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真導士サキと第三の地  作者: 喜三山 木春
第五章 邂逅の歯車
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ひとり言

「おい、ローグ……。頼むから気力を整えてくれ」


 ヤクスの情けない声を聞き流して、天井を眺める。

 幾度か同じ会話を繰り返しているが、そう簡単に整えられたら苦労などしない。待機を言い渡された拠点の中で、八人の導士が好き好きに座り込んでいる。

 そう八人……。

 今日の実習は九人で来たはずなのに、八人しかいない。

 扉に目を向け。変化がないことを確認してから、また天井を見る。

(まだか……)

 そう何度も何度も偵察が必要なのだろうか。そしてそのたびに、どうして彼女を連れていくのか。彼女は彼女で、何であそこまで素直に従ってしまうのだろうか。


 昨日まで自分の腕にいたはずの蜜色の相棒は、いきなりやってきたあの男に付き従い。再び拠点から去って行った。

 直前まではあの男の傍でちょこんと座り込み、せっせと輝尚石を籠めていた。指示を受けてうれしそうに返事をし。実に丁寧に真術を籠めていく姿が、目に焼き付いてしまっている。

「……誰だ、あれ」

 頭の中だけに抑えておくつもりであった疑問が、口から滑り落ちた。

 名前は聞いた。

 バト高士とか言うらしい。ジーノという名の高士も言っていたし。さらには彼女が飽きるほどバトさん、バトさんと呼んでいるので、そんなことはわかっている。

「ローグレスト殿。それは聞いてはいけない不文律で……」

「そうらしいな……」

 説明によれば。あの男はきな臭い真導士の里を体現した、究極にきな臭い人物であるという。

 とにかくあの男が発する言葉以外は、何も聞いてはならないという無茶苦茶な存在。しかも慧師と直で繋がっており、位による縛りを受けない、とても例外的な男。


 腹立たしい高士共を、外に追い払ったまではいい。

 何故、サキの名前を知っている。サキもどうしてあの男の名前を知っている。サキの場合は、ジーノの発言からだと曲げて考えられもするが、そうではないと勘が言っていた。

 そもそも"バトさん"は、おかし過ぎる。

 尊称がついていないではないか。

 ローブを見て高士だとわかるはず。同期にすら丁寧な対応を心掛けている彼女が、目上相手に心掛けを失うとはとても思えない。


 以前からの知り合いだ。

 そうでないと理屈に沿わない。


「高士に知り合いがいるなど、聞いていない……」

 里に帰ったら忘れることになっている。だったらこの場であれば問題ない。

「やめろって、追及はまずいよ」

「ひとり言だ。勝手に聞き流してくれ」

 まいったなーとぼやきながらも、自分の傍に腰を据えているヤクスとジェダスは、困り顔のまま互いに目をやった。

「ローグレスト。落ち込むより先に謝っちまったらどうだ」

 後頭部が壁に打ちつけられた。

 天井を見上げていたはずが、首の力の調整を誤ったらしい。

「はっきり言いますね。クルト殿」

「そりゃまあ、一番早い解決策っぽいし。さすがに女を泣かしちゃまずいだろ」

 何ともいい難い衝動のまま、頭を抱えた。

「そのようなつもりはなかった……」

 泣かすつもりも。ましてや傷つけるつもりもなかった。

 あの暴風の中で、真っ先に自分に守りの膜を譲り渡した彼女。まだ真円は一つしか描けない。そして輝尚石を展開する余裕もなかった状況で、自分は彼女を見失ってしまった。

 呼んでも、呼んでも返事はなく。

 気配を辿ろうにも、真術に掻き消されて居場所を掴めずにいた、あの時間。永遠とも思える時を過ごしてようやく見つけた彼女に対し、持て余した感情をぶつけてしまった。

 どうする気だったかなど覚えていない。許せないというよりも、恐ろしかったと言う方が近い。

 もしものことがあったらと、そう思った。サキが無事であればそれでよかったのに、どうしてあのようなことになったのか。

 もっと上手い伝え方があったのではないかと、苦い後悔ばかりが積もる。


 ――ローグはわたしを、信じていないではないですか。


 唇を噛みしめて、静かに涙を流していたサキ。

 そんなことはないと、何故言えなかった。サキを信じていないなどあり得ないだろう。

 髪をぐしゃぐしゃにかき回す。

 後悔と焦げつく感情のやり場がない。もういっそ海に飛び込んで頭を冷やして来ようか。


「でもさ、謝るって言ってもお出かけしてるし。今日は難しいんじゃないの?」

「……ユーリ」

「……ユーリちゃん」

「……ユーリ殿」


 結局、降り出しに戻ってしまった。

 自分だとて、ただ落ち込んでいようとは思っていない。謝罪をして許しを得たいのは山々なのに、隙がどこにもなく手を打てずにいる。このままでは手布が出てきてしまうかもしれん。

 駄目だったら諦める。弁えると口で言ってはいるものの、そのような未来を想像してなどいなかった。

 あと少しで、もげて落ちそうなところまで来ていたのに。絶対に、油断してはいけないとわかっていたのに。

 どうしてこうなる。

「まあ、謝っただけでどうにかなるとは思えないし。長期戦の覚悟が必要かもな」

 ヤクスの発言に顎が外れそうになった。

「ヤクス……!」

「オレもひとり言だ。聞き流せよ」

 軽く言われて怒りが沸きそうになるが、必死で抑えた。今日はこれで大失敗をしたばかり。同じ轍を踏むのは絶対に駄目だ。

「謝っただけで上手くいくとは思えないね。"似た者番"は頑固だから。お互い、自分の意見を絶対に曲げやしない。元は知らない他人同士だってこと、忘れているんじゃないか?」

 ぐっと言葉に詰まる。

 ここぞという時の言葉はどうも鋭い。こいつ、まだ本性隠しているのではないか?

「待機は続きそうだし、後で気分転換に甲板に行ってもよさそうだね」

 気に食わない奴が、唐突に会話に入ってきた。

「お前……」

「ひとり言だよ。今日は疲れることが多かったから、気力が乱れやすいようだ」

「……イクサが行くなら、行ってもいいわ」

「ええ、そうですね。気力を整えるために、皆で行ってみてもいいかもしれません」

 声を立てて笑ったのはクルトだ。

 ティピアですら、小さく笑んでいる。

「襲撃されたことを、忘れていないか……」

 本来ならば、このような話をしているのがおかしい。

「サキちゃんのことで、海の底まで落ち込んでるローグに言われてもねー」

 それを言われてしまうと立つ瀬がない。

 虫よけになるかと思い実情をばらしてみたが、とんだおまけがついてきた。


 仕方なしにだらだらとした拠点で、おちょくられながら彼女の帰還を待ちわびる。だらけ切った奴等のおかげで、気分が軽くなってはいた。呼吸を整え、いつか覚えていろよと心で呟いておく。

 しかし、これからの算段をしはじめたところで、また突き落としがあることまでは……さすがにわからなかった。

「あの人、サキちゃんから離れてくれるかな?」

 何も考えていない声を聞いて、拠点内に溜息が満ちたのだった。







「お手数をお掛けします」

 バトに銀の腕輪を渡しつつ、二度目の謝罪を口に上らせた。

「また、暴走などされては適わないからな」

 やはりその件は忘れてくれないらしい。

 たらたらと冷や汗をかきつつ、術具の様子をじっと見つめていた。


 自分が真術を使うために必要な術具。"鎮成の陣"が籠められた銀の腕輪。調子がおかしいとわかったのはつい先ほど。

 バトに言われて、"癒しの陣"と"守護の陣"の輝尚石を籠めている時だった。

 いつかそうなるだろうと思ってはいたが、それが今日でよかったと心から思う。自分はこの腕輪をしないと真術が使えない。その事実を知っているのはローグとバトだけだ。

 真導士の常識から外れてしまった自分の力については。軽々と誰にでも話していいとは思えなかったので、まだ正師達にも報告していない。特に、ローグがそれを強く止めた。

 この一月の間、いくら探しても見つからない原因について、彼がもっとも有力と思える推察をしたからだ。

 青の真術が原因だろう、と。

 命が危機にさらされる時だけ、無意識に展開される青い奇跡――。

 言われてみれば真術が使えなくなったのは、実習で青の真術を放った後だった。

 鈍い記憶の中にある、大きな蓋を消し去ったあの瞬間。あれがきっかけだとすれば、時系列もぴたりと合う。

 "迷いの森"の一件と、青の真術については信用できる者以外に口外しない。特に青の真術については、自分自身ですら自覚を持てていないこともあって、いまだ二人だけの秘密となっている。

 身の安全を優先した結論だったけれど、ここに来て一つの難題にぶつかることになった。

 "鎮成の陣"の術具が手に入れられなかったのだ。

 正しく言うと"鎮静の陣"の上に、"隠匿の陣"を重ねた術具を、自分達では賄うことができなかったのである。真導士の里の倉庫でも、聖都ダールにある里直営の術具屋でも、同じ理由で拒否されてしまった。

 "隠匿の陣"を籠めた術具を作るには、里の許可がいる、と。

 悪事を行うのに向いている"隠匿の陣"は、申請をしてからでないと籠められないのだそうだ。

 "鎮成の陣"のみの術具では、真力が低い自分がしているという状況が際立ち、正師達に不自然さを見つけられてしまう。

 しかし申請をしても、許可を得る理由が必要だ。

 自分達はにっちもさっちもいかないまま、確実に目減りしている真術の効果を、見守ることしかできなかったのである。


 そして、つい先ほど"鎮成の陣"の効果が切れた。

 バトの傍で輝尚石を籠めていてよかったと、自分の運のよさを女神に感謝した。

 輝尚石を割り砕いてしまったことに気づいたバトは、意味をすぐさま把握した。自分を拠点から連れ出し、物置で"遮蔽の陣"を展開して、腕輪を寄こせとそう言った。

 いま現在。青銀の真導士は、手際も鮮やかに"鎮成の陣"と"隠匿の陣"を、銀の腕輪に籠め直してくれている。


「バトさんは燠火の真導士なのに、天水と蠱惑の真術も使えるのですね」

「使えるのはこれだけだ。おとり用の術具に籠める必要がある。"鎮成の陣"ならば回収ができなくとも、そこまで大事にはならん。"隠匿の陣"は"鼠用"の罠にも使えるゆえ、この二つだけは習得した」

 鼠用――。

 聞こうか聞くまいかと悩んでいたことを思い出す。今回の敵は、いったい誰なのだろうか。

 逡巡したが、不安は負の感情の一種だと思ったので、口から出してみることにした。

「バトさん。今回の一件は……あの男が絡んでいるのですか」

 記憶に掛る、金の瞳をした獣。

 前回の任務で取り逃してしまった獰猛な男を追って、バトはここに来たのかと考えていた。

「いや、今回は別件だ。ラーフハックは用心深い。あれ以降は潜って出てきていない」

「そうですか……」

 ふっと力が抜けた。敵がいることに変わりはないけども、あの男でなければ大丈夫だと思える。あの男は凄腕だ。わずかに競り勝ってはいたが、バトと拮抗する力を持つ"淪落の魔導士"と、この状況下で再会したくはない。

「お前の神経はどのような作りになっているのだ。確かにラーフハックではないが、"鼠"共に命を狙われていることは事実。あのような襲撃を受けて、どうして安堵できる……」

 言われてみればそうだ。

 そうなのだけれども、ラーフハック以外ならどうにかなると思い込んでいた。何故なら……。

「バトさんがいますから」

 自分でも無責任だと感じるが、本心だった。

 この人が居れば大丈夫だ。熟練の番よりも遥かに強いバトがいれば、自分達はきっとサガノトスに帰還できる。


 そこで、奇妙な沈黙が降りた。

 あれと思って見上げれば。首に手をあてた格好で、じっと見返してきている青銀とかち合った。また、思考に沈まれては適わない。あの居心地の悪さは、好んで体験したい種類のものではないのだ。沈まれる前に、何か言葉を出して注意を惹かなければと焦ってしまう。

「お前という奴は……」

 何かを言おうとしたバトは、そのまま言葉を飲み込んでしまった。無言で自分を見返している青銀の中、あの光が揺れている。

 胸の軋みがひどくなっていく。自分がちゃんとここにいるかと、胸元に手を置いて確かめた。その動きをきっかけに、幻を追っていた瞳が自分を見てくれた。

 バトは、真術が籠められた銀の腕輪を差し出す。

「つけろ。外した状態で真術を使うな」

「はい、ありがとうございます。あの……"隠匿の陣"は、導士でも習得できますか? 倉庫も術具屋も"隠匿の陣"だけは駄目だと断られてしまって」

「それは難しいだろう。だが腕輪の件なら案ずるな、こちらで手を打つ。……それよりも、お前にはやってもらわねばならぬ任務がある」

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