色即是空
「目に見える物質以外のものを、テクノロジーで見ようとするのが科学なら、心で見ようとするのが宗教であり、スピリチュアルってわけだ」
「スピリチュアル……」
「たしかにすこしばかりうさんくさいものもあるし。目に見えないのをいいことに、嘘っぱち並べるやつもいる。でも、古代からある宗教っていうのは、おおむね本質を突いてるな。解釈で歪んでる部分や間違っているところはあるが、今見ても、悟ってるやつは悟ってたんだなっておもうよ」
「本質──」
「般若心経なんか、かなりおもしろい。『色即是空』なんて言われると、ぎょっとする。短い漢文だから、一字の解釈次第で意味が変わるし、注釈本なんてあてにならないけど、とりあえず有り難がって唱えていればいいんだ、って構造と、あのお経が放つシンプルで高次な波動がすばらしい。意味がわからなくても唱えているだけでいいなんて、すごい発明品だとおもわないか。禅の思想といっしょに海外にまで広がっているのも道理だし、必然だな。わかるやつにはわかる、っていう」
「般若心経かぁ。経本買って帰ろうかな」
いっしょになって話を聞いていたらしい青年が、ぽつりとつぶやく。
経本くらいなら、サユリにも売ってやれるはずだ。
山とある経本の区別などつかないが、般若心経と書いてあれば、字くらいは読めるに決まっている。
「お経本なら、あちらに……」
「お嬢ちゃんも唱えるといいかもだけど。でも、うさんくさいとおもいながら唱えるんじゃ、意味ないかな。好きな雑誌やらマンガやら見て、ステキ、とか言ってる方がよっぽどいい波動が出るとおもうよ」
「──それって。問題は気分、ですか」
「そうそう。気分の問題。俺が、ワンルームに不似合いな仏壇をすすめるのも、半分くらいは気分の問題」
サユリはぎょっとして、男性と青年の顔を見比べた。
そんなことを言ってしまっていいのだろうか、とおもうが、青年はべつに失望した顔はしていない。
先刻承知だと言わんばかりに、男性に信頼しきったまなざしを向けている。