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真導士サキと第三の地  作者: 喜三山 木春
第五章 邂逅の歯車
97/106

真導士の苦悩

(うわあ……、最悪だ)


 あまりにも劣悪な空気となった拠点。その片隅で長い背中を丸めてつつ、内心だけで愚痴を言った。

 初の実習で、まさかこんな体験をするなんて。頼れる相棒がいれば、叱咤でもしてもらえたかもしれないけど。今日に限っていないとは何とも運がない。


 暴風が吹き荒れた後の拠点は、凄惨たる状態となっている。

 バト高士という怖いお兄さんは、高士の皆様の矜持をずたずたにして行ってしまった。特にセルゲイ高士の矜持は、引き裂かれた挙句にこれでもかと踏みつけられ、再起不能の状態だ。発作でも起こしているのではと思える震えが、男の心理状態をしっかり伝えてきている。

 ジーノ高士はまだ平気そうだけれど、フィオラ高士の憤りも相当なものだ。件の高士が出て行ってからこっち、飽きもせず怒りを発散させている。大人の余裕を持った美人なお姉さんだと思っていたのに、何とも残念な気分になってしまう。

 アナベル高士は俯きながらも、ほっとしている様子だ。気が弱そうな人だから、全部の支配権を持っていったあの高士に救われたのかもな。責任を負わされるのが苦手なのだと、意味もなく推察した。

 そんな風に、大きな爪痕を残していった怖いお兄さんだったが。

 罵倒もせずに一人の導士を叩きのめしたことは、さすがに気づいていないだろう。


 横目で黒髪の友人の様子を窺う。

 窺った拍子に、弱り切った顔でローグを見ているジェダスと、つい目が合ってしまった。

(やっぱり、あれはきついよなあ……)

 ついさっきまで激昂しながら覇気を漲らせていた友人は、壁沿いに座り込みつつ頭を抱え。孤独に俯いている。

 あまりの落ち込みように、とても声をかけられない。

 怖いお兄さんにサキちゃんを連れ去られてからというもの、ずっとこの調子だ。無言のまま落ち込んでいるから、何の話もしていないけど。いま考えていることなら手に取るようにわかる。

(さあて、どうしたもんかな……)

 サキちゃんが出て行ってしまった時のこいつの顔は、一生忘れないだろう。茫然としたというか。愕然としたというか……あんまりお目に掛りたくない類の表情をしていた。

 正直、慰める言葉すら思いつかない。

 誰の目にも触れないよう自分の懐に隠して、大事に大事にしていた宝を、物取りにかっさらわれた気分なんだろう。普段のこいつなら、追いかけていって奪い返すくらいはするだろうが、どうにも相手と状況が悪過ぎる。

 女神は何という試練を友に与えてくれたのか。

 日頃の行いがそこまで悪かったのかと、いらぬ心配すら浮かんでくる。

 二人があんな喧嘩をすると思ってもみなかった。それから、サキちゃんがあそこまで激しい感情を見せるなど、想像もしていなかった。あの激情は怒りではなく悲しみだ。

 ローグの怒りは彼女の心を、深く、深く抉ってしまったのだろう。

 自身の怒りでサキちゃんを傷つけたと知ったローグは、それだけでもかなり後悔して落ち込んでいた。そんな時に、他の男が颯爽とあらわれ。さらには想いを向けている娘を、目の前から持っていったとあっては……。

 ローグが抱えている傷口には、とても手の施しようがない。世の中には時の薬というものが存在するという。いつかきっと傷も癒えるだろうと、根拠もなくそう思い込んでみることにした。

 無理なものは無理だ。風向きが変わることもあるかもしれないし。……うん、そうしよう。


 考えた挙句、暇を持て余してみたものの。

 いまのところ何もできない導士の身。仕方なく、フィオラ高士の憤りを観察することにした。

「あの男、本当に許せない! 毎度毎度、どうしてここまで人を馬鹿にできるのかしら」

「諦めろフィオラ。我々ではどうしようもない」

 ジーノ高士も笑ってはいても、含むところはあるのだろう。少し険の入った様子が窺える。

「いくら庇護があるからって、やりたい放題やってくれるわよね。私達は同じ高士なのに、あそこまで態度が大きいなんて!」

「フィオラ、余計なことを言い過ぎるなよ」

「わかっているわよ。でもこれくらいじゃ懲罰にはならないでしょう。本当のことを言っているだけだし、皆知っていることじゃない。あの男を偏重するシュタイン慧師の考えが、わたしには理解できないのよ」

 形のいい口から気になる言葉が飛び出してきた。

 怖いお兄さんは、シュタイン慧師から贔屓されてるってことかな。

「……それは、どういうことで? あの男はシュタイン慧師と関わりがあるのですか」

 ずっと怒りで震えていたセルゲイ高士が、押し殺した声のままお姉さんに問い掛けた。

 あの目は、まずい……。

 泥酔したような淀んだ色をしている。鎮静剤を持ってくるべきたったと、小さく後悔した。

 セルゲイ高士の、おかしな様子に気づいていないわけはないだろうに。自分の憤りが先に立ってしまっているお姉さんは、勢いのまま怒りに油を足すような発言をしてくれた。

「あの男はね、シュタイン慧師の右腕だと言われているの。もともと同期で、力も拮抗していたからとか聞いたけれど。慧師からの信と庇護が厚くて、本来なら高士では持てないような特権を有している。そのせいもあって誰もあの男を批判できないのよ……」

 特権、ね。

 まあセルゲイ高士が好きそうなお言葉ですこと。

「だがバト高士の実力も確か。望んで高士の地位にいるが、本人が希望すれば正師にも令師にもなれるくらいだ。……人嫌いで有名だから、正師も令師も向いていないとは思うがね」

「そうそう、それもよ! 何度も顔を合わせているのに、私達の名前を覚えようともしないのよ。まったく失礼な男だわ」

「人の名前を覚えないのでも有名だからな、あの御仁は」

「自分以外に興味がないなんて、自己愛主義にもほどがあるわ。……あら、そういえば。何で導士の名前なんて知っていたのかしら?」

 美人なお姉さん高士は、憤りの気配を収めて。絶対に言って欲しくなかった疑問を口にする。

 隣で黒髪が、びくりと揺れたのが見えてしまった。

「さてね……。確かに不自然ではあるが、彼については何も聞けないから追求しようがない」

「でも、おかしいわよ。二人ともお互いを知っている様子だったし。私達だって導士の名前なんて報告していなかったじゃない」

「やめておけ、それ以上の詮索は本当に洒落にならない」

 ジーノ高士の言葉で、ようやくフィオラ高士も口を閉じた。怖いお兄さんは、高士達の間でかなり際物扱いされているらしい。

 そんなお兄さんと、どうやって知り合ったのか? 儚い印象を持つ友人への疑問が、少しずつ深くなる。ついでに言えば、落ち込んでいる隣の友人の苦悩も深くなっていく。

 しんとなってしまった拠点に、遠くから二つの足音が近づいてきた。

「戻ってきたわね。……私、この気配も苦手なのよ」

 心底いやそうな顔をして首を振るお姉さんを、慌てて相棒が制した。

「もうやめろ。何も言うな……」


 扉を開けて入ってきた、怖いお兄さんとサキちゃんに注目が集まる。

 人に見られるのは苦手だと言っていた友人が、小さく身を竦ませて、怖いお兄さんの背中に隠れるのが見えた。

 ローグが俯いててくれてよかったと、変なことでほっとした情けないオレがここにいる。


 怖いお兄さんは入ってきて早々に、高士の皆様に対して「出て行け」と指示を出した。

「必要があればこちらから声を掛ける。せいぜい大人しくしていろ」

 暗に余計なことはするなと言っているのはわかる。ただ、さすがに誰も何も言わなかった。

 腹に据え兼ねていても、従うしかないということかな。

 ……本当に、怖いお兄さんだ。

 入ってきただけでこう、何とも言い難い寒さを感じてしまう。

 真力の量も尋常ではないと感じられるし、裏で色々あろうがなかろうが、本能的に逆らいたくない人種だ。そんな人物が、高士の皆様が出て行ったのを確認して、盛大な舌打ちをしてくれたものだから堪らない。状況に耐えられないだろう小さなティピアちゃんが案じられる。

 大丈夫では、……ないだろうな。


「立て」

 唐突で短い命令が下され、大慌てで立ち上がる。

 真導士から兵士になった気分だ。

 怖いお兄さんは、壁際に張りつきながら起立している八人の導士を見渡し。そして傍らに立つサキちゃんに視線を移した。

「これで全部か」

 さっきよりも数段穏やかな声音だった。思わず目を見張る。

 ローグじゃなくても気になってしまうな、これは。

「はい、彼……ヤクスさんは今日一人で参加しているので。もう一人の方は、ご実家に帰省しているらしく実習には来ていないのです」

 サキちゃんの声は普段通りだ。

 そしてそれは非常にまずい。何しろ彼女は結構な人見知り。徐々に治ってきてはいるが、まだまだ知らない人は苦手だと、本人がそう言っていた。

「バトさん。わたし達これから何をすればいいのでしょう?」

 続けて出た友人の台詞に、ぎくりとした。

 高士相手には尊称をつけないとまずい。真導士は階級が明確に分かれていると、彼女が知らないはずはないだろうに……。

 サキちゃんに向かって罵声でも飛び出るのではないかと、内心はらはらしてしまう。しかし、そんな心配を他所に、怖いお兄さんは何のてらいもなく質問に答えた。

「まだ何もしなくていい。襲撃の際に怪我を負っている者がいれば、いまのうちに癒しておけ。気力と真力を整えるのが先だ」

「はい」


 礼義正しい返事を聞いたお兄さんは、入口付近にある椅子に向かって歩いていき、そこに腰を下ろした。

 その姿を確認し、こちらを振り返ったサキちゃん。彼女は、立ち尽くしている同期の様子を不思議そうに眺めて、こう言った。

「皆さん、休憩しないのですか?」

 何でだろうと首を傾げている友人の姿に、腰が砕けそうになってしまう。

「……いや、いいのかなって思ってさ」

 ついつい小声で答えてみれば、ますます不思議そうな表情になった。

「バトさんが、いいって言ってますから。疲れてしまいますので座った方がいいですよ」

 言っても座る様子を見せない一同を、困ったように見渡して……とある一点で動きを止めた。

「ティピアさん、どうしたのですか?」

 慌てた声につられて見てみれば、すっかり怯えきったティピアちゃんが、蒼白な顔のまま涙を流していた。

 ああ、かわいそうに。ずっと怖かったんだろうな。

 サキちゃんは急いで小さな友人に駆け寄り。ほそほそと話すか細い声を聞き、困ったように眉をひそめた。そして、困った表情のまま入口にいる怖いお兄さんに向かって、とんでもないことを言い出してくれた。

「バトさん、真力を抑えていただけませんか」

 ジェダスが奇妙な姿勢のまま、硬直したのが見えた。自分も思わず喉を鳴らしてしまう。

 そんなこと言って大丈夫なのか……?


 怖いお兄さんは、実に怖い顔でサキちゃんに問い返した。

「何故だ」

「その……、バトさんの真力が強過ぎて、ティピアさんが怯えてしまっています。これでは休めません」

(サ、サキちゃん!)

 彼女には恐れという感情がないのだろうか。

 今度こそ、さすがにまずい。

 罵声とともに真術すら飛んできてしまうに違いない。そうなったらとにかくお嬢さん方をかばわないと。"守護の陣"なんて使えないから、この身体で盾になるか。

 ああ……短い人生だった。畜生、オレも恋人くらい作ってみたかった。

 一人心の内で、悲嘆に暮れていたというのに、オレ達はあまりに予想外の事態を体験することになる。

 怖いお兄さんが――高士ですら口答えできないような人物が、寒気のする真力をそっと抑えたのだ。


(う、嘘だろう!?)


 内心の叫びは誰にも聞こえることなどなく。もちろん願いを聞いてもらえて、にこにこしている友人に届くはずもなく。ただただ頭の中で虚しく反響していった。

 おかしい。これは絶対におかしい。

 ローグを慰めようと、密かに掻き集めていた反証の材料を、一気に手放した。

 一体どういう関係なのか予想がつかないけれど。親しいと表現するのが適切な現状が、目の前に横たわっている。


 ティピアちゃんに意識が集中している彼女は、自分に想いを寄せている相棒の心境など考える余裕がないのだろう。小さな友人に向かって安心させるように微笑んでから、またもやとんでもないことを言ってのけた。

「大丈夫ですよ、ティピアさん。バトさんは怖い人ではありますが、悪い人ではありませんから」

 ずっと黙って立っていた黒髪の友人は、どこか遠い目をしたまま、ついに天を仰いだ。お兄さんと彼女の間にある繋がりを、確信するには十分な一言だ。これはもう否定なんてできやしない。

 唖然とした自分達の耳に、遠くから呆れ切ったような声が届いてきた。


「おい……。お前は本当に、どういう神経をしているのだ?」

 怖いお兄さんに言われて、しまったという顔になる。焦りの表情を浮かべた彼女は、両手で頬を包んで熟れたように顔を赤らめた。

 赤い顔を見て。この場では決して言えない言葉を、胸の内だけで彼女に伝える。


 お願いだから、これ以上は追い詰めないであげてよ……ねえ、サキちゃん?

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