おもし
雨屋と棗
せっかちな呼び鈴の鳴らし方は、友人の癖だ。
散らかった部屋もそのままに鍵を開ける。同じくらいの目線、予想通りの青い瞳が雨屋を射抜いて、用件を粗雑に放る。
「鍋」
真新しい大きな箱――を抱える棗の両腕に、野菜と肉の詰まったスーパーの袋が四つ、揺れている。
まずは卵。鶏肉、椎茸に平茸、長葱、白菜、豆腐、こんにゃくその他。目測で軽く三人前の食材に加え、酒と肴が余るほど。
「お荷物、重かったでしょう。一言くださればお迎えに上がりましたのに」
「大した量じゃないから。これでも戦闘職種なんだけど馬鹿にしてんの?」
「ああ、棗さんが細身でいらっしゃいますからつい……そうですよねえ。壊れもののようにお綺麗なのは外面だけあいたたたた」
「機材と食材は僕負担。無駄口叩いてるヒマあるんならさっさと作れ」
頬をつねる手があっさり離れた。本気でないことは知っている。
長身の棗が抱えても大きな荷は、鍋だった。家族で囲んで丁度いいサイズで、狭い流し台には入り切らない。
少し水ですすいでから、スポンジに洗剤を垂らす。
「お鍋、二人で囲むにしては大きいのでは?」
「やたら食うのがいるから丁度いい」
「幾ら私とて、締めのおうどんの為に残しておくくらいの分別はありますよ」
「…………」
小さな針の視線は首のあたり。次に骨のような腕と、薄ぺらい腹をざくざく刺してから、呆れを含んで逸れた。
段ボール箱を仕舞いながら、尖りきらない低い声が背に当たる。
「……締めは雑炊。卵入れたやつ」
「それも美味しそうですね。承知しました」
「あと、鍋の場所、ハンドミキサーの横な」
「おや。これも置いていかれるのですか?」
「自炊出来るくせに調理道具のひとつも碌に無い部屋って一体なんだって話。次は水炊きやるから」
「左様ですか。次は私も買出しにご一緒させてくださいね」
「……勝手にすれば」
素直でない友人は引き戸をくぐった。きっと、あの散らかった居間とテーブルの上を、鍋が出来るように片付けてくれるのだろう。
抱えた鍋に視線を落とす。
(また、増えてしまいますね)
邪魔ではないけれど無視もできない。枷に似た、それが。
住所不定が性に合っている。
他人の家を転々としてばかりいた。今の部屋を借りたのも、喫茶店でアルバイトを始めてしばらくしてから。
最低限の下着と服、道具があれば充分。小さな鞄に詰めきれるくらい。どこかで捨ててしまっても構わないくらい。思い立ったらいつでも、何処にでも行けるくらい身軽でいた。
持ち物が増えることが、苦手だったのかもしれない。
生活の跡。熱の残骸。主が居らずともそこに在り続けるもの――を、残したくなかったのか、どうか。
雨屋自身にも、しっくりくる表現が見つからなかった。言葉がうまく纏まらない。どんな理由を挙げてみても、微妙に違うような気がした。
「何ぼうっと突っ立ってんの。寝てんの?」
目の前で、棗が眉根を寄せている。
不機嫌な顔のまま準備を済ませた鍋を引き取り、さっさと火をつけた。切った食材をあつめた大皿とボウルが、綺麗に片付いたテーブルの上で雨屋を待っている。
「……お前、変なものでも拾い食いした?」
菜箸を持ったまま、気味悪そうに雨屋を見上げる――脈絡もなく笑いだした、不可解な行動が目立つ友人のことを。
棗の問いには答えないまま、雨屋が向かいに腰を下ろした。香る出汁の匂いに、ふっと頬を緩ませる。
「親しい人と囲む食事の味を、覚えてしまったなあ、と」
――もう随分、安らぎを覚えてしまった。この暮らしにも、彼にも。