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日常断片  作者: 藤野 羊
32/40

リップクリーム

雨屋と風見(+棗)楽観コンビ

別サイトでの壁打ちログから微修正

「何これ。かーわいーじゃん」

 朝も過ぎ、昼に差し掛かりかける喫茶店。

 抹茶色のリップクリームを拾った風見が、落とし主の青年に笑いかける。


 雨屋が眉を下げて礼を述べ、落し物を受け取った。

 喫茶店での業務のかたわら、屈んだ拍子にエプロンのポケットから転がったらしい。

「紫乃さんから頂いたんです。雨屋せんぱいの色だから、って」

「なるほどなー、目の色。コレ塗ったら唇も緑色になんの?」

「気になりますね。試してみましょっか」

 蓋を開け、容器と同じ緑色をしたリップクリームを繰り出す。抹茶のフレーバーが売り文句のスティックから甘そうな香りが立ちのぼった。

 柔らかいクリームを唇に滑らせる様を、風見がじっと見つめる。

「へえ」と。不思議そうな声が答えだ。

「緑なのに緑に見えねー。フツーのリップみたい」

「そうなんですか。不思議ですねえ」

 雑談は終わりだ。

 キャップを閉めようとしたところで、ドアベルの音に意識が逸れる。


 いらっしゃいませ、と。雨屋の笑顔を向けられた客の視線は――中途半端に仕舞われないままのリップクリームを捉えて、しばし怪訝に揺れる。

 見慣れた金髪の、華やかな常連客。

 雨屋は瞬時に身を翻す。

「棗さんでしたか。どうぞお席を」

 話しかけながら奥のテーブル席に近づき、椅子を引く。

 てきぱきと席の準備を整えると、入口で立ったまま一向に動かない棗を振り向いた。

「……お掛けになりませんか?」

「お前、そういうの使うの?」

 棗の指さした先。

 雨屋が握り込んだまま作業をしていた、緑のリップ。

「これは頂きものですよ、持ち腐れは勿体ありませんから。綺麗な香りがするんです」

「匂い? ……ああ。何かするとは思ったけど」

 すん、と空を嗅いで、切れ長の瞳を雨屋に向ける。

 虫の居所がすこぶる悪そうな視線だが、それにしては口数が少ないのが奇妙だ――気分屋の暴君の機嫌の善し悪しは、周囲への被害の程度に直結する。

 風見が怖々と見守る中、棗が真っ直ぐ雨屋に詰め寄った。

 そのまま、薄い唇に顔を近づける。

「抹茶アイスの匂い」

「いいでしょう」

「……ふーん」

 得心がいった様子で呟いて、それきり何も言わなくなる。

 さっさと用意された席につくなり、メニューを眺める片手間に言った。

「お前ただでさえ白いんだから、血色あるやつにしとけばよかったんじゃない。顔色すこしはマシになるだろ」

 面倒そうに、放り投げるように吐き捨てる。



 棗から離れた雨屋を捕まえ、風見が声をひそめる。

「……なー雨ちゃん。棗サン距離感おかしくね? 近くね?」

「お疲れのようですね。甘いもの持っていって差し上げましょう」

「雨ちゃんすげーよな。オレぜってー平常心でいらんねーわ……あの人、顔だけはえげつねーキレーじゃん?」

「そうですねぇ。顔だけは本当にお綺麗で」

「おい馬鹿二人。聞こえてるけど」

「げっ、……」

「それはお話が早い、ご注文はどうなさいますか。腕によりをかけますよ」

 風見がしどろもどろ言い訳を探すより、にこにこの雨屋が間に入るほうが早い。


 棗は、雨屋を睨みつけたまま無言だ。

 沈黙が重い。ぴりつく雰囲気の中、低い声が落ちた。

「……いちばん早く食えるやつ」

「畏まりました。すこしご辛抱くださいませ」




「そんなに怖がらなくても、噛みついたりしませんよ」

「……はじめて雨ちゃんのことそんけーしたかも」

「ふふ。風見さんなら直ぐに身につきますよ」

「や、嫌だけど。生きた心地しねーし……」


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