表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/23

第12話 大蜘蛛キド

前回のあらすじ:あ!野生の大蜘蛛が飛び出してきた!


読了予測:15分


 大蜘蛛アラネアキド。


 蜘蛛の腹部を持つ、鉄紺(てつこん)色の半人。


 人のような顔の上には、真っ赤な小さい目と大きい目が、上下に四つづつ並んでいる。


 頭から蜘蛛の腹の先までの長さは、人間の大人と同じくらい。胸の脇からは四対の長い脚が生えており、全体像を大きく見せている。


 また、頭に近い第一歩脚は、硬く太い。大蜘蛛アラネアの特徴とされる、剣脚(つるぎあし)と呼ばれる武器である。


 ユパニガルは首から下げた牛角の笛を持ち上げ、唇を当てる。

ぶーーーーーん……と低い音が、草原に広がった。


 その音を聞いたキドが顔を上げ、馬車の上から迷惑そうに、御者と兵士たちを見下ろした。


「……その音は耳障りダ。折角の再会に水を差すなヨ」


 笛を下ろしたユパニガルが、キドを睨む。


「そこから降りろ、大蜘蛛アラネア!ここはお前が来ていい場所ではない!」


「黙れ馬車馬ガ!!」


 びゅっとキドの剣脚(つるぎあし)が振るわれた。

 切られた風を胸の前に感じ、ユパニガルは後ずさりをする。


「……っ」


 何もできない自分が不甲斐なくて、ユパニガルはぎりっと歯を噛み締めた。


 彼はただの御者であり、戦闘訓練を受けた兵士ではない。丸腰でキドに近づけば、切り裂かれてしまう。


 ユパニガルはキドを知っている。

 仕事中に何度か目にしたことがあるからだ。

 だが、レナーミアを運ぶ途中で襲われたことはなかった。


 キドはレナーミアを狙って現れるから、城郭町(カスター)周辺に潜むことが多い。

 そのため、兵士たちが定期的に巡回をしている。


 キドを見かけた場合、誰かが角笛を吹けば、魔王伯爵と魔物の兵士がすぐに駆けつけて、追い払ってくれていたのだが。


 ……レナーミアが留学してからは、大蜘蛛アラネアを全く見かけなくなった。兵士の警備は続いていたらしい。


 三年という年月が経ったせいで、兵士の警戒が鈍ったのか。それとも怠慢になっていたのか。


 キドはツェルナリオ領の住民ではなく、領外に棲む、野生の魔物である。


 野生の魔物は残忍で凶暴だ。人を殺すことも躊躇わない。

 安易に接近したり、話しかけたりしていい魔物ではない。


「キド!」


 レナーミアの声が、馬車の中から響く。


「キド、人を傷つけるのはやめて! ユパは貴方を攻撃しないわ!」


「邪魔者を払っただけだヨ」


 キドはしれっとレナーミアの言葉に答えた。


「ここは騒がしいからサ。ねェ、降りておいデ。何処かに行こうヨ。二人きりになれる場所にさァ」


「……」


 レナーミアは困った顔をして答えない。


 しかし、キドは返事を待つ気はないらしい。

 剣脚(つるぎあし)をガンと馬車に叩きつけて、壁に刃物でえぐったような傷をつけた。


 馬車はほとんど木製である。

 貴族が乗る豪華な作りのものではなく、大きな板で上下左右、前後をシンプルに囲んだものだ。その板をくりぬいた空間が、窓として機能している。


 外開きの扉は蝶番(ちょうつがい)がついており、(かんぬき)で勝手に開かないように固定されているが。(かんぬき)が折られるか、それを通す(かすがい)の部分を壊されたら、扉は意味をなさなくなる。


 キドの剣脚(つるぎあし)がバシャンと窓を砕いた。それでもレナーミアを引きずり出すには幅が足りないと感じたらしく、また何度も壁を打つ。


一人の小鬼(ゴブリン)兵士が居合の声をあげて、剣脚(つるぎあし)の内側に細槍を突いた。

 とすん、と深めに刺さる。


 キドは、ぎろりと兵士に視線を移す。そして蚊を散らすように、ぶんと槍ごと兵士を払い飛ばした。兵士はころころと後転した。


「キド……!」


「出てきてヨ。ボクも無駄な喧嘩はしたくないからネ」


 レナーミアは降りない。

 代わりにまた言葉を述べる。


「キド、角笛が吹かれたから、すぐに他の兵士たちがくるわ。早く逃げて」


「……」


「ここにいたら危ないわ! 馬車を襲ったことをお父様たちが知ったら、今度は本当に殺されてしまうかもしれない!」


 大蜘蛛アラネアは顔周りの触脚(しょくし)を揺らす。

 くつくつと笑って、とても満足げな表情をした。


「……あア。嬉しいなァ。ボクを心配してくれるんだネ」


「お互いに傷つけあって欲しくないのよ」


「じゃア、ボクのものになってヨ」


「それは……」


「レナーミアがボクの雌になれバ、他はどうでもいいからネ。それとモ、レナーミアはボクのこと、嫌いになっタ?」


「そんなことはないわ。私はキドが好きよ」


 でも……と、レナーミアは続ける。


「私は、貴方だけと一緒にいることはできない。お父様やお兄様に、屋敷のみんなにも、心配をかけてしまうもの」


「ボクが好きなのニ?」


「私はみんなが好きだから。家族も、領民も、キドのことも。どちらかを選んで、どちらかを悲しませるようなことはしたくない」


 レナーミアは俯き加減の顔を上げた。


「ねぇ、キド。前にも言ったけれど、考え直してくれないかしら? 貴方もツェルナリオ領の住民になること。住民票を取るまでは大変だけれど、登録ができれば、私とも一緒に……」


「嫌だネ」キドは即答する。


「どうしてボクが人間の暮らしをしなくちゃならないのサ?」


「でも、そうしないと、お父様とのいがみ合いが続くだけよ」


「レナーミアを奪い合ってるからネ。当然だヨ」


 キドは剣脚(つるぎあし)を振り下ろして、また馬車の一部を破壊した。

 レナーミアと猫メイドが、「きゃあ!」「にゃあ!」と、大きな揺れに対して、短い悲鳴を上げる。


「ボクが欲しいのはレナーミアだけダ。あとは全部余計だヨ。"縄張り"も"群れ"も、必要なイ」


 また小鬼(ゴブリン)兵が細槍を突こうとするが、キドに弾かれる。


「さっきから鬱陶しいんだヨ!!」


 キドが薙ぎ払うように剣脚(つるぎあし)を扇いで、兵士たちの槍を何本か折った。


「キド、暴力はやめて! 兵士たちも! キドを攻撃しないで!」


「こんにゃ時に何ゃに言っているんにぇすか!?」


 猫メイドが信じられないと言わんばかりの声を上げる。


「だって、そう言う以外にとめられそうな方法がないもの!」


「え、いにゃ、おおもとにょ原因はレニャーミア様が……」


 ばきんと、馬車の天井が剥がされた。


 キドの剣脚(つるぎあし)が、レナーミアを掬い上げるようにして、引き上げる。


「レニャーミア様!」


「捕まえたヨ。さテ、行こっカ?」


 キドはレナーミアを胸と剣脚(つるぎあし)の間に挟むように抱えて、ばっと跳ね上がった。


「ま、待て、大蜘蛛アラネア! レナーミア様を離せ!」

 ユパニガルが叫ぶ。


 キドは長い距離を経て、馬車道にすたんと着地する。

 走り出そうとしたその瞬間、地面にいくつもの、黒い影が通った。


「……チッ。飛行兵カ」


 双剣を足に掴む人鳥(ハーピィ)たちが、キドを空中から取り囲む。


 キドは草の中に飛び込み、体を低くして右に左にと走り回った。だが、飛行兵の追跡から逃れきれていない。


 やがては進行方向にぱぱぱぱっと矢を落とされて、キドは一、二歩後退し、動きを止めた。


「……危ないなァ。レナーミアに当たったらどうするのサ」


 キドは矢が飛んできた道筋を目で辿る。


 飛行兵よりも後に来た、動物の馬に二人掛けで(またが)る小さな弓兵たちが、道脇にずらっと並んでいた。


「キド……」


 レナーミアが不安そうにキドを見上げる。


「心配しないデ。キミのことハ、ボクが守るからネ」


 キドはレナーミアを抱える剣脚(つるぎあし)に、優しく力を込めた。


「茂みに入って広がり、奴を囲え! レナーミアが捕らえられている! 決して逃すな!」


 張り上げられた若い男の声に動かされ、様々な形をした魔物の兵士たちが、キドの周りに集まった。


 レナーミアの護衛をしていた小鬼(ゴブリン)兵たちの近くに、黒馬に乗った"人"影がある。


「……やはり現れたな。大蜘蛛アラネアキド」


 魔物に指示を出した声の主。

 ドルゼストは馬の首をキドの方に向け、鞍の上から視線を下ろした。


 キドはドルゼストの記憶がなかったらしく、「誰だこいツ?」という顔をする。

「お兄様……!」というレナーミアの言葉で、ようやく合点したようにせせ笑った。


「……あア、なるほどネ。魔王伯爵の息子カ」


 キドはざっと周りを見渡して、見覚えのある顔がいないことを知る。


「グアナーはどうしたのサ?」


「体調が優れないゆえ、私が魔物軍の大将として代理をしている」


「ふーン。あのクソジジイがねェ……」


 ドルゼストは顔をしかめる。「クソジジイ」が、父への侮辱に聞こえたからだ。


「レナーミアを離せ。どちらにせよ、お前は完全に包囲されている」


「アイツと同じこと言うんだネ」


「当然だ。父上に何度も追い立てられておきながら、性懲りもせず妹に手を出す、無礼な蜘蛛を許すと思うか?」


「レナーミアは嫌がっていないヨ。それに、追い立てるのはそっちの都合だロ」


「……ああ、そうかもしれないな。だが私も、お前の都合に合わせる気はない」


 大蜘蛛アラネアに対し表情を崩さないドルゼストと、若き領主代行を(あざけ)るキドを交互に見比べて、レナーミアが「喧嘩はやめてよ……」と小さく呟いた。


「今レナーミアを離せば、命だけは助けてやろう」


「結構だヨ。ボクの邪魔をした奴から、八つ裂きにしてやるからネ」


 片方の剣脚(つるぎあし)を高く掲げるキドを見て、兵士たちがそれぞれに武器を構え直す。


「キドやめて!」


「わざわざ近づいて来なければ当たらないヨ」


 レナーミアを手に落としたことで、キドは気分が高まっている。

 自信に満ちた残虐な笑みを浮かべていた。


「……まあいい。ならばひとつ、確認したいことがある」


 そんな気迫を無視するかのように、ドルゼストが冷静な声をかけた。


「いつ、レナーミアの帰国を耳にした?あるいは何処で?」


「はァ? そんなこと聞いてどうするのサ?」


「秘匿事項か?」


「そういうわけじゃないけド。特定の情報元があるわけじゃなイ」


「風の噂を聞きつけたと?」


「だから何ニ?」


「お前は野生の魔物だからな。このツェルナリオ領以外で、人間との交流はないはずだ。どのようにして話を得たのか、不思議に思うのだ」


「人間と交流がなくたっテ、話を盗み聞くくらいはできるからネ」


「誰から聞いた」


「たまたま近くを通りかかった旅人だヨ。深入りしても無駄ダ。本当にそれだけだからネ」


「他には何も聞いていないのか?」


「……」


 キドは掲げた剣脚(つるぎあし)を少し下ろした。腹の中を探るような目つきで、ドルゼストを睨む。


「さっきから何がしたいわケ? ボクと会話する意味があるのカ?」


「私は無駄なことを聞いてはいない。お前がどこまでツェルナリオ家の事情を把握しているか、知りたいだけだ」


「……」


 キドは怪しいと感じているようだ。


 だが、彼はドルゼストのことをよく知らない。

 武闘派の魔王伯爵とは違う、剣も抜かずに凛としているドルゼストの意図が、汲み取れないようだった。


「父上から聞いている。お前は嘘をつかない魔物だとな。知りたい情報があるからこそ、問うている」


「取引でもしたいわケ?」


「応じてくれるのか?」


「断るヨ。ボクは等価交換っていうのが嫌いなんダ。第一、オマエの考えが読めなイ」


「ハッタリを張らないというのは真実なのだな」


「嘘つきは泥棒の始まりダ、って、人間社会では言うんでショ?」


「……誘拐犯が戯言を」


 ドルゼストは嘆息してから、おもむろに懐中時計を取り出し、文字盤を確認して蓋を閉じた。


「そろそろか」


 キドは一瞬首を傾げてから、はっと剣脚(つるぎあし)を見て、言葉の意味を悟る。


「……あの槍、毒を塗っていたのカ」


「!!」

 レナーミアが目を大きくして兄を見る。


「すばしっこいお前を下手に追い回すよりも、一撃にかける方が労力もかからない。直接対峙の機会を減らせば、被害もだいぶ抑えられるからな」


 レナーミアの護衛をしていた"特殊部隊"は、ドルゼストの作った毒薬を渡されていた。戦い方も指示通りに遂行している。


 細槍をむやみやたらに振り回さなかったのは、仲間やレナーミアたちに、毒濡れの穂先が当たらないようにするためだ。


 速いだけでなく、大蜘蛛アラネアは強い。


 たかが六人の小鬼(ゴブリン)兵では、全く歯が立たない。


 だが、力で敵わなくとも。

 槍の穂先に毒をつけて、かすり傷を負わせれば、遅効性のダメージを与えられる。


 問題は、その毒が回るのに十五分前後かかることだ。

 十五分もあれば、大蜘蛛アラネアは十キロより離れた場所に移動できる。隠れる余裕もあるだろう。


 だが、使わないよりはマシである。


 もし城郭町(カスター)よりも離れた場所でキドに遭遇していたとしても、レナーミアを救出できる確率は上がる。

 毒で苦しませて優位に立つことも可能だ。


「……っ、ゥう……」


 体に異変を感じたキドが、数本の脚を折り曲げた。


「キド!」


 キドの剣脚(つるぎあし)の力が緩む。

 しかし、レナーミアはキドの調子を心配して、逃げ出そうとはしなかった。


「大丈夫!? キド、ねぇ!」


「レ、ナ……ミ、ア……」


 息が苦しそうだ。蜘蛛の腹部が痙攣けいれんするように、激しく上下している。


「キドを縛れ。レナーミアを保護しろ」


 ドルゼストの声に従い、魔物の兵士たちが一斉に動き出した。


 魔物だらけの波の中、レナーミアは二人の人鳥(ハーピィ)によって宙に持ち上げられ、馬車道にゆっくりと降ろされた。


「レナーミア様! ご無事でよかった……!」

 ユパニガルはレナーミアに駆け寄る。


 しかし、レナーミアの視線は、ずっとキドを捕らえて離さなかった。


「キド……」


「ここはドルゼスト様にお任せして、屋敷に戻りましょう」


 ユパニガルに背を向け、レナーミアは兄の元に駆け寄った。


「お兄様!! キドを殺さないで! 彼は誰も殺したりはしないわ!」


 ドルゼストは呆れたようにため息をついた。


「落ち着け。大蜘蛛アラネア相手なら、あの毒を多少掠めた程度で死にはしない」


「でも、すごく苦しそうにしているのよ!」


「筋肉を痺れさせるものだからな。少し呼吸をしずらいだけだ。しばらくすれば毒が抜けて、落ち着くだろう」


「キドをどうするつもりなの!?」


「後で気が済むまで説明してやる。お前は先に、屋敷に戻っていろ」


「お兄様!」


「早く行け」


 ドルゼストがユパニガルに目配せをする。


 ユパニガルは頷くと、レナーミアの背中を押して、「行きましょう」と促した。


「……ほにゃ。レニャーミア様、歩きにゃすよ」


 馬車から降りてきた猫メイドにも手を引かれ、レナーミアはぽつぽつと足を進めた。


「……キド……キド……!」


 歩きながら、レナーミアは甘橙(あまだいだい)色の目を擦る。


 大蜘蛛アラネアの名を、何度も何度も、呟いた。




あーあ。泣ーかせた。


次回は、野生の魔物についてのお話しです。ドルゼストの「命だけは助けてやろう」(キリッ)には結構大きな意味があったりします。キド視点は次々回。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
外部ランキングサイト↓
小説家になろう 勝手にランキング
お手数ですがポチッとしていただけると、ありがたき幸せです。
cont_access.php?citi_cont_id=119140378&sツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ