恐怖心と御利益
「あのあたりに、小型のお仏壇もありますけど」
「ああ、ありがと。でも、ああいうのに用はないんだ」
「はあ……」
「見るからに、ビンボーくさいだろ。まあ、今時、貧乏じゃなくたって、ああいうのを買うんだろうけど。必要だから、仕方なく、最低限、な」
男性が、笑みを浮かべる。
おもしろそうだったが、目はむしろあきれているように見えた。
「親を祀ってあげなきゃ化けて出るとか、先祖を供養しなきゃ祟られるとか、拝んでおけば護ってもらえるとか、死んでから成仏できるとか、ぜんぶ恐怖心からの行動だろ」
こくりとサユリはうなずいた。
けれど、そんな心理のために、仏壇屋は今でも存在しているのだとおもう。
サユリに言わせれば、そんなのはまったくもって科学的根拠のない迷信だ。
恐怖心につけ込んでいるのが、宗教の手口だとしかおもえない。
でも──
サユリの人生は、何かを拝めばもっといいものになっていたのだろうか、と。
そんなことも、少しはおもわないでもなかった。
「恐怖心から神や仏を祀ったっていいことはない。まあ、まったくゼロじゃないかもしれないが、あったとしても、誤差の範囲だ」
「だったら、どうして……」
「神さまや仏さま、自分の先祖とか、何だっていいけどな。そんなものは、みんな、御利益をくれるためにいるんじゃないんだよ」
「え──」
「御利益を期待したり、何かを与えてくださいって、ねだりながら拝むのは間違いだ。そんなこと、誰が常識にしちまったんだろうな?」
いつの間にか、黒檀の直置きの仏壇の前に青年も戻ってきていた。
やたらと満足そうな顔で、陳列台の上に置かれた仏壇を見上げている。
「世の中には未練を残して死んだやつもいっぱいいる。そんなやつだらけさ。でも、呪うわけでも祟るわけでもない。生きてる人間が、自分の頭で、嫌なことは呪いだとか、良くないことは祟りだとか、解釈してるんだ。まあ、恐怖は先祖代々のプログラムって言うなら、当たってるかもしれねーけど」
男性は、白髪まじりの豊かな髪をくしゃりと掻いた。
「恐怖に駆られて神仏を祀る人間が減ったのは、時代だな。それは、いい傾向だとおもうよ」
恐怖心ではないのなら、なぜ、神仏など祀るのだろう。
しかも、利益を期待するのは間違っているという。
サユリには、さっぱり理解できなかった。
線香を焚くくらいなら、好きな香りのアロマでも焚くほうがずっといい。
お鈴なんか鳴らすくらいなら、風鈴でも鳴ってる方がよほど風情がある。
花を供えるくらいなら、テーブルに飾る方がはるかに美しいではないか。