第弐話 好奇心は猫を殺す ②
許容範囲外の物事は混乱を引き起こす。
だが、それと同時に恐ろし程までに冷静になる場合もある。
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「絞殺、撲殺。…どちらが好みだ?」
≪好みって何でありんすかっ?!≫
満面の笑みをうかべて伝えられた内容に狸は目に涙を溜めながら絶叫した。
狸の鳴き声と重複して聞こえる日本語……廓詞に思わず凝視してしまったのは今から5分前。その5分で語られたのは、現代科学と医学を交えた動物実験等の生々しい実状だった。
かさねの語る内容は全ての主観を省き、事実と真実を淡々と話すため恐怖を増長させる。その証拠に聞き手であり被害者の可能性がある狸を心底怯えさせるだけではなく、逃亡するという選択肢を自然と奪い取ったのだ。
時折聞こえる短い悲鳴と目に涙を溜めながら奮える姿は見る者の良心を刺激するが、かさねにとって狸は害獣と認識されているため話しを中断することはなかった。
現在の生活に至るまで、多くの人間や動物達が犠牲になっているか正確な数を知る者はいないだろう。後の医学発展の為に身を差し出す人間がいる一方で、己の欲望を満たすために非人道的な行為を行い続けた者もいる。それは止まる事を知らない人間の欲深さと強欲さを浮き彫りにしているようで、聞いているだけだというのに背筋が寒くなった。
知っているつもりだった。
だがそれは「知っているつもり」であって、本当の意味で「理解している」訳ではなかったのだと改めて思い知らされる。
これは隠蔽された事実ではない。知ろうとすれば割と簡単に知ることが出来る真実である。それを今までしなかったのは知ることにより己が傷つくことを恐れからだろう。
話の影響で蓮の拘束が弱まっていた為、かさねは簡単に蓮の拘束を抜け出した。そして座っていた座席に戻り前の席を回転させてボックス席を作ると狸の首根っこを掴みあげる。短い悲鳴と体の震えが左手を通じて感じられるがそれを無視してボックス席の1つに置いた。蓮も同様に引っ張り元の席に座らせ、かさねも着席すると冒頭の台詞を述べたのだ。
今までの前振りは一体何だったのだろうかと思わせるくらい口調は軽く表情は明るい。ただ台詞が台詞だったため狸が絶叫しても仕方ないだろう。
「今後の対処方法について当事者の意見を聞いておこうかと」
≪何の対処方法でありんすか?!それにこれは意見じゃなくて選択の間違いでありんすよね?!≫
「鏖殺、惨殺の方が好みだか?だが、それは現状難しいので除外していたのだが……」
≪等級が上がっただけじゃなくどれ選んでも結果同じでありんすよ?!≫
「そうとも言うかもな」
≪そうとしか言いせん!≫
軽い応酬は脅威と恐怖に満ちていた空気を僅かに和らげる。
怯え続け委縮し涙を溜めていた目には僅かに生気が戻り始め、叫びながらも己の意思を言えるようになったようだ。その健気ととれる行動は容姿と相まって見る者の心に保護欲と庇護欲を刺激するが、目の前にいるかさねには全くそれが通用していない。その証拠にかさねから感じる感情は新しい玩具を与えられた子供のようにキラキラと輝いていた。
どうやら狸の反応が楽しくて楽しくて仕方がないらしい。
「意外と細かいな」
≪細かい?!これって細かいって言うんでありんすか?!≫
心底面倒だと言わんばかりの口調に泣きながらも反抗する狸は見ていて面白い。
最初は呆気にとられて見続けていたが、今はその掛け合いが蓮の心を軽くする。それというのもかさねがそれらを実行できないことに気づいたからだ。
「仕方ない。狸鍋で妥協しよう」
≪わ、わっちを食べても美味しくありせんっ!ありせんよっ?!≫
「知ってる」
≪食べたことがありんすかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ?!≫
どの辺りに仕方がないという要素があるのか、狸鍋は美味しくないと知っているのか等の突っ込み所が多すぎる。
確かに狸鍋は美味しくないと聞いた事はあるが、それをどのような手段で知ったのかは知らない。まさか、という嫌な予感が過ると共にかさねを見ると口元が僅かに上がったのが見えた。
「さぁ?どうだったかな」
答えにならない答えは曖昧さ故に想像力を掻き立て、安易に刺身包丁を使って楽しげに狸を捌く姿が想像できてしまう。
≪こんなに可愛いわっちを食べるつもりでありんすかっ?!≫
「害獣が可愛いと言えるのは被害にあったことのないからだ。被害に合った事があれば間違いなく同じ意見を出してくれるだろうな」
(一理あるかも……)
近年、狸被害は増加の一途を辿っている。その原因として考えられているのは、年間を通して山より町や村の方が資源が豊富にあること。そして人間が狸に危害を与えられないことが挙げられるだろう。
食物を食い荒らす狸は、殺す事も捕縛する事も「狩猟法」により禁じられている。これは鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法であり、違反者には法の元罰則が下されるのだ。つまり法の下生きている身としては、狸が何をしようとも防衛を講じる以外の方法を取る事は許されていない。だからこそ蓮はかさねにその意志がないことに気づいたし、ただ単に揶揄っているだけと判断する事も出来たのだ。
だからといってこれと狸を恨むことは別である。
手塩をかけて育て、もうすぐ収穫時になった時に荒らされた時の絶望感。食い荒らされた瑞々しい野菜達の成れの果てを見た時の殺意。それを体験した者に対して狸が可愛い?いや、全滅してしまえば良いのにと思えるくらいには忌々しい存在だ。
≪た、狸は愛でられる動物じゃないでありんすか?≫
「殺害対象として愛でるという意味でなら間違いない」
≪そこまで嫌われているんでありんすか?!そうなんでありんすかっ?!≫
目に涙を溜めながら蓮に訴える。
かさねは狸に対し容赦はないが、蓮はかさねの行動を止めたこともあり話しが判るのではないかと判断したようだ。
「そろそろやめてあげたら?」
傍から見れば小動物を虐め抜いているようにしか見えないため、何も知らない乗客に目撃された場合かさねの分が悪い。
苦笑しつつ進言すると半眼で睨まれた。そこには呆れともとれる色があり蓮の感情を正確に読み取ったことが判った。
「仕方ないな。これ以上はしない」
「本当だね?」
「ああ」
≪ほ、ほんでありんすか?≫
ふるふると震えながらも懸命に見上げてくる姿にかさねは心底楽しげに笑った。
「建前と本音は大事だからな」
≪どちらが建前でどちらが本音でありんすか?!どちらでありんすかっっ?!!≫
至大な声は鳴き声と相まって車内に酷く響く。
間近で聞くと耳と脳のダメージが半端ないが、かさねは平然を装いつつ視線を各号車に通じる自動ドアに向けた。ここは防音設備がされておらず、グリーン車でもないことを考慮に入れた上で考えればあるべき変化が訪れない。それは異常としてかさねの目に映ると同時に今の状況が決して好ましいものではないのだと叩きつけられた。
(面倒なことになりそうだな)
置かれている状況と今ある情報を元に分析すれば現状が危げだという可能性が導き出される。
それがどれ程の危険性をはらむのか判断が出来ない。何せ前例がない為に全ては手探りで見極めていかなくてはいけないのだ。覚悟する時間があるだけ心の余裕を作りだす事は出来るが、どう足掻いても変わらない現在の立ち位置に溜息しか出てこない。
「狸」
≪わっちは狸ではありんせんよっ!!≫
「狸が狸を否定しようがどうでもいい」
≪ど、どうでもっ?!≫
がーん、と効果音が見えそうな仕草に可能性が確信へと変わっていく。
告げるべき言葉ではないかもしれない。
これによってどのような危険性を生み出すのか分からない。だが、現状を把握せず感情だけで動く事がどれ程危険を伴う行為なのかを経験上嫌という程学んでいる。だからこそ気づかな振りをし続けるという選択を選ぶ事が出来なかった。
「本日の乗車率は60%弱。それにも関わらずこの号車に未だに乗客が来ない」
「かさね?」
「車内販売の放送が流れてから随分経つが未だに訪れない。……まぁこれも偶然だと片付けても良いだろう」
淡々と語られるのは急行列車の状況を語るものだった。目の奥が底光りしている時のかさねは何かに集中している証であり、こういう時は全く関係のない雑談をするような事はしない。
普段は純粋な生命力の輝きを見せる目が酷く強い意志を持って狸を見ると短い悲鳴が聞こえた。
「度重なる叫びは少なくとも隣の号車まで響くはずだ。状況を確認するために誰かした来ると安易に推測出来るにも関わらず未だ誰も様子を見に来る様子がない」
その言葉にはっとし後方部のドアを見るが誰もここに来る気配がなかった。
「車掌の業務怠慢が考えられるとしても、乗客の誰かは必ず確認に来るはずだ。それなのに何故誰も来ない?」
その言葉にようやっと気づかされる。
叩きつけられる打撃音に何度にも渡る甲高い動物の叫び声。それが両隣の車両に聞こえなかったという事はまず有り得ない。そしてそれを聞いた者ならば何かしらの行動を取り、誰かが必ずこの号車の様子を見に来るはずだ。あれから随分時間が経過しているにも関わらずここには誰も来ていない。そして自動ドアが開閉したという記憶がない。
まるで意図的に状況を作りだされているかのような異質な状況。
それは蓮に無意識の言葉を紡がせた。
「君は………何?」
ようやっと狸に対して指摘が入りました。
実はかさねさん。狸に態と絶叫させて様子を見ていたりします。
決してからかって楽しんでいる……うん、きっと楽しんでいますね。
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■修正履歴
2014/10/04:廓言葉を廓詞に修正