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真導士サキと第三の地  作者: 喜三山 木春
第五章 邂逅の歯車
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愚かな矜持

 全員に質問を禁じた緑の真導士は、硬質な声音のまま後を続ける。


「本来ならば、導士はおろか高士にも伝えられない事項だ。俺が伝える以上のことを知ってはならない。そして知ろうとしてもならん。言われたことを己の内に飲み込み、生涯を通じて表に出すな」

 何と強固な禁則だろうか。青銀の真導士に関わる事柄が、ここまで強く里の中で隠し通されていたとは。

「彼はバト高士だ。サガノトスの高士ではあるが、存在自体が例外的。彼の任務についての詳細は話せない。言えることは一つだけ。常に緊急度が高い任務を負っているということ。今回のように任務が被った場合は、必ず彼の任務が優先されると決まっている。……彼と会った時点で、我々の任務も途中放棄として扱うことになったと認識してくれ」

 セルゲイからただよう不穏な気配が、より強く放たれた。

 このような状況に陥ってなお、自分の矜持を優先させようとする男に対し。気力を乱すような考えが生まれてしまう。どうにも胸がざわつき、静まってくれない。

「バト高士に関する事項は、サガノトスでの不文律となっている。まずは彼の任務を邪魔してはならない。指示があれば、慧師からの指令と同じであると受け止めること。また、彼の任務について何一つ聞いてはならない。もし任務中の彼に会ったら、その時点ですべてを忘れるよう心掛けろ。それから最後に……。彼の相棒について絶対に聞いてはならない」

 突然、"淪落の魔導士"の言葉が、頭の中で反響した。


 ――"片翼のバト"


「つまるところ我々は何も言わず。そして何も聞かず。彼の指示に黙々と従えばいい。……全員飲み込んだな。では先ほどの指示通り、拠点で待機をしていてくれ」




 拠点の中を、セルゲイが腹立たしげにうろうろと歩き回っている。

 待機中なので、私語は解禁された。しかし、状況が状況なので、和気あいあいとおしゃべりをという雰囲気にはならない。

 自分は、すっかりとは言わないまでも、それなりに冷静さを取り戻していた。

 今日一日の理不尽な出来事も。さっきまでのいじけ心も。冷たい突風に吹き飛ばされてしまっている。

 さすがにいまは……黒髪の相棒と口を利きたくないとは思う。でも、喧嘩の続きなら事がすべて済んでからでもいいと、頭の隅にあっさり移動させた。

 はっきり言って辛いし悲しい。彼が自分を守りたいと思うように、自分だって彼を守りたい。

 それが本当の対等というものだ。

 彼のやり方を、甘んじて受け入れる気はないのだから、これはもうぶつかって行くべきだ。信じてくれていないのだとしたら、信じてもらえるようになるしかない。それでも信じないで愛玩だけ望むとあれば勝手にすればいい。その時は自分も勝手をしてやればいい。

 もう決めた。絶対に譲ってなどあげない。


 それよりも何よりも。目の前の事態を何とかしなければと考える。

 バトは以前、"片生の魔導士"を"鼠"の変種と呼んでいた。ということは、あの人は今日も"鼠狩り"に来たはずだ。

 暗雲の方へ逃げ去って行こうとしていた襲撃者達を、どこまでも追い続ける白のローブ……。

 思わず手を握り込んだ。

 赤い湖と、死の匂いに満ちた倉庫が脳裏に浮かぶ。

 バトは決して手を抜かない。だとすれば彼らの命は、すでに海の中だ。船の周囲から害意が掻き消えた理由は、青銀の真導士に問わずともわかってしまう。冷血とも呼ばれるあの人は、慈悲深いとは言い難い存在。だが、見え隠れしているバトの心が、悪に染まっているとは思えない。

 彼らを始末しなければ、下手をすると内乱が起こる。

 それ以前に、船に乗っている新米高士と導士達の命が危うい。一人ですべてを飲み込み、影からサガノトスを守る闇色の守護者。誰よりも真導士の里を知っている青銀の真導士。

 その人が出した警告は、自分だけでもしっかりと受け取るべきだ。

 いまこの時も、警戒を怠ってはいけない。正当な航路を見失ったこの船は、淀んだ雲の気配に向かって進み続けている。


 真眼を開いて暗雲を追おうとした時。隣から、熱い海の気配が流れ込んできた。

 大きく感情を揺らしている彼の気配は、鋭敏な真眼にはあまりに強過ぎる。"片生の魔導士"達とは比較すらできないほど圧倒的な真力。史上最大と評される真力は、時として自分が受け取る情報を狭めてしまう。

「ローグ、気配を抑えてください……。船の外が視えません」

 隣を見ないまま、小声を出した。

 喧嘩中だと認識しているので、つんけんした声音で必要なことだけ伝える。

 言葉に反応してぴたりと波が収まり。その後、気配が弱々しく小さくなっていくのを感じた。


 よし、これでようやく外が視える……。


 深呼吸をして。意識を真眼に集中させる。

 雲の気配を追おうとしたところで、面倒なことにセルゲイに見咎められた。

「おい、お前。そこで何をしている!」

 下げていた視線を、一直線に向ける。

「外の気配を追っています……」

 きっと瞳に力を入れた。

 罵倒でも何でも好きなようにしてくれていいから、気配を探る邪魔立てだけはしないでもらいたい。

 皆の命が掛っているかもしれない時に、何故わざわざ自分を構おうとするのだろう。

 自分の返答は、セルゲイにとってひどく気に食わないものだったようだ。

 木蘭色の瞳の中に濁った影を抱えつつ、睨めつけてきた。

「何い? 気配を追うだと。馬鹿を言うな、お前のような小者にそのような真似できるはずないだろう。早く真眼を閉じろ。相手にこの場所が割れてしまったらどうする!」

 言葉を失った。

 セルゲイは。優越感と矜持の塊のようなこの男は、とても怖がっている。しかし自身ではそれを認めず。怒りとして転嫁し、当たり散らす先を探しているのだ。危うい状況を孕んだ場所で、……何と愚かな。

「早く閉じないか、高士の命令に背くなど許されないのだぞ!」

「セルゲイ、いい加減にして! 彼女は危機を察知しようとしているだけだわ」

 アナベルの制止は、いっそう男の矜持を高まらせた。

「こいつが気配を読んだとして、何の役に立つと言うのだ。導士の分際で非常事態にしゃしゃり出てくるな!」

「彼女は誰よりも早く危機に気付いたの! 導士だから高士だからじゃないって、何でわからないのよ。わたし達の命だって危ないのよ!?」

 命だって危ない。

 その一言に、セルゲイは大いに怯んだ。そして怯んだという事実を、場に居る全員に覚られたのを恥と感じたようだ。濁った影を抱えた瞳は、徐々に怪しい光を持ちはじめ――荒廃した笑みを浮かべた。

 ざらりと背中が粟立つ。

「誰よりも早く……危機に気付いた、だと?」

 セルゲイの様子が変わったと、アナベルにもわかったようだった。

 不気味な何かを警戒し、表情を固く強張らせる。

「ええ……、そうよ。彼女が攻撃を真っ先に予見したの」

 じりじりと自分の方に向かってくるセルゲイに、薄気味悪い予感が膨らんでいく。

 高慢な高士が目の前に立つ直前。ローグが半身だけ身体を入れた。何事かを感じ取り。壁を作ろうとしてくれた肩口を視界に入れながらも。セルゲイから、視線を外さないようにしていた。

 まるでローグの姿が見えていないかのように、荒んだ笑いをしたセルゲイ。男は、含みを持たせながら自分に問う。

「そういえばお前。船を止めろとか騒いでいたな……?」

「ええ……。海の中に真術が視えたので。このままではぶつかってしまうと……」

 自分の答えは、男が喜ぶような何かを与えてしまったらしい。

 かっと目を見開き、笑いを深めた男は大声で騒ぎ出した。

「そうか! そういうことだったのだな。怪しいと思っていたのだ、何と恐ろしい企てを……。来い、ジーノ高士達の前で真実を語らせてやる!」

 自分の腕をつかみ取ろうとしたセルゲイを、ローグが止めた。

「何をするおつもりですか……?」

 ぎりぎりと力を込めて、高慢な高士の腕をつかんでいる。自身の腕を取った導士を睨み。それでもどこか恍惚とした表情で。セルゲイがとんでもないことを言い出した。

「ジーノ高士に裁いていただくのだ。まったく恐ろしい娘よ。何も知らぬという顔をしながら、船長達と繋がっていたとはな!」

「貴方、いったい何を!?」

 相棒を横目で見据えた男は、己だけで作り上げた虚構の世界に溺れていく。

「おかしいとは思わぬのか、アナベル。ジーノ高士やフィオラ高士が、上位の真術を放っている状況で。さらにお前が"守護の陣"を展開している最中に、だぞ? その中に在って、隠し敷かれていた真術を見抜ける者など、いるはずがないだろう! こいつは最初から知っていたのだ。そして土壇場になって己の身がかわいくなったに違いない!」

 セルゲイの愚か過ぎる妄言に、誰もが反論する力さえ失った。

 沈黙を肯定であると考え。勝手な思い込みを強めた男は、自分の腕をつかもうと暴れ。勢いのままローグと揉み合いになる。

 周囲がローグに加勢しようとした矢先、扉が開く音が響いた。


「セルゲイ、何をしているの?」


 フィオラとジーノが拠点に帰還したようだ。背後に、険しい表情をしたバトの姿も見えた。混沌の渦に落とされる寸前であった拠点に、安堵の気配が流れる。

「フィオラさん、こいつ……、この女、内通者です!」

「勝手な決めつけは、お止めください!」

 セルゲイとローグの激しい応酬を見て。高士達の間で奇妙な空気が流れた。

「待機しているのはいいが、揉め事を起こすとは何事だ。本当に船の現状がわかっているのか?」

 ジーノから叱責を受けたセルゲイの顔が、紅潮したまま大きく歪んだ。ざらついた予感は大きくなるばかりで、少しずつ気道を圧迫してきている。

「揉め事ではありません! こいつ、先ほどの襲撃の際も、怪しい動きをしておりました。真術も使わずに攻撃を予見して、己の身だけかばっている!」

 セルゲイの必死な抗弁に、ジーノとフィオラの表情が変わった。

「予見しているですって? それは本当なの」

「ええ、間違いありません。攻撃がくる方向を誰よりも早く認識し、防御しています。あれだけの人数が、同時に真術を展開している中でです。おかしいとは思いませんか?」

 熟練の番が顔を見合わせた。表情からは何も読み取れはしないが、二人がまとう気配が変わった。

 話の流れは自分にとっても。自分をかばっているローグにとってもよくない。

 どうにかセルゲイを……高慢な高士の妄言を止めなければ。

「本当に誤解です。彼女は、とても気配に敏い人なのです。それに自分だけをかばっているわけではなく、単純に間に合わなかっただけだと思います。攻撃の直前に警告を出そうとしていましたので」

 柔らかい声が援護に入る。イクサが助けに入ろうとしてくれている。しかし、これでは炎を広げるだけだ。セルゲイには言い訳としか映らないだろう。下手をすれば、自分に逆らったと恨みを重ねていくだけ。冷や汗と共に、焦りが募っていく。

「気配に敏いだと? 我々、高士にそれが通ると思うのか! 多数の真術が展開されている中で、真導士の勘がそこまで有効であるはずがないっ」

 子供が癇癪を起したように叫びながら、自分の胸倉を掴んできた。布地で首を締めようとした高慢な手を、ローグの腕が大きく払い除ける。

「何をする!」

「それはこちらの台詞だ……!」

「……ローグ、よせ。やめるんだ」

 激昂したローグを、ヤクスとジェダスが止めに入る。二人でローグを引っ張ろうとしているようだが、彼の足は床に張りついたかのように動かない。

「……貴様。導士の分際で、高士に逆らうな!」

 覇気を漲らせた黒髪の導士の様子に、セルゲイの感情がついに決壊してしまった。罵声を叩きつけて右手に拳を作り、ローグの顔を目がけて突き出そうと構える。愚かな激情が爆発しようとした、その時――。

 凍えた真力が、場にいる全員に向かって解き放たれた。


 圧倒的な威圧。

 肺すら押し潰し。すべての自由を奪うような冷たい真力に囲まれ、セルゲイが動きを止める。


「――いい加減にしろ」

 氷の声音は、冴えた鋭さを孕みながら全員を支配下に置いた。

 セルゲイを貫いている青銀の瞳に、否応なく視線が惹きつけられる。

 目に見えぬ刃が放たれていると錯覚するほどの苛立ち。その激しい怒りを目の当たりにし、誰もが呼吸を止めた。

「まともに任務も果たせない上、半人前の導士相手に何をしている」

「し、しかし……、こいつ等を言っていることなど信用できないでしょう。気配に敏いなど、わかりきった嘘を……」

 青銀の瞳がより強く眇められた。

「愚か者めが。貴様の知見の狭さに付き合わされる、こちらの身にもなれ」

 不快感を隠そうともしないで新米高士を罵り、鋭い視線を熟練の真導士達に向ける。

「新米高士の指導すらも儘ならないとは。物見遊山でもしに来たのか」

 フィオラが悔しそうな表情を浮かべた。しかし、何の反論もせず、青銀の真導士をただ静かに見返してした。

「こいつと導士共を早急に引き離せ。気力を削るような真似をこれ以上させるな。お前達は新米高士の指導に専念して躾直しをしろ」

「導士達はいかがします」

「俺が受ける。お前達にまかせたままでは無駄に死人が出るだけだ。……使えない高士より、半人前の導士の方がましだからな」

 冷笑を張りつかせたバトの侮蔑が、セルゲイを貫いた。侮蔑によって矜持を砕かれた男は、顔を紅潮させたまま怒りで震え出す。この男にとって、もっとも耐えがたい屈辱をあえて選んだのだと、気配を探るでもなく気づいてしまった。

「外の様子を見てきてやる。せめて斥候くらいはこなして欲しいものだが、貴様らにはまったく期待ができん。俺が戻るまでの間に、貴様らの拠点と陣形を検討しておけ」

 バトは冷たい表情のまま白いローブを翻し、扉へと向かう。

 苛立つ背中に、高士達の視線が刺さっていくけれど。青銀の真導士に通じるはしないと思えた。


 そのまま拠点を出て行くかのように思えた背中が、入口のところでくるりと振り返った。

 バトにひたと見据えられ、胸に軋みが蘇る。

 一月ぶりに出会った青銀の瞳には、まだ幻の光が宿っていた。

「サキ、ついて来い」

 目を瞬いてしまった。

 先ほど胸に刻み直した確約が、ぐらぐらと揺れ動く。

 視線が自分に集中したのを感じて、全身に焦燥が駆け回り、汗が滲んでくる。動きがないことに焦れた青銀の真導士は、顔をしかめながら拳を作り、裏手で扉を二度叩いた。

「何を呆けている、呼ばれたらとっとと来い。外の偵察に行く」

「わ、わたしですか?」

「他に誰がいる。もたもたするな」

 それだけ言って、入口から出て行ってしまった。

 あっと言う間に消えた白のローブを、大慌てで追いかける。

「バトさん、待ってください!」

 咄嗟に呼んでしまってから、自分の失態を知る。

 ああ、何てことをしてしまったのか。

 さらに強まった視線にいたたまれなくなり、先を行く苛立つ背中に集中する。


 いまこの瞬間だけ。凍える気配の傍が、どこよりも安全な場所に思えてならなかった。

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