第13話 野生の魔物
本話も説明回ですが、次話の補足のためにできれば読み飛ばさないで欲しいです。
読了予測:13分
野生の魔物は"縄張り"意識を持つ。
"縄張り"とは、個々の魔物が生活空間として認識している、行動範囲である。
食料を得るため、自らの安全な寝床を確保するため、あるいは、天敵を憚って子育てをするため。
理由は様々だが、少しでも効率よく生き残るために、野生の魔物たちは、"縄張り"を確保し、取り合う。
"縄張り"を奪われるということは、居場所を失うということ。
生物は生理的欲求を満たそうとする時、気を緩めやすいと言われている。
特に弱肉強食の世界では、一瞬の隙が命を落とすこともある。
だが、四六時中気を張ることはできない。生き物は疲れるからだ。体力を削りすぎないためにも、"縄張り"の確保は重要なのである。
しかし、広い"縄張り"を確保するとなると、管理が難しい。"縄張り"が広ければ広いほど、余所者の侵入を許し易くしてしまう。
だから、生物は纏まった集団を作ることがある。
厳しい野生の世界で生き残る一つの手段が、"群れ"だ。
特に魔物は知能が高いから、異種同士でも"群れ"を作ることがある。
"縄張り"と"群れ"。
これは、ツェルナリオ領も例外ではない。
ツェルナリオ領は野生の魔物から見ても、広大な"縄張り"であり、巨大な"群れ"である。
ツェルナリオ領の境に野生の魔物が入ってくることがあっても、奥まで来ることはあまりない。
他者の"縄張り"に入るということは、自ら喧嘩を売っているようなもの。
魔物の数が多い"群れ"にのこのこと入り込むのは、命取りである。
野生の世界は殺し合いが日常だ。
だから野生の魔物は、ツェルナリオ領の民を警戒して近寄らない。
……野生の魔物も、殺し合いは好まない。
怪我を負って弱るくらいなら、争いを避ける。
いかにしてダメージを負わず、少ない体力で生理的欲求を満たすか。そればかりを考えている。
生き残るためなら、敗北も逃げも躊躇わない。
己を守るためなら、平然と相手を殺す。
自分の意思に素直で、身の程知らずなことはしない。弱い奴は死んで当然。死んだ方が悪い。
……それが常識だからこそ。
野生の魔物からしても、ツェルナリオ領は異色の土地なのである。
「ですが、キドは城郭町近辺に現れました」
グアナーの寝室に入ったドルゼストは、経過報告の一つとして、捕獲した大蜘蛛のことを父に伝えた。
「野生の魔物に国や領の境目は関係ないからの。ツェルナリオ領の全方位を監視するのは無理じゃよ。キドの侵入を許したことを、気に病むことはない」
「……」
「レーナを取り返し、キドを捕獲したのじゃろう? 指揮の取り方は満点以上じゃ。もっと自信を持ちなさい」
「……はい」
硬い顔をするドルゼストを見て、グアナーは「そんな厳しく自己評価をするでない」と、苦そうに笑った。
「……しかし、さすがキドじゃの。レーナが異国に旅立って三年間、全く姿を現さなかったんに。さすがに諦めたかと思っていたが」
「念のために警戒をして正解でしたね。大蜘蛛の習性は根強いのでしょう」
「ううむ……野生の魔物にしては凄まじい執着心じゃがな。余程レーナのことが気に入っているのか」
「レナーミアもキドを突き放そうとしません。だから余計に、あの蜘蛛をつけあがらせているのでしょう」
レナーミアに散々説明を追求された昨晩を思い出して、ドルゼストは深くため息をついた。
「キドは無事なの? これからどうするつもりなの? 今すぐ彼に会わせて!」と喚く妹に対して、何度同じ話を繰り返し、何回「明日になったら会わせてやる」と言ったことか。説き伏せるまでにかなり長い時間をかけた。
国の外を見てきた分、少し大人びて帰ってきたと思っていたのだがな。
気にくわないことに対して頑なに反発する性格は、全く直っていなかったか……。
ドルゼストの考えていることをなんとなく察したグアナーは、「大変じゃったんじゃのぉ」と、また苦笑いをした。
「あの子は優しすぎるために、どうしても人を拒絶することができないんじゃよ。本人にとっては、キドを嫌う理由もないみたいじゃが」
「……全く。優しさを出すべきところが誤っています。私もキドと少し話をしましたが、生きる世界の違う相手というものに、身の毛がよだつような恐ろしさを覚えました。野生の魔物にとっては、自分自身が正義……あれでまだ話の通じる方というのが、信じられません」
ドルゼストも、キド以外の野生の魔物を見たことがあった。
常に人を疑ぐるような目を向けてきて、近づけば容赦ない攻撃を仕掛けてくる。
まさに凶暴で、凶悪。
幼い頃に初めて野生の魔物を見た時には、何も考えずに近づいて、殺されかけた。人間が魔物を恐れるのは当たり前だと、実感したのである。
「(野生の魔物は、ツェルナリオ領の民とは全くの別物だ。多少言葉が交わせるだけの蛮族と同じ。気を許していいような相手ではない)」
かつて、キドはレナーミアを連れ去り、監禁したことがある。
見初めた雌を独占し、他の誰もを近づけさせないという、大蜘蛛の習性に沿った"誘拐行動"である。
その時は運がよかった。
魔物の兵士の追跡により、数日でレナーミアを発見し、すぐ救出することができたのだ。
しかし、キドはレナーミアを諦めることはなかった。
これまでに何十回とツェルナリオ領に侵入してきては、グアナーと魔物の軍に追い返されている。
ドルゼストはキドに直接会ったことはなかったが、厄介な相手であることは、父とレナーミアの話から知っていた。
さすがに陸の魔物が海を渡るのは無理だろうと踏んでいたため、「レナーミアが留学をすることで問題が自然消滅するのではないか」と、ドルゼストもグアナーも期待していたのだが……。
魔物は人間と違って、種族差が大きい。
蛇の姿をした魔物もいれば、獣や鳥の形をした魔物、人の死体に近しい魔物もいる。魚や、虫の体を持つ者も。
ツェルナリオ領の民ならば、異種族の間で恋仲になることはある。
しかし野生の魔物の場合、異性を"群れ"のメンバーに数えることはあっても、種族が異なればつがいになることはない。異種同士では繁殖ができないからである。
魔物と一口に言っても、多種多様。
独特の習性や千差万別の個性がある。
何事にも例外というものはあるが、キドも「レナーミア」という1人の人間を欲する、"変な"野生の魔物であった。
魔物には人並みの知性があるために、もしかしたらキドも、何か複雑な理由を持っているのかもしれない。
だが、それ以前に、ツェルナリオ家の娘を攫おうと考えついていることが問題である。しかも執念まで深い。
「……あやつは、レーナの言うことだけは聞き入れるからの。殺意は剥き出しにしてきても、ツェルナリオ領の中にいる間は手加減をしておる。誰も殺さないだけ、野生の魔物にしてはかなり大人しいものじゃよ」
「『喧嘩はやめて』という、レナーミアの懇願ですか?」
「ああ。大蜘蛛の"雌に尽くす"習性が幸いしとるんじゃろうな。もしツェルナリオ領の民を惨殺するようなことがあれば、追っ払うだけでは済ませられん」
"幸い"には、領民に被害がないという意味だけでなく、キドもグアナーたちに殺されなくて済んでいるという皮肉も篭っていた。
野生の魔物は何でも力技で物事を解決するから、他人を欺いたり騙したりすることが得意ではない。
キドも思考が白か黒かと端的だから、嘘をつかないのである。
だが、代わりに口約束が意味を持たない。
キドがレナーミアの頼みを反故にしないのは習性上の理由が大きいだけで、感情が習性を上回らないという保証はない。
キドは、ドルゼストの「命だけは助けてやる」という発言に対し、「結構だヨ」「ボクの邪魔をした奴から八つ裂きにしてやるからネ」と、宣言した。
おそらくあれは、「逃げきるために手段を選ばない」と言っていたのだろう。レナーミアを捕まえたことで、キドのテンションは上がっていた。
ということは、反対も考えられる。
気分によってはいきなりレナーミアを殺すことも、十分にありえるのだ。
同様の理由で、領民がキドの機嫌を損ねて危険な目に遭う可能性も、否定はできない。
「……簡単に手を汚すのは良くありませんが、野生の魔物には野生の魔物らしい報復を与えるべきだと思います。父上も少し甘いですよ」
「そんなことをしたらレーナが悲しむじゃろう?」
「……」
「野生の魔物は、何よりも自分の身を大事にするものじゃ。キドもちょっと兵を畳み掛ければ、怪我を避けるためにすぐ逃げ出してくれるからの。むしろ命を奪いに行けば、本気で反撃されるかもしれん。大蜘蛛は戦いに特化した魔物じゃ。兵が殺されることは避けたい」
大蜘蛛は単独徘徊性の魔物。
あまり"群れ"や"縄張り"にこだわらない種族だ。
逆に言えば、"群れ"や"縄張り"がなくても、生きていけるということ。
人間の魔物学者が定めた生態系三角図の中でも、上位に分類されるほど力が高い。
「よいか、ドル。魔物の兵士を操る時は、死人を出してはならんのじゃ。ツェルナリオ領の魔物は、確かに野生のものとは異なるが、魔物は魔物。人間とは根の価値観が違う。一人死ぬだけで、一気に士気が落ちてしまう」
「……承知しています」
「まあ、最近は断言できんがの。人間臭い兵士も増えてきて、多少の無茶もしてくれるようになった。じゃが、過信をしてはならん」
「はい、父上」
魔物の兵を失えば、それこそツェルナリオ領の終わりである。
魔物は強い分、とても繊細で、臆病だ。だからグアナーの出兵も、ある意味平和的な、脅し目的ばかりになる。
グアナーが戦闘を好まない、もう1つの理由である。
「……しかし。私には、妹の考えていることが分かりません。あの凶暴な魔物に心を許すなど、頭がおかしいとしか思えない」
「じゃけど、それこそが誰にも真似できない、レーナの長所なんじゃよ」
「短所の開きが大きすぎます。いくら心優しくとも、他人を問題に巻き込んだら、それこそ優しさの意味がない。レナーミアには責任感がなさすぎる。もしキドと戦って、兵が死んだらどうするのか。婿候補に危害を加えられたらどうするのか。その可能性を考えていない。時々、無性に苛立って仕方がないのです。無茶はするのに他力本願で、自分勝手すぎる妹だ」
愚妹だと。思わざるをえなかった。
まさかとは思うが。キドにまで安易に「好き」だと口にしているのではあるまいな?
己を連れ去ろうとする思考の狂った魔物を惹きつけて、何がいいというのか。
本人に遊び気や悪気がないのはわかる。
だからこそ尚更、タチが悪い。
レナーミアは、本当にキドのことを大切に思っているのだろう。そうでなければ、泣き出したり怒り出したりするはずがない。
だが、何故?
"野生の魔物"というキドの孤独な立場に、同情を寄せているのか?
大蜘蛛の"雌に尽くす"習性に頼り切って、安堵しているのか?
レナーミアも、誘拐に抵抗があるのは間違いない。反抗しないだけで。
妹のことだから、キドの機嫌をとっているつもりはないだろうが。
あるいは、奴にも信用に値できる部分があるというのか?
本当に善意で大蜘蛛を庇うのだとすれば、どうして家族や領民たちに迷惑を振りまいて、平然としているのか。
そこまで気がついていないのか?
考えても考えても、ドルゼストには到底理解ができそうになかった。
ただ、ひとつだけ思うのは。
レナーミアは自分のことしか考えていないということだ。
レナーミアは甘やかされて育ってきた。
貴族ゆえに、トラブルを起こしても、失敗をしても。必ず誰かがフォローをしてくれる環境の中にいた。
思えば小さい頃からお転婆で、癇癪をよく起こしては、子守係や使用人たちの手を煩わせてばかりだった。
頑固さはだいぶマシになったとしても、依然として変わらない。
レナーミアは叱りつけてもまた同じことを繰り返すから、叱る方も疲れ果て、説教するだけ無駄だと感じてしまう。
廊下でメイドたちのそういった愚痴を、耳にしたこともある。
ドルゼストもレナーミアとの口論にうんざりして、触らぬ"意見"に祟りなしと、済ませている節があった。
父上は妹に甘い。母上は厳しい方だったが、仕事に出てばかりで、私たちの相手をしてくれる時間は少なかった。
……甘やかしていたのは、私も同じか。
だが、もう。
今後は甘えを許されない。
貴族として、ツェルナリオ領の上に立つ者として。自分の意見に固執しているわけにはいかないのだ。
……妹の考え方は、改めさせなくてはならない。
「ところで、レーナは今どうしているんじゃ?」
グアナーの問いに、ドルゼストははっと我に返る。
「キドに会いに、収容所に向かっています。今丁度、面会しているのではないでしょうか」
次回はキドとレナ―ミアの会話です。
キド視点も付属します。




