夜道
棗と雨屋(棗視点)
乗用車がすれ違うだけで、通行人が立ち止まりかけるほど狭い。そういう窮屈な道ばかりだ。
一時的にでも雪溶けた道は、それでも積雪時よりは歩きやすくなっている。ただ、冷たく澄んだ夜の空気は、まだ色濃い雪の気配を知らしめて、民家ばかりの寂れた景色からありったけの熱を奪おうとしている。
日付が変わるすこし前。車も人もほとんど失せた時間帯は、そこまで嫌いじゃない。
「やっぱり、抹茶プリンは押さえておくべきだったでしょうか」
目の高さまで、菓子屋がコンビニのレジ袋を持ち上げる。呑気な顔の造りのせいで、真剣に悩む表情が壊滅的に似合わない。薄い長身にグレーのチェスターコートが余っている。
「今更? ていうかそれくらい、お前が作ればいいだけの話じゃないの」
「手作りのものと市販のお菓子とは、また別のお話ですよ」
「知らないけど。僕が食いたいから作れ」
「棗さん、先程お菓子を選ぶ際に、プリンは要らないと仰っていませんでしたか?」
駅名を主張した看板が目の端に映る。街灯をほのかに反射した線路を踏み越え、踏切を通過するのとほとんど同時。
騒音じみた警告の鐘が、馬鹿の一つ覚えみたいに打ち鳴らされる。
居心地のよかった静寂を踏み荒らされ、うんざりとした怠さが勝る。しかし慣れてしまえば、――耳を劈く暴力音も、環境音とさして変わらなくなった。
「菓子屋?」
さっきまで隣に居た男は、後方で立ち止まっている。線路を振り向いて、黄色と黒の塗装が剥がれかけた遮断機を見つめていた。
僕は数歩戻って、そいつの眼の前で軽く手を振ってやる。やっと僕に気付いた菓子屋が、平和ボケした緑の瞳を、ほんの少しこちらに動かした。
唇が動く。
ゆっくりと形を変えていくそれは「少し見ていたいんです。構いませんか?」と。
――そうか、聞こえてなかったのか。
がたん、と。重量のある塊が、進行方向の空気を押しのけながら線路を軋ませる。
終電の車窓にちらほらと目立つスーツ姿。車体に沿わせた長い座席には、奇妙な間をあけて、多様な服装の人影が座っている。
菓子屋の頭、――後ろで一つに束ねた短髪は、おそらく元々ほつれてしまっていたんだろう。好きほうだい風に遊ばれる牛乳色が、車窓から零れる明かりにちらちらと照らされている。
車内灯は硬質な白色をしていた。眩しい光源から目を離さず、そいつは、忙しく流れる車窓のひとつひとつを眺めていた。景色の忙しさには不釣り合いな、のんびりとしたまばたきを交えながら。
耳の奥にはまだ、警告音の居座った跡がざらついている。
頼りない遮断機が上がった。踏切待ちの車など一台もいやしないのに、動作は当然ながら機械的だ。余情に拘るわけでもなし、菓子屋があっさり踏切を離れる。
僕はさっさと歩き出した。待ってやる理由もない。
そいつもそいつで、歩き方から、僕に追いつこうという意思の欠片すら感じられない。なのにいつの間にか、歩調は自然と僕の隣に収まっている。
「貴方がご所望とあれば、仕方がありませんね」
耳を柔らかく撫でる声は、僕に再び、心地好い静けさを運んできた。