第9話 屍リューダ
少し長め。
読了予測:20分
レナーミアと猫メイドのア=テイ、六人の小鬼兵士は、再び人首馬ユパニガルの引く馬車に乗り込み、人魚村から帰路についた。
順調に行けば、夜十時前には城郭町に戻れるだろう。
魔物は夜に活動することもある。
特に肉食性の魔物は夜に目を覚ます者も多いため、日没後に町から離れたところを移動するのは危険だ。
魔物だけではなく、野盗に襲われる可能性もある。
しかし、ツェルナリオ領は他領に比べてかなり治安がいい。そもそも人を襲う魔物がいない。
……夜行性と昼行性の魔物がいるということは、夜も昼のように町が動くということだ。
夜間警備も活発である。人間の町では日が暮れた頃に町門を閉じてしまうものだが、ツェルナリオ領では商売の関係上、特に事情がない限りは深夜でも開けている。
夜にしか営業しないところもあれば、昼夜問わず扉を閉めない店もある。
城郭町ならば夜も比較的、人通りが多い。絶対安全とは言い切れないため、深夜の散歩は自粛するべきだが。
ア=テイとレナーミアは「何故猫にはしっぽがあって人間にはないのか」という暇つぶしの談義を交わしていた。
「顔は笑ってみょ尻尾で内心が相手にバレることがあるかにゃ、面倒くさいにゃあと時々思います。まれに、"ポーカーテイル"の犬猫みょいますけにょ」
「でもそれって便利よね。背中からでも表情が伝わるってことだもの」
「みゃー、それはそうかもしれにゃいです。声を出さにゃくても返事がにぇきますかりゃにぇ」
突然、ドンと音を立てて、馬車が不自然に揺れた。
レナーミアが前を見ると、ユパニガルが体のバランスを崩したように軽くふらつき、五、六歩進んで道の脇に馬車を止める。
「どうしたの、ユパ」
レナーミアが聞くと、ユパニガルが、「人を撥ねたかもしれません」
と静かな声で言い、急いで頸木を外して、馬車の後ろに回って行った。
レナーミアも窓の外に手を伸ばして閂を外し、馬車を降りる。猫メイドもだ。
ユパニガルは膝をつき、全身黒ずくめの倒れた人影に声をかけていた。
「ユパ! その方の息はある?」
レナーミアが聞くと、ユパニガルは振り返って、少し困惑したような表情を見せる。
「……いえ。ですが、この人は……」
ユパニガルが答える前に、影がむっくりと上半身を起こした。
「……」
「そちらの方! お怪我はない? 大丈夫?」
レナーミアの呼びかけに、息をすり潰したような声が返ってきた。
「……平気……元々……死んで、る、から……」
口はマスクで覆われ、少しくぐもっている。声のトーンからして男性のようだ。
男はのろりと立ち上がって、レナーミアたちの方にぺこりと頭を下げた。
男からころんと丸いものが転げ落ちる。
レナーミアは反射的に落し物を拾った。
……人の頭だった。
「あ、あの、お首が……」
首のない体を見ればいいのか、頭に直接語りかければいいのか。
よくわからなかったが、レナーミアは腕のついている方に頭を差し出す。
「……」
体が頭を受け取った。
「ねえ、もしかしてその頭は、撥ねられた時に?」
「……大丈、夫………………たぶん……」
自信なさげにたぶんと言われても困る。
レナーミアは立ち去ろうとした男を引き止め、「事故の責任を取りたいから」と、無理矢理馬車に乗せた。
***
「あー……首の骨ばっきりいっちゃってるね。細い軸のところがやられてる。これは留め直さないとダメだよ」
人の子供の姿をした医者が、男の頭と体の接合点を見比べて答えた。
「……」
全身黒ずくめの男は、名前をリューダと言った。
医者に抱えられているリューダの生首は、特に驚きもせず、眉を曇らさず、マスクの上から覗く目は無表情のままだ。
ユパニガルは来た道を引き返し、人魚村の外れにある町へと入った。
町の門番に「ここに魔物か生存死者を診れる医者はいるか」と聞いたところ、「魔物も人も診てくれる医者がいますよ。死体はさすがにわかりませんけど……」と、小さな診療所を教えてもらった。
人魚村は観光地としての景観を損ねないために、生活感を表に出さないようにしている。
よって、人魚や現地で店を構えている者以外の働き手は、「眠り町」と呼ばれるこの町から出勤しているという。
特に、眠り町は人魚村開拓時に集められた元労働者、つまり人間の領民が多く住んでいる。
労働者たちの宿泊場所としていたところが、"人"口の増えた町となって今も残っているのだ。
「とりあえず折れちゃったものは除いて、軸を石膏で作り直してみようか」と。
医者は持っていた首をリューダに返し、骨の造形手術をするという旨を説明した。
「あの……お医者様」
やりとりを見ていたレナーミアが口を開く。
「はい、何でしょう?」
「この方のお怪我は治らないのかしら?」
「んー、そうですね。屍は生理的な治癒過程が起きないので、"治る"ことそのものができないんです。壊れたところは物理的な方法で修復するしかないんですよ。関節が無事なら自力でくっつけ直せるけど、骨自体が折れちゃうとダメですね」
「……とんでもないことをしてしまったわ」
レナーミアは罪悪感を感じて俯く。
屍は死ぬことがないとはいえ、治らない怪我があれば生活に支障が出るだろう。
「……けど……オレ、支柱……入れて、る……」
「支柱は骨格を維持するためのもので、骨を守るわけじゃないよ。それに、他んとこもヒビ入ってるでしょ?危ういところはせめて布で縛って、補強しておかないと」
「……お金……ない……」
「治療費は全部私が持つわ。慰謝料として受け取って頂戴」
「……」
骨の亀裂の全てが事故によるものとは限らないため、治療費を全額請け負うというのはややオーバーな賠償かもしれないが。
ツェルナリオ領は領法の数は多いが、細かい法整備が十分ではない。
魔物と人、それぞれの習性や習慣に合わせて法律が作られているために、整備が追いつかないのだ。
交通事故に関しての法律は後回しにされすぎていて、「不慮のトラブルは被害者および加害者の話し合いで決着をつけよ」という、かなり中途半端なものしかなかったりする。
医者に運び込む途中、直接接触したユパニガルも、リューダに対して何度も謝罪の言葉を口にした。
彼の話によると、リューダは草で茂った道の脇から突然現れたのだという。急停止が間に合わず、そのまま撥ね飛ばしてしまったと。
実際のところ、ユパニガル自身は避けようと思えば避けることはできた。
だが無理な方向転換をして馬車を横転させたら、レナーミアが怪我をする危険性が高い。
良いとも言えない話だが、一般民と貴族を計りにかけたら、優先的に貴族を守るのは当然だ。何よりも、ユパニガルには己の主人を安全に運ぶという責任がある。
これは、御者が御者なりの判断をしたことによる事故だった。
レナーミアもそれを理解している。
だから簡単な謝罪で事を済ませたくないという気持ちもあった。
たまたま事故の相手がお人好しのレナーミアであったことは、リューダにとって非常に運のいいことだろう。
「……しかし、この時間に生存死者が出歩いているなんて珍しいですね」
唐突に、レナーミアのそばで沈黙していたユパニガルが小さめに呟く。
生存死者は、生命活動を停止した者が再び意思を持って動きだしたものとされる、特殊な魔物の総称だ。
屍はその一種である。
生存死者も領内にほどほどの数は住んでいるそうなのだが。
夜行性であり、生存死者同士で固まって過ごし、移動しない。そのため、レナーミアたちもほとんど目にしたことがない。
今の時間は夕刻の始まりくらいだ。
生存死者の活動時間よりは少し早い。リューダと会った時は、日が沈みかけてすらいなかった。
「……ん? あれ? 君、普通の屍にしては随分乾燥しているね。枯屍の特性が入っているのかな?」
医者がリューダの服の下を確認して、面白そうに感嘆した。
屍、というのは皮膚が黒っぽかったり、肉が泥のように溶けてハエや蛆が集っているというのが典型的な姿だ。個体によっては強い腐敗臭があるという。
一般的に、そのような湿潤死体のことは屍、乾燥死体の場合は枯屍と呼び分けされている。
他にも、見た目が生者と大差がないものは半屍、皮膚が落ちて骨だけになったものは骸屍と呼ぶ。
これらはあくまで見た目の違いによる分類である。それぞれにはっきりとした境界線はない。
「骨に張り付く肉の状態からして、元々は湿潤死体だよね? どうしてここまで水分なくしちゃったの?」
「……肌……腐る、の……嫌、で……虫……寄るの、も……」
「ふんふん、なるほど。潔癖症なんだね。まあ、珍しくはないよ。極端に夜の湿気を嫌うから、つい太陽を求めちゃうんだろうね」
「……」
光が刺激になるのか、本能的な恐怖なのか、詳しい理由はわかっていないが。生存死者は日光を避ける習性がある。
リューダも……今は首が取れているが……深くフードを被り、マスクをし、長袖の衣服を着て遮光しているかのようだ。
それなのに太陽を求めるというのは、一体どういうことなのか。
レナーミアはリューダに同情を寄せた。
きっと彼は、難しい悩みを抱えているのね。
……そういえば。
事故現場に他の屍の姿はなかったわ。
生存死者は同じ種族で纏まっていることが多いはずなのに、どうしてこの方はひとりでいたのかしら?
「君みたいな"夜昼逆転"屍は、はぐれ者になりやすいからね。身の安全には気をつけるんだよ。屍はどうしても動きが鈍いからね」
医者の言葉に対して、リューダは少し間を置いてから、「……はい」と、掠れた返事をした。
*********
今から城郭町に帰るとなると、夜の十二時を回ってしまう。
無理矢理にでも帰るか、それとも眠り町に一泊してから戻るか。
二択に対して、レナーミアは「泊まってから帰るわ」と言った。
「リューダさん、何日か通院するみたいだから。怪我の具合が心配だもの」
「お気持ちはわかりますけにょ……あまり帰りが遅れると、ドルニェスト様が心配して兵を出すかみょしれませんにょ」
「すぐに手紙を送りましょう。この町にも伝書屋はあるはずよ」
「……仕方にゃいにぇすにぇ。お見合いの準備もあるんにぇすから、明日ににゃ帰らにゃいといけにゃせんにょ」
ア=テイはかきかきと前足で耳の後ろを掻く。
「あにゃいは泊まる場所を探してきにゃす」と言って移動しようとした猫メイドを、レナーミアは「待って」と止める。
「リューダさんも泊まる所がないみたいなの。彼の部屋も斡旋してくれないかしら?」
「……わかりましたにょ。全くみょう……レニャーミア様は何処までお人好しにゃんですか」
猫メイドは四足歩行で走り去って行った。猫の急ぎ足である。
「わたしも馬車を止める場所を探してきます」
ユパニガルの言葉にも、レナーミアは「わかったわ」と承知する。
「私もお兄様に手紙を出してくるわね」
「お一人で大丈夫ですか?」
「まあ! ユパまでそんなことを言うの? 私は三年間、お嬢様ではない暮らしをしてきたのよ。これくらいできるわ」
お一人と言っても、兵士が四人もついてくるのだが。
二人の兵士はレナーミアから離れると言う。「滞在申請をするため、駐屯所に向かいます」とのことだ。兵士は何かをやる度なす度に"報・連・相"をするのが大変のようである。
ユパニガルの背中を見送って、レナーミアは「私たちも行きましょう」と、四人の小鬼兵に呼びかけた。
「……」
レナーミアたちの輪から少し離れたところに立っているリューダは、何も言わずに成り行きを見ていた。
「リューダさんも、私たちと一緒に来る?」
「……たぶん……邪魔に……なり、ます……」
「邪魔なんて、そんなことはないわよ。ここでじっと待っているのも退屈でしょう?」
「……」
リューダはのろりのろりとした足取りで、レナーミアに近づいてきた。
「……あの……」
「うん?」
「…………気を、使わせ、て……すみま、せん……」
「気にしなくていいのよ。怪我をさせたのは私たちの方なのだから」
「……オレ……動き……鈍い……から……声も、遅く、て……喉……うまく……使え、ない……」
動きの鈍麻さや話の遅さは、生存死者にはよくあることである。むしろ、リューダのように声でコミュニケーションを取れる方が珍しい。
「急いでいるわけではないし、大丈夫よ。ゆっくり行きましょう」
「……」
リューダはじっとレナーミアを見た。
「……綺麗……」
「え?」
突然の言葉に、レナーミアは戸惑う。
「……洋、服……綺麗、な、色……」
「ああ。この服ね」
レナーミアは人魚村で服を汚してしまったため、新しい服を買って着ていた。
ルーナ川をイメージしているという、深い青緑色のワンピースだ。
足腰にフィット感のあるデザインで、スカートの裾には段のついた、人魚の尾鰭のように大きく開いたフリルがついている。
値段はやや張るが、仕立てや生地は庶民の間でよく使われるものだ。観光客に土産物として買われることも多い。
レナーミアはこの町でも伊達眼鏡をかけて、一般人になりすましていた。
人魚村で売っている服を着ていれば、「観光を楽しんでいます」と主張しているも同じだ。
「ありがとう。急いで買ったものだから、褒めてもらえてほっとしたわ」
滞在時間の問題もあって、あまりじっくりと服を選ぶことはできなかった。
リューダは「似合っている」と言ったわけではないが。レナーミアはその類の褒め言葉だろうと解釈した。
兵士は人魚村の時と同じように、広がって歩き始めた。
レナーミアは隣に一人の屍を連れて、伝書屋に向かう。
伝書屋とは、つまり郵便物を預かったり宅配したりする場所だ。
ツェルナリオ領には空を飛ぶ魔物がいるため、「即日配達」の仕組みがある。
通常の配達に比べて何十倍ものの手数料を取られるが、早ければ数時間で手紙を届けてくれる。
……レナーミアがわざわざ伝書屋を使わなくても、駐屯地の翼を持つ兵士に頼めば、ドルゼストに連絡が行くだろうが。緊急性のない要件で兵士をこき使うのは忍びないと、レナーミアは思っていた。
レナーミアは伝書屋で渡された便箋に「ドルゼストお兄様へ 本日は眠り町に泊まります。翌日屋敷に戻ります。レナーミア」と短い文を書いて、受付の人間の女性に宛先と共に渡す。
「何故領主様のお屋敷宛に?」と探られる前に身分を明かして、口止めもしておく。
「誰がこの手紙を送るか」と、伝書屋の奥で少しざわつきがあったが、一人の元気そうな人鳥が名乗りを上げる。
他の手紙を詰めた鞄と携行用ランプを首からぶら下げて、人鳥はばたばたと建物の上の階に駆け登って行った。
用事はすぐに終わってしまったが、レナーミアは伝書屋を出たところの向かいに、屋台があるのを見つける。
甘いバターの香りがする、薄く伸ばした小麦粉を焼いた菓子だ。
城郭町ではあまり小麦を見かけない。そもそもツェルナリオ領において、小麦の消費率が著しく低いのだ。領内に肉食性の魔物が多いためである。
しかし眠り町は人間が比較的多い町というだけあって、小麦が手に入りやすいのかもしれない。
少し小腹が空いたかしら、と。
腹の中の状況を自覚したレナーミアは、猫メイドがいないうちに一枚買ってみることにする。
兵士にもおすそ分けしようとしては断られ、リューダにも聞いたが首を大きく横に振られてしまった。
「遠慮しなくてもいいのに」
「……お菓子……食べら、れ、ない……ので……」
レナーミアが人に何かを勧めたり誘ったりするのは、楽しみを共有したいためだ。
しかし、リューダは一般民にすぎない。
治療費や宿泊所の面倒を見てもらっている上で奢られそうになれば、恐縮してしまうのも当然だ。
仕方なく、レナーミアは一人で焼き菓子を噛んだ。
ぱりぱりとした生地の食感と、蜂蜜とバターの優しい甘さが頬に沁みる。
「……そういえば、屍って普段は何を食べているの?」
口の中のものを飲み込んでから、レナーミアは聞く。
「……」
リューダは数秒経ってから、首を横に振った。
「食べない、ということかしら? 確かに、死んだ人が物を食べるというのは不自然なのかもしれないけれど……」
リューダは頷いた。
「ねえ、貴方はどうしてあの道にいたの? 確か、生存死者の集落は山側の地域にあるのよね? 人魚村の近くにもあったかしら?」
「……」
言葉を考えているのか、それとも返答を渋っているのか。なかなか返事がない。
「……ごめんなさい、質問責めにして。少し興味があって聞いただけなの。言いたくなかったら、無理に答えなくていいのよ」
リューダは首で否定を示した。
「……。お酒、なら……飲み、ます……」
「お酒?」
「……水は……怖い……でも、お酒、は……平気……」
「お酒が好きなのね」
一瞬の間を置いて、リューダはまた首を横に振る。
「……話す、のが……好き……喉……乾く、と……話せ……ない、から……」
話題の内容が遅れている。首で返事はしているから、思考も鈍いというわけではないだろうが。
レナーミアはもう焼き菓子を食べ終えてしまった。
「寄り道をしてごめんなさいね。集合場所に戻りましょう」
「……」
歩き出そうとして、「あの……」と、リューダから声をかけられる。
「……ありが、とう、ござい、ます……」
償いに関するお礼かと思ったレナーミアは、「治療費も宿のことも、私なりに責任をとっているだけよ」と言うが、リューダは違うというように首を振った。
「……それ、以外、に……お話……嬉し、かった」
「どういたしまして。私もリューダさんとお話ができて、楽しかったわ」
「……」
会話を噛み合わせるのは難しいが。
リューダさんはたぶん、誠実な人なのね。と、レナーミアは思った。
長いので文章分けました。
リューダ視点は次回に付属します。