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日常断片  作者: 藤野 羊
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無配没話(氷崎と棗)

一章後の時間軸(二章前) おそらく

 駅から車で十分。小路にひっそりと門を構える小料理屋は、上客や得意先との接待にも最適な老舗だ。個室席のみを備えた構造つくりや調理の技術、他言無用を徹底する従業員まで。細部までゆき届いた教育と料理の確かな品質は、北でよく名が知れていた。


 時価の寿司と豪勢な海鮮が所せましと並んでいく景色を前にして、氷崎ひざきは正座のまま完全に固まっている。

「適当に頼むから適当に食べなよ」

 届いた料理を数えてそう言い、なつめが箸をとる。

 全ての手配はこの上官によって行われた。部下たる氷崎は未だ状況を掴みかね一言と疑問を発せていないが、元凶の上司が歯牙にもかけないのだから仕方がない。

 白金の髪と碧眼。和食の似合わない華が、品のある所作でお吸い物をひとくち確かめ「食べないの」と勧めた。回らない頭で指示の通りに椀を取る。

「……この量、食べ切れるんですか」

「残飯処理なら当てがあるから気にしなくていいよ」

 麩をつつく箸が止まる。棗の「当て」を理解した。

 ふにゃふにゃと芯の無い笑顔――と、知ってはいる妙な胃袋。箸先で弄んだ麩を強めに絞って千切り、ため息を最大限に殺した。

「……使いやすいのはわかりますけど、あんまり便利屋扱いしないでやってください」

 碧眼がぱちりと瞬き、意外そうに氷崎を眺める。

「君が食べづらくなければ呼ぶけど」「棗さんと二人よりは楽です」「あっそ、いいよ。好きに食べてな」

 棗が席を立った。店の外で連絡を取るつもりらしい。

 たん、と小さく戸が閉まり、緊張を解いた氷崎が長く息を吐き出した。膝を崩し、無縁が過ぎて名も知らない魚達をぼんやりと目に映す。

――何が目的なんだろう。もしくは取引。

――意味もなく他人をもてなす人じゃあない。

 意図に見当がつかなかった。下手をうった心当たりもない。長く北支部を不在にしていた棗がわざわざ現れ、食事を前払いの報酬として押し付けるほどの用件があるとも思わなかった。


 まだ料理が運ばれてくる。従業員との応対を終え、一人きりになった個室で再度それらと向き合った。

――会計はあの人がもつ気らしい。食べろとも言っていた。

 怪しみはするものの遠慮は無かった。奢ってくれるというなら有難く貰おう。

 棗の意図が見えないのはいつもの事だ。ひとりで気楽なうちに彩り数多の皿々をぐるりと眺め、とりあえず寿司に手を付ける。

「菓子屋、三十分くらいかかるって」

「わかりました。すみません、頂いてます」

「美味い?」

「はい」

「そう」

 戻った棗も座り直し、黙々と料理を食べ始めている。なにも言われないなら構わないのだろうと、氷崎も自由に振舞うことに決めた。

 華奢な小鉢を手に取り、棗が水を向ける。

「君と菓子屋が仲いいの割と疑問だったんだよね。あいつなら上手くやるだろうけど、君はあんな社会不適合者と接点もつ理由ないでしょ」

「棗さんてほんとあいつのこと好きですね」

「は? 気色悪いこと言わないでくれない。あんなヒモ臭さの抜けきらないフリーターごとき何ひとつ警戒する必要ないから楽なだけ。使えるのは製菓の腕とフットワークの軽さしかないし」

「あいつの話した途端にぺらぺらと聞いてもないこと喋りますよね」

「そういう君は、僕の質問に答えたくなくて話を逸らしたがってるみたいだね」

「そうですね。あなたに勝手に喋ってて欲しくて話題振ってますから」

 苦手意識のある青魚に箸を伸ばす。美味しいと、感想が素直に口をついた。

「……そうでした。僕、こんなにしていただいても何も返せませんよ。恩に着る保証もないです。薄情なほうなので」

「? まさか君、理由わかんないまま食ってたの」

「そうですね」

「……大人しそうな顔して、そうでもないよね君さぁ……あ、それ食べてみな。美味いから」

 皿を氷崎の方に寄せ、棗が続ける。

「君の大学の合格祝い。大人数でうるさい店ぶち込まれたら落ち着いて食えないでしょ」

 箸が止まった。氷崎の口が閉じていない。

 今春にめでたく入学を控えた大学生を引き気味に眺め、「君って時々死ぬほどアホだよね」と呆れる。

「……ま、さくには言ってないから。あいつは気にせず隊全員まとめて焼肉だの連れていきそうだけど、知らないふりして付き合ってやって」

 促されて食事を再開させながら、氷崎の耳に信じがたい言葉が飛び込んでくる。

「学歴なんか知らん顔で就職先は対策部一択な脳筋集団に囲まれながらしっかり第一志望取ったんだから、もっと得意そうにしたら?」

 捻てはいるが褒め言葉だろう。――この上官が?

「……勉強が苦にならない気性なだけです。ペーパーテストは覚えて書くだけですし、大したことじゃないです」

「ふぅん、そう?」

「……なにか面白いことでも?」

「入隊試験は見てたからね。引っこ抜いておいて正解だったなって、自分の審美眼を褒めてるだけ」

 棗がにやにや笑う。面白がられているとよくわかった。

「討伐隊で頭の使える人間は希少種だし、普通に努力した奴がゴロゴロ落ちてる大学でしょ。充分大したことあると思うけど?」

 減ってきた料理をちらと眺め、従業員へとまた数品の注文を伝える。

 空いた皿を片付け脇に寄せながら、上の空の高校生こどもに咀嚼をせかした。

「何をそんなにぼーっとしてんの」

「……棗さんから世間一般の常識でお祝いされてることが薄気味悪いなって。変な薬でも飲みました?」

「さっきから事あるごと僕を怒らせたくて喋ってんのか知らないけど、ガキ相手に癇癪かんしゃく起こすほど暇じゃないから。やめといたら」

「意外と分別残ってたんですね」

「僕を何だと思ってんの?」

――そういえばこの人、受験のお守りもくれたんだっけ。

 異常とばかり片付けていた記憶を、氷崎はぼんやり思い返した。

「……どうも、ありがとうございます」

「……この程度で照れてたら、菓子屋来たとき身が持たないよ。大丈夫?」

「照れてないですから、……雨屋に余計なこと言ってないですよね」

「騒ぐなとは言ったけど、あのお花畑がどんな思考回路で動いてんのかまでは責任持てないから諦めて」

 フットワークの軽い暇人の「三十分」の意味を、のちに氷崎は嫌というほど知ることになる。



「まだしばら北支部そっちに戻れそうにないからさ。お人好し三馬鹿が妙なのに引っかかんないよう、よろしく」

「お兄さんのこと、含めてあげてるんですね」

「誰かひとり厄介ごと持ち込んだら巻き込み事故起こすでしょあいつら……ああ、シスコン単体で痛い目みるなら放置でいいよ」

「そうだろうと思いました。別にいいですけど」




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