リップクリーム
雨屋と風見(+棗)楽観コンビ
別サイトでの壁打ちログから微修正
「何これ。かーわいーじゃん」
朝も過ぎ、昼に差し掛かりかける喫茶店。
抹茶色のリップクリームを拾った風見が、落とし主の青年に笑いかける。
雨屋が眉を下げて礼を述べ、落し物を受け取った。
喫茶店での業務のかたわら、屈んだ拍子にエプロンのポケットから転がったらしい。
「紫乃さんから頂いたんです。雨屋せんぱいの色だから、って」
「なるほどなー、目の色。コレ塗ったら唇も緑色になんの?」
「気になりますね。試してみましょっか」
蓋を開け、容器と同じ緑色をしたリップクリームを繰り出す。抹茶のフレーバーが売り文句のスティックから甘そうな香りが立ちのぼった。
柔らかいクリームを唇に滑らせる様を、風見がじっと見つめる。
「へえ」と。不思議そうな声が答えだ。
「緑なのに緑に見えねー。フツーのリップみたい」
「そうなんですか。不思議ですねえ」
雑談は終わりだ。
キャップを閉めようとしたところで、ドアベルの音に意識が逸れる。
いらっしゃいませ、と。雨屋の笑顔を向けられた客の視線は――中途半端に仕舞われないままのリップクリームを捉えて、しばし怪訝に揺れる。
見慣れた金髪の、華やかな常連客。
雨屋は瞬時に身を翻す。
「棗さんでしたか。どうぞお席を」
話しかけながら奥のテーブル席に近づき、椅子を引く。
てきぱきと席の準備を整えると、入口で立ったまま一向に動かない棗を振り向いた。
「……お掛けになりませんか?」
「お前、そういうの使うの?」
棗の指さした先。
雨屋が握り込んだまま作業をしていた、緑のリップ。
「これは頂きものですよ、持ち腐れは勿体ありませんから。綺麗な香りがするんです」
「匂い? ……ああ。何かするとは思ったけど」
すん、と空を嗅いで、切れ長の瞳を雨屋に向ける。
虫の居所がすこぶる悪そうな視線だが、それにしては口数が少ないのが奇妙だ――気分屋の暴君の機嫌の善し悪しは、周囲への被害の程度に直結する。
風見が怖々と見守る中、棗が真っ直ぐ雨屋に詰め寄った。
そのまま、薄い唇に顔を近づける。
「抹茶アイスの匂い」
「いいでしょう」
「……ふーん」
得心がいった様子で呟いて、それきり何も言わなくなる。
さっさと用意された席につくなり、メニューを眺める片手間に言った。
「お前ただでさえ白いんだから、血色あるやつにしとけばよかったんじゃない。顔色すこしはマシになるだろ」
面倒そうに、放り投げるように吐き捨てる。
棗から離れた雨屋を捕まえ、風見が声をひそめる。
「……なー雨ちゃん。棗サン距離感おかしくね? 近くね?」
「お疲れのようですね。甘いもの持っていって差し上げましょう」
「雨ちゃんすげーよな。オレぜってー平常心でいらんねーわ……あの人、顔だけはえげつねーキレーじゃん?」
「そうですねぇ。顔だけは本当にお綺麗で」
「おい馬鹿二人。聞こえてるけど」
「げっ、……」
「それはお話が早い、ご注文はどうなさいますか。腕によりをかけますよ」
風見がしどろもどろ言い訳を探すより、にこにこの雨屋が間に入るほうが早い。
棗は、雨屋を睨みつけたまま無言だ。
沈黙が重い。ぴりつく雰囲気の中、低い声が落ちた。
「……いちばん早く食えるやつ」
「畏まりました。すこしご辛抱くださいませ」
「そんなに怖がらなくても、噛みついたりしませんよ」
「……はじめて雨ちゃんのことそんけーしたかも」
「ふふ。風見さんなら直ぐに身につきますよ」
「や、嫌だけど。生きた心地しねーし……」




