第14話 レナーミアと大蜘蛛
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キドは、ツェルナリオ家の屋敷よりも離れた、収容所に運び込まれた。
ここで言う収容所とは、一種の係留施設である。
領内で法律を犯したものを魔物、人を問わず一時的に収容し、判決の定まった者から刑を当てはめ、それぞれに処分を下す。
刑務所のように更生目的で使われる施設は存在しない。
ただし。法律が適用されるのは、人間と、領民として登録されている魔物だけである。
領内に住まない魔物については、領主と刑務官の裁量によって処分が決められる。
ツェルナリオ領ならば、他領よりも情状酌量の余地はあるだろうが。法律の下に生きない野生の魔物の処分は、個人の感覚に委ねられていた。
キドの襲撃を受けた日から、一夜が明けて、朝。
レナーミアはキドに会いたいと兄に懇願し、この収容所にやってきた。
人間の看守に案内をされ、レナーミアは鉄格子の並ぶ通路を歩く。
そこに閉じ込められているのは全て魔物だった。動物的な唸り声をあげて暴れる者もいれば、じっと座ってレナーミアの方を眺めているものもいる。
魔物は基本的に、独房に入れられる。
特に野生の魔物は"縄張り"意識が強いため、共同房に入れると、すぐ殺し合いを始めてしまうのだ。
キドはその廊下からも少し離された、広い独房の中にいた。
天井から糸で逆さに吊り下がり、退屈そうな表情をして、そよ風に押された振り子のごとく揺れていたが。
レナーミアの姿を見ると、急にぱっと顔を明るくした。
「レナーミア!」
レナーミアの後ろには看守が、両脇には牛人の兵士が二人立つ。
レナーミアはキドに駆け寄ろうとしたが、看守の指示によって、鉄格子から距離を取らされた。
「……キド、体は大丈夫?」
「うン。平気だヨ」
「もう苦しくないの?」
「大丈夫。心配してくれテ、嬉しいなァ」
キドは尻尾をふる犬のように揺れを大きくして、レナーミアに笑いかけた。
「あと少しで、レナーミアを攫えたのにサ。まさか生け捕りにされるなんて思わなかったヨ」
「お兄様に聞いたわ。キドのことは、最初から捕まえるつもりだったみたい」
「いつもだったラ追い払われるだけなのニ。魔王伯爵と比べテ、ドルゼストは食えないナ」
キドが「はァ」とため息を零す。
魔王伯爵が取る戦略は、人海戦術ばかりだ。
毒牙を持つ魔物が相手ならキドも警戒しただろうが、毒塗りの武器で攻撃されたことはなかった。
魔王伯爵の戦略に慣れていたからこそ、少しの傷をさほど深刻にとらえなかったのである。
また、ドルゼストの質問攻めの意図は、つまるところ時間稼ぎだった。
だが聞きたいことがあったのは真実のようで、今はレナーミアにそれを託している。
「お兄様は、キドが領外から来た貴族を傷つけるんじゃないかって、とても心配しているみたいなの」
「ツェルナリオ家以外の貴族ってこト?」
「ええ。キドが安易に人を傷つけるはずがないって、私は思っているけれど……」
けれど、それに私が絡んでしまうと、少し事情が変わるわよね。
……でも。お兄様の案じ事を払拭するためにも、キドにはちゃんと、伝えなくてはならない。
「キド。私ね……これから結婚するの」
「……」
キドは沈黙する。喜びに満ちていた蜘蛛の顔が、さっと無表情に変わった。
「結婚の意味、分かるかしら? 私は男の人の妻になる。人間の"伴侶"になるの」
「……」
……キド、怖い顔をしている。
やっぱり、彼にとっては辛いわよね……。
「お父様が倒れられて、ツェルナリオ領が壊れてしまうかもしれないの。今まではお父様の力でこの"群れ"を維持してきたけれど、それが難しくなってきてしまった。本当はお兄様が新しい"群れ"のリーダーになるはずだった。でも、ツェルナリオ家は他領の人間たちによく思われていないから、味方が少なくて。だから次のリーダーは、領外の貴族の人にすることにしたの。その人を味方にするために、私は、次のリーダーの人の、"伴侶"になるわ」
キドがすぐ意味を解せるように、レナーミアは説明の中に、野生の魔物がよく使う言葉を含めた。
「……だかラ、何ニ?」
キドの声は冷たい。
「ごめんなさい、キド。貴方を傷つけたいわけではないのよ。でも、私はツェルナリオ領が大好きだから。もし滅んでしまったら、私……」
視界がぼんやりと滲んだ。
目に浸み出てくる涙を、指で隠すようにしながら拭う。
結婚をすることが嫌なわけではない。
結婚をしても、大切なものをなくしてしまうかもしれないという現実が、辛かった。
私はツェルナリオ領が存続できるのなら、それでいい。
……けれど、お兄様は、キドのことを快く思っていない。厄介者だと思っている。
お父様も、キドのことを嫌っている。傷つけたいとは思っていないみたいだけれど。
家を失いそうになって。
お父様を失くしそうになって。
どうして、キドまで不幸にしなくてはいけないの?
「……。何デ、泣くのサ?」
キドは逆さまのまま、すすすっと降下する。レナーミアと顔の位置を合わせた。
「ねェ、レナーミア」
大蜘蛛が呼ぶ。
「ボクを選んでヨ。ボクのところにおいデ。キミが辛い思いをするくらいなラ、こんな"群れ"、捨てた方がいイ」
慰めるような、甘い声だった。
レナーミアは顔を上げる。語りかけるキドは、優しい目をしていた。
「ツェルナリオ領ハ、最初から弱っていたのと同じじゃないカ。ツェルナリオ家は人間社会で力を持てなかったかラ、一部の魔物を集めて、"縄張り"をつくっテ、弱さを誤魔化してるだけだヨ。人間のもっと大きな"群れ"から除け者にされたラ、長く保つのは難しいっテ。分かりきっていたことじゃないノ?」
「……」
「ボクは人間社会に詳しいわけじゃないけド、魔物の"群れ"にいたことはあるからネ。"群れ"に合わない奴ハ、ミンナ追い出されるか、殺されてたヨ。
……結局サ、人間は人間のやり方じゃないト、"群れ"に認めてもらえないんじゃなイ? ツェルナリオ家ガ、人間から嫌われてるのは知ってるヨ。『魔物に魂を売った悪魔だ』ってネ。結婚したところデ、レナーミアはまた大きな"群れ"から突き放されるだろうネ。キミには辛いことばかりなのニ。レナーミアはどうしテ、そんな道を選ぶのサ?」
「……私は、みんなが好きで。ツェルナリオ領も、ずっとこのままでいてほしいから」
「永遠の安定なんてありえないネ」
キドの口調はぶっきらぼうだった。
「だからレナーミアが大事にしているものハ、守ろうとするだけ無駄だヨ。自分が疲れテ、弱ったところを他の奴に食い潰されるだけダ。
人間ってだいたいそうだけド、どうして生きる場所を決めつけるのサ? 執着するだケ、寿命を縮めるだけなのニ」
「……でも、キドも、私のことを諦めていないのよね?」
「それとこれとは別だヨ。魔王伯爵ハ、本気でボクを殺しにこなイ。命さえあれバ、まだいくらでもレナーミアを連れ出すチャンスはあル」
「……私が結婚しても?」
「望ましくはないサ。けド、そんな形だけの契約、ボクには関係ないことダ。ボクがレナーミアを手に入れれバ、そんなものに意味はなくなるからネ」
「……」
「だかラ、誰がレナーミアの"伴侶"でモ、危害を加えるつもりはないヨ。人間の貴族に手を出しテ、首を追われる方が面倒だからネ」
意外な答えに、レナーミアは驚いた。
キドが欲するのはレナーミアだけであり、取り巻く事情はどうでもいいようだ。
レナーミアは少しほっとした。兄の懸念が晴れたと同時に、誰も傷つくことがないとわかったからだ。
「……結婚の話をしたら、もっと怒るのかなって、思っていた」
「ボクの一番嫌いな敵は人間だヨ。魔物の"群れ"より、喧嘩になるとホントに厄介なんダ。弱いと見くびってる魔物もいるけド、人間は頭がよくテ、執念深イ。数もいるから強いんだヨ」
キドは感情的だが、勝てない戦はしない。
自分への危険を避けるためには何をしたらいいか、あるいは何をするべきではないか。経験の上でよくわきまえていた。
野生の魔物は、何よりも自分の命を優先する。他領の貴族がグアナーのように甘くないことも、分かっているのだ。
「面会終了です」と、看守が告げた。
牛人の兵士たちが、レナーミアを半ば強引に廊下の方へ戻らせようとする。
「ッ、待ってヨ、レナーミア!」
ガキィンと、キドの牢から大きな音がこだました。
「……くソ。ここから出セッ!!」
気が高ぶり、キドは丈夫な両の脚で何度も鉄格子を殴る。大蜘蛛を黙らせようと、看守が細槍を手に抱えた。
キドはそれを見ると、身を守るようにぱっと剣脚を折り畳んだ。
金属の震える余韻が残る。
「キド、暴れたらダメよ! 私がお兄様と交渉して、ここから出してもらえるようにお願いするから」
「……レナーミア。折角会えたのニ。もっと話そうヨ」
「また会いにくるわ。それまで、看守の人たちに逆らわないで、いい子にしてて。ね?」
「……」
しぶしぶ、といったように。キドはきゅっと小さく纏まった脚を、ゆっくりと開いた。
「ねえ、キド」
レナーミアは大蜘蛛に呼びかける。
「私、キドに会えてほっとしたわ。私が海外に出てから、キドの行方はわからないままだって、お兄様に聞いていたから。もしツェルナリオ領に来なかったらどうしようって気持ちもあったの。元気に生きててくれて、よかった」
「お兄様の前では言えないけれど」と、付け加えて、レナーミアは笑った。
「……ボクハ、ずっと海の近くで待ってたんだヨ」
「え?」
「アルクステンの南の町ニ、たくさん船があったかラ。その近くにいタ。レナーミアとハ、すれ違いになったみたいだけド」
「……」
「町の周りは隠れられるところが多いみたイ。地理も覚えタ。今度は海を渡られる前ニ、レナーミアを捕まえてみせるヨ。レナーミア、次こそハ。ボクと一緒に遠くに行こうネ?」
キドはにやりと口元を歪めた。
***
足音と共にランプの火が遠ざかり、牢獄に差し込む明かりが減った。
キドは、レナーミアと会ったことで感じた喜びを、胸の中で思い返す。
レナーミア。やっぱりキミは最高の雌ダ。
少し話しただけでモ、すごく気分がいイ。
ずっと、ずっと、待っていた。会いたかった。
いつもレナーミアがいるはずの海の奥を眺めて、己の無力さを噛み締めていた。
ボクにもっと力があったらなァ。
海を越えてでも追いかけたのニ。
どうしても海を渡ろうと思えば、不可能ではない。
人間の船に忍び込んで、別の陸に着くのを待てばいい。
だが、キドは交易や船のルートといった、難しいことが解せない。
それに、船の上では食べ物が得られるかもわからない。
もし船の上で人間に見つかってしまったら、逃げ場はなく。
他の陸に上がったとしても、土地との相性が悪かったら生き残るのも難しい。
どんな魔物が棲んでいるのかも知らない。
船に乗るのも、知らない土地に行くのも、キドにとってはハイリスクだ。
だから海を渡るのは諦めた。
……キドは頭が悪いわけではない。
むしろ野生の魔物にしては賢い。
自分の限界を理解しているから、こういうことは、簡単に諦められる。
だが、何故レナーミアにだけは執着するのか?
それはキド自身も深く分かっていない。
別に分からなくてもいいと思っている。
ボクがレナーミアを追う理由は単純ダ。
一緒にいるト、気分がいイ。
"伴侶"はレナーミアにしたいって思ったかラ。
レナーミアは、ボクのことが「好き」だって言ウ。怖がりもしないデ、笑ってくれル。ボクが傷つきそうなラ、心配してくれル。
いつもそうだよネ。レナーミアは優しくテ、ボクを嫌がらなイ。それがすごく嬉しイ。
でも、今はもう姿がない。
暗闇しかない目の前に、ふと虚しさを覚えた。
……レナーミアが戻って来たっていう噂を聞いテ。会えなくて悲しかった気持ちガ、全部なかったことだっテ、思えたヨ。
すぐツェルナリオ領に向かった。
いてもたってもいられなかった。
レナーミア。姿が見たイ。声が聞きたいヨ。
野生の魔物は冷徹だと言われるが、人間と同じように、並々の喜怒哀楽はある。
だが、野生の魔物は非情をよく知った、現実主義者だ。甘い妄想やお伽話は信じない。
……例えレナーミアが嫌がっても、攫えるのなら、拐うのだろう。
ボクも「好き」だヨ、レナーミア。
優しい笑顔を持つキミが「好き」。
あア、早くボクのものにしたイ。
……だっテ、レナーミアはとても弱いかラ。
捕まえテ、閉じ込めテ、独占してしまえバ、あとはどうにでもなル。「好き」も「嫌い」も関係なイ。
例えキミがボクのことを「嫌い」になってモ、力づくで「好き」にできるからネ。
レナーミアが笑ってくれなくなったら悲しいヨ。
レナーミアが泣いていれバ、ボクも辛イ。
「嫌だ」って言われたラ、ボクも嫌な気分になル。
だからできれバ、キミもボクを「好き」なままでいてほしいっテ、思ってル。
けどサ。ボクは分かってるかラ。
どんな言葉をかけてモ、キミはボクを選んでくれないっテ。
ボクのことが「好き」でモ、キミは他のものを切り捨てようとしなイ。
……人間っテ、そういうものなんだろうけド。
余計なものをたくさん抱えテ、苦しんだり悩んだりしながラ、それを「大事なものだ」って言い張るんダ。
レナーミアが「みんなが好き」って言うのハ、嘘じゃないだろうネ。ボクがレナーミアの意思を変えることモ、簡単にはできなイ。
だからボクの言葉モ、大きな意味なんかなイ。
それよりこっちから捕まえた方ガ、事の運びが早いんダ。
言葉など、腹も満たせない絵空事。
だから野生の魔物は、愛の言葉も重く受け止めない。
でも、思い通りにならない現実は辛い。
今度は、レナーミアを取り巻く存在に対して、ふつふつと怒りが湧いてきた。
くソッ! ……どいつもこいつモ、ボクとレナーミアの邪魔をしやがっテ!!
キドは腹いせに、ガツンと鉄格子を叩く。
グアナーも「嫌い」だけド、あのドルゼストっていう奴の方がムカつク。
あと少しだったのニ。変な毒のせいで、酷い目にもあっタ。
アイツは絶対に許さなイ。
今すぐ裂き殺してやりたイ!!
……レナーミア。キミにとって、アイツラは重要なのかもしれなイ。
だけド、それを持っているから面倒になるんダ。
キミは人間だからネ。
人間には人間の持ツ、"群れ"があル。
頭が痛くなるほド、曖昧で複雑な規則で絡み合っタ、奇妙な"群れ"。
その中にいないト、人間は生き残れないんでショ?
でモ、キミにはボクがいル。
レナーミアはボクが守るヨ。
……それじゃア、ダメなノ?
鉄を殴った反動で痺れかけた剣脚を振って、キドは脚を組むようにして折りたたむ。
悔しイ。レナーミアを囲む全てを切り裂いテ、キミを連れ出したイ。
でモ、ボクはまダ、何もかもを壊せるほど強い存在じゃなイ。
……ツェルナリオ領ハ、魔王伯爵の"縄張り"ダ。
余計な怒りを買ったラ、アイツの"群れ"に殺されル。
ボクがツェルナリオ領で暴れないのハ、レナーミアが嫌がるからってだけじゃないんダ。
レナーミア。ボクはキミのために力をつけてきタ。もっと強くなりたイ。
魔王伯爵の軍を超えるくらいニ。
何処までがボクの限界カ、わからないけド。
それでもキミハ、ボクに振り向いてくれないだろうネ。
それでもいいんダ。
いつカ、この"群れ"からキミを奪い取るかラ。
野生の魔物に人間の道理は通じません。
そもそもこの物語にまともな脳みそ持ってるキャラがいませんけどね。
ヤンデレストーカー蜘蛛との邂逅も終えて、これで全てのハーレム要員が出揃いました。
次回、第1章の最終回。
レナーミアの我儘が炸裂します。