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真導士サキと第三の地  作者: 喜三山 木春
第五章 邂逅の歯車
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確実な既視感

「無事か!」

 強張ったヤクスの声が聞こえて、仰向けになっていた身体を起こした。場には、船に乗り込んでいた真導士全員が終結していた。

 甲板のそこかしこで、呻き声がしている。

「数は削られていないな」

 真術を収束させた緑の真導士が、全員の顔を見渡して確認するように呟いた。


 目がちらついて、視界のところどころに影を落としている。

 奇跡の光はあまりに強過ぎた。瞬きを繰り返しても、常の明瞭さがすぐに帰ってきてくれない。


「あれは……」

 フィオラが空から舞い降りた白を見つめて、正体を見極めようとしている。

「援護だろう」

 同じように白を見ていたジーノが、それらしい答えを出した。

 害意の風を打ち消した真導士は、船に向かうことなく海上を飛んでいる。小さな白の光をまとった"片生の魔導士"達。撤退を試みている彼等を、たった一つの白が追っている。

「援護が来る予定でもあったの?」

「いや、連絡を受けていない。増員の予定もなかったはずだが、さて……」

 互いだけで会話をはじめた二人を他所に、ローグが自分のところまで駆け寄ってきた。


 悲壮な表情を浮かべ、自分の名を呼ぶ彼。その姿を見て、胸をなで下ろす。

 彼は無事だ。

 傷一つ負っていない。

(よかった……)

 自分は守ることができたのだ。誰よりも大切なたった一人の相棒を。

「ローグ、無事でよかった」

 心からの言葉だった。自分のすべてを込めた真術は、彼を守り抜いてくれた。こんな自分でも、ローグを守れたという事実がとても誇らしい。やればできるではないか。

 自分の勇気に感動し。それこそ天に昇るような気分で、向かってくるローグに微笑みかける。

 そうしたら、彼は何故かとても傷ついたような顔となり、聞いたこともないような大声を出した。


「いいわけ、ないだろう!」


 真正面から受けた怒声に、目を見開いた。

「何をやっているんだ。……どうして俺をかばったりした!」

 漆黒の黒髪を振り乱しながら、自分を責め立てる低い声。声の力があまりに強く、身体が竦む。

「何でって、ローグを守ろうと……」

 混乱しながらもそう伝えれば、黒の瞳の奥で怒りの感情が燃え上がった。

 ローグから激しい怒りをあてられたことはない。どうしていいかわからなくて固まっていたら、長身の友人が仲裁に入ってくれた。

「ローグ、何を怒っているんだ。そんなに怒鳴ることはないだろう」

「うるさい。ヤクスは黙っていてくれ。俺は守られたいと思っていない!」

 ふつ、と……胸の奥に火が生まれた。

 悲しさと寂しさと怒りの炎は、彼の様相を受けて自分の中で勢力を広げていく。

「それは、どういう意味ですか……?」

 怒りに染まった黒に向かう。激しい感情を抱いた自分は、彼からどのように見えているのだろう?

 醜く見えているかもしれない。だが、それで結構だ。

 気に食わなければ、勝手にそう思えばいい。

「わたし如きに、かばわれることは……そこまで屈辱でしたか」

 ローグから表情が消えた。

 意味を理解する気は、湧きもしない。

「わたしのような者は、相棒を守る資格すらありませんか!」

 ひどい侮辱だ。

 彼は、自分を見縊っていた。何からも守ろうとしてくれていた彼。

 誰よりも自分にやさしい相棒。その相棒の愛護の心にあるものを、ここにきて発見してしまった。彼は、自分が何もしないことを前提にして物事を考えている。

 それはやさしさではない。ただの傲慢だ。大切に大切に、愛玩しようとしているだけではないか!

 一方的な関係のどこに、自分の気持ちが存在しているのだろう。愛玩されるだけの自分を望まれても、それは自分であり得ない。彼の願いは許し難い屈辱として、自分の心を焼け爛れさせた。

「ローグは……」

 最初に貰った、大切な言葉にも――意味などなかった。

「わたしを、信じていないではないですか……」

 ローグは、相応しい相棒になどさせるつもりはなかったのだ。それで二人の気持ちが重なるわけがない。


 悔しい。

 悔しくて悔しくて、彼が憎い。

 唇を噛みしめてじっと黒を睨みつける。噛みしめた唇から、鉄の味がした。それなのに、痛みはわからなかった。

 麻痺した感覚を抱えた自分は、頬を熱い涙が流れていくのをただ鬱陶しく思った。

「サキちゃん、力を抜いて……。ほら、血が出てるから、ね?」

 仲裁を諦めたヤクスは、とにかく自分を落ち着かせようと。両肩の上に手を置き、ローグとの間で壁となって怒りの道を塞いだ。

 睨む先を失った視線は、自然と甲板に落ちる。

 ヤクスの後ろにいるローグの気配が、何かを訴えるように動く。気配の揺れを察知して、静かに真眼を閉じた。

 顔も見たくない。声も聞きたくない。

 彼の気配から逃れる方が心の平穏に繋がると、信じ込むことにした。


 海上の白を追いかけていた熟練の番が、結末を見届けたようだ。

 様々な衝撃に竦んでいた全員に、拠点へ戻るよう指示を出した。指示が出たことで私語が禁止となり、口を閉じて粛々と船内に下りていく。真眼を閉じて視線を下げている自分を、長身の友人が支えてくれた。

 拠点に入る前、扉の傍で待っている彼の足が視界に入ってきた。意識して目を閉じ、彼から顔を背けて拠点に入る。

 鋭敏な真眼を恨んだ。きつく閉じても、真力の揺れだけはわかってしまう。真力の揺れに触れたくなくて、気力を整えることに集中する。

 砂の山を固めるような作業をしていれば、いくらか気が紛れるだろう。


「怪我をしている者はいるか」

 ジーノの問い掛けに、答える者は居なかった。全員が無事だったことを乾いた心で歓迎した。

 ずっと甲板で待機していたアナベルに、状況の報告が求められた。襲撃を受けた際の細やかな情報を、ジーノとフィオラが確認していく。

「では、"旋風の陣"を放ったのはイクサとローグレストだったのだな」

「はい。船を巻き込まないよう放ちましたが……。指示なく動いてはいけなかったでしょうか」

 会話が頭の上を滑って流れる。

 集中していた方がいいとは思う。でも、乱れ切った気力がそれをさせてはくれない。明らかな害意を持った襲撃は、任務の困難さを引き上げた。だというのに、自分の意識は、大気をただよってしまっている。

「いや、よくやった。任務の内容を把握して自ら動いたことを評価する」

「ありがとうございます」

 聞こえてくるのはイクサの声だけだった。それがとてもありがたいと思える。自分の心根は、いま不格好にへしゃげていることだろう。

 かわいくもない。きれいでもない。もう、それでいいと投げやりな気分で考えていた。

 怒りを爆発させていじけている自分は、きっと誰の目から見ても醜い娘だ。


「さっきの真導士は何だったのですか?」

 アナベルの問いに、妖艶さを保ったままのフィオラが悩ましげに答える。

「さあね。誰かはわからないけれどサガノトスの真導士よ。この海域はドルトラント王国領。そうとしか考えられないもの。ただ増員の予定は入っていないし、援護の信号も送っていないから。私達も誰かはわからないの。……追い駆けっこも終わったみたいだし、直に顔を出しに来るでしょう」

「合流する、ということですか」

 不満そうな声を聞いて、乾いた心にささくれができた。

「まだ何とも言えないわ。合流するにも里への報告が必要になる。他の任務を持った高士かもしれないから、相談してみないと……」

 セルゲイは、格上の人間が増えるのが疎ましいのだろう。優越感に浸れる相手でなければ、彼にとっては邪魔者だ。こんな男と実習で一緒になるなど、自分はそうとう運が悪いらしい。

 史上最低の真力を有する自分は、セルゲイにとって格好の餌食。夜の見回りまでの間に、気力を回復させられるだろうか?

 いまの状態でセルゲイと組めば、まともに任務を果たすなど不可能だ。


(……でも。それでもいいのかな)


 ふいに。いま心で湧いた言葉を、素直に受け止めれば楽になるかもと思い立つ。

 自分が初めて抱いた夢の道は、断たれてしまったのだ。我を張って望まれていない守りを固めても、彼にとって邪魔だろう。最初から言ってくれればよかったのに。お前なんかの力を必要としていないと。

 信じるなんて言うから勘違いが生まれてしまう。彼は真っ直ぐなわりに口下手なところがある。

 自分にもわかるよう砕いて言ってくれないと。あの言葉は"裏切らない"という意味だけで構成された"信じる"だったと。自分の力を、相棒の力として信じているわけではないのだと。

 壁沿いに横並びになっている自分達。この並びには定位置がある。番同士で順番に並んでいる関係上、どうしても彼が隣にきてしまう。

 真眼を閉じ切って、白の世界を遮断している自分。

 だが自分の周囲に、ぬくい気配が注がれているのはわかる。閉め切ってある心への隙間を、苦心して探しているような気配を感じでも、何の感情も湧いてこなかった。

 輪郭を成そうとしていた自分の境界が、また薄くぼやけていくようだった。平坦で、何の感動も恐れもない毎日に戻ったとしても、それはそれでいいと考えた。

 きっと自分にお似合いだ。

 強欲が過ぎた。何もかもを手に入れようとしては駄目だ。自分の身の丈にあった生活に帰ればいい。

 何も望まず。何も得なければ。失う悲劇に見舞われなくて済む。


 自嘲の笑みを浮かべようとして――目を見開く。


 立ち竦んだまま、呼吸すら止めてしまいそうだった。

 船内の廊下に一つの足音がある。足音を聞いた面々が、動きを止めて気配を探っていく。

 堪らず真眼を開いた。

 真眼を開くと同時に、身の内に渦巻いていた諸々の感情がきれいに飛んで消える。一人虚しく感傷に浸っている場合ではないと、叫ぶ本能に導かれ。白の世界に舞い戻った。

(これ……、まさか?)

 本日二度目の既視感。だがこちらの方は確実に知っている。

 足音が近づくたびに、おぼろげだった自分に輪郭が出てきた。輪郭と一緒に、動悸と冷や汗も出る。

「やだ、これって……」

 フィオラが発した呟きが遠い。

 自分の視線は、四人の高士達の肩を越えて、あの人がやってくるはずの扉を見つめる。

 響いていた足音が止まった。

 扉の外から、覚えのある気配がただよってきている。


 胸を圧迫するほどの強い真力。周囲のすべてを凍えさせていくような――その気配。


 扉を開いたその人物を見て、ジーノから驚きの声が上がった。

「貴方、でしたか……」

 出会った時を彷彿とさせる、険しい表情をした真導士。

 青銀の瞳を持つ闇色の裁定者は、一月の時を経て……再び姿を現したのだった。

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