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真導士サキと第三の地  作者: 喜三山 木春
第五章 邂逅の歯車
99/106

本当の名前

 とぼとぼと歩き、拠点の扉を開いた。


「サキちゃん、おかえりー」

 真っ先にヤクスが声を掛けてきた。

 全員の視線が集中する。何故だか楽しそうな導士達の視線。思わずたじろいで一歩下がってしまった。

「あの、ただいま戻りました……」

 出て行く前までただよっていた緊張感は、いったいどこに消えてしまったというのか。学舎のような気配が、拠点中に満ちていた。

「あれ、バト高士は?」

 聞かれて、どう答えたものかと悩む。無難な答えは用意しておいたのだけれど……。

「バトさんは、ジーノ高士達と打ち合わせがあるそうです」

 丸く柔い綿で包んでみたものの、彼等には想像がついてしまうだろう。バトが行うとすれば打ち合わせではなく、一方的で冷酷な指示だけだ。あの人は、ジーノ達の陣形と今後の対策を確認しにいった。顔を見るのも御免だと言いたげな表情をしていたので、あちらはいまごろ大変なことになっているのだろう。

 そして、その間にこなしておけと任務が与えられた。与えられた任務の重みで、いま身体が潰れてしまいそうになっている。どうしたって青銀の瞳に、誤魔化しは効かなかったようだ。

 頬に手を当てて、ついつい俯いた。

「サキ殿、お疲れのようですな。腰を下ろされてはいかがです?」

 ジェダスに勧められるまま、導士達が集まっている方へと歩いて、ユーリとティピアの間に腰を下ろす。腰を下ろした瞬間に、疲労が全身に回っていったのを感じた。

 確かに疲れている。

 あれからずっと気配を追っていたし、輝尚石のために真力も使っていた。これからのこともあるので、真力と気力を整えようと何度も深呼吸をする。

 呼気を調整しつつも、バトからの任務を暗い気分で思い出していた。




「あの黒いのが、お前の番だろう」

 黒いの……? まさか、ローグのことだろうか。

「真力でわかる。ラーフハックに使った輝尚石と同じ、暑苦しい気配だからな」

 ローグの気配は、正反対の気配を持つバトにはそのように感じているらしい。真導士によって気配が違うというけれど、感じ方も人それぞれのようだ。

「はい、確かにそうです……」

 つい、口調が拗ねてしまった。いまは彼の話をしたくないのだ。何といっても喧嘩中であるし、自分は絶対に折れてあげないと決めている。

「他の番と比べて、お前達の真力と気力の整い方が遅いようだが」

 ぎくりとした。

 自分を刺し貫こうとする冷たい輝きから逃げたい。しかし、とても逃げられそうにない。

「自覚はある、か……。ならば話が早い、何とかしておけ」

「何とか、ですか?」

 何とかと言われても。何をどうしろと言うのだこの人は。

「何とかできなければ、お前かあいつのどちらかが死ぬだけだ」

 風などないのに、身体に冷えを感じた。

「事が起これば俺は任務を最優先にして動く。とても雛の世話をすることなどはできぬ。……わからぬのなら、もっとはっきり言ってやろうか。俺は使える人間以外に興味はない。お前の鼻は任務で使えるから残してはやるが、あいつは見捨てる。どちらかが死ぬならば、まずあいつが死ぬことになる」

 冷徹な宣告をするバトから、目を離せない。

 彼の鮮やかな黒髪が血に濡れるというのか。あの黒い瞳を永遠に失うというのか。

 そんなのは――。

「それがいやならば何とかしろ。番の問題は、番の中で片付けておけ」

 わかったなと念を押され、一人拠点に戻された。

 バトは冷たい言い方をしていたけど、真意はちゃんとわかっているつもりだ。

 あの人は決して悪い人ではない。

 バトからの警告は重みがある。きっと凄惨な場面をいくつも潜り抜けてきたのだ。ただの脅しだとはまったく思えなかった。

 けれど、何とかと言われても……。


「それじゃあ、オレ達は行ってくるから。後はよろしく」

 ヤクスが立ち上がったのに合わせ。他の導士達も立ち上がり、拠点から出て行ってしまう。

「み、皆さん……?」

「ちょっと気分が暗くなっちゃってさー。甲板で気力を整えてくるから留守番をお願いね。あと、バト高士が帰ってきたら適当に言い訳しておいて」

 さらりと言った長身の友人を先頭に。拠点で寛いでいたはずの導士達が、ぞろぞろと出て行ってしまう。呆気に取られながらそれらを見送り。背後に残った気配を察知して、すべてを悟った。


 ……謀られた。


 ぱたんと閉じられた扉を見つめて、首に辛い姿勢のまま茫然としてしまう。

 バトは。ヤクスは。皆は自分にどうしろと言いたいのか。気まず過ぎる。少しは緩衝材になってくれてもいいだろうに。

 ふと背後で、彼が立ち上がる気配がした。臨戦態勢を取ろうとして、唇を噛む。負けるものかと力を入れたかったのだが、ちりと痛みを感じて力を緩めてしまった。傷を作っていたのを忘れていた。娘としてあるまじき失態である。

 静かに近づいてきた彼の気配が、自分の背後で止まった。

 おや、どうしたと言うのか。いつものローグならば目の前に立って。扉の道を塞ぎつつ、自分を真っ直ぐに見てくるはずだ。違和感が、託された任務の先行きに靄をかけていく。

(女神さま、どうすればいいのでしょうか?)

 思わず母なるパルシュナへ救いを求めてしまう。バトがいれば祈りすら許してもらえないだろうが、いまならばきっと平気なはずだ。


「サキ」

 低い声が後ろから呼ぶ。

 振り向いて睨み合いでもはじめようかと思った。だけど、意志に反して身体は動かなかった。

「……顔も見たくないか?」

 過去にそう思っていたことを、いま当てなくてもいい。むくむくと湧き上がる闘争心のまま、そうですと言い返すことも考えた。しかし、ローグの低い声から感情があふれていたので躊躇した。

 一瞬、情でほだされそうになる。だがこれは、自分の矜持と夢を賭けた戦いだ。

 何の成果も得ないまま、なあなあにする気はなかった。

「わたしは、真導士です」

 史上最低の真力を有する天水の真導士。見下されて嘲笑われていたとしても、自分はサガノトスの真導士だ。

「"落ちこぼれ"でも"役立たず"でも、それでもわたしは真導士なのです」

「サキ……」

「わたしは真導士で、……貴方の相棒です」

 届かないほど遠い距離があったとしても。どの番よりも不似合いで不格好だったとしても。

 自分だけが運命に選ばれた彼の相棒だ。

「相棒なのに……」

 唯一無二の存在であるはずの相棒。失えない……欠かすことはできないたった一つの"翼"。

「わたしだけが、ローグの相棒なのに……」

 本物の"バティ"には遠く及ばずとも、ローグレストという真導士の相棒は自分だけだ。その自分が飛ぶ力を持っていないのであれば、彼は最初から翼を失っていることになる。ならば自分は"相棒"などとは絶対に名乗れない。

 後ろから掻き抱かれた。回り込んだ両腕が、強くあたたかく身体を包み込む。


「俺の相棒はサキだ」


 熱い真力と、熱い言葉が全身に滲み込んで流れる。身の内を隈なく巡る血潮に乗って渡り、そのまま自分になっていく。

「だから、サキの相棒は俺だ。誰にも……譲らない」

 腕の中でもがき、身体を向き合わせた。

「わたしは貴方を守りたい。それすら許してもらえなければ、わたしはローグの"翼"でいられない」

 黒く強い眼差しと、正面からぶつかる。

 吸い込まれて捕えられている弱い自分と、目が合った。

「俺は……。俺だってお前を守りたい。お前は俺から"翼"を奪う気か?」

 黒にあるの炎の中、照らされ守られている甘えた自分の残像が映っている。炎に囲われたまま、ぬくい世界に留まりたいと訴えていた。

 その幻影を見つめて、自分の瞳にすべてを託し――願う。

「力を持たない"翼"では、最初から奪われているのと同じです。共に空を駆ける力がないならば、行くことも戻ることもできず朽ちるだけ。でもわたしは、貴方に新たな"翼"が生えるのを望みません」

 黒の瞳の中にある炎が燃え盛り、弱い過去の自分を静かに取り込んでいく。

「宿命の道を、他の誰かに明け渡しはしない。これはわたしの道です。どんなに辛くとも、悲しくともわたしだけが歩む宿命の道」

 黒に埋もれる影の自分が、じりじりと姿を消して、融け込んでいく様が見える。

「わたしだけがローグの"翼"です。貴方がわたしを守るというなら、わたしも貴方を守る。先に進むというならば、共に空を駆けていく。わたしが――わたしだけが、貴方の相棒です」

 燃え盛る力を強めた炎は、黒に棲みついていた守られてばかりの自分を、瞬きの間に焼き払って飛ばした。いま黒の瞳に映るのは、この場にいる唯一の自分だけ。

 自分の夢を持ち、自分の意志を持った『サキ』という名の真導士だけが、真っ直ぐにこちらを見ていた。

「サキ、一緒だな」

 彼が笑う。とても満足そうに。とても幸福そうに。

「ちゃんと重なった。そうだろう?」

 互いを支え合い、共に空を駆けて行く。

 大切な自分だけの"翼"と、大切な"翼"である自分。

 どちらを欠いても蒼天を舞うことができないというならば、きっとどちらも守り抜いてみせよう。

 重なり合った二つの願いを、二人で大切に大切に抱きしめた。

 ふと胸の奥から、"寂しさ"のふりをした感情が、姿を見せる。

(わかった)

 気持ちの正体が。ずっとずっとつけ忘れていたその感情の、本当の名前が。

 いまの自分ならば、想いのまま正しく名付けられる。

「ローグ、帰ったら話したいことがあります」


 だから帰ろう、二人の家に。

 皆でサガノトスに帰ろう。大切な大切な気持ちと共に。

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