄い幾何学模様の彫られた白い柱が立ち並ぶ。天井には金色の額縁ような枠が敷き並べられ、その中には、所々を白線で空飛ぶ鳥を象った、夜空色の絵が描かれていた。
床は、ルーレット盤のようなカラフルな図形が広がっている。よく見ると様々な動物の輪郭像が、所々で白線に仕切られながら、ぎっしりと描かれていた。
何も変わってない。昔のままだわ。
屋敷を発つ前のことを懐古しているうちに、ふと、帰ってきた理由を思い出して。レナーミアはドルゼストの方を振り返る。
「お兄様」
「うん?」
「お父様のご容態はどうなのかしら? できれば、すぐにでもお会いしたいのだけれど……」
「ああ……」ドルゼストは顔を曇らせた。
「明日にした方がいいな。今日も体調が優れないからと言って、すでにお休みになられた」
「そこまで具合がよろしくないの?」
「……幾日前よりも苦しそうにはしていないが……」
空は日が傾き始めているが、まだ暗くはない。
ドルゼストの表情から父の状態を察したレナーミアは、一気に気分を沈めてしまった。
「……父上もレナーミアの顔を見たがっていた。お前の成長した姿をみたら、きっと喜んでくださるだろう」
明るい表情をなくしたレナーミアを見て、側にいた猫や犬の姿をした使用人たちが、慰めるように声をかける。
「レニャーミア様。本日は、みんにゃでレニャーミア様の帰省パーティを企画しにゃんです」
「どうかお顔をあけてくらさい。レナーミア様が明るけれわ、伯爵様もきっとお元気になられますから」
「……そうね。暗い顔していると、悪い気を持ち込んで、よくないわよね」
父のことばかりが心を支配し、本当は今すぐ部屋を訪ねたくてたまらない。
レナーミアは笑顔を無理矢理顔に呼び戻して、自分の中にある焦りを誤魔化した。
「……ああ、そうだわ。私、屋敷のみんなにお土産を買ってきたのよ」
レナーミアは屋敷の従業員たちのために、土産をどっさりと持ち帰っていた。
それこそ箱馬車の荷物入れを完全に征服し、人の乗る席にもたんまりと積み上げて。レナーミアが荷物のために体を縮めたほどだ。
「それぞれの部屋に一包ずつ届くから、後で確認してね」
「ありがとうございにゃす、レニャーミア様!」
獣のメイドたちは、にゃあにゃあきゃうきゃうと黄色い歓声をあげた。
「もちろん、お兄様とお父様にもね」
「異国の土産か。楽しみだな」
ドルゼストの凛々しい顔に柔らかい表情が浮かぶ。
「……ふふ」
魔物だらけの屋敷の中こそ、レナーミアにとって、幸せな実家の姿だ。
でも、留学先の友達に見せたら、きっとびっくりするわよね。
レナーミアはそのうち異国の友人たちを自国に招待したいと思っているのだが、どう呼ぶべきかは考えあぐねていた。
猫人や犬人、イオルフのような狼人までもが、服を着て人間と同じ仕事をしている。
普通の人間からすればとんでもない化け物屋敷に見えるのだと、レナーミアもわかっているからだ。
彼らは"魔物"と呼ばれる。人間とほぼ同じくらいの知性があるが、多種多様な姿や、独特の習性を持つ。種類によっては凶暴で力が強いため、魔物は人類の天敵かつ、害獣というイメージが強い。
しかし、それは野生で生きる魔物の話。ツェルナリオ領の魔物は、人間に危害を加えない。
だが、レナーミアの故郷が、他に類がない場所なのは間違いない。
魔物を領民として統ているのは、このツェルナリオ領だけ。"魔王伯爵"と呼ばれるレナーミアの父だけが、この世で唯一、魔物を召し抱えていた。
領外の人間は、魔物だらけの土地を「気味が悪い」と言う。また、土地を治めているツェルナリオ家も、「悪魔に魂を売った貴族だ」と、ずっと嫌悪されていた。
逆に、レナーミアの留学先の方が、まだ異文化に対して寛容な人が多かった。そこが多人種の集まる共和国だったからかもしれない。出身地について「魔物と人が共存している場所だ」と語っても、誰も彼もから異常者として撥ね除けられる、ということはなかったのだ。
見た目や噂に囚われないで、ちゃんと向かい合えば、人間も魔物も同じように暮らしていける。それはツェルナリオ領が実証しているわ。
どんな相手でも、まずは信じて、受け入れる。それがレナーミアの信念だ。
だから、レナーミアと偏見なしに接した多くの者は、「とても心優しい」と、彼女を評価する。
……だが、レナーミアと付き合いの長い屋敷の者たちは、「確かに優しい方ではあるけにぇど……」と、苦虫を噛み潰したような半笑いをする。
レナーミアは人一倍心優しい。それは間違いない。しかし、その優しさは独善的であり、無茶な主張も多いのだ。使用人たちはレナーミアの世話に苦労をしてきたのである。
我儘娘の帰還を歓迎している一方で、面倒事を懸念している者もいるのだろう。
大広間の階段を登りながら、ドルゼストが「ああ、そうだ」と、思い出したように呼びかける。
「レナーミア。今日の夜会は、ラミウスも伴奏をやるそうだ」
「ラミウスが?」
兄の口から聞いた名前は、レナーミアにとって懐かしいものだった。
ラミウス。音楽の修行のために、レナーミアよりも早くツェルナリオ領から離れて行った幼馴染。
幼馴染と言っても、少しばかり年が離れている。いつも礼節を重んじて一歩引いた態度をとり、丁寧な口調でしか話さないのだが。
ラミウスは、レナーミアやドルゼストが小さい頃から遊びの面倒を見ていてくれていた。だから兄妹ともラミウスを強く慕っており、友人よりも家族に近い"人"だと感じている。
「去年に戻ってきて、このツェルナリオ家の音楽師として正式に雇用された。あいつも立派になって帰ってきたから、会ったらきっと驚くだろうな」
「そうね。私、たくさんお話がしたいわ。ラミウスとは四年ぶりの再会になるのかしら」
ラミウスの演奏は、昔からとても綺麗で素敵だった。修行した分、きっと、もっと素敵になっているわよね。聴くのが楽しみだわ!
ここにはたくさんの親しみが溢れている。レナーミアは期待に胸を弾ませて、微笑んだ。
モンスターっ娘が持て囃されているこのご時世。
もっとモンスター男子が持て囃されたっていいじゃない!!
そんなノリと趣味全開で書き始めました。
どうかよろしくお願いします。
次回、二足歩行しない第一攻略対象、登場です。
(ただし会話するとは言っていない!)
※2017 10/28 各話で文字数がバラバラなので、読了予測をつけてみました。1分で400字読み進めるという仮定で換算しています。計算は雑なので、参考程度にお願いします。日にち跨いででも読んでいただけたら嬉しいです。
*2018 10/9 本小説の大改稿を行いました。ところどころセリフ・シチュの変化、ストーリーの削除、追加などがあります。
以前から読まれていた方にはご迷惑をおかけしますが、設定や物語の大筋に変わりはありませんので、一から見直さなくても問題はありません。これからも読み進めていただけたら幸いです。