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日常断片  作者: 藤野 羊
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「お帰りなさい」

和泉と雨屋

 雲は薄く、風に流されたように、ざらついた質感を残して広がっていた。よく冷えたアイスクリームを掬いとった痕の、細かな毛羽立ちに似ていた。


 肌が焼けそうなほどではないが、日差しからの熱を逃がしてくれる風はない。空気はすこし蒸していて、Tシャツをばさばさとあおいで風を通そうにも、変わらず滲む汗が、和泉の首筋を伝って流れていく。

 冷たいものでも、買って帰ろうかな。

 財布の所在を確かめ、視線を上げた先――甘い氷菓を思わせる、バニラ色の髪の毛が見えた。


「バイトしてるお花屋さんって、ここだったんですか?」


 花屋の軒先は日陰で、心なしか涼しい。

 四人家族を送り出す雨屋は、喫茶店のものとは違う、赤いエプロンを纏っていた。きょとんとした瞬きをすこしして、「奇遇ですね。こんにちは」と。素朴な顔立ちを、にこにこと和ませる。


「勤め先の奥様が、こちらの店主様とお知り合いなんです。今の時期だけ、お手伝いを頼まれているんですよ」

「今の、……あ」


 寺院の並ぶ通りには、多くの車通りがある。普段ならば静かな一帯だが、ーー夏のいま時分は別だ。


「安岐さんも、御寺参りでいらっしゃいますか?」


 寺通りの向かいに位置する花屋には、墓前に供える目的の酒や飲料、簡単なお膳に、スナック菓子なども並んでいる。店の前にまた一台が停車し、親戚の集まりと思しき団体客が、供花は何がよいのかを、あれこれと雨屋へ相談していた。


 和泉の親戚ーー血族というわけではなくとも、「家族」として顔向けするべき墓前という意味なら。そういった縁は、此処には無い。当の地元、実家からは帰省の催促をされていたのだが、北支部が忙しく、断らざるを得なかった。

 それきり、忘れていたのだ。


 "死者の御霊が帰ってくる"と、伝わる日。

 幻でも、まがい物でも、精神病でも。いっそ気の所為でも構わない。どんなものでもいいからーーひと目会えるなら、と。自身の折り合いとは別問題に、消えることのない願い。いまは静かなその火が、冷たく、勢いを増した気がした。


「もしお時間があるのでしたら、どうぞ。お掛けになられてはいかがですか」

「ーーあ。…りがとう、ございます」


 幾分ぼんやりとした抜け殻に、店奥の丸椅子が示される。新聞紙に包んだ花束を抱える雨屋とすれ違い、和泉がのろのろと体重を預け、息をついた。

 卓上向きの小柄な扇風機が、ちりちりと音を立てて回っている。表の様子が見通せる此処は、店側の休憩スペースなのかもしれない。


 格好よくも、兄らしくとも、"なり切れなかった"。

 そんな自分は、みっともない姿を晒しながら、それでもまだ、この北にいる。ーーすこしだけ、気になることには。


「こんな俺のとこになんて、……帰ってきて、くれるのかな」


 ひとりで苦笑して、絵面の寂しさに傷を抉られる。こればかりは、いつまで経っても、痛い。

 自分の半分であることは、なにも変わらないから。思い出す度、直視する度、半身が引きちぎられる心地がする。


 痛みを忘れる必要も、忘れたくも、ないのだけれど。


「すみません、忙しい時にお邪魔しちゃって。お客さん、いっぱい来るんですね」

「構いませんよ。それに、時期ですから」


 冷えたスポーツ飲料を二本。もうひとつ椅子を出してきた雨屋が、一本を和泉に手渡した。「お顔の色が優れなかった気がして」と。暑気あたりを心配していたことを、呑気に白状する。


「お若い方は、ご無理もきくのでしょうから。お気を付けてくださいね」

「ありがとうございます。えっと、お代は」

「いちおう、ほら。大人の顔を立ててやる、……という辺りでは、いけませんか?」

「っあはは、じゃあ、お言葉に甘えます!」


 休憩は短く、直ぐに新しい客が訪れた。店面へ向かおうとする雨屋を、慌てて引き留めーー温めていた本題は、とても纏まらないままに、切り出すこととなってしまう。


「多分、お墓が無いんです、……いや違、でも嘘じゃあなくて。本当に! 変なものじゃないんですけど! だから……お墓のものじゃなくって、」


 もちろん、雨屋の手が空いてからの話として。焦りも後押しする、ひどく珍妙な説明を、どうにか、わかりやすい依頼としてひねり出す。


「普通に、お花……包んでもらうことって、できませんか?」


 供花でなくともいい。半身を想って、花を選びたいだけだから。仮にもし、愛しい彼女が帰ってきてくれたのなら、ーー笑顔になってくれるような花を。

 訝しむ表情から一変して、雨屋が、堪えかねたように笑いだした。可笑しそうな声が、和泉へひとつ、指摘する。


「それが"お花屋さん"ですよ」

「えっ、……あ、ほんとだ」

「っふふ、ええ。承りました」




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