おめでたい日
氷崎と風見
薄暗いアパートに、呼び鈴の音が何重にも響いている。
膝掛けと本に埋もれながら体を起こし、手探りで眼鏡を探す。寝落ちたまま夜になっていたらしい――と、回らない頭が理解する間も鳴り止まない騒音が耳をきんと刺す。
氷崎は眉を顰めて立ち上がった。
裸足で踏みしめたフローリングが体温を奪う。
「よぉすばる! メリークリスマス!」
ぴかぴかの笑顔が、寝ぼけた頭を眩しく灼いた。
「……ああ、うん」
氷崎が迷わず玄関扉を閉める。
すかさず風見はブーツをねじ込み、扉に挟まれた冬靴から雪塊が落ちた。
「すばる、オレ。オレだってば。勧誘でもセールスでもねえって」
「知ってるよ」
「いや開けてくんね!?」
わずかな隙間から手が入り、アパートのドアをこじ開ける。設備の破損を案じて抵抗を緩めてしまえば、安普請の扉はあっという間に開け放たれた。
頭にまで雪を積もらせた風見が、赤らんだ頬のまま歯を見せて笑う。
「その感じ、やっぱカレンダー見てねーな? っぶねー間に合ってよかったぜ。ってことで今からごちそう食うぞ!」
「どの辺りがおめでたい日なの」
「おめでてーじゃんクリスマスだぜ?」
「……じゃあ今日は特別、レンジであっためるだけのご飯にしようか。そういうことで。じゃあね博己」
「待てって痛だだだ」
風見が再び靴をねじこむ。異物を挟んだ扉がミシリと鳴った。
これ以上は無理だと諦め、氷崎は「どうぞ」と来客を招き入れた。
「おわ、すげー散らかってる」
「おかまいしないよ。好きにしてね」
「テーブル片付けっからなー。本とかテキトーに……もしかして大学の宿題してた?」
書類をまとめた風見が、パソコンのスクリーンセーバーに目をとめた。
周囲の書籍やプリント類は同じ山にまとめつつ、適当に重ねていく。
「うん、レポート課題。メンタルヘルスの講義で出たから」
「教科書ぶ厚くね? 大学生って荷物多いのな」
「それは個人的に買った本だよ。配布資料はこっちのプリント」
「へー! じゃあコレすばるが好きなやつなんだ。ぴーてぃー……えす、」
「厳密には違うけど、トラウマって言えば伝わる? 北支部でもいるよ、その手の事由で退職するひと」
「マジ? そうなんだ。たとえば?」
ゴミ箱片手に歩き回る風見が、氷崎の講義に相槌を打ちながらゴミの分別を済ます。
「へえ」とか「ほー」とか言いつつも手は止めず、あらかた片付く頃には氷崎の目もだいぶ覚めていた。
「……だいぶ勝手に話してたけど、内容わかる?」
「ぜんぜんわかんね」
「なんで聞いたの」
「や、すばるが難しい話してくれんのすきなんだよなー。オレのこと馬鹿にしないで、全部ちゃんと説明してくれっから」
片付いたテーブルに、風見が重たい買い物袋を載せた。
「うちにローストチキン四羽いてさぁ」
「なんて?」
「親もねーちゃん達もみーんな同じの買ってきたから。クリスマスなのにケーキは一個もねえの。持ち寄るなら相談しろよな〜」
「博己は別なもの買えたの」
「ポテトとフライドチキン」
「……鶏肉が好きなんだね」
「え。フライドチキンはオヤツじゃね?」
まるまる太ったローストチキンが、単身用の小ぶりなテーブルに鎮座している。
どう見積もっても家族で平らげる量では、と予感する氷崎をよそに。風見が箸で器用に骨から身を外し、肉をほぐして皿に盛っていく。
「つーわけで、これオレらで貰っていーって。一羽まるごと!」
お裾分けというか、ノルマと捉えるべきでは。
氷崎の頭に様々な言葉が浮かんでは消え、しかしながら「人選ちがうな」の感情だけは揺るぎなくそこにあった。氷崎が知る限り、この程度の鶏を一人でペロリといけそうな顔は何人も思い浮かぶ。なにせ異類対策部など男所帯の戦闘職種。健啖家揃いだ。
ほぐした肉を電子レンジで温め直しながら考えているところに、風見が付け加える。
「余りゃ冷凍しとくって。おかず一品ぶんラクになるぜ」
「助かる。足挟んでごめんね」
「いま?」
間の抜けた声に重なって、電子レンジがチンと鳴った。




